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金光教高田教会、我が信心を語る
6 神様と出会いたい
大和高田市 宗教法人 金光教高田教会|祈り、救いを求め、自分に正直に生きる。
もくじ
▲ 皆が皆「喜びと感動の体験」者とは言えないが
▲ そこまでの逆境を体験せずとも生きてこれたら、むしろ幸せ
▲ 神様との出会い方は一様ではないが、その出会いには何らかの感動が伴う
▲ 信心を続けるにはそうした感動の積み重ねが必要
▲ 地道な信心の積み重ねが「いつのまにか有難いことになっている」おかげを生む
▲ 「目の覚めるようなおかげ」も欠かせないがそれだけを求めていては割に合わぬ
▲ すでに与えられてある恩恵や「いつもあるおかげ」に対する感謝を忘れて救いはない
▲ 目先々々は苦しいが、振り返れば有難いことばかり
▲ 教会の建て替えなど、とても無理と思われた
▲ お供えの扱いの純粋さが本教の際立った真面目さの一因になっているが、それだけ教会維持運営の苦労も大きい
▲ そんな苦労の中で、教会の建て替えが実現した
▲ 信奉者の神様を大切に思う心のみが、造営を可能にした。
▲ 教会も信奉者も、無常の世界の中で永久に、神様を杖におかげを受けていけば心配はない
▲ 社会に対しても、もっとこの道の存在価値を示したい
▲ そのためにも我々は神様との出会いを求めてやまない
▲ 神様に出会うためにいちばん大切なのは「神様を求める心」である
平成十九年七月八日 大阪第六教会連合会信奉者共励会にて
皆が皆「喜びと感動の体験」者とは言えないが
 きょうの共励会の「参加の手引き」の最初の二行に、「私たちは、神様のお働きを実感し、助けていただいた喜びと感動の体験を持っています」とあります。
 これを読んだだけでもう、自分などこういう場に参加する資格がないのではないかと思ってしまう人もおられるかもしれません。ある席で私に、これでは対象とする信者さんのレベルが高すぎるのではないかと、懸念を表明された先生もおられました。
 そうかもしれません。長年熱心に信心してきた人であっても、実際にそこまでの「助けていただいた喜びと感動の体験」を持つ人は案外少ないかもしれないのです。むしろそういう人はほんの一握りの人たちだけかもしれないという気がするのです。取次のご用をさせていただいている私自身が、参拝してくる人たちにどこまでそのような感動の体験を味わってもらうことができているか、忸怩たる思いがいたします。
 しかし、別の角度から申しますならば、そういう強烈な「喜びと感動の体験」がなくても、信心を続けている人はいくらでもいますし、皮肉なことに、むしろそういう体験を持たない大多数の人々によっても、教会は支えられてきていると言えるのです。少なくとも私方の教会の実情としては、そうなっております。
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そこまでの逆境を体験せずとも生きてこれたら、むしろ幸せ
 どうしてそういうことになるのか、考えればいろいろ出てくるでしょうけれど、人が信心する動機とか理由というものは、それだけ多様だということなのです。言い換えれば、一度の「喜びと感動の体験」のみで信心が続くのでもありません。 だからこそ「参加の手引き」の文章の続きはこうなっているのです。
「おかげをいただいた時は、『このご恩は生涯忘れない』と心に誓いますが、月日が流れ、日々の暮らしにもまれていると、その時の喜びと感動を忘れ、ともすると神様の存在を疑うことがあります」
 もともとこのような「助けていただいた喜びと感動の体験」というものは、人がよほどの逆境に陥った中から救い出されるのでなければ、なかなか体験出来るものではないので、誰もが簡単に体験できるというものではありません。ここにおられる人たちでさえも、必ずしもそういう体験を持った人たちばかりとはかぎらないと思うのです。大方の人は、そのような体験をわざわざ求めなくても生きて来れたので、そこまでの逆境に陥らずに今日まで来れたことをむしろ感謝すべきかもしれないのであります。
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神様との出会い方は一様ではないが、その出会いには何らかの感動が伴う
 しかし、そうは言いましても、教会に参って来る人はみな一様に、何らかの形で神様に出会うことを求めていると言えると思います。
 また一口に「神様に出会う」と言っても一様ではなく、いろんな出会い方があると考えられます。そして、それには必ず何らかの感動が伴うものです。その感動の度合いも人それぞれです。
 教祖様の時代には、はじめて聞いた天地のお恵みについての教えが「一言一言が胸につきささるようにこたえて」感激したという人もいました。山本定次郎という青年です。
 考えてみれば、幕末まで日本には、一神教的な神様を説く宗教が存在していなかったのですから無理もありません。外来の一神教であるキリスト教は禁止されていたのですから…。山本青年は、テープレコーダーのなかった時代に、抜群の記憶力でもって大量の貴重な記録を書き残してくれていました。
 今にいたるまで、そういう教祖様の教えに触れて感動する人は後を絶ちません。私自身もその一人ではあります。そういう人は、そこでもうその分だけ神様に出会ったのだと言えると思います。
 ご存じのように、そのものズバリの教えもあります。
「神に会おうと思えば、にわの口を外へ出てみよ。空が神、下が神」
 もちろんこれは言葉のあやでありまして、わざわざ外に出なくても、会う力さえあればどこででも神様に会うことができるのです。
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信心を続けるにはそうした感動の積み重ねが必要
 にもかかわらず、信心する我々にとってさえ大きな悩みは、神様の働きのまっただ中にいるはずの我々が、なかなか神様を信じきれないことであります。神様の与えてくださる救いについての確信が持てないことであります。
 そのために、せっかくこの道の信心にご縁をいただきながら、今一つ中途半端なままで、打ち込んでの信心ができなかったり、つい神様の教えからはかけ離れた生き方になってしまって、心配や争いから逃れられないでおります。
 でありますから、強固な信念と情熱を持って信心を続けていくためには、どんな人にとっても、大なり小なり何らかの「感動」が必要であります。それも、一度や二度ではなく生涯にわたってそうした感動を積み重ねていけることが望ましいのです。が、しかし、そのような「感動」は必ずしも求めて得られるものではなく、地道に信心を続けた結果として得られることが多いのであります。
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地道な信心の積み重ねが、「いつのまにか有難いことになっている」おかげを生む
 それでは地道な信心とはどういう信心かと申しますと、基本は「いつもあるおかげ」に気付き感謝する目と心を深く養いつつ、自分は無知無力であるとの自覚のもとに、何事も神様にお願いしてさせていただくという生き方をしていくことであると私は考えております。
 こういう共励会の準備のための講師の会合の折、この「いつもあるおかげ」と「目のさめるようなおかげ」とはどちらも大切であるから、両方について語ろうということになったのでありますが、私はそれに加えて、「いつのまにか有難いことになるおかげ」というものを挙げておきたいと思います。
 それは特定の事柄で「目のさめるようなおかげ」をいただいた、というようなのではなく、信心をもとにした生活を地道に続けるうちに、全体として、いつの間にやら実に有難いことにならせてもらったなあ、たいしたことが出来させてもらえたなあ、幸せなことにならせてもらったなあ、と言えるようなおかげであります。
 信心して得られるおかげというのは、むしろそのようなおかげが主流になるのではないかと考えております。そのようなおかげを頂けるなら、普通なら格別目のさめるようなおかげがなくても、十分に救われているといえると思うのです。
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「目の覚めるようなおかげ」も欠かせないが、それだけを求めていては割に合わぬ
 それならばそんな「目の覚めるようなおかげ」は必要ないのかといえば、必ずしもそうとばかりは言えないのです。人により時によっては、どうしてもそのようなおかげがほしい時があります。というより、私など今になっても、いつもそんなおかげがほしいのです。そして実際に授けてもらえることもあるにはあるのです。或いは、格別求めずして授けてもらえることもあるのです。
 一口に「目のさめるようなおかげ」と申しましても、様々なタイプが考えられますが、私自身の乏しい体験からしても、何度かはそういうことがありました。たいした実績もない人間でありますが、思いもかけぬ形で日頃の「努力」が報いられたと感じることがあったり、起こりうる確率のきわめて低い「偶然」によって、大きく救われたり元気づけられたりしたというようなことがありました。
 そういうおかげを受けねばならなかったのは、それだけ苦労や試練の多いめぐり合わせの人間であったからだと自分では思っております。いつも自分の対処能力に余る困難な情況に置かれ続けていたからであります。
 しかも私の場合、いつも「苦しい時の神頼み」ばかりしておりましたが、そういう「おかげ」はちょっとやそっと祈っただけで、受けられたというのではありません。それらは純度の低い大量の金鉱石からごく微量の金を取り出すように、一見無駄と見える膨大な「片便の」一方通行の「祈り捨て」の中から、ようやくもたらされたものであります。それだけを狙っていたのではとても採算が合わないという感じであります(具体的な話をここでする余裕はありませんが、幾つかは教会のホームページに載せている話の中にあります)。
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すでに与えられてある恩恵や「いつもあるおかげ」に対する感謝を忘れて救いはない
 このように奇跡的なおかげは貴重なものですが、いちばん大事なのは、すでに自分に与えられてある恩恵や、「いつもあるおかげに」気づく目を養い、それに感謝することなのだと、これはもうお道では常識のようになってはおりますが、いつも思い返し思い返しそこにもどらないと、なかなか身に付かないのです。
 世には、天才と言われて、生まれながらに途方もない能力を授かっている人がいます。そういう人は奇跡的なおかげを背負って生きているというか、存在そのものが奇跡であると言えますが、そのように生まれてくるには、前世までのそれなりの努力の積み重ねがあったのであろうと、前世を半ば以上信じる私などは思います。
 そんな飛び抜けた能力ではなくても、たとえごく普通の、当たり前と思われている能力にしましても、病気や何かでそれを失った人からみれば、それらが奇跡のようにすばらしい能力にうつるにちがいありません。
 我々はそういう能力を失う前にそのことに気付いて、どんな困難な情況にあっても、いま現在、自分が当たり前のように出来うる事柄に感謝しつつ、力の及ばぬところを祈りすがりながら、自分に今できることをしていくしかないではないかと思うのであります。その努力の積み重ねが、また来世で授かる能力につながるかも知れないとも思います。
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目先々々は苦しいが、振り返れば有難いことばかり
自分のことならある程度わかりますので、いつも自分のことだけを話すようにしているのでありますが、別の例えを用いますなら、私自身の感じでは、いつも険しい山路ばかりを登らされているような感じを持っております。
 振り返って眺めるとだんだん景色がよくなっていくのではありますが、目先目先は相も変わらず苦しいことばかりなので、ついその目先の苦しさばかりに気をとられてしまうのです。しかしながら、今の苦しさは、三十年前、五十年前の苦しさと比べたらずいぶん楽にならしてもらったなあ、レベルがちがうなあと、後ろを振り返ってはお礼を申さずにおれないのであります。
 御用させていただいている環境一つとっても、道の教師として任命を受けた四十年前とは比べものにならぬ恵まれた生活をさせてもらっております。
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教会の建て替えなど、とても無理と思われた
 今から四十年以上前、世間一般もまだそんなに豊かではありませんでしたけれど、教会での生活はそれよりもさらに、よく言えば清貧、有り体に言えばきわめて貧しかったのです。宗教家ともあろうものが、暖衣飽食にあぐらをかく姿は見苦しいかもしれませんが、人を助けるはずの教会が、あまりに貧しすぎるのも考えものです。特に、家族をかかえている場合は…。御用にあたる人自身はある程度覚悟ができていても、巻き込まれる家族がたいへんです。
 まあ、その話はともかくとしまして、当時の私共の教職舎は寝室と居間と客間を兼ねていました。とりわけ年二回の大祭のたびに家具の大規模移動を行なわねばならず、全てが終わったあとは、どんなに疲れていても、その日のうちに家具を元通りの位置に戻さなければ、寝ることもできない、そんな生活がもの心ついてからずっと続いていました。
 そんな教職舎の建て替えは長年の悲願でありましたが、月々のお下がりの額からみて、いつまでたっても実現はとうてい無理と思われたのです。
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お供えの扱いの純粋さが本教の際立った真面目さの一因になっているが、それだけ教会維持運営の苦労も大きい
 財的な御用のことについても触れておくようにとのことなので、ここで少しお供えのことに触れておきます。
 お道の教会及び教団は、教祖以来、あくまで信奉者の自発的な献金による浄財のみをもって成り立ってきております。そういう潔癖性純粋性においては、恐らく世界の全宗教の中でも最右翼に属することと思います。
 信者にお供えを強いたり、寄付を割り当てたりしてはならぬとか、お供えの多寡によって信者を差別してはならぬとか、誰がどれだけ供えたかを人に漏らしてはならぬとか、神を商法にしてはならぬとか、そういう点に関する教祖の教えは徹底していたので、今もなお、多分大多数の教会長はその教えを愚直に守っていることと思うのです。
 私の小学校から高校までの一年後輩に、長年文化庁の宗務課にいて日本中の宗教団体を見渡せる立場にいた方がおられました。本教の教務機関にも何度か話をしに来られたことがあって、その度に一年上に私がいたという話をなさるということを人伝に聞いたことはあったのですが、私自身は卒業後一度も会っていませんし、顔を知っている程度で話をしたこともありません。
 むしろ、これも一年先輩で今も同じ市に住むその方のお兄さんと、あることで私は親しくさせてもらっているんです。そのお兄さんは今でも社会的に活躍なさっていて、勲章をもらったり、マスコミの取材を受けたりなさっている方です。
 そして今からもう七年前のことになりますが、やはり今日のように第八連合会の研修会で話をしなければならない御用がありまして、何か参加者に聴いていただけるよい材料を授けてほしいと願っておりましたところ、その二週間ほど前に、出身中学の記念行事の用事で呼び出されまして、そのお兄さんの車に乗せてもらって中学に向かう道中のことでした。
 その前の日に、今は遠方に住む弟さんとたまたま会う用事があったとかで、その時弟さんが「日本にはいいかげんな宗教団体が多い中で、金光教ほどまじめな教団はない」と言われたと、お兄さんが教えてくれたんです。「頭が下がる」とまで言われたそうです。
 そんな話が出たのは、恐らくそのとき、あくる日に私と会うということをお兄さんが話題にされたためだろうと思います。そのことがなかったら、弟さんがわざわざそのようなことを口になさることはなかっただろうし、それが私の耳に入ることもなかっただろうと思うのです。
 早速私はその話を研修会で紹介させてもらったわけですが、それを私が聞かせてもらったいきさつやタイミングも含めて、その話は私がこれまでにいただいたもっとも目覚ましいおかげの一つであると思っております。しかも教団全体に関わるおかげ話なので、以来私はこのことを出来るだけ多くの機会に皆さんに聞いていただくことにしているのです。
 そして、どういう理由でその弟さんがそう思われたのか、というところまではわかりませんが、私はそのような本教の真面目さのよってきたる要因の一つは、そういう財の扱い方からもきているのではないかと思っております。
 しかし、教会を維持するについて、お寺のような檀家があるわけではなく、神社のような氏子がいるわけではなく、教団から援助や給料が出るわけでなく、いわゆる独立採算制ですし、参拝者は、数名の役員以外は教会に対して何の責任も義務も負うわけではありません。気に入らぬことがあれば、すぐにでも離れていってしまいますし、それだけにお道の教師は、きわめて厳しい条件のもとで、頼るはただ神様のみという気概で布教に従事していると言っていいのです。
 世には多額の献金を義務づける教団が多いらしいのですが、この道ではそんなことは金輪際ないと言いましても、お供えをする側にしましたら、見栄や体裁や世間的配慮といった、いわゆる「人間ごころ」がはたらく余地はまだまだあるかもしれません。しかしそれだけでは、お供えも信心そのものも、そんなに長続きするものではないのです。
 お供えを義務づけられない場合、お供えの額というものは、それぞれの信心の打ち込みようや経済力に応じて、自ずと落ち着くところに落ち着いていくようです。それは多分、他の教団で信仰することを思えば、ずいぶん少ない負担ですんでいるに違いありません。
 それは教会と本部や親教会との関係についても言えることでありまして、これまでわれわれ末端の教会が、本部や親教会への平常のお供えはもちろん、施設の建設などの折にさえ、一定額の献金を要求されたり割り当てられたりしたことは一度もないのです。本部の施設や敷地が、教団組織の規模の割りには、小規模で質素なのもそのせいかと思うのです。たまたま一週間前に訪れた京都の社寺の広大さに圧倒され、境内の自然の豊かさには大いに癒されただけに、本部の殺風景さがよけいに切なく身にしみるのであります。
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そんな苦労の中で、教会の建て替えが実現した
 そういう行き方でありますから、教会の家族の生活を維持していくだけでもなかなか大変なのに、施設を建て替えたり充実させたりできていくためには、よほど参拝者が多いか、或いは長年の蓄えがないことには不可能であります。
 そのどちらでもない私共のような教会で、教職舎建て替えの話が持ち上がったとき、とうてい実現は無理かと思われたのですが、着工してみましたら、予期以上のお供えが集まり、覚悟していた多額の借り入れも少なくてすみ、それも短期間で無事に返済ができました。
 その十数年後、布教百年祭の折には、それよりもさらに大変な会堂の建て替えも実現しました。
 あまり信心気のない遠慮のない間柄の親戚の一人がそれを見て、信者さんたちにかなり多額の割り当てをしたのだろうと言いましたので、いやそんなことはない、自主的な献金だけで建ったのだと答えました。すると、「そら、そないに言うてもなあ」と言って複雑な笑いを浮かべるのです。その笑いには「そりゃ自主的と言ったって表向きだけで、そこにはやはり、献金をせざるを得ないような何らかの心理的圧力がはたらいてそうなったに違いない」という意味合いがこもっていました。
 たしかにそのときの私にしてみれば、見栄や体裁でもいいから、ちょっとでも多く供えてほしいという心境ではありましたが、実際は、それだけで多額のお供えなどできるものではないと思うのです。
 第一、お寺や神社でよく目にするような、誰がどれだけ寄付したなどと木札に書いたり、石に刻んだりということをお道ではいたしません。だからどれだけ多額のお供えをしても、誰にもわからないのです。例外として、教会長たる私だけがそれを知っているので、たしかにその点で見栄がはたらく余地はありますけれども、私一人によく思われたいという気持ちから沢山お供えをするというなら、それも結構なこと有難いことだと思いましたが、実際はそれもあまり関係がなさそうでした。またお供えの額も人により様々で、信者さんの間で申し合わせたような形跡はありませんでした。
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信奉者の神様を大切に思う心のみが、造営を可能にした。
 私方の教会というのはごく平凡な教会で、教会長たる私は、宗教家としてはいたって凡庸、神徳家でも手腕家でもありません。信者さんもごく普通の庶民ばかりで、市の名士や有力者など一人もいません。
 「喜びと感動の体験」を持つ信者さんもどれだけいるか、はなはだ心許ないのですが、それでもいざというとき、それだけのお供えが集まったというのは、結局は、その方たちの神様を大切に思う心、この道の信心を大切に思う心、教会を大切に思う心がそうさせたのだとしか言いようがないのであります。
 このお道では、お供えは人に対してするものではなく、神様に対して真心を込めてさせていただくものなのだという意識も割合深く浸透しているように思います。
 ご存じと思いますが、お結界に座る取次者は、信者さんのお供えに対して、それがどんなに高額であろうと「有難う」などと礼を言ってはならぬことになっています。それは信者さんが神様に供えたものを単に取り次ぐだけ、という建前だからです。教会長はそのお下がりをお預かりして、教会の維持運営のために使わせていただくということなのであります。
 だからこそ教会長は、その使い途を年一回県と本部に報告しなければならず、その際、信徒総代や責任役員の捺印がいるのです。
 とにかくそういう経緯で、相変わらず苦労があるといいましても、住環境や教会施設という点では、はるかに恵まれた中で御用をさせていただいております。
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教会も信奉者も、無常の世界の中で永久に、神様を杖におかげを受けていけば心配はない
 教会を取り巻く周囲の環境も、戦前から今日にかけて、わずか七、八十年のあいだに目まぐるしく変わりました。
 教会は町の中心部にあるのですが、教会の前には大きな池があり、裏には川が流れていました。
 教会の門前の道路を隔てて、真ん前の池の土手にあたるところには公衆便所があり、その隣が大きなゴミ捨て場で、その先に仮普請の市場が続いていました。教会の入り口付近はいつも排泄物の匂いがし、ハエがたかっていました。
 それにひきかえ、池の向こう側は狭いながら公園になっていて、池にはボートも浮かんでいました。「文学の鬼」といわれた小説家の宇野浩二が、少年時代に母を訪ねてきて歩き回った場所の一つで、小説のモデルにもなっているそうです。そんなことを熱心に考証している街の研究家たちもいて、私のところにも調査に訪ねてこられました。
 戦後まもなく、川は埋め立てられて市の幹線道路となり、池も半分埋め立てられて体育館が建てられました。便所とごみ箱もやっと取り除かれて、二階建ての商店がずらっと建ち並びました。
 商店街は一時は大繁盛しました。近隣の町村からの買物客で、年末などは自転車を押して通れないほどの賑わいぶりでした。商店街の中に大型店舗が一つあって共存共栄していたのですが、やがて大型店舗が移転してしまうにともない、急激にさびれてゴーストタウンと化してしまいました。
 時を経て、体育館が取り壊さされ、池も大部分が埋め立てられて、こんどは立派な多目的ホールが建ちました。そして更に商店街は取り払われ、ホールと教会の間は、桂や八重桜や平戸つつじの植わった緑地帯となり、遊歩道もでき、それらがまるで教会の庭のような感じになりました。教会も遠くから見通せるようになりました。
 ご時節をいただいて、今がいちばん有難い状態にならせてもらっているのでありますが、この世はまさに万物流転、諸行無常の世で、この先それがどう変わっていくかは予想もつかぬことです。
 しかし、それらがどう変わっていこうとも、これから先も永久に、教会も信奉者も、神様を杖にしておかげを受けていきさえすれば、何の心配もいらないのだと思いたいのであります。神様に頼り続けるという以外は、あまり固定した道徳や主義主張に縛られることなく、その時その時でいちばんふさわしい生き方を練りだしていけばよいのだとも考えております。それで千年でも万年でもやっていけると思っております。
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社会に対しても、もっとこの道の存在価値を示したい
 それまで教会は、商店街の蔭にひっそりと隠れて存在し続けていたのでありますが、見通しがよくなってみると、気持ちの上でも少し変化が生じてきました。いままではそういう建物が心理的にも遮蔽物としてはたらいてくれて、世の荒波が直接襲いかかるのを防いでくれている感じがしていたのですが、それが取り払われてみると、もう逃げも隠れもできない、世の中と直接対峙しなければならないという気分にならされました。
 と言いますのも、現代の日本社会において、並の感受性を持った教会育ちの教師ならば、物心ついた頃からつねに、社会からのある種の圧力、宗教や教会に対する疑いやあざけりを身に感じ続けて生きてきているはずなんです。
 とりわけ今の日本の社会を動かす主流をなしている人たちから(彼らとて私たち同様愚かで無力な存在に過ぎないのではありますが)、教会の存在価値、自分たちの存在価値というものを厳しく問われ、我々に対する評価が、ともすれば否定的なものであることに傷ついたり、自分たちの存在基盤を脅かされる思いがしたことが度々あるに違いないのです。
 そういう圧力をどこまではねかえして、自分たちの確固たる地盤を築くことができるかということが、問題意識を持つ道の教師や信奉者にとっては大きな課題であると思っております。そして、それが何より我々の子孫のためでもあると思うのです。
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そのためにも我々は神様との出会いを求めてやまない
 そのためにも「神様に出会う」ことこそが、私自身が常に求めてやまぬことなのであります。
 どうしたら神様に出会うことが出来るか、神様に出会うとはどういうことなのか、それをどうしたら人に伝えることができるのか、どう説いたら人に得心してもらえるのかが、我々信奉者とって一生の課題であると思うのであります。
 と言いましても信仰はあくまで主観です。自分がどう感じるか、どう信じるかの世界です。客観的な証明などいらないのです。どのような形にもせよ、自分が神様に出会えたと実感できたとき、その人は神様に出会えたと考えてよいのです。そしてそれが生きる大きな力になるのであります。
 そのかわり、自分のそういう実感を、人がどこまで受け入れてくれるかどうかは保証のかぎりではありませんが、そういう実感の積み重ねによって、さきほど述べたような圧力にも屈しない自信が生まれてくるのです。私自身が、社会に向けて教会のホ-ムページを開設するためのささやかな勇気を得さしてもらえたのもそのおかげであります。
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神様に出会うためにいちばん大切なのは「神様を求める心」である
 そういうふうに神様に出会うために、いちばん大切なのは、やはり「神様を求める心」でありましょうか。私が神様を求め始めたのは二十歳のときですから、もう、かれこれ五十年求め続けていることになります。そのわりには神様との出会いは、一向に不確かな頼りないものではありましても、求め続けたという事実だけは確かなものとして、心身に刻みつけられております。
 五十年間、祈っては考え、考えては祈り、そして、自分が置かれた情況の中で、その時々に出来ることをしてきただけであります。祈ることの中身はつねに、その時々に心の底から本気で願わずにおれないことばかりでありました。そうする中ではかりしれぬおかげを受けてきたとは思うのですが、相も変わらず問題山積、日暮れて道なお遠しの状態です。しかし何があろうと、していくことはこれからもずっと変わらないことと思います。
 ほんとうは、近頃はもう、神様との出会いの実感のあるなしにかかわらず、或いは自分に神徳のあるなしにかかわらず、「神求むところに神はいますなり」で、求めさえすれば祈りさえすれば、直ちに神様はつきまとうてくだされてあるのではないか、という気が強くしてならないのであります。
 申し合わせのような信徒のAさんBさんの話ということではなく、道の教師として自分自身がしてきたことだけを引き合いに出して話を聞いていただいたのでありますが、立場は違っても、お互いやれることやるべきことは基本的には同じである、という考えで話をさせていただきました。
 最後に、それぞれの教会が他のどこよりも神様に心が向く場、神様に出会える場になるよう、なおいっそう願を込めて御用させていただきたいと、思いを新たにしつつ私の話を終わらせていただきます。
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談話室より
A.Fさん(女42歳) H.19.7.16

いま、HP読みました。
感動しました。
いろいろありまして、以前とは違い、今の私は求めに求めている状態であった(ある)のです!
外は雨のためどんよりしていますが、心は少し軽くなりました。

となると!
いくら力説しても、それに飢えている人がそのにおいを嗅がないと、寄って来ないし満たせない・・と思うのです。
スーパーなおかげを体験しなくても信者生活を存続していけるのは、ある意味 幸せであると書かれていましたが、そーゆー幸せな人はカレーのように強烈なにおいでないと寄って来ないし、食欲をそそられない。
それに比べて飢えに飢え、求めに求めている人は、かすかなにおいにも鼻が動くのです。
布教の難しさは、飢えた人が少ないから?
入院中に勧められてどっかの信者になるのはよくある話・・。

やはり役割的には駆け込み寺、あるいは病院だと思います。
駆け込む状態まで悪くならないと、なかなか腰が上がらない。
病院がいくら宣伝したって、悪いところがないのに寄って来ないのは当たり前。
健康な時に「ああ、病院ってありがたいなぁ」とはこれっぽっちも浮かんでこないのは当たり前。
でも、病気でも健康でもアタフタせずに過ごせるのが、教会って場所かも。

本屋の本を斜め読みしても買う気も起こらない本ばかり、、インターネットを読み漁っても疲れるばかりの生活を送っていた間、頼るべきものを見つけられず、心は彷徨していました。
拠り所って要るもんですね。そんなもん、要らんって思ってましたが。

余談ですが、実家の父は給料日には ひと月のお供え分を別に取っておいて(それが結構な金額!5万とか10万とか。不信心な私や母は、もったいないやら「捨て金」感やら・・)教会につぎ込んでましたねー。
○○教会の亡くなった前教会長は、50センチ四方の箱の内部を、信者の数に仕切ってその上に紙を貼り、信者の名前を書いて、それぞれにお金が入るくらいの穴を開けた○○教会特製前代未聞のご丁寧な木箱を設置して、そこに献金「させて」ました。誰がいくらしたかが、教会長には一目で計算できる優れもの!少額の人は気が引けただろうと思います。
もちろん、カラカラポチャン・・のあの献金箱とは別に、です。
ひぇ~!なんて欲の皮の突っ張った先生なんだろう!って子供心に思ったもんです。
お説教にも、「1円でも多くしたものはおかげも多い」なんて話、ザラに出てきてましたからねー。
そーゆー先生にも嫌気がささないお父さんって、バカなんじゃ・・?と思ってました。狂信というのはそーゆーものだと、母とささやいていましたねー。

だから、お金のことをはっきりさせるって、とてもいいことだと思います。
霞を食って生きているわけじゃないんだから、献金はこれこれこーゆーふーに生かされております、という結果報告をしてもらえるとなんとなく安心かなぁ・・。
でもあんまりお金のことを細かく言われるのは煩わしいのも事実。明日の米もない!と嘆けないところが聖職者のつらい道ですねー。
あんまり裕福そうに見えても反感買うし・・。このあたりは、できた政治家のように一見貧乏に見えたほうが信用性が高いのかも。


教会長より

いや-、「余談」というものはご多分にもれず面白いものですね。金集めのためにそこまで涙ぐましい努力をなさっていた先生がおられたとは!
しかし、それをわらうよりも、それと五十歩百歩の自分なのだという自覚を持つことの方が大事なんでしょうね。というより、それをいけないことのように決めつけている自分をも疑った方がよいのかもしれません。
共励会の席でも、本教も献金者の名前と金額公示方式を取り入れた方が発展するのではないかとか、きれい過ぎる水に魚は住みたがらないのではなどという意見が出ていました。と言われても、私などもう頭の切り替えはむつかしいでしょうが…。 それにしても、お父上の偉いところは、そんなことははじめから超越してしまっておられるところではないでしょうか。

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M.Kさん(女) H.19.11.21

「いつのまにか有難いことになるおかげ」という部分で、自分の生活の中で度々こう感じさせていただけることがある喜びを改めて感じております。
また、「今の苦しさは三十年前、五十年前の苦しさと比べたら、ずいぶん楽にならしてもらったなあ、レベルが違うなあと、後ろを振り返ってお礼を申さずにはおれないのであります」の項に引きつけられました。
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