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金光教高田教会、我が信心を語る
21 「東京物語」のことなど
大和高田市 宗教法人 金光教高田教会|祈り、救いを求め、自分に正直に生きる。
もくじ
▲ とうとう後期高齢者の仲間入
▲ もの心ついた頃は、先の大戦の真っただ中
▲ その頃、教会も大きな危機に見舞われた
▲ その時代に生きた者にしかわからぬこともある
▲ 現在の基準で過去を裁くのは、慎重であってほしい
▲ 正しい主張をしようとする人には、ウソをついてほしくない
▲ 十代は、「適応困難」に悩まされた
▲ 救い出してくれたのが、絶対他力の信心etc.
▲ 本を読むのが億劫になり、テレビばかり観ている
▲ 「東京物語」の録画を観た
▲ どこにでもありそうな地味なストーリー
▲ この作品がここまで高い評価を得ることになろうとは
▲ それでも信心する者として、物足りないところがある
▲ 信心する者は、離れていても子孫のために祈ることができる
▲ 年寄りはもっと天下国家のことも祈る信心を
平成二十四年九月二十二日 奈良県 桜井教会にて
とうとう後期高齢者の仲間入り
 私もこの夏でとうとう後期高齢者の仲間入りをすることとなりました。とにもかくにも、この年齢まで生き延びさせて頂いたことだけで、深く感謝せずにおれません。熱烈なタイガースファンで、元朝日放送の名物アナウンサーであった中村鋭一氏などは、この「後期高齢者」という呼称をひどく嫌っておられましたが、私はこれでよいと思っています。ちなみに、プロ野球については、私は個人崇拝で、あの「嫌われ者」の落合選手が好きです。現役では、やはりイチロー選手でしょうか。
 近頃は平均寿命が延びまして、七十五歳など珍しくもなんともありませんが、それでも、小学六年のクラスの男子の半数近くはもうこの世にいませんし、子供の頃、近所には男の同級生が三人いたのが、その子らも皆もういません。一人は交通事故、一人は突然死、一人はガンと、どれも絵にかいたように典型的な死因です。してみると、生き延びるということは、いつの世でもなかなかたいへんなことなのだと思われてなりません。
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もの心ついた頃は、先の大戦の真っただ中
 私がもの心ついた頃は、先の大戦の真っただ中で、国全体が危機的状況にありました。いつ終わるとも知れない独特の緊張感に包まれていました。物資が不足し、とりわけ食料が足りませんでした。大都会ほどではありませんが、食う当てのない空腹というものも経験しました。すぐ食べられる当てのある空腹というものは心地よいものですが、食べられる当てのない空腹というものは、なかなかつらいものです。しかし、何事についても言えることですが、今となっては、そういうことを経験しておくのも、悪くないと思われます。
 私らの住むところでは、空襲の直接の被害はほとんどなかったものの、たえず警戒警報が発令されて、大阪方面に向かう敵機の姿を目にすることもありました。幼稚園の女の園長先生までが、朝礼の訓示で、彼我の圧倒的な物量の差について言及するので(そんな中で兵隊さんは頑張っているというような内容だったのだと思います)、子供心に、本当に勝てるのだろうかと不安に感じたことを妙に覚えています。
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その頃、教会も大きな危機に見舞われた
 教会が大きな危機に見舞われたのもその頃です。小学二年生のときのことでした。
 そういう空襲による火災に備えて、教会の前の大きな池(今では大半埋め立てられて、ホールが建っていますが)から、町の西側に水を運ぶための道路をつくる計画が持ち上がりました。教会の住居の部分と、裏の川(今は道路になっています)の向こうのKさんという人の家を、聖戦の遂行という大義名分のもとに一方的に強制的に取り上げて、市町通りと本町通りに通じる道路につなごうというのです。
 Kさんの家から真っ直ぐに橋を架けようとすると、お広前に突き当たるので、斜めに橋を架けて住いの部分をぶち抜き、お広前のある建物だけは残してやるから有難く思えということであったらしいのです。それも、八月の二十日だか二十五日だかまでに家具の移動や資材の確保を終えるようにというお達しでありました。それ以後になると、専門の業者が入って全部取り片づけるというのです。当時は廃材といえども貴重な素材であり、燃料でもありました。
 川向こうのKさんは、とっくに手際よく取り壊しを進めているのに、父はぐずぐずもたもた、母にせっつかれながら、家財道具の殆どをお広前の床下に収め終って(床が高くて、かなりのスペースがありました)、ようやく取り壊しに手を付け始めたのが、八月十五日になってからでありました。
 大工の心得のある信者さんを中心に、一番奥の部屋から手を付け始め、押入れを取り壊し、部屋の天井をとり外したところで、正午に何やら重大な放送があるということで、作業を早めに切り上げて聴き入ったのが、かの終戦の玉音放送というわけでありました。
 それもやはり「おかげ」というのでありましょうか、危ういところでその他のところの取り壊しは中止となり、土地の強制接収も免れたのでした。当時はまだ子供のことであまりピンときませんでしたが、終戦がもう少し遅れていたり、計画がもう少し早く実行されていたらどういうことになっていたか、今思うとゾッとするような出来事でした。
 あくまで子供に理解できた範囲の記憶でしかないので、両親が生きているうちにもう少し詳しいことを訊いておけばよかったと後悔しているのですが、町の方では代わりに住む場所を提供しようとした形跡がなく、お広前で寝起きするか、自分たちで他の住む場所を工面するしかなかったように思います。
 裏向かいのKさんの家が、その後どのような補償をかち取ったかについても、何も聞いていません。その何年か後にどこかに移転してしまわれて、その跡は有料駐車場の一部となってしまっています。
 そして、教会に対しては、梨一篭を提げて町の方から何やら挨拶に来た、ただそれだけであったのを私も見ていて覚えてます。今では考えられぬことですが、壊した奥の部屋が元通り復元されることはなく、以後三十四年間、押入れも天井もないままで使い続ける羽目となったわけです。
 だからといって、父たちは憤る様子もなく、補償を要求することも一切ありませんでした。それは父の信仰と、本来の人の好さからきたものではありましょうが、国のために命を捧げた人も多かったことを思えば、それくらいのことは、とるに足りぬことと思ったかもしれません。敷地の半分を失うのを免れ、建物のごく一部が損なわれただけで済んだことを、ただただ喜ぶばかりでありました。
 それに、たとえ補償や慰謝料を要求したとしても、たいしたものは得られなかっただろうと思います。まだそういう時代でした。また、仮にいくらかの金が支払われたとしても、その後に続いたインフレーションによって、ほとんど無価値になってしまっていたに違いありません。
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その時代に生きた者にしかわからぬこともある
 そういう時代の事情とか空気とか一般常識というものは、その時代を生きた者にしかわからないところがあり、時代の変化と共に急速に忘れ去られていくものであります。
 近頃日韓の間で深刻化している慰安婦問題にしても、そういう事情が、密接にからんでいるように思われます。世界最古の職業と言われる売春婦という存在にしても、戦中はおろか戦後もある時期までは、今ほど罪悪視はされていませんでした。我が国で売買春行為が真に犯罪であるとみなされるようになったのは、ようやく戦後十数年も経った昭和三十年代の初めの頃に、売春防止法が制定され、適用されるようになってからであります。法律の力というものは、やはり大きいのです。
 昔から軍隊のあるところに、そういう女性たちが集まってくる(仲買業者などを通す場合もある)ことは、ことの善悪は別としてごく有り勝ちなこととされ、戦後もそのことをことさら問題視しようとする者は、我が国にも韓国にもいなかったのです。そういう時代の空気は、私自身も多少は知っているつもりですが、何しろまだ若過ぎたので、一知半解といったところでしょう。
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現在の基準で過去を裁くのは、慎重であってほしい
 ところが、法律制定後、時を経るにしたがって、だんだんそんな時代の常識は忘れ去られ、戦後に定められた法律基準、それによって培われた道徳感覚に基づいて、戦争中の日本軍の行為を糾弾しようとする人たちが現れはじめました。しかし、現在の基準で過去を裁くのは、よほど慎重であってほしいと私などは考えています。
 歴史上の人物を評価する場合、普通我々は、現在の基準だけで評価するということはしません。現在の法律基準からすれば、英雄視されている歴史上の人物、信長、秀吉、家康は言うまでもなく、幕末の志士達までもが、多くは犯罪者であるということになってしまうかもしれないのです。
 戦時中の日本兵の買春行為が非難されるのは、ある程度致し方ないこととはいえ、それが国際間の「従軍慰安婦問題」にまで拡大発展してしまったのは、言うまでもなく特定の立場の人々の政治的意図によるものです。
 今も、ますます我々を悩ますこの従軍慰安婦問題も、もとをたどれば日本発であり、しかも、大きなウソから発したものであるということは、何とも残念なことです。
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正しい主張をしようとする人には、ウソをついてほしくない
 その特定の立場の人々がこのことに目を付けたのは、その勢力の急速な退潮と軌を一にしています。
 何とかこの劣勢を挽回する手はないものかと模索したあげく、日本政府に大きな打撃を与え、しかも、自分たちこそ正義の味方、弱者の味方であるという、道徳的優位性をも確保できる妙手として編み出したのが、この「従軍慰安婦問題」ではないかと言いたくなるくらい、そのころのその立場の人々の集合的意識を反映しているように私には思えてならないのであります。
 その意図は見事に功を奏したというか、狙い以上の波及効果を及ぼして、今もなお、日本政府というよりも、多くの日本国民を苦しめ続けていると言えるのです。
 この問題では、ごく簡単に言いますと、私たちは主として二つの大きなウソに振り回されてきたと言えます。
 一つはYという人物が書いた「私の戦争犯罪―朝鮮人強制連行」という本で、これはのちに根も葉もない作り話であることが発覚しました。今一つは、A新聞のUという記者が書いた、「軍による強制連行」という、事実を大きく捻じ曲げた報道記事でした。これらが韓国・朝鮮の人たちの怒りに火をつけたのです。
 もともと韓国・朝鮮に引け目を感じるよう刷り込まれてしまっていた多くの日本人も、簡単にその話を信じ込んでしまいました。保守系の政治家までがそれを信じて、判断を狂わせられました。そして、いろんな人たちの努力によって、今ではそれらがウソでありねつ造であることが明らかになったにもかかわらず、今なお両国の多くの人々の判断を狂わせ続けて、日本国民に重大な損失を与え続けているのです。「従軍慰安婦問題」というのはそういう悲劇なんです。
 私は「正義の主張」を装って、こういうウソを流布させるほど罪深いことはないと考えています。いやしくも正しい主張をしようとする人には、ウソをついてほしくないのです。そればかりか、一つでも故意のウソが混じると、その主張全体が信用できなくなるのです。

 もう一例を挙げますなら、ある件についての反対集会で、主催者側発表の参加者人数が九万人ということでした。ところが、集計のプロが集会の全景写真を分割拡大して計測した結果、11569人に過ぎないことが判明したといいます。
 主催者側発表の人数というものは、大抵こういうものらしいですが、それにしても差がひど過ぎます。正しい主張をしようというのに、なぜそこまでウソをつかねばならないのでしょうか。私など、こういうことを知っただけで、もう主催者への信頼や、主張への共感が失せてしまうのです。そういう数字を無批判に垂れ流すマスコミにも腹を立ててしまうのです。
 私自身だってウソはつきます。ウソは言わぬまでも、本当のことを言わなかったり、言えなかったりすることもあります。しかしこういう種類のウソは、つくのもつかれるのも大嫌いなのです。
 ちなみに、私の実の兄もまた、その集会の参加者人数の報道に疑問を抱き、不自由な視力にもかかわらず、同じような手法で、独自に、二万人弱であるとつきとめていました。(談話室関連資料1参照)
 こういう話につい脱線してしまいますのは、自分自身のことと同時に、天下国家のことをも真剣に祈らずにおれぬからであります。そして天下国家のことを考えるあたっては、でき得る限り真実をもとにして、判断したいと思っているのです。したがって、こういう風に真実を曲げたりおろそかにしたりするのが一番嫌いなのです。
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十代は、「適応困難」に悩まされた
 話をもとに戻します。
 幼少年期に続く私の十代は、「適応困難」ということに悩まされた時期でありました。狭いながらも、教団の末端の人々によって形成されている社会というものがありましたが、それにどうもなじめない、適応できない、といった悩みでありました。言動を共にし、調子を合わせることに苦痛を感じていたのです。
 同時に、そういう特殊な環境に育ったため、一般社会に対しても違和感があり、そのままでは適応し難いものを感じていました。自分の居場所がどこにも見出せなくて、途方に暮れているという感じでありました。
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救い出してくれたのが、絶対他力の信心etc.
 そういう状態から、私を救い出してくれたのが、これまでにも話をさせてもらった絶対他力の信心であり、絶対信の信心でありました。絶対感謝の信心というのが加わったのは途中からです。もちろん、それらの信心が完全に身についているというわけではなく、いつまでたっても身につかない部分が残るのではありますが、それでもそれなりに救われていくのであります。
 もう一つ、教祖の説かれた本来の信心が、自分に正直でいられる信心、自分にウソをつかなくてもよい信心であることが分かったことも大きかったと思います。
 二十歳の頃から、ただそれらのみを拠り所として生きさせてもらってきたのが、あっという間にこの年になってしまったという感じです。いまだに毎日が手探り状態で、どうしていいかわからぬことばかりであります。
 わからぬままに、すべて神様にお願いしいしい、その時その時にできることをさしてもらっていたら、飢えることもなく、凍えることもなく、大病をすることもなく今日まで生き延びさせてもらい、おまけに子孫まで残させてもらい、最初に言及した住いの建物も、お広前の建物も、すっかり建て替えさしてもらうことさえできたというわけであります。
 でも相変わらず、心配事、悩み事は山ほどかかえており、毎日自分の無力さを思い知らされ続けています。ただ、心配事悩み事を自分だけで抱え込もうとしないだけです。そして、どんな場合にも、曲がりなりにも感謝が土台にあるので、比較的ストレスが軽くて済んでいるのであります。
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本を読むのが億劫になり、テレビばかり観ている
 齢をとると本を読むのがだんだん億劫になり、テレビを見ることの方が多くなってきました。
 その上、近頃テレビを見る楽しみが大幅に向上しました。地デジ移行をきっかけに、長年スペースをとっていたステレオ装置(ほとんど聴かなくなっていました)を思い切って処分し、隙間に置いていた十四インチ・テレビを四十インチに切り替え、衛星放送まで見れるようにしたのです。おまけに画質も音質も格段に良くなりました。そのまま画面の中に入っていけそうな感じで、ドラマも風景も音楽も楽しむことができます。居ながらにして世界中の建造物や大自然(生物も含めた)に接することができるので、旅行したいなどという気持ちがますます失せていきます。
 録画も簡単になり、その上容量がぐんと増えました。衛星放送で、昔の映画も簡単に録画して観れるようになりました。放映予定も、パソコンで調べればかなり先までわかるのです。
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「東京物語」の録画を観た
 そうして観たものの中に、小津安二郎監督による「東京物語」というのがあります。この作品については、つい最近、イギリスの権威ある映画誌で十年に一度選ぶ「もっとも優れた映画」として、世界の映画監督358人によって第一位に選ばれ、批評家ら846人によっても第3位に選ばれたことが報じられました。
 これは日本人としてとても誇らしいことであると同時に、興味深いことでもあります。これまで世界中でつくられた映画は、何十万本あるかしれません。その中には、もっともっと感動的な映画、手に汗握る映画、ワクワクする映画、楽しい映画、面白い映画、美しい映画、革新的な映画など数々あるのに、よりによってなぜ、あの六十年前の比較的地味な白黒映画が選ばれたのでしょうか。
 そのわけについては、多くの人々が色々なことを語っていますが、要するに、どこの国にもいつの時代にも通じる、人生のつらさ、切なさ、にがさ、はかなさ、醜さ、美しさ、といった普遍的な真実が淡々と、しかもきめ細かく描かれているからであるらしいのです。
 私も、この映画ができた年に、信者さんから頂いた無料入場券で観に行った記憶があり、その後も、テレビで放映されたのを一、二回は観たはずです。
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どこにでもありそうな地味なストーリー
 皆さんも大抵一度は観て、粗筋はご存じのことと思います。老夫婦が、広島県の尾道から東京に住む子供たちに会いにゆくという話です。どこにでもありそうな地味なストーリーです。
 老夫婦といいましても夫が七十二歳、妻が六十八歳という設定ですから、もう今の私より若いのです。夫役の笠智衆(りゅうちしゅう)の当時の実年齢が四十九歳であったのも驚きですが、最初の老け役が三十二歳の時であったというのは更なる驚きです。
 東京尾道間といえば、今でこそ新幹線で日帰りできる距離ですが、当時はまだまだ片道だけで一日がかりの大旅行でした。ところが、急に親にやってこられても、開業医の長男(山村聡)も、美容師の長女(杉村春子)もそれぞれの仕事の都合があって、満足に応対ができません。つい扱いがおろそかになってしまいます。結局、いちばん親切にしてくれたのは、戦死した次男の嫁(原節子)でした。老夫婦は、厄介払いのような形で長男と長女から送り込まれた熱海への旅行も早々に切り上げて、行き場を失ったようにして尾道へ帰って行きます。
 一見朴訥そうに見えても、父親は市の「教育課長」なども務めたことのある元役人なのですが、そのような扱いを受けても、老夫婦はそれを格別責める風もなく、ついでに訪ねて行った旧友たちとも比較しながら、自分たちはまだまだ幸せな方だと言い合って帰っていくのです。
 そして尾道に帰って間なしに、母親(東山千栄子)の急死という結末を迎えます。母危篤の知らせに、喪服を持っていくべきかどうかと思案する長女のシーンが、最初に観たときから、妙にリアルで印象的でした。そして、葬式が終わると、子供たちはまた、大阪に住む三男(大坂志郎)も含めて、全員がそれぞれの用事をかかえて、そそくさと帰ってしまいます。一番最後まで残ったのが、やはり次男の嫁でした。両親と同居していた小学校教員の次女(香川京子)はそのことを憤りますが、嫁は、それはやむを得ないことなのだ、歳を取ると、誰しもみな自分の生活が一番大事になるのだ、と静かに言い聞かします。
 そして最後の締めくくりが、義父と嫁との対話です。実の子以上によくしてくれた嫁に対する義父の感謝と称賛の言葉、そして遠慮なく再婚して幸せになるようにとの言葉に、嫁ははじめて本音を吐き出します。「私はずるいんです」という言葉を皮切りに、さびしい日常と先行きの不安を涙ながらに打ち明けます。そんな嫁に義父は、妻の最も貴重な遺品であったろうと思われる懐中時計をもらってやってほしいと差し出します(宝石類の方がもっと喜ばれると思いますが、持っていなかったようです)。
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この作品がここまで高い評価を得ることになろうとは
 「私はずるいんです」については、さまざまな解釈があります。普通は、義父母からよく思われたいがために、多少無理していい嫁を演じているからだと受け取れますが、別の解釈として、嫁自身が自分の寂しさ心細さをまぎらすために、つまり自身のために、喜んで親切に世話をしたのだ、そしてそのことを嫁自身も自覚していたのだ、というのもあります。なるほどそれもありだなあと思います。
 いずれにせよ、はじめて観たときも、二度目に観たときも、この作品がここまで高い評価を得ることになろうとは、予想もできませんでした。というのも、この作品には、劇的な要素がまったくないのです。どこにでもありそうな親子間のごくありきたりな出来事が、淡々と羅列されているだけなのです。ひどく日本的な映画だなあという印象も受けました、やたらと挨拶のシーンが多いなあ、原節子は挨拶ばかりしているなあとも思いました。今度見直しまして、原節子と義父や義母とのやりとりは、儀礼的な言葉のやりとりのお手本になるかも知れないとも思いました。そういう儀礼的な美しいやり取りから、本音トークに入っていく面白さもあるのかもしれないと思います。
 そんな映画が、十年前、二十年前にも二、三位のところにつけていたらしいのですが、今回、六十年目にして、ついに世界の映画史の全作品の頂点に登りつめたのであります。あのフォードやフェリーニやワイルダーやチャップリンなど、名だたる監督の作品群を差し置いてです。たとえ一回きりであったとしても、これはすごいことです。同じ日本人として、近頃これほど愉快な話はありません。
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それでも信心する者として、物足りないところがある
 しかしながら、それであって尚且つ、私はこの作品に昔からどこか物足りなさを感じてきました。信心する者として、そういう世界に安住しているわけにはいかないと感じるのであります。そこに人生の真実、親子関係の真実はあっても、救いがないからです。もっともっと幸せな親子関係を築くことは、いくらでも可能だと思うのです。
 私から言わせれば、老夫婦が子供たちからないがしろにされたのは、小津監督自身が語るような「家族制度の崩壊」などといった大げさな話ではなく、ただ単に、老夫婦に心配りが足りなかっただけの話ではないかと思えてならないのであります。
 この道の信心では、つねに「心配り」ということを重視します。「心配」と「心配り」をコインの裏表のように見立てて、心配する心を心配りに切り替えるようにとも教えられます。常に人の気持ちや状態や都合を思い遣る習慣が身についています。子供たちの都合も考えずに、或いは、向こうから望まれることもなしに、のこのこ出かけていったりはしません。
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信心する者は、離れていても子孫のために祈ることができる
 その上、もっと有難いことに、信心する者は、どんなに距離が離れていても、子孫のために祈ることができるのであります。この点、祈ることを知らぬ人との違いは大きいと思います。その違いは齢をとるほどに大きくなると思います。日々祈っておりますと、子孫に何をしてもらうかということよりも、子孫のために何をしてやれるか、ということの方が主たる関心事となってきます。もちろん、してもらうことを求めてはいけないというのではなく、助け合えることがあれば、それはそれでとても幸せなことであります。
 それは、子孫のいる人に限ったことではなく、子孫のいない人は、自分を支えてくれている大切な人たちや、関わりの深い人たちのことをまず祈ればよいと思います。その上で、不特定多数の人たちのことも祈れるようになりたいものです。
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年寄りはもっと天下国家のことも祈る信心を
 年を取るにしたがい、なおのこと国家の繁栄と安泰、その延長としての人類の平和と助かり、後に続く人々の幸せということにも心を向け、そのことを祈れるようになればよいと思います。そういう祈りがあるのとないのとでは、老後の過ごし方もずいぶん違ってくると思うのです。
 最近、ある高齢の信者さんの息子さんで、県下の伝統校で社会科を教えていた方が参ってこられるようになりました。この方自身も既に六十過ぎで、お子さんはいないのですが、それでも国の行く末を真剣に案じておられ、ホームページに載った私の話にも目を通しでくださっています。そして、年寄りはお互い、もっと天下国家のことも祈る信心をさせてもらいましょうや、と言い合ったものでした。

 「東京物語」のラストシーンは、「独りになると、急に日が長うなりますわい」と通りがかりの老婦人と言葉を交わした後、笠智衆が団扇を使いながら背を丸めて座り込んでいるところで終わりますが、妻に先立たれた直後であることを割り引いても、その姿にその後の人生が象徴されているような気がして、思わず「いい若いもんが、しっかりせんかい」と、ちょっと威張って声をかけたいような気がしました。
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談話室より
 H24.10月

M.Oさん(男79歳)
教会の半分が取り壊しされそうになった話は初耳でびっくりしまiした。
東京物語の解説は新鮮でした。

N.Kさん(女73歳)
いつも御講話を楽しく拝読させていただいております。
今回は、最近私の心に積もっていたものをどっと一掃させていただきました。頷くことばかりでございます。そして先生のひととなりに感銘致しました。

J.Kさん(女75歳)
いつも楽しみに読ませて頂いています。
東京物語の原節子さん、改めて美しい人だと思いました。
先日曽野綾子さんの御本に、貧困とはその晩食べる物がない事と書かれてあり、子供の頃貧しかったけれど、母が居てくれたのでこんなことは一度もなかったなあと思いました。

坊っちゃん(男40歳)
 角埜先生も、この夏で後期高齢者のお仲間入りをされたんですね。先生はいつもハツラツとしていらっしゃるので、私には、なかなかその呼称と先生が結びつかず、ピンとこないのが正直なところです。
 戦時中の教会の危機! そんなことがあったんだと、ほんとビックリしました!
 お国のためとばかりに、強制的に土地が接収されたり、家屋を破壊されたり、あるいは、兵隊として戦地へ送り込まれたりと、”その時代の空気とか一般常識”というものは、戦後の平和な世の中に生まれた、私たち”平和ボケ”世代には、なかなか理解できないことですね。
 『食べられる当てのない空腹』、飽食の時代に生まれ・生きる世代として、その言葉に胸が痛み、反省することばかりです。
 そして、先生が危惧しておられること、なるほどなと思いました。
 時代の変化と共に急速に忘れ去られていく、”その時代の空気とか一般常識”。その時代背景を考慮せずに、現在の法律や道徳感覚などの基準で、過去を裁くことの危うさ。また、ある意図を持って、そういったことへつけこみ、「正義の主張」を装って大きなウソを流布する輩の出現。そして、その大ウソに振り回された結果、人々の判断を未だ狂わせ続けているという現状。
 私自身も、国際間に横たわる各諸問題というものが、各国民に本当の理解を得た上で、キチンと解決できる日が来てほしいななんて祈らせて頂きつつも、「果たしてそんな日は来るのかな」とか「所詮は理解し合えないのが人間」、なんてそんなことを考えたりもしますので、本当に気が遠くなる思いがしています。ま、そんなことを思いながら……っていうこと自体、私自身が一心に願えていないということなんでしょうね(笑)。
 京都大学の山中伸弥教授がips細胞の開発でノーベル賞を受賞され、日本中が大いに湧き上がった昨今、その盛り上がりに水をさすように、ips細胞を使って人体での臨床実験を既に行ったなどと大ウソをつく輩が現れました。大手マスコミの力であれば、それがデタラメなのかどうなのか、すぐに分かるであろうことが、押さえておくべきことをキチンと確認もしないままその大ウソに乗っかり、世間に誤報を撒き散らしたマスコミの姿勢。いつの時代にも、こういうことが起こるんだなと思いました。
 国民の感情や判断基準を狂わせるような情報や世論を煽る情報などが、未だ現在でも大手マスコミからでさえ、平気で流されてしまうわけですから、何かの情報を読み取る際には、いちいち踊らされないよう気をつけながら、自分としての判断基準みたいなものを見失わないようにしていかなければなりませんね。
 先生の言葉を拝借しますならば、私も毎日が手探り状態で、どうしていいか分からぬことばかりです。神様にお願いしいしい、『心配』を『心配り』に切り替えながら、そのときそのときできることをさせてもらいながら、日々を過ごし、生きていきたいなと思います。

教会長より
具体的な理由はあまりよくわからないのですが、今回はめずらしくいろんな方から好意的な寸評をいただきました(口頭でも)。
「東京物語」を秋の説教で取り上げることはだいぶ前から考えていて、6月30日の上半期感謝祭での教話で、初めてちょっと触れてみました。その後8月に入って、とうとう1位に選ばれたという報道があり、まさにグッドタイミング、私にとりましては話を更に盛り上げてくれる最高に有難いプレゼントになりました。

T.Oさん(男70歳 教会長)H25.1.11
 「『東京物語』のことなど」「教会長の読書感想文⑤」「談話室より」の反応記事、それぞれ、まことに面白く、拝読したところです。
 ご教話の文章を一読、また再読するところあり、実に沈着に、坦々と醇々としたお話ぶりに、引きこまれて読了しました。わが金光教に、仮にも教話・エッセイコンクールなどといったものがあれば、最優秀作品として、ダントツの一等でせうね。別に難しい言葉・語彙などなく、平明でありながら、何とも説得力があり、次から次へと興味の輪をつなぎ、遂に信心の勘どころに帰着するといふ、起承転結を全うした見事な語り口であります。
 小津安二郎の「東京物語」がイギリスの権威ある映画誌で第一位に選ばれたといふのは、全く存知するところでありませんでしたが、それほどの評価を受けた作品について、簡にして要を得た説明をされ、そして最後に、「それでも信心する者として、物足りないところがある」といふ切り返しが真に鮮やかであり、ウンウンなるほど━といふ思ひに、させられるわけです。その間に「従軍慰安婦」の問題や普天間移設についての沖縄反対集会のサヨクに同調する捏造新聞記事を配し、最後、「年寄りはもっと天下国家のことも祈る信心」をと、話を結んでおられる━ああ、ありがたいお話だと、読後しばし感銘の時をすごしました。
 森下典子氏の「前世への冒険」、これも全く知らない人でしたが、その内容も懇切に伺ふことができ、ありがたいことでした。先生が篤胤の「仙境異聞」、即ち「寅吉もの」と言はれる話を読んでをられるとは、ありがたいことでした。かつて、国学の研究分野の他界観のテーマとして、小生も篤胤を読んだことがあります。「霊能真柱(たまのまはしら)」といふ著述は、初期金光教の他界信仰にけっかう影響をもたらしてゐると、私は観てをります。
 私は映画が好きで、若いうちに黒沢明と小津のものはビデオで殆ど全巻所持してをります。どちらもDVD化されてるのはずゐぶん高くなってをりますが━。あと、鶴田浩二の任侠物がいいですね(高倉健も、あの頃同じく風靡しましたが、やはり鶴田の、男の悲哀に耐へて切りに出でたつ後ろ着流しの姿は、絶品でしたね━)。
 ところで、この何十年、常にフラストレイトしてきましたが、安倍晋三氏の政権となり、近来にない満足をしてをるところです。年末に、皇統の問題についても、さり気なく男系男子の皇嗣の制を確立すべく、用意をする旨を述べてをります。景気の回復、外交のたて直し、憲法改正など、この日本の危機の中で、千載一会の天の配剤として安倍氏の復権なったと心ひそかに悦こんでゐるところです。ことに、皇室の問題について、現憲法と同じく、皇室典範の皇室法が「「戦後レジーム」のまま、危殆に瀕してをります。これを改正の方向に踏み出すのは、殆ど安倍氏しか見当たりません。長期の政権であってほしいと思ひますが、例のごとく「朝日」「毎日」は安倍バッシングを既定の社是として、くり返していくことでせう。戦後七十年に垂々として、自主憲法ひとつ成立しえない、この占領ボケの日本のていたらく。アメリカの属国として自立しえない日本。竹島を実効支配され尖閣その他で、ようやく目が覚めるのでせうか、なかなかどうして安倍政権の前途、なほ予断しがたいところがあります。
 今一つ、申しあげておきたいことは、石原慎太郎さんの去就です。テレビなどで発言する石原は、いちいち御尤もで、魅力的ですが、今回、橋下徹と組んだのは、いかがなものか。元「太陽の党」(「太陽の季節」をもじったのでせうが、政党名として如何なものか)の信頼すべき平沼赳夫さんらと「維新」橋下とは、遂にいっしょになれないでせう。間に挟まって石原の座は何とも坐りにくいにちがひありません
 そして、何よりも問題とすべきは、国家統治における「公」と「私」の原理における、特に日本における皇室の位置づけにおいて、石原も橋下も殆ど熱い関心を持ってゐないところに、最大の問題があります。このことについて、近時刊行の『新潮45』(2013・1月号)に、期せずして、マスコミの評者の中では私が信頼してゐる青山繁晴と、佐伯啓思の両氏が注目すべき指摘をしてゐるわけです。青山氏は<橋下、石原を繋いだ「脱天皇」>といひ、佐伯氏は<「維新の会」の志向は天皇制否定である>と銘打ってをります。文芸評論家として多読の福田和也によれば、石原の小説の中で皇室が出てくるのは「火の島」の皇后陛下ぐらゐですね、と別の号の対談で語ってゐるのも、妙に記憶によみがへってきます。中曽根康弘や石原慎太郎その他と、その人間と思想の本質を見抜いて、遂にして自刃した三島由紀夫の弧忠をあらためて想起するところです。

教会長より
 過分なお言葉ながら、そのようにまで言っていただくと元気百倍、気分が明るくなりました。
 小津安二郎については、たまたま久しぶりに買った文芸春秋の90周年記念号というのに、岩下志麻さんが、「秋刀魚の味」撮影時の興味深い裏話や、監督が亡くなった日、夢枕に立った話などを書いており、更に、笠智衆が昭和26年に書いた秀逸なエッセイまでが再録されています。こういう符合はちょっと嬉しいですね(買った目的は、沢木耕太郎が、ロバート・キャパの有名な写真について「真実」を追求した記事が読みたかったからですが)。
 安倍晋三氏の首相就任につきましては、私も、現在求め得る最適の人物であることに異存はありません。しかし取り巻く状況が厳しいだけに、期待をかけては失望を味わうという、よくありがちなパターンに陥らぬよう、ここはしっかり祈り添えがいるのではないかと思っています。「期待をかけるより(神に)願いをかけよ。安倍さんの失敗は我々の失敗である」とまで考えて支持する人が多ければいいのですが…。
 福田和也と石原慎太郎の話が出てまいりましたが、あの隠れ左翼疑惑のある福田氏も、石原氏の「わが人生の時の時」というエッセーのような小品集に対して、村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」と同等の、96点という最高評価を与えていたことを思い出しました。
 その格付け本を引っ張り出してきましたら、「…形式の古典性と感覚の確かさ、そして何よりも情景の鮮烈さによって、汲めども尽きぬ魅力を湛えている。後世は本作から、20世紀日本人の意識と、生活、社会、思惟などを回想することだろう」とあります。こうした評言につられて、私も新潮文庫のそれを早速買い求めたのでした。ご両人に共通なところは、良くも悪くも、つねに昂然と構えているように見えるところでしょうか
 橋下徹氏については、つい最近までは相当買っていたのですが、いわゆる「在日」韓国・朝鮮人の参政権を認めようとしていることなどを知って、疑念を抱くようになりました。変に実行力があるだけに、これ以上勢力を伸ばしたら、ひとたまりもないでしょうね。それでも、まだまだ伸びるでしょうね。
 そんなことにでもなれば、国内分裂を永久固定化することになり、国家の弱体化は避けられないでしょう。私はあくまで同一国籍ということにこだわりたいです。秀吉時代に「強制的に」連れてこられたかもしれぬ陶工の子孫でも、今は同じ日本人としてまとまることができるのも、同一国籍のおかげだと思うのです。(それと私は、多民族共生国家だの、東アジア共同体などというものにも、今のところはなはだ懐疑的です)  それに、橋下氏の真意が、もしも「脱皇室」にあるのだとしたら、問題はなお一層深刻でしょうね。  折しも、中国軍がいよいよ戦争の準備態勢に入ったというニュースが飛び込んできました。平穏無事な生活がこれからも続いてほしいと、切に願わずにおれません。  
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