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金光教高田教会、おあてがいのままに
27 投書して見えてきたこと
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もくじ
▲ 政治社会問題を取り上げる方がむしろ無難
▲ これまでは本音・実感に忠実に意見を述べようとしてきた
▲ 本音・実感には限界もあるが、それを大事にする人となら、お互いの意見を尊重し合える 
▲ この道では個人個人の考えが尊重される
▲ 最後に頼れるのは自分自身の本音・実感
▲ 日米安保騒動が最初のきっかけ
▲ 五、六十年後に評価は定まりつつある
▲ 常識的判断が意外と信頼できる 
▲ 常識を覆してくれるような論にはなかなか出会えない
▲ はじめて投書欄に投稿し、採用された
▲ 内容はともかく、投稿する気になれたのがおかげ
▲ たとえ憎み合ったとしても、それさえおかげの中のこと
平成二十七年九月二十二日 奈良県 桜井教会にて
政治社会問題を取り上げる方がむしろ無難
 ここ(桜井教会)で話をさせていただくのも、いつまで続けさせていただけるかわかりませんが、これまでここで取り上げさせてもらった話の内容は、自分自身のことと、政治社会問題が多く、自分以外の個人の話題は少ないようです。もともと適切な面白い事例が少ない上に、あったとしても、個人情報については一々了解を得なければならないことが多いからです。
 たとえ孫のことでも、話を文書化して公表するような場合は、お前たちのことをこういう風にしゃべったが、差し支えないかという風に、あらかじめ目を通してもらっているのです。
 それなので、欧米では社交の場などでは政治と宗教の話は避けるのが無難とされているらしいのに、私の場合は、むしろ政治社会問題でも取り上げておくほうが無難に思え、また、他に適当な話題がなくてやむを得ず取り上げることが多いのです。
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これまでは本音・実感に忠実に意見を述べようとしてきた
 その取り上げ方にしても、二通りあります。
 一つは、その事柄についての是非善悪賛否の判断を、あくまで自分の本音・実感に忠実に表明するというやり方と、もう一つは、是非善悪賛否を超えた立場からものを言うというやり方です。(「本音・実感」という言い方をしますのは、「本音」だけでも「実感」だけでも言い足りない気がするからです)。
 信心の話として無難なのは、もちろん後の方ではありましょうが、力量不足のせいか、私はこれまで、そういう視点からものを言うということが、あまりできていませんでした。
 そして、前者となると全く無難というわけにもいきません。自分では中庸を得た考えのように思っていても、他から見るとずいぶん偏った考えのように見えるかもしれないのです。事実それで離れていったかもしれぬ人もいます。
 それでもなお、頭で考えた理屈だけではなく、あくまで本音・実感を大事にしたいと思いますのは、その中にこそ、いちばん神様が働いてくだされてあると信じるからです。
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本音・実感には限界もあるが、それを大事にする人となら、お互いの意見を尊重し合える
 同時に、個人個人の本音・実感というものの限界もわきまえているつもりです。いくら本音・実感に神様が働いてくださるといっても、それはそれまでに個人個人が蓄えた知識や経験の影響を受けないわけにはいかないので、私と正反対の意見を持つ人もまた、その人の本音・実感に基づいて考えているのかもしれないのです。
 もしも、そういう人もまた、単なる理屈や上っ面の考えや、特定の主義主張や教育の影響ではなく、その人の本音・実感に基づいて真剣に考えようとしているのだとしたら、その意見も尊重するしかないのですが、そういう人となら、お互いの意見を尊重し合えるかもしれぬ、という気がします。
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この道では個人個人の考えが尊重される
 そもそもこの道におらしてもらってもっとも有難いことの一つは、個人個人の考えがどこまでも尊重されるということであります。
 そのことを強く感じましたのは、むかし、購読する新聞が、時期はずれますが、二つの事柄について日本の各教団から賛否のアンケートを募ったときのことでした。一つは靖国神社に関わる何かが問題になった時、もう一つは、昭和天皇の葬儀の際、政教分離の在り方が問題になった時でした。
 各教団は思い思いに教団としての見解や賛否を表明していたのですが、どちらの場合も、金光教の回答だけは一味違っていました。統一見解は出さない、信奉者個々人の主体的な考えを尊重するという意味の回答で一貫していました。その時はなんだかとてもうれしい気がしました。誇らしくさえ思いました。そういう気風のおかげでか、このお道では、考え方がいわゆる左から右までの人たちが揃っていて、好き勝手なことを言っていられるのです。
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最後に頼れるのは自分自身の本音・実感
 しかしながら、いくら他人の意見を尊重するといいましても、他人の意見を聴けば聴くほど、読めば読むほど、何が正しくて何が正しくないのかがわからなくなることが多いのです。結局、最後に頼れるのは自分自身の本音・実感以外にはないことも確かなのであります。
 これまでの経験からも私は、他人の意見が、たとえ誠実で良心的で学識の深そうな人の意見で、しかも一見筋が通っていそうに見えたとしましても、自分自身の本音・実感が本当に「ウン」といわないかぎり、受け入れないことにしているのです。
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日米安保騒動が最初のきっかけ
 そのようになった最初のきっかけは、昭和26年のサンフランシスコ講和条約締結の際と、昭和35年の日米安保条約改定の際の騒動でした。
 講和締結の頃はまだ中学生でしたが、当時は、いわゆる「西側」の戦勝国とのみ講和を結ぶ「単独講和」か、共産主義国家も含めたすべての国と講和を結ぶ「全面講和」かで意見が分かれました。
 当時の国際情勢では、全面講和を結ぶことなど到底無理らしいことは、中学生でもおぼろげに理解できましたが、多くの知識人やマスコミは全面講和でなくては意味がないとして、講和締結に大反対しました。
 その次に盛り上がったのが日米安全保障条約反対運動でした。
 当時の反対の熱気というものは、今とは全くくらべものにならないくらい大変なもので、知識人の間では、まるで反対せずんば人にあらずといった雰囲気で、「ワタシだってちゃんと反対してますよ」と言い訳をした作家もいたという笑い話もあるくらいです。
 私もちょうどその頃大阪で学生生活を送っていましたので、クラス全体が反対のデモ行進に“駆り出されて”加わったのです。
 それは必ずしも反対理由に心から納得して加わったというわけではありません。当時の無知な私の目には、いかにも賢く学識深そうに見えた知識人たちやマスコミがそれほど大反対するのだから、よくわからないけれどそれが正しいのだろうといった程度の認識でした。
 それは私一人ではなく、他の多くの学生たちも、よくわからぬままに空気に支配されて従っていたに過ぎないのではないかと思われる節があります。少し上の世代のあの石原慎太郎氏でさえも、お義理で何かのデモ行進に参加したことがあると、どこかに書いていたのを読んだ記憶があるくらいです。  
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五、六十年後に評価は定まりつつある
 しかし、その後の年月は、もはや知識人やマスコミに対する信頼度は低下する一方であるのに、当時あれほど憎まれさげすまれた岸信介氏への高評価をしばしば目にするようになりました。  そして今では、ある種の知識人やマスコミがあれほど大反対した安保改定や、その少し前の単独講和も、その当時としてはやむを得ぬ最も無難な選択であった、という評価が定着しつつあるように思います。  こんな時でも、私は「正しい選択」などという言葉を簡単に使ってはならないと思っています。人間の判断力にはどうしても限界があり、事柄によっては百人百様に意見が分かれてしまうことをわきまえるなら、どちらが正しいかなどとは簡単にいえることではありません。せいぜい、どちらがより無難かという程度のことしか言えないと思うのです。
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常識的判断が意外と信頼できる
 そしてまた、吉田茂や岸信介のような政治家たちにそのような無難な判断をさせたのは、「深い学識」ではなくて、「健全な常識」もしくは「普通の常識」ではなかろうかとも思います。そして今でも、ある種の知識人に欠けているのは、まさにそういう普通の常識ではないのかと思えてならないのです。
 と言いますのも、青少年期であったとはいえ、当時の世相をリアルタイムで知る私には、今行われている安保法制反対運動が、まさに安保改定反対運動の再生矮小化版に見えてくるからです。
 この安保法制の賛否についても、我々国民はいちいち専門的な勉強をするわけにいきませんから、結局は、自分たちの持っている常識にそって判断するしかないのだと思うのです。またそういう常識的判断が意外と信頼できるのです。
 人間が進歩していくためには、常識というものは、つねに疑われるべきものであり、超えられるべきものではあります。しかしその前に、まず尊重されるべきものであり、みだりに逸脱しては危険が伴うものでもあるのです。
 そしてまた、常識とは概して単純なものです。この件についての私の常識的判断(それが同時に本音・実感でもありますが)の骨格は、およそ次のように単純なものです。

 「わが国の近隣には複数の一党独裁軍国主義国家が存在する。
 年々拡張を続ける隣国の軍事的脅威と、実際の侵略行為は、武力抜きの外交的努力だけでは到底防ぎきれない。しかし、自国の軍事力だけではとても対抗しきれないから、アメリカをはじめとする諸外国と軍事同盟を結ぶしかない。しかもそれは急を要する。
 その際、自分の国が侵略されたら助けてほしいが、他国が侵略されても助けられないというのでは、対等の関係は築けない。現に、そのため今の日本は、アメリカに従属せざるを得ない関係になっている。
 法律の運用については、反対論が多いように、いろいろと懸念が伴うが、それらについては、歩きながら考え続けて対処するしかないだろう」

 ついでに、それが違憲か合憲かという論議についての認識はこうです。
 「今更そんな論議は意味がない
 浮世離れしている上に変えるにはハードルの高すぎる憲法9条の下、制定当初から歴代政府は、現実的対応にせまられると、自衛隊創設にはじまり、苦しい解釈を重ねてなんとかしのいできた。ここまで来たのだから、あともう一押し解釈を重ねて、安全地帯に乗り上げておいてほしい。
 そこまでの危機対応さえしておけば、後はそのまま9条を神棚に祀り上げるなり、真にあるべき形に改めるなり、戦後教育から抜け出しきれない国民の意向も見極めながら、ゆっくり議論を進めればよい」
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常識を覆してくれるような論にはなかなか出会えない
 この安保法制の問題については、新聞でさえ二極化が進んでいるらしく、販売店が町内にあるよしみで、教会が百年近く購読し続けるM新聞は、毎日反対の論陣を張っています。その方が、賛成派の新聞を読むよりも、自分の考えが鍛えられていいかもしれぬとも思います。
 しかしそれにしましても、賢げな人たちがいろいろと発言しているのですけれど、幸か不幸か、私のこの単純な「常識」を根底から覆してくれるような論には出会ったことがありませんし、疑いを抱かせてくれるような論にさえ、なかなかお目にかかれません。「それはいい考えだ。アンタひとつ責任ある地位について、それを実行に移してみてくれんか」と言いたいような意見を言ってくれる人もいません。
 投書欄も大方は反対論で、賛成論はたまにしか載らないのです。そればかりか、私の「常識」など全く念頭にないかのような空論が大手を振ってまかり通っています。
 そんな空論で軍国主義国家の隣国に立ち向かうには、決死の覚悟が必要なはずです。それで国が滅びても悔いはない、第二のチベットになってもやむをえないといった決死の覚悟が必要なので、宗教家の私でさえ、国民にそのような決死の覚悟を押しつける気にはとてもなれません。なのに、その人たちには、そのような覚悟があるようにはとても見えないのです。
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はじめて投書欄に投稿し、採用された
 そういう投書にいちいち反論を書く根気も時間もないので、これまで自分の意見を投稿するなどということはしたことがありませんでした。新聞社やラジオ番組に反論や感想のメールを送ることはあっても、字数制限のある投書欄は、一段と手間がかかるのです。
 しかし六月のある日、たまたま共感のできる九州のお医者さんの投書が載り、それに賛成するという形で、今まで述べたような趣旨のことを割合スラスラと、制限字数をちょっとだけ超える程度で書けてしまいましたので、この歳になってはじめて投書欄に投稿してみました。
 三日経っても、一週間経っても一向に掲載される気配がないので、てっきりボツになったものと思いました。それでもせっかく書いたのだから、ホームページに載せるなり、何かの形で活用しようと思っていましたら、一か月ほど経って、新聞社から電話がかかってきました。あなたの意見を採用したいが、引用部分の出典を、著者の本で調べてみても見つからないから、そこだけ省くかもしれないという話でした。
 といいますのは、その文の中で、高名な哲学研究者で、文化勲章受章者であった田中美知太郎氏の言葉を、北海道牧場教会乙犬拓夫先生が書かれた文章の中から孫引きで引用していたからです。
 乙犬先生の文章というのは、三十年前に書かれたものであるにもかかわらず、今の時代状況にもそのまま当てはまる名エッセイなのですが(私方のホームページでも紹介しています)、あとでそれにあたってみますと、ちゃんと出典が書いてありました。
 早速メールでその旨返信しました。虎の威を借る狐ではないけれど、そこを省かれると説得力が弱まるから残してほしい、そのかわり他のところを自分で削るからということで代案も送りました。
 するとまた電話がかかってきまして、今度は田中氏の全著作を持ち出してきて調べてみた結果、確かにそれらしい部分が見つかったので、そのまま残すということでした。なるほど、ほとんど注目されることのないような投書でも、それだけの手間はかけるんだ、とはじめて知りました。私など、投書欄はタイトルにさっと目を通すだけで、ごく一部しか読まないのに、です。
 ちなみに、田中美知太郎氏は、小泉信三氏らと共に単独講和を支持した数少ない学者の一人で、学識と健全な常識を兼ね備えた勇気ある人物でした。
 結局、私の投書が紙面に載ったのは50日後で、更に一つ齢を重ねた後でありました。
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内容はともかく、投稿する気になれたのがおかげ
 その数日後、近くに住む子や孫たちと会食し、Y新聞社に勤務する長女の婿と隣り合わせに座る機会がありました。彼は記者として西日本各地を家族と共に転々とした末、ある県の支局長を最後に、大阪の本社勤務となり、ようやく揃って奈良市に定住できるようになったのです。それで長女にもいろいろと手助けしてもらえるようになり、とても心強く有難いことだと思っています。
 その婿に、田中美知太郎氏ともなれば、資料室あたりに全著作が揃えてあるのかと尋ねてみますと、それはないと思う、おそらく図書館から借りてきたのだろうと言いました。そして、投書が採用されるのはなかなかむつかしくて、ある知り合いなどは、何度投書しても採用されたためしがないそうだ、とも言ってくれました。
 そんな、大方の読者に気づかれることなく捨てられていくような投書にしましても、配布数が多いと、かなりの人数の人々の目にとまるのだということも実感しました。その中で私が知り得たのは4件だけでありますが…。
 1件目は、疎遠になっていた信者さんから電話をもらいました。2件目は、中学の先輩からはがきが舞い込みましだ。3件目は、先生方の会合の席で、新聞に投書が載ってましたねと言ってもらいました。4件目は、道を歩いていて、高校で同じ学年だったという見知らぬ女性から声をかけられました。しかも、その人たちは、一人を除いて、投書の内容には関わりなく、私の名前を見つけたこと自体を喜んでくれたのであります。
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たとえ憎み合ったとしても、それさえおかげの中のこと
 私はただ、気に入らない意見ばかりが載るのに業を煮やして、衝動的に投書しただけです。そして私の主張にどれほどの効果があったのかは心許ないかぎりです。
 しかし、そうしたことから私は、内容はどうであれ、自分の意見が掲載されたということ自体がおかげなのであり、それ以前に、まだ何かを書く元気が残されているということ自体もまた、大きなおかげなのだと改めて気づかせられました。
 また,他人と意見が違うということも、あくまでおかげの中のことであると思います。たとえ時には熱が入って憎み合うようなことがあっても(「アベ、死ね」などと言い出す人もいましたが)金光教祖様のあの、降るも照るも、死ぬも生きるも、すべておかげの中でのことである、との教えを敷衍(ふえん)するならば、あくまでそれはおかげの中でのできごとなのだ、深い思し召しの中でのことなのだということにも、もっと目を向けるべきではなかろうかと思うようになりました。
 そういうところに目が向くだけでも、憎しみの心が和らぐような気がしてくるのであります。なんとか歩み寄りができるようになりたいという願いさえも沸いてくるのであります。
 ということで、せめて最後に、是非善悪賛否を超えた視点で話を締めくくらせていただくことにします。

 参考までに、その掲載された投書と、きっかけになった方の投書と、改変される前の文の一部のコピーを何枚か置いていきますので、関心のある方にお目通しいただければ幸いです。
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参考
懸念だけでは対応できない
宗教家・角埜安信・77  (奈良県大和高田市)
毎日新聞2015年8月10日 東京朝刊
 安全保障関連法案を批判する記事が多い中、違憲・合憲を問うのではなく我が国の防衛をいかにするかの議論が肝要と指摘された先日の投稿に救われる思いがしました。
 古代ギリシャ哲学研究で知られた田中美知太郎氏はかつて「国家の安全は最高の法律である」とローマ共和制時代から伝えられていると記されましたが、現状のままでは国の危機管理が後手に回り、憲法残って国滅びるというような事態をも招きかねません。法案に対して、ただ「悪用」や「弊害」を懸念する声を並べ立てるだけでは何も決められなくなり、「善用」、すなわち新たな事態への適切な対処すらも不可能になってしまいます。
 法律というものは、最初からがんじがらめの規制を設けるのではなく、「悪用」の可能性も含めて、ある程度、運用に幅を持たせるしかないと思います。そして、時の政権の裁量が「善用」であるか、「悪用」であるかの判定は時の選挙民に委ねるしかないと考えます。

編集部によって書き改められる前の、もとのタイトル及び出だしは下記のようなものでした。

懸念も度が過ぎると何も決められない
 安保法制たたきの記事が多い中で、6月20日付、福岡の藤原繁さんの「安保法制、国会は建設的論議を」というご意見にホッと救われる思いがしました。
 むかし田中美知太郎氏が、国の安全は、ローマの時代から憲法にさえ優先する最高の法であるという意味のことを言われたと聞きますが、現状のままでは、国の危機管理が後手にまわり、憲法残って国滅びるというような事態をも招きかねないと思います。

安保法制、国会は建設的論議を
医師・藤原繁・63(福岡市博多区)
毎日新聞2015年6月20日 東京朝刊

 国会では安保法制の論議が白熱しており、参考人の「法制が違憲である」との指摘で混乱の度合いを増してきた。護憲派の方々は反対かもしれないが、そもそも安保法制論議は、違憲・合憲を問うているのではなく、現在の不安定、不確実な国際情勢の中で我が国の防衛をいかにするかの論議が肝要であろう。野党もマスコミも、憲法を守ってさえいれば侵略されないと本気で考えているのであろうか。自衛隊単独の戦力で我が国が本当に守れると思っているのであろうか。自衛隊が海外進出できる戦力を持ち合わせているだろうか。皆、冷静に考えよう。
 国民は、この数年「決められない政治」と批判してきたが、本当は、国家財政、安全保障、社会福祉など迫りくる難題を「考えないでおこう」「決めさせないでおこう」といった消極的姿勢はなかったか。
 今、問われているのは国民皆の「我が国の安全をいかにして守るか」の覚悟ではないかと思われる。建設的論議を望みたい。
 
 
 上掲の文、 筆者の藤原繁氏に転載の許可をお願いしたところ、快諾していただき、いろいろお言葉まで頂戴しましたので、それも「談話室」に転載させていただきます。
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談話室より
S.Mさん(女 90歳)H.27.12月
お話は、私も悩んでいたことで或程度うなづけました。
教会長より
ずっと共産党を支持してこられたYさんの言葉だけに、心強いです。

H.Sさん(女 79歳)H.27.12月.
お医者さんのお話も読ませていただきました。 上っ面の議論ではだめですね。

 藤原繁さん(男 63歳 引用した投書の筆者)H.27.12.14
この度は、ご丁寧なお手紙いただき、大変驚きますとともに、同感の方々がいらっしゃいます事に、大変うれしく存じます。
私も、永年の習慣と、故丸谷才一、荒川洋治さんの書評欄が大好きで、毎日新聞をとっております。最近の論調に、憤りながら、なかなか新聞を変えずにいます。私の論など、多分没かと思いながら、投稿し、幸運にも採用されて、これもビックリしていたところです。医師会の役員をしております関係上、医師会の雑誌にも同様の投稿をしましたところ、「良識ある」先生方から、「同感」の手紙を戴くことがあり、意を強くしているところです。また今回は、宗教家の方から、身に余るお言葉を戴き、感激しております。私は戦後生まれですが、父が職業軍人であったこともあり、我が家も、戦後の追放のあとに、苦労をしたようです。その後の先人の苦労が、現在の我が国の平和の礎になったことを考えると、最近の上滑りな論戦に、一言申さねばと、投稿した次第です。皆様のお役に立てるようでしたら、どうぞ、お使いください。恐縮いたします。
貴教会、皆様のご発展をお祈りいたします。

教会長より
最初は一介の町医者さんぐらいを想像していたのですが、住所を調べるためネットでいろいろ検索してみたら、どうしてどうして、すごい経歴をお持ちの方と判明しました。

T.Oさん(男74歳 教会長)H28.7.4
思いの行き届いた、信心の理においても懇切を極め、政治・社会問題についても、見事な分析を施し、且つ信心の眼識を以てこれを自家薬籠のものとして租借し対応してをられる言葉の数々に、教示されるところ少なくなく、ありがたく拝読いたしました。

信仰者として、政治・社会問題について、どのやうな対応・姿勢をとるか、これが、一番、その人の信心の実力を試されるものであり、その信心の深浅、その本物であるか、贋物であるかを見極める格好のものと、申さねばなりません。小生、必ずしも、教内の先生がたと行き渡った交際をしてをりませんが、少なからざる今日までの小生の教歴のなかで、先生は数少ない私にとって信頼・信服すべき御仁です。私の知る最も秀れたお人と申しても過言とは思はれません。―かく申してをりますと、あらためて、あの大東亜戦争の敗戦から戦後にかけて、本音のところ高橋正雄先生が、どのやうな感懐を持ってをられたか、興味のあるところであります。(それを吟味し、ご発言を渉猟するに、いまの小生は自らのことで忙しく、その暇が無いのが、残念であります)。これについては、三代金光様はじめ、当時の先生がたは、日々のご祈念の中で、戦勝祈願をなさってをられたわけで、―これは実に難しい問題です。戦後、高橋正雄内局以後の,京大・東大系の先生がたが、さも得々として批判してをりましたが、これまた何と軽薄であったことか―。

教会長より
いつもながら過分のお言葉を頂戴し、掲載がためらわれるほどでありますが、それでも敢えて載せさせて頂くことにしました。高橋正雄先生の名が出てきましたのは、「28私の五十年」と併せて論評いただいたので、それとの関連で言及されたものと推察されます。そちらの方も併せてお読み頂ければと思います。
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