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金光教高田教会、我が信心を語る
8 歴史認識や平和論について
-最近の議論をめぐって-
大和高田市 宗教法人 金光教高田教会|祈り、救いを求め、自分に正直に生きる。
もくじ
▲ 議論が起こるのは教団の健全さのあらわれ
▲ 嶋中師は私が共鳴した部分に違和感を感られた
▲ 「それを言うならどうしてこのことも・・・」という反論が頻出
▲ マス・メディアもある時期までは、嶋中師の反論にあるような内容一色だった
▲ 嶋中師と同じ気持ちを、以前味わったことがある
▲ 人は自分の信念や好みに添って情報を選んでしまう
▲ 違和感の正体が知りたくて「朝日」批判を読み漁る
▲ 外国の言い分をそのまま鵜呑みにするのは危険
▲ 国内の定説も疑ったほうがよい
▲ 戦争の最大の原因は、軍国主義ではない
▲ 戦争の真の責任は他国にもあるし、白人の植民地支配を覆したことは誇りにしてよい
▲ 戦争について、教団が賛否を表明すべきではない
▲ テロリストの言い分には耳を傾けたくない
▲ 憲法九条は欠陥法
▲ 六十年間、空理空論の山
▲ 憲法が正常化してはじめてまともな戦略と、まともな平和論が生まれる
● 追記 
● ホ-ムペ-ジ掲載に際しての追記
  ー松本侑子さんの講演記録を読んでー
平成十九年十一月二十四日 神奈川教会教会誌「かながわ」に寄稿
議論が起こるのは教団の健全さのあらわれ
 縁あって「かながわ」88号と91号を読ませていただきました。88号では、牧場教会の乙犬拓夫先生が、「宗教の救ひと政治の論理」と題して、我国のいわゆる進歩的知識人たちの歴史観や憲法観平和観を批判し、それに呼応する一部の教内の人達の平和運動をも厳しく批判しておられます。
 91号では、それに対して、愛知川教会の嶋中雅俊先生が、様々な疑義を呈され、また柴田正和という方も懸念を表明され、同時に、それまでの賛否に対する乙犬先生の「総括的な思ひ」も掲載されています。両先生ともよく存じ上げており、お世話になった方々ばかりです。
 私はそれらを興味深く読ませていただきました。全国信徒会誌の「あいよかけよ」誌上でも、乙犬師との間に同様の議論が展開されておりますが、柴田氏の懸念とは反対に、私はこうした議論の起こることを、むしろ教団の健全さのあらわれとして、頼もしく誇らしく感じるものです。
 嶋中師は、多くの人たちが乙犬師の考えに共感を示していることに危惧を覚えたことを執筆の動機としておられますが、それらを読ませていただき、私自身、共感を覚えた者の一人として、再反論するというより、そう考えるに至った過程に理解を求めたいという気持ちで、何か言い添えておきたくてならなくなりました。
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嶋中師は私が共鳴した部分に違和感を感じられた
 まず興味をそそられましたのは、嶋中師が乙犬師の文言を引用して大きな違和感を表明されたのが、私自身がとりわけふんふんと頷いて共感を覚えた部分であったということでした。
 例えば、
「彼らこの種の知識人は『平和』と『民主』と『人権』といった戦後的価値観を至上のものと掲げながら、実は真向から背反する社会主義ないし共産党独裁政権の国家に常にシンパシー (共鳴)を示し続けてきたという不思議な人たちである」 という言葉に対して、それは十把一絡げで一方的すぎる、戦後的価値観を是とする知識人のすべてが社会主義独裁国家にシンパシーを示し続けてきたわけではないと反発され、また、
「慰安婦強制連行とか南京大虐殺など事実無根のことでも、日本の非としていち早く関係国に内通し、かの国の政治的プロパガンダ(作為的宣伝)に迎合することを喜びとしているフシがみられる。歴とした日本人でありながら、『反日・侮日』を旨として、これを生きがいとする奇特な人たちなのである」
という言葉に対しては、彼らがそうするだけの「根拠や資料」が今日では「明らかにされてきている」のに、それをなかったとするのは「すぐにはうなずけない」とされ、柴田氏などは、そんな「事実無根」などという言葉が中国側の目に止まりでもしたら、悪くすれば教団を窮地に追い込むことになりかねないのではないかとまで懸念しておられます。
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それを言うならどうしてこのことも…」という反論が頻出
 その他では「それを言うなら、どうしてこのことも取り上げないのか」式の反論が目立ちます。全部をとりあげると大変なのでほんの一例だけを取り上げますと、例えば、
「彼らの政治的な見解や見通しというものは、これまで、現実の前には、ことごとくミスとエラーの積み重ねであったことが、今や白日のもとに露わになっている。(中略)しかも、このことについて、一向に自らの不明を恥じる気配はなく、ミス・リードした責任の重大さを感ずるフシも彼らにはない」
に対して、それならどうして戦前戦中の指導者たちのミス・リードのことにも触れないのか、といった調子です。
 この調子で他にも、近隣諸国に対する加害行為、軍隊内の不正義、いじめ、末端見殺し、沖縄民衆等への軍隊の冷酷理不尽な振舞、さらには戦後の為政者の失政とか、ヴェトナム、イラク、アフガン戦争などにおける民衆の犠牲者のことや、それらの戦争を陰であやつる軍事産業のことにまで言及しておられます。
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マス・メディアもある時期までは嶋中師の反論にあるような内容一色だった
 これを読んで私は、自分たちは日本の軍隊について、日本国の所業について、子供の頃からまさにそのように教え込まれて育ってきたなあということを思い出しました(正確に言えば、小学2年生を境目にして、手のひらを返すような教育を受けて育ったわけです)。マス・メディアもある時期まではそれ一色でした。そして、そのことに長い間、何の疑問も感じていませんでした。
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嶋中師と同じ気持ちを、以前味わったことがある
 それが少しずつ変わっていったのがいつの頃からか、どのようにしてなのか、あまりはっきりとは思い出せませんが、それについて述べる前に「それを言うならどうしてこのことも言わないのか」と言われる、それとちょうど同じような気持ちを、私自身も以前味わったことがありますので、そのことにまず触れておきます。
 1973年に、当時日本に来ていた韓国の金大中氏が、朴正煕政権の情報機関に拉致され、連れ戻されたという事件が明るみに出て、日本のマスコミが大騒ぎしたことがありました。
 新聞はここぞとばかり、朴政権下の韓国をまるで暗黒社会のように書き立てました。私はそれらを読んで、そのことをそれほどに騒ぐのなら、それよりももっとひどいことが日常茶飯事のように行なわれているという、北朝鮮のことをどうして暴かないのだろうかと奇妙に感じたものでした。
 そう感じたのは、そのころすでにもう北朝鮮に関してマイナスイメージを与える情報が、新聞以外のメディアを通じてかなり出回っていたからだと思います。しかし、新聞(特に朝日、毎日)は、まだまだ北朝鮮に肩入れし、チュチェ(主体)の国だなどと持ち上げ、その反動からか、朴軍事政権というのを、韓国の発展に最大の功績があったにもかかわらず、ひどく忌み嫌っていたのでした。
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人は自分の信念や好みに添って情報を選んでしまう
 当時はまだ、そういう北に関するネガティヴな情報を信じる人と信じない人とに分かれていたと思います。それはその人が賢いとか賢くないとかはあまり関係がないようなのです。そこがやっかいなところです。人間はどうしても、自分の信念や好みに合わせて情報を取捨選択してしまうもののようなのです。
 その事件の少し前、1970年に「よど号」ハイジャック事件というのがあり、過激派学生9名が旅客機を乗っ取って北に亡命するという事件がありました。私自身は心中、「何を好き好んであんな国に」と、きわめて冷ややかな気持ちで眺めていたことだけははっきりと覚えているのですが、その何十年か後、芥川賞作家の三田誠広という人が、テレビに写る同じ学生たちに、心中密かに「がんばって来いよ」とエールを送ったと、どこかで書いているのを読んで、びっくりしたことがあったのです。
 その後も、北朝鮮を賛美し続ける人はいましたし、悲惨な結果を招いた北への「帰国事業」も1984年まで続いたとのことです。そして私たちはまだ露知らぬことでしたが、金大中事件よりはるかに悪質な北による日本人拉致がはじまったのは、1970年ごろのことでした。
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違和感の正体が知りたくて「朝日」批判を読み漁る
 そんなこんなで、私はそれまでに信じ込まされていたことをだんだんと疑うようになりました。いわゆる進歩的なメディアの論調にも、理由がはっきりしないまま大きな違和感を覚えるようになり、その違和感の正体を知りたいばっかりに、そうした進歩的メディアの代表格である朝日新聞を批判した文書を、とことん読み漁ったこともありました。そのようにしてだんだんわかってきたことといいますのは、自分が感じた違和感には、やはりそれ相当の理由があったのだということでした。またそれまで信じ込まされていたことが、あまりに一方的であり過ぎたり、そこに大きな嘘が含まれているということも明らかになってきたのです。
 ですから、私のような経過をたどってきた者が、はじめに引用したような乙犬師の言葉に何の抵抗もなく共感できるのは、ごく自然なことなのだとご理解いただきたいわけです。
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外国の言い分をそのまま鵜呑みにするのは危険
 また、いくら過去の歴史を謙虚に反省することが大事だといいましても、これまで教えられてきたことや、外国の言い分をそのまま鵜呑みにするのは実に危険だと痛感します。
 慰安婦問題や南京事件問題については、同じ91号で乙犬師が詳細に論じておられますが、私からもお願いしたいと思いますのは、「虐殺派」支持の方も、乙犬師がそこで挙げておられるような「まぼろし」派の人々の著書にも一度は目を通して頂きたいということです。そうすれば、いかなる意味で師がそれらのことの「事実無根」を主張しておられるかも理解していただけるはずです。
 前にも申しましたように、自己の信念に反するような情報には目をふさぎたいのが人の常で(私自身も例外ではありません)、なかなか本を取り寄せてまで読もうという気にはなってもらえないと思いますので、ネットに加入しておられる方なら、せめてamazon.co.jpの読者の書評に目を通してみていただけたらと思います。
 一番のおすすめは、やはり乙犬師も挙げておられる阿羅健一「『南京事件』日本人48人の証言」の読者15人(2007年2月現在)による書評でしょう。この本だけは、誰からも一番高い評価を得ています。それらの評を読んでいただくだけでも、ある程度のことは伝わってくるでしょう(更に関心をそそられれば、クリックすれば簡単に注文できます)。
 東中野修道氏の「『南京大虐殺』の徹底検証」及び共著「南京事件『証拠写真』を検証する」では、とりわけ後者は、よく売れただけあって百二十以上の読者評が集まっており、反対派からの意見もかなり含まれています。しかし、少なくともそこからはっきりわかるのは、我々が相手としなければならないのは、目的のためには手段を選ばず、宣伝のためならどんなウソでもでっち上げることのできる人々だということです。前者の本文はやや詳し過ぎて、読む根気が続きにくいのが難点です。
 それから、嶋田師は「三光作戦」ということも例に挙げておられますが、これこそまさに日本人にはない中国的発想と表現によるものなので、大幅に割り引いて受けとめた方がよさそうです。いずれの軍隊にも有り勝ちな偶発的、散発的な残虐行為まで否定するつもりはありませんが、それと、言われるような組織的かつ大規模な殺りくとは、はっきり区別すべきだと考えています。
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国内の定説も疑ったほうがよい
 目を国内に転じるなら、嶋中師も言及されたような、戦争末期の沖縄での軍人の冷酷卑怯な振舞や理不尽な命令について、大江健三郎氏らによって宣伝され、長い間信じられてきた事例に最初に疑問を持ったのは、曽野綾子さんでした。
 そして、それまで誰もしなかったような徹底的な現地取材によって、ついに真相を突き止めたのです。それが「ある神話の背景」(1973年・文藝春秋)でした。そのおかげで、長年家族共々汚名に苦しんでいた一軍人の名誉が、ようやく回復されました。今も「沖縄戦・渡嘉敷島『集団自決』の真実」(WAC)として、発売されています。
 またその後、ある女性は、年金受給の必要から心ならずもある軍人に罪を着せるしかなかったことを、三十年後、ご本人に詫びた、というような実情も明るみに出ました
 このように、軍人の冷酷卑劣さを物語る典型例として流布していた事例が二つとも偽りであることが判明したのでは、たとえ他にもそんな事例が数多く伝えられていたとしても、私はもうすべてを俄には信じる気になれないのです。
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戦争の最大の原因は、軍国主義ではない
 多くの人はいまだに、先の戦争のすべての責任を日本の軍人と日本の「軍国主義」のせいにした、戦勝国の占領政策をそのままひきずっているようです。
 私自身長い間、日本の軍国主義が戦争の一番の原因、諸悪の根源であったかのように教え込まれ、そこまでで思考停止してしまい、それ以上のことは考えようとしませんでした。戦争や軍備に反対しさえすれば何もかもうまくいく、平和がもたらされるという発想も、案外そういうところに根差すのではないかと今は思います。
 そして、戦争の真の原因は、大きなものだけでも多岐にわたると考え、「軍国主義は」その一つではあっても、最大の原因ですらないと考えております。
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戦争の真の責任は他国にもあるし、白人の植民地支配を覆したことは誇りにしてよい
 また、真の責任は日本だけにあるとも考えておりません。資源を持たぬ日本が、植民地支配を強めながらせめぎ合う白人諸国家に伍して、生存をかけた競争を繰り広げねばならなかった当時の国際情勢を知れば知るほど、日本のみが破綻の責任を負わされることになったのは、他の列強及び中華民国より、単に狡猾さにおいて劣っていたからだけに過ぎない、という気もしてまいります。
 にもかかわらず、無謀とはいえやむなく、欧米列強に果敢に立ち向かったことで、白人の植民地支配を覆し、人種差別解消の方向に世界が向かう端緒をつくったことを、アジア諸国にいわゆる「多大の迷惑をかけた」ことを割り引いても、もう少し誇りにしてよいと思うのです。
 「多大の迷惑」ということについても、例えば中国においては、日清戦争の結果、正当な手続きを踏んで得た権益が足がかりで、そこから相互に作用しあって生まれてきたことです。

 最後に、これはどなたかへの反論ではなく、補足というのでもなく、宗教者の平和運動や護憲運動に対する、私自身の考えを述べておきます。
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戦争について、教団が賛否を表明すべきではない
 結論から言いまして、世界で起こりつつある戦争について、例えばイラク戦争などに、教団内の個人もしくは団体ならともかく、教団そのものが軽々しく賛否を表明すべきではないと考えています。それは有害無益か、無害無益かのどちらかにしかならないと思います。
 我々が好むと好まざるとにかかわらず、アフガン戦争とイラク戦争は9・11テロが招いた結末です。誰が首謀者であったにせよ、9・11はイスラム世界がアメリカに突きつけた強力な刃となってしまいました。アメリカは言わばその代償として、イスラム世界の二つの政権を倒し、強引に民主主義を押しつけようとしたわけです。そのときアメリカの首脳たちが頭に描いていたのは、日本占領時における「民主化」の見事な「成功例」であったのかもしれません。
 この両国に果たして民主主義は根づくのか。可能なのか、不可能なのか。まったく余計なおせっかいをしたものではありますが、いずれにしても成ってしまったことは後へ戻せないわけで、これからも際限のない混乱が続くことでしょう。
 日本のこれまでの関わり方は、現在の日米関係というものを考えたとき、自衛隊のイラク派遣も含めて、誰が首相であっても、おおむね似たような対応にならざるを得なかっただろうと思います。ただ小泉さんが、最初の時点で、「協力は惜しみませんが、日本を民主化できたようなわけには、絶対にいかないと思いますよ」と釘を刺すぐらいのことができていたなら、更に男を上げることができただろうにと思うだけです。
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テロリストの言い分には耳を傾けたくない
 こういうことにつき、これまでいろいろと言われてきた中で、私がいちばん違和感を覚えましたのは、「報復はさらなる報復を生むだけだ」という言葉があまりにも安易に使われ過ぎたことと、「テロリストの言い分にも耳を傾けるべきだ」と言う人がいたことでした。
 私なら、最初から無差別に民衆を狙って殺すような人たちの言い分に、耳を傾けたいという気にはとてもなれないのですが(軍と軍の戦闘の巻き添えで民衆が死ぬということとはまた意味が違います)、たとえ自分の命と引き換えとはいえ、外国人や異教徒はおろか、自国の同じイスラム教徒の民衆の命をさえ平気で奪える人たちの言い分とは、いったいどんなものなのか、多分、聴いても私には理解できないでしょう。
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憲法九条は欠陥法
 憲法九条改正問題につきましては、実のところ護憲論はもう聴くのも読むのもウンザリだという気がしています。
 九条は世界の現実にきちんと対応できない欠陥法だと思います。自ら手足を縛るような法は、敢えて悪法と言ってもいいくらいだと思っています。言わば治安を維持すべき警察に拳銃の使用を禁じているようなものです。
 以前、長い間シリーズとして放映されていた「はぐれ刑事純情派」というテレビドラマを時折視ることがありました。そして、とうとうその最終回の時のことです。
 筋書きはすっかり忘れてしまったのですが、拳銃を持った犯人を追う、藤田まこと扮する安浦刑事を応援するため、他の署員たちが拳銃を携行して犯人逮捕に向かおうとしました。
 すると、いつもはちょっと間抜けな俗物を演じさせられていた島田順司扮する上司が、「そんなことをしても安浦は喜ぶだろうか」などと言い出し、結局全員が拳銃を持たずに逮捕に向かったのです。
 つまり最終回になってはじめて、私は安浦刑事が拳銃を持たない主義の警察官であったことを知ったわけで、いっぺんに興ざめしてしまったのでした。思わず「オイオイ、拳銃使ってくれてもいいから、ちゃんと犯人を逮捕してくれよ」と突っ込みをいれたくなりました。
 物語の中でならそれでもいいし、安浦刑事一人のことで済んでもいるわけですが、もしも警官の拳銃使用を一切禁止するというような法律ができてしまって、しかも簡単には変えられないようにしたとしたら、大変です。それで治安が乱れたとしたら、結局は凶悪犯罪に対応するために、苦しいこじつけの法解釈がなされるようになり、拳銃を自衛銃とでも言い換えて警官に持たせるしかなくなるでしょう。
 憲法九条も似たようなもので、世界の現実に対応するために苦しい法解釈を重ねて自衛隊を創設したものの、どのように解釈を工夫しても、十全に機能しきれない部分が残るため、いろいろな弊害が生じてしまうのです。
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六十年間、空理空論の山
 また護憲派の人たちにしても、もともと欠陥のある法を根拠に平和を論じるものですから、どのように真摯に良心的に精緻に論じてみせても、結局はへ理屈になってしまうのです。六十年間、欠陥法を御神体に祭り上げて、空理空論の山を築いてきただけなのだと言ってもよいと思います。
 最近も、あるコメディアンと文化人類学者の共著による「憲法九条を世界遺産に」と題する護憲論の本が出たようですが、題名そのものが、例のごとくへ理屈に思えてしまって、手に取る気さえ起こりません。
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憲法が正常化してはじめて、まともな戦略とまともな平和論が生まれる
 我々がいつまでも、不毛で果てしない神学論争に無駄なエネルギーを費やしている間に、お隣の国などは、そんな手かせ足かせに何らわずらわされることなく、軍備を増強し、対日戦略(経済、外交も含めて)を練り、国境の島々をうかがい、境界線付近の資源のひとり占めを図りつつあります。何年か後には、日本など消滅してしまっている、とうそぶいた首相だか主席だかもいたそうです。
 それにひきかえ我国は、軍隊が正常に機能できるような法整備さえされていないがために、まともな対外戦略が立てられないばかりか、ほんとうに意味のある平和論も生まれて来ないのだと思うのです。
 ある護憲派のご信者さんからいただいた便りの中で、私もその方も、平和を切に願うという点で、根本のところでは一致するのだということに気づかされたと言っていただきましたが、今の憲法を一度「正常化」した上で、それまでの護憲派改憲派両者ともに同じ出発点に立って、平和構築のために実りある努力をすすめる、ということでありたいと私は願わずにおれないのであります。
 しかし、それができたからといって、バラ色の未来が約束されているというわけではありません。日本人の外交能力を考えると、むしろ新たな苦しみの始まりである可能性の方が大きいでしょう。
 これまで我々が享受してきた安全安心というものは、数々のきびしい要求、無理難題を引き受けた代償として得られるアメリカの庇護と、機能不全ながらも存在してくれている自衛隊によってもたらされたものです。我国が隷属状態から自立するためのほんとうの苦労は、憲法改正が成ってから始まるのだと私は考えております。
 そして、そんなにまで険しい道が待ち受けているのなら、もう今のまま、アメリカの属国のままでいいや、多数の人が憲法改正がそんなに嫌なんだったら、そしてそんなに自信たっぷりに改正に反対するのなら、もう好きにしてくれ、ずるずる行くところまで行くしかないよ、と毒突きたい気分にもなってしまうのです。
 
 以上、つい過激な本音を長々と書き連ねてしまいました。言い負かそうとするのではなく、あくまでこちらの気持ちをわかってほしいという思いで書かせてもらったつもりです。純粋一途な信仰者の視点からは、あまりに世俗的過ぎると映るかもしれませんが、個人の行動規範と組織・集団の規範とは、全く別ものだと私は考えておりますので、このような考え方になるのだということもお含み置きいただきたいと存じます。
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追記
 この小文を投稿したのは今年二月のことでありました。その後八カ月経過した今も、特に考えを変えることはありませんが、心波立つ出来事は、少なくとも二つありました。
 一つは、沖縄集団自決問題について、軍による強制があったとする従来の教科書の記述を修正しようとする動きに、沖縄県民等からの猛反発があり、政府もそういう「県民感情」に配慮せざるを得なくなったということです。
 私もまた、現段階では、沖縄の人々の感情や言い分は、歴史的真実とは関わりなく、政治的見解として受け入れるしかないと考えています。
 しかし、政治的見解には、ウソやプロパガンダや特定のイデオロギーの入り込む余地がいくらでもあり、いつのまにか真実はねじまげられてしまうのだ、ということを忘れてはならないと思うのです。現に、十一万人といわれた反対集会の参加人数すら、実際は三万五千程度であっても、多くのマスコミは主催者発表をそのまま垂れ流して、反対勢力に肩入れしました。
 そんな状況だからこそ、曽野綾子さんのような仕事は、今後ますます価値を増すと思うのです。
 もう一つは、いわゆる「従軍慰安婦」について、米下院で謝罪を求める決議が採択されたということです。この決議の不当さは言うまでもないことですが、マイク・ホンダという日系議員をあやつって、そういう荒唐無稽な議案でも強引に通してしまう外国勢力の政治力、外交力のすさまじさに、つい恐怖を覚え、そして、もとの虚偽の種を撒いて大きく育て上げた、日本のいわゆる進歩派反日マスコミの独善性に、いいしれぬ嫌悪感を覚えました。
 世に、正義の装いをしたウソや偽善が大手をふってまかり通り、それが真実とされてしまうことほど不愉快で残念なことはありません。私などは、そういうことに対しては、凶悪犯罪以上の嫌悪感を覚えるのです。
 今年七月に発行された「Will」という雑誌の慰安婦問題についての特集号(「『従軍慰安婦』と断固、戦う!」)は、そういったウソや偽善を明快にあばき、にもかかわらずウソがはびこり定着してしまうことへの無念さや、憤りや、やるせなさや、憂国の情があふれる好企画でした。慰安婦問題の本質はこれ一冊でもほぼ把握できるでしょう(Amazon.co.jpを通じてまだ手に入るようです)。
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ホ-ムペ-ジ掲載に際しての追記  ー松本侑子さんの講演記録を読んでー
 この文章をホームページに掲載しようとしていた矢先に、本部の報徳祭に参拝した際頂戴した書類の中に、松本侑子さんの、護憲派の立場からの講演記録(東京センター発行)が含まれていました。見かけはとても真摯で理想主義的で熱気あふれる講演なのですが、それでもほとんどの言葉が、私の心の琴線にはあまりふれて来ず、ひっかかる点が多々あって、少々憂うつです。多分私とは、ものの感じ方がずいぶん異質なんだろうと思います(たまたま読んだ同姓愛に関する彼女の小説は、なかなか面白かったのですがね)。
 時間に余裕がある時、細かく検討してみたいとは思いますが、とりあえず問題点を一点だけ挙げるとすれば、九条はあくまで追求すべき理想を述べたもので、現実に合わせる必要はないという主張には賛成できません。松本さんはそのことを「男女平等」とか「健康で文化的な生活を営む権利」とかを引き合いに出して、それらがまだ実現されていなくても問題にされないのに、九条だけを現実に合わせよと言うのはおかしいと主張されるわけです。
 しかし、それは違います。前二者は、その指し示す目的や文言が何の弊害も生まないのに対し、後者はその文言が、我々が安心安全を確保しようとして地道で現実的な手立てを講じようとする時、その手立てを縛る手かせ足かせとなってしまっている点が問題なのです。そのような法がはたして「理想」の名に値するかどうかさえ、私は疑問に思っています。
 私は何もガチガチの改憲論者というわけではありません。護憲を叫ぶ人々がいうように、今のままでもほんとにやっていけるというのなら、それでもいいのですが、その人たちの主張があまりに身勝手過ぎたり、党派的過ぎたり、楽観的過ぎたり、逆に(変えることに)懐疑的過ぎたり、自虐的過ぎたりして、どうも信頼できかねるだけです。
 九条を変えるにしろ変えないにしろ、我国がアメリカの支配から脱して、真の独立をかちとるには、どちらを選んでも茨の道が待ち構えていると私は思います。
 そしてどちらを選ぼうと、松本さんも言うように、戦争などしないですむよう「政治、経済協力、外交、国民と周辺国の人たちとの交流、そういった総合的な努力を継続的にしていく以外にありえない」と思います。
 違うのは、どちらがよりリスクが少ないかだけの問題です。そして私は、今の憲法のままの方が,、はるかにリスクが大きいと思っています。今のままでほんとうに我国の独立を維持し、領土や資源や国益を守ろうとするには、(そのやり方でたとえ不利益を蒙っても、或いは国が滅ぼされても悔いはないというような)決死の覚悟と努力がいりそうです。ごく少数の理想主義者のために、そんな覚悟や努力を一般国民が強いられるというのも迷惑な話です(そういう生き方ないし行き方は、個人の領域で大いに進めてくださればよろしい。私自身も及ばずながらそうありたいと思います)。茨の道ではあっても、全体の在り方としては少しでも楽な方、リスクの少ない方を選ぶべきだと思うのです。
 まあ、長い長い目で見れば、いずれ遠い将来には、国境というものがなくなり、領土問題も、資源の奪い合いも、国益ということもあまり意味をなさなくなる時がくるかもしれません。しかし、そうなるまでにあと何十年かかるか、何百年かかるか、見当もつきませんし、たとえ世界国家のようなものができたとしても、行政単位として、また独自の文化圏として、今ある国家というものは、そう簡単にはなくならないと思います。我々が所属するその国家を大切にせずして、我々の幸せはないと思うのです。

(なお、松本侑子さんの講演の概要については、金光教東京センターのホームページの中の、「平和活動のページ・第25回平和集会の報告」で読むことができます。)
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談話室より
牧場教会長 乙犬拓夫さん H.19.12.17

「かながわ」94号の貴文、いかにも正直にして勇気あふれ、且つわかり易く説諭されてゐる、そのおもむきは、まさに貴先生らしいお人柄のご内容であります。そして小生にとっても力強い千軍万馬のお力添へを頂いたものと、ありがたく敬読いたしました。
政治と宗教の本領、その両者のチガヒを知らぬ輩があまりに多いことを、思ひをります。

教会長より H.19.12.27
「かながわ」の編集後記にも、「…非常にやさしい言葉で、わかりやすい、一言で言うなら、『私が読んでもわかる』という原稿で…」とあるように、今回は、私の書いたものにしてはめずらしく、「わかりやすい」と言うて頂きました。うれしいかぎりです。
昨日、集団自決問題につき、教科書検定の審議会が軍関与の記述を復活させたとはいえ、「強制」という表現を排除し、「関与」という表現にとどめることができたたことに、いささか安堵しております。その方が穏当でより真実に近いと思うからです。「強制」ではあまりに一方的で、イデオロギー臭が強過ぎると思います。

教会長より H.20.1.6
M.Oさん(74歳)こと奥村実さんから、「昭和一桁・最後のぼや記」と題する長文のエッセイが送られてきました。自身の戦争被害体験も含めて、どうしてもこれだけは言い残しておきたいという気迫のこもった論考です。
ご自身これだけ戦争による被害を蒙りながらも、慰安婦問題をはじめ戦前戦後の諸問題の真相に迫ろうとすればするほど、単なる平和反戦主義者や謝罪反省論者からは、遠ざからざるをえないことが、私も知らなかったような様々な資料を駆使して、説得力をもって語られています。
全文は「談話室関連資料」として、別枠に掲載しましたので、ここではそのごく一部だけを紹介します。

まず、奥村さん自身の被害体験から…。

「クラスター爆弾・無差別爆撃・戦争犯罪
 2月23日オスロ宣言が発せられ、非人道兵器としてクラスター爆弾の使用禁止が国際条約で決められようとしている。軍隊だけの戦場で使用されるのであれば単なる有効な爆弾に過ぎないが、一般住民が混在する地域で使用されると、大量の小爆弾が不発弾として残る性質があり、子供を主体とする住民に危険を及ぼす。現に子供達を始めとする非戦闘員の死傷者が頻発している。この兵器が最初に使用されたのは第二次大戦からで日本に対しても使用された。このことは全くと云っていいほど問題にされず話題にもなって来なかった。どの程度の規模で使用されたのか不明だが、少なくとも昭和20年6月の大阪東淀川地区の空襲には使われたのである。
 何故そう云えるかと云えば私がそれによって被害を受けた当人だからだ。その経緯を述べると終戦直後の昭和20年8月下旬、その地区の焼け跡整理に大阪北郊の府立茨木中学校2年生も動員されて、私の次兄はその一員であった。周辺には不発の小型爆弾がごろごろ転がっていて、中学生達の好奇心をそそった様だった。それがクラスター爆弾だとは誰も知る由もなかった。中にはそれを拾ってキャッチボールをする者達もいた。警戒心をなくしていたと云う事だ。引率教師の指導はどうだったかは判らない。その子爆弾の一つを警戒心を失ったらしい次兄は拾い、家に隠し持って帰ったのだ。人の手を経て来たことで家でも警戒心をなくしていた。半年後の昭和21年3月15日、兄弟4人が集まった庭で、その1キログラムに満たない風車の付いた不発子型爆弾が、庭石に向かって落下した瞬間爆発し4人を吹き飛ばした。
 済生会吹田病院に収容された4人のうち、次兄と小学校4年の文学好きの弟は、内蔵を露出した状態で1両日の間に相次いで絶命した。中学1年の私と5歳の弟は命拾いはしたが、共に五体不満足になった。私について云えば左足親指は千切れ、右下肢の骨が粉砕骨折し、その際、前脛骨筋の一部を失ったために、足の先を持ち上げることが出来なくなった。同時に右眼球破裂で隻眼となった。右足切断の必要があるとされたが、手術道具が無いとかで切られずにすんだ。薬はリバノール液だけで化膿が甚だしく、入院半年、全治9ヶ月を要した。
 軍事施設のない住宅密集地に、クラスター爆弾の予備知識を誰も持っていない状況下で、はじめて使用されたのである。子供を含めた一般住民の大量殺戮を目的としたのだろう。私はこの米国の非人道行為を戦争犯罪として強く糾弾しなければならない立場にある。そのアメリカが、東京裁判で人道の名の下に日本を裁いた事に、私は個人的にも納得出来ないのだ。

 無差別爆撃と云うとよく引き合いに出されるのが、日本軍の重慶爆撃だが、シナ本土が戦闘地域になっているのであり、重慶のかなり近くまで戦闘が及んでいたからこの爆撃を不当と云うのは当たらない。幕末の薩英戦争で鹿児島の町を砲撃して焼き払い、戦闘地域における無差別攻撃の模範を示したのは英国であった。沖縄上陸作戦で無差別に艦砲射撃されたが、戦闘地域にした日本側に責任があって我々は文句を云える立場にない。しかし日本本土への都市無差別爆撃は非戦闘地域に対するものであった。一晩で10万人を焼き殺した東京空襲は逃げ場を封じ込める形で焼夷弾をばらまいた。原爆を含めて戦争犯罪を犯したのは彼等であって、人道の罪で裁かれるべきは彼等であった。」

次に、沖縄集団自決問題報道について、その真相追究の徹底ぶりをご覧あれ。

 「沖縄集団自決を巡る強制性の記述回復を求めて、本年9月29日宜野湾海浜公園で県民大会が行われた。主催者発表で11万人が参加したと30日の新聞で報道され、その数の多さに驚いたのか、政府は早速それに合わせて再検定の動きを見せている。
 一方その11万の数に関して一部で疑問が出された。週刊誌情報では1万八千人程であった。私は毎日新聞に載った会場を埋め尽くしている写真を見て圧倒され、11万の数に疑念を持たなかったのであるが、確認する必要があると図書館に出かけ調べて見た。各新聞を見比べて見ると、毎日新聞が、空中俯瞰撮影で会場を一番広く写していて全体の7割前後、朝日は前方からの地上写真でせいぜい数千人、読売も地上写真で千人程度を写しているに過ぎなかった。しかし参加人員はいずれも11万人としていた。11万人集会の紹介に明らかに千人台と判る写真を載せるのは、甚だ誠意に欠けると云わねばならない。
 毎日新聞の写真を拡大コピーして百分割し人数を数えてみると、一枠平均百二、三十人であり、週刊誌情報の数字を裏付けるものであった。会場全体の俯瞰写真は琉球新報に載っていると云う。このように2万を越えるとは思えない参加人員を、何故11万と嘘をつかねばならないのか。会場で高校生に「真実の歴史を学びたい」と訴えさせながら、見え透いた嘘の報告をする主催者にやましい意図を感じるし、嘘の報道を垂れ流すメディアの姿勢に怒りを禁じ得ない。日本軍を誹り、日本の歴史に泥を塗る事なら手段を選ばない構図がここにも出ている。」

再び教会長より
奥村さんの文章の紹介はこれくらいにとどめますが、全体として言えることは、日本の歴史について軽はずみな反省をする前に、まず豊富な知識・情報を持つことがいかに大切かということを痛感します。あの悪名高い「河野談話」にしても、無知なままに軽はずみな謝罪をしてしまったがために、後々まで取り返しのつかない大きな禍根を残すことになってしまったのでした(これは河野さん一人を責めてすむ問題ではなく、まさにそのことに、我々島国日本人の外交力の未熟さや甘さが凝縮されているように思います)。
無知や勘違いや論点すり替えや独りよがりの生んだ文章の典型例を一つだけ挙げておきましょう。昨年ある大新聞の記者が書いたコラムです。

 「世界広しといえども大学に平和博物館があるのは、京都市北区の立命館大学国際平和ミュージアムだけだろう。過日訪れたとき、メッセージ性を持つ博物館だと思った。満州事変から日中戦争を経て太平洋戦争が終結するまでの、いわゆる十五年戦争の展示には日本の被害と加害の歴史が刻まれている。
 私は2枚の写真に目を奪われた。ほろのないトラックの荷台に乗せられて中国大陸を日本軍と一緒に移動する慰安婦たち……。その素顔は、はかなげで痛ましい。もう1枚は軍隊慰安所で順番を待って並ぶ兵士を切り取っていた。ここにも人間の悲しさがある。
 2枚の写真を前にすると、昨今の「強制」論議など、私のなかでは吹っ飛ぶ。慰安婦を強制連行したか否かを論じる以前に、日本軍は慰安婦を伴って戦争をした。この事実はまぎれもない。どう考えても人権問題であり、女性の尊厳の問題だろう。こうしたことが公然と許されていたのが「国民精神総動員運動」の進められた十五年戦争で、ここには戦争の本質が凝集されている。
 原爆投下を「しょうがない」と発言して辞任した久間章生・前防衛相は、その講演会で当時の国際情勢などに言及し、こうも述べた。「(原爆投下も)選択肢としては、戦争になった場合はあり得るのかなと」。防衛相は戦時下の残虐行為も「しょうがない」と考えているのではないか、と疑ったものだ。
 戦争には非人間的な考えがつきまとう。だからこの平和ミュージアムは、戦争のもつ非人間性を問い、過去と誠実に向き合おうと呼びかけている。(専門編集委員)」

こういうお粗末な発想がまだまだ大手を振ってまかり通り、しかも書いたご当人は、自分だけは過去と「誠実に」向き合っているつもりでおり、慰安婦問題批判派に対して「義憤」さえ感じているらしいのは、滑稽かつ情けないかぎりですが、このコラムがネット上でさんざん叩かれているのを発見したときは、少し救われる思いがしました。

奥村実さん H.22.5.8
普天間基地県内移設反対で騒がしいですが、4月25日の読谷村県民大会参加者数が主催者発表では9万人とされています。4月28日の朝日新聞朝刊に上空からの撮影写真が出ていましたので試しに人数を数えてみた処、凡そ5千人ぐらい計数出来ました。
この写真はテレビで見た全景画像と比べると会場全体の4分の1程が写っていると推定されますので、参加者は2万人程と云う事になります。子供ずれが多いので大人の実数は更に少ないかと思われます。
今度ばかりは間違いなく9万人が集まったと信じ込まされてましたのに当てにならないものです。

教会長より
やっぱりそうでしたか。それなのにマスコミは相変わらず主催者発表を無批判に(或は意図的に)垂れ流すだけだし、週刊誌もまだ書き立てませんね。それにしても、ウソの数字と事実との落差があまりにも大きすぎます。
ここであらためて高橋秀美の「からくり民主主義」という本を思い出しました。この本のことをネットで検索してみるだけでも、実にいろいろなことがわかりますよ。

教会長より H.22.5.18
やっと参加人数の誇張を指摘するメディアを見つけました。17日夕方の読売テレビで勝谷誠彦氏が、ある警備会社が集会の全景写真を分割拡大して計測した結果、なんと11569人に過ぎないことを暴露していました。 沖縄の人々の気持ちや言い分は理解しなければならぬとしても、集会の主催者が、何故主張全体の信頼性まで疑われることになるようなウソをつかねばならないのか、理解に苦しみます。

追伸 H.22.6.2
数日前のタカジンの「そこまで言って委員会」では、反対運動に対する北朝鮮の強い関与までもが取沙汰されていました。しかし、裏事情がどうあれ、ここまでこじれてしまったら、アメリカとの合意通りに実施することは無理と思われます。沖縄の負担軽減のための、もっとも"現実的"な方途としては、訓練を新田原基地に移す(自衛隊と共用)とか、訓練用空母を建造するという案が浮上しているみたいですね。 私の毎日は、相変わらずほとんど報いられぬ苦労の連続のようなものでありますが、ときたまおあてがい頂くこうした出来事から元気をもらって、どんな困難にぶつかろうとも、神様にすがり任せて、心配せず、恐れず、落胆せず、あせらず、そしてけっしてあきらめまいと自分に言い聞かせ、いつも嬉しく有難く元気な心で過ごさせていただきたいと努めておりますことを付け加えて、私の話を終らせて頂きます。
有難うございました。
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