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金光教高田教会、我が信心を語る
11 私の本音・実感
大和高田市 宗教法人 金光教高田教会|祈り、救いを求め、自分に正直に生きる。
もくじ
▲ 人間の本音や実感の中にこそ神が宿る
▲ 建前はつねに本音の側から吟味修正を加える必要がある
▲ 既成観念にひきずられて本音を見誤ることも多い
▲ 新聞の見出しに、本音・実感は必ずしも同調しない
▲ こんなときは建前論をふりかざしてみても意味が無い
▲ 私の本音・実感は、どの批判も浅いと感じた
▲ ひ弱さ無気力さは、日本人全体がかかえる深刻な問題である
▲ 戦後育ちは苦労を知らない温室育ち
▲ 兄達はクラスター爆弾で殺された
▲ 戦後の日本人は極端に摩擦に弱い
▲ 洗脳の結果、卑屈で国に愛も誇りも持たぬ人間が大量に生み出された
▲ 我々自身がそのようなひ弱さ無気力さ卑屈さを克服したい
▲ どんなときにも結局頼りになるのは、めいめいの本音・実感しかない
平成二十年九月二十二日 奈良県 桜井教会にて
人間の本音や実感の中にこそ神が宿る
 今更言うまでもないことであり、いつも聞いていただいているようなことではありますが、私にとりまして、この道の信心の有難いと思うところの第一は、何事でも神様に願うことができ、すがり任せることができることであります。人生のあらゆる局面において無力感と不安感にさいなまれる身として、これほどの救いはありません。
 そして、もう一つの大きな救いは、去年の春にもここでお話ししましたように、自分に対して正直でいられることであります。自分にウソをつかなくてよいことです。いつも自分のほんとうの心と向き合えることです。きょうはこちらの方のことについて話をさせていただきます。
 私は何を見聞きするにつけても、いつも自分の本音とか実感とかを大事にしながら生きているつもりであります。それが信心というものの大事な側面だと考えています。何故なら、人間の本音や実感の中にこそ神が宿るといいますか、いちばん神様が生きて働いてくださっていると信じるからであります。
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建前はつねに本音の側から吟味修正を加える必要がある
 本音という言葉に対して建前という言葉があります。お互いに対立する反対語のように思われがちですが、実際はこれらの言葉の内容は必ずしも対立ばかりするものではなく、重なり合う部分も多いのです。ほんとうはまったく重なり合うことが望ましいのであります。
 それなのに、なぜ重なり合わなくなるかのといいますと、私の考えでは、本音というものは時々刻々生きて変化をとげていくもので、しかも個人的なものであるのに対して、建前というものは、そういう個々人の集まりである集団の中に生まれたルールであったり、共通認識であったりするので、すぐには変化しにくく、ともすると固定してしまいやすいものだからであると思うのです。
 でありますから、もしも本音と建前とが重なり合わないような場合には、本音の側からその建前を吟味し、修正を加えていく必要があると思うのであります。
 或いは、本音の中に他人の権利を侵害したり集団の存立を脅かすような身勝手さを見いだしたなら、そういう本音を抑制する努力をする必要がある場合もあるかもしれません。いわゆる犯罪と称される行為は、たとえ本音であっても思いとどまるしかないのであります。しかしそれとて、何が許されて何が許されないかということの線引きがむつかしい場合が生じることは言うまでもありません。昔は姦通罪というものがありましたが、それでもその禁を犯さずにおれない男女はいました。それを一概に罪悪であると決めつけてしまうことはできないのです。
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既成観念にひきずられて本音を見誤ることも多い
 或いはまた、自分の心をあるがままに観る訓練を積んでいない場合、既存の建前や社会通念にひきずられたり、影響をうけたり、制約されたり、或いは何かに洗脳されていたりして(例えば毎日読む新聞ですが、朝日新聞をとっている人は知らず知らずのうちに朝日新聞に洗脳され、読売新聞を読む人は読売新聞にに洗脳されがちです)、自分の本音を見誤るということも大いにあり得ます。それと気づかずに自分をごまかして生きているというケースもけっこう多いものと考えられます。
 でありますから、私には、できるかぎり自分の本音・実感(語感として二つ並べたほうが意味が補い合えるような気がします)を正確に突き止めたいという気持ちがつねにあるのです。
 もちろん「信心は本心の玉を磨くものである」とあるように、「磨く」ということをおろそかにしてはならないのでしょうけれど、その前に、正邪善悪の価値判断はひとまず横に置いてでも、まず自分のあるがままの心を正確に把握した上で、その心が活かされ救われ立ち行くことを求めたいわけです。どこまでつきつめても、それが自分の本音・実感であるとか、それを正確に言葉で表現しえたという確証があるわけではありませんが、そんなことを言っていたのでは何もものが言えなくなってしまいます。
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新聞の見出しに、本音・実感は必ずしも同調しない
 世の中の動きをみるに際しても、何事でもできるだけ本音・実感で観ようとする目が働きます。今頃はちょうど自民党の総裁選ですが、その端緒になった福田首相の電撃辞任については、実に様々な批判が飛び交いました。
 翌日の新聞の見出しには「あまりに無責任」という文字が踊りました。また多くの人がそのように批判しました。しかし、私の本音・実感は、必ずしもそれに同調しません。それまでさんざん何時やめるか何時やめるかと予想し、早くやめてしまえと言っておきながら、いざやめたとなったらそれはないやろ、もう少し気のきいた見出しのつけかたはないのか、批判の仕方はないのかという感じを持ちました。
 ちょうど私方の教会の信徒の小松知広君も感じたことは同じとみえて、「日常にうるおいを与える考察」というブログに「リーダーの育たない風土」と題してこんな短文を書いています(http://hekokimushi-komatsu.cocolog-nifty.com/blog/)。

 「『辞めろ!辞めろ!』と引きずりおろし、辞めたら辞めたで『無責任!』。何のこっちゃ?」
 
 もともと福田さんが総理に選ばれたのは、参議院の議席が逆転し、安倍内閣が倒れたときから、自民党にとっては、誰の内閣のもとでいつ衆議院の解散総選挙を行なうのが、いちばんダメージが少ないかを考えて、当時としては最も無難で安定した感じの福田さんを選んで立直しを図ろうとしたからです。
 ところがそれがうまくいかず、支持率が低迷したことで、どうしても次の誰かを選ばねばならなくなりました。いつやめてもおかしくない政治情勢が続いていたということは、誰もが認めるところでした。それを今更、建前論で無責任呼ばわりされても、ということなんです。
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こんなときは建前論をふりかざしてみても意味が無い
 こう言うとすぐ、そんなのは党利党略ばかりで国民の方を向いていない、という建前論を振りかざす人たちがいます。それも違うと思うのです。
 政党政治のもとでは、国民の為にに奉仕することさえも、普通は党利党略と抱き合わせでしか行なえない仕組みになっているのです。たまには例外もあるでしょうけれど、そんなときはよほどの緊急事態です。そういうことはむしろないほうが幸せなのです。(この後まさにアメリカの金融危機が起こり、それに対処するため超党派で解散を延期せざるを得なくなりました)
 もともと議会制民主主義というのは、最も理想的な政治形態というのではありません。人間がみな不完全なものである、欠点だらけの存在である、ということを前提にした上で採用される、最も無難な政治形態であるというに過ぎないのであります。
 それで、党利党略という点からしますと、つまり福田さんの立場からしますと、この時点に至っての辞任は、八方塞がりの中ではまだしもマシな選択であったように思われます。一石三鳥の効果をねらったものと思われるのです。
 一つは、もう大方の人たちが知っているように、民主党の総裁選挙にそれをぶつけて、お祭り騒ぎに盛り上げ、民主党の陰を薄くしてしまったこと。
 二つ目は、公明党に無理矢理飲まされた理不尽な要求を、一応は白紙に戻して、一矢報いたことです。これが公明党にとってかえって思う壺なのか、マイナスになるのか、今のところまだよくわかりませんが…。
 三つ目は、見事にマスコミ等の裏をかいてみせたこと。
 福田さんはマスコミ等に何かをする日にちを嗅ぎつけられるのが嫌いでした。嗅ぎつけられると必ず日を変えました。内閣改造も日を早めました。いろいろ辞任が予測される中で、誰も予測できなかったタイミングに辞意を表明することで、せめてもの抵抗を示したと言えます。
 ですから、私が考える見出しとしましては「なるほどそう来たか」とでも書きたいところです。こんなときは、国民の方を向いていない、などという建前論をふりかざしてみても、あまり意味が無いと思うのです。
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私の本音・実感は、どの批判も浅いと感じた
 そして会見の最後のところで、「首相の言葉は人ごとのようだという批判がある」というある記者の質問に対して「私はね、自分自身を客観的に見ることができるんです。あなたと違うの」とやり返したのも格好の餌食になりました。
 私もあの情景を同時進行で見ていましたが、建前から言えば、首相らしからぬ大人げない態度なのに、私の本音のところでは、それを責め立てたりあざ笑ったりする気があまりしていないのです。むしろ最後にそういう破綻を見せたことが、微笑ましいような、同情を誘われるような気持ちがしました。
 はたして、あの最後の捨て台詞は意外な人気を博して、流行語大賞の声がかかるほどの反響を呼びました。悪く言いたい人は、そこに批判やあざけりの気持ちが多分に含まれていると言いたいのかも知れませんが、私にはそのようにやみくもにえらそうに批判する人たちへの反撥心も含まれているように見えます。
 「私は自分を客観的に見ることができるんです」という言葉にも、多くの人がかみつきました。客観視できるのならどうして首相を引き受けたのだと揶揄する評論家がいましたし、自分を客観視することなどどだい不可能なので、それができると思うのは自惚れに過ぎないと諭す作家もいました。
 しかしここでも私の本音・実感は、そういう見方はかえって浅いと感じました。陳腐だと感じました。どんな批判も羽毛のように軽いと感じました。
 物事にはすべて人智を半ば超えた流れがあり、順序があり、段階があり、時節があります。昨年の時点では、福田氏が最適であると大多数の自民党議員が考え、やむを得ず貧乏くじをひくなどと予防線をはりながらも、福田氏自身がそれを引き受けたのには、それなりの必然性があったと思うのです。たとえ今は麻生さんが有力であるといっても、あの段階で麻生さんが選ばれるのは絶対に無理であったのです。
 また、客観性があろうとなかろうと、世の中やってみなければわからぬこと予見できぬことばかりです。何事も、時節の中で順序を踏み段階を経て成っていくものなんです。
 連立政権でしかもねじれ国会という悪条件の中でいろいろと試みたあげく、支持率は低迷、自分の内閣で解散して選挙に望むのは無理と見切りをつけたなら、どういう形で次に引く継ぐのが党利党略として最善かを考えて当然です。そしてその判断はある程度客観的であったと言えるのです。そういう自己評価に少々ケチをつけてみたところで、実質的に何を批判したことにもなりません。
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ひ弱さ無気力さは、日本人全体がかかえる深刻な問題である
 そして行き着くところ、やっぱり二代目、三代目の世襲政治家は駄目だ、の大合唱となります。ひ弱だ、たくましさがない、ねばりがない、執着心に乏しい、などなど…。中には、もっと首相の地位に恋々とすべきだというのまでありました(「恋々」というのは普通は否定的な意味に使うのですが)。
 それに対する私の本音・実感は?
 そんな精神論は政治批判としてはほとんど無意味だと感じます。また、それは本当に二代目、三代目だけの問題だろうか、また福田さんだけの問題だろうか、という気がしてならないのであります。
 それにしましても、私が福田さんについて一番気に入らなかった点は、例のあの「他国の嫌がることをわざわざする必要はない」という発言や対処法でありました。
 個人の行動原理としてはそれでもよいと思います。自分だけのことですむのですから…。私自身も人と摩擦を起こすのが嫌いで、善し悪しを別にしても、たいていのことは我慢してしまいます。よほどのことでない限り、あまり強い自己主張はしません。しかし集団の問題となるとそうはいくまいと思うのです。
 他国の嫌がることはしないということを、どの国も同じようにしてくれるならいいですけれど、他国は絶対にそんな配慮はしてくれません。竹島を武力で占拠されても日本は何もできないばかりか、自国領であることを教科書だか指導要領だかに盛り込もうとしただけで、相手の政府からも国民からも猛烈な反撥を受けました。すると福田さんはそれさえ撤回しようとしたのです。
 中国との国境のガス田開発にしてもしかり。向こうはしたい放題にしておいて、日本が現地を調査しようとしただけでも、軍隊を差し向けて脅しにかかります。するともう何もできないのです。
 そういうひ弱さ無気力さというものは、福田さん一人のことではなく、二代目三代目だけのことでもなく、私にはそれが今の日本人全体、とりわけ私たち戦後育ち全体がかかえている深刻な問題なのだという気がしています。多少の個人差はあっても五十歩百歩、えらそうにきびしく批判する人さえ、実際はそんなに変わらないのではないかと思うのです。
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戦後育ちは苦労を知らない温室育ち
 敗戦時私は小学校二年生でした。戦前の教育は受けましたが、さほど深い痕跡は残っていません。敗戦を境に学校教育は百八十度変わったので、不信感は残りましたけれど、頭の切り替えにそれほど苦労はしませんでした。高学年になるほどそういう苦労は大きかっただろうと思います。
 戦後育ちということをどこで区切るかは難しい問題ですが、一応敢えて区切るとすれば、戦時下の苦労を直接にはかぶらず、まだあまり知恵もついておらず、しかも戦後教育の影響の方が強くなる、当時の小学三年生以下、つまり今の七十一、二歳以下ということになりましょうか。福田さんはその上限ということになります。
 もちろん例外はあります。しかし戦災に遭ったり、学童疎開を経験したりした一部の児童を除けば、この世代以下は、多少戦前戦後の食糧難、物不足は経験したものの、それ以上の苦労はあまり体験していません。ましてやその後の世代は、ほとんど苦労を知らない温室育ちであると言っていいのです。
 その食糧難にしても、都市部と郊外や農村とではずいぶん違ったものであったようです。私が育った教会でもかなりひもじい思いはしましたけれど、それでもあるとき、親類筋の大都市の教会で、大勢の家族が食べているものを一緒に振舞われて、それが何であったかは覚えていませんが、まずくて喉を通らなかったことだけははっきりと覚えています。
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兄達はクラスター爆弾で殺された
 吹田市にあった私の実家でも、それはひどいものであったようです。外に出た私以外に、男七人女二人のきょうだい達がいたのですが、そのきょうだい間の「生存競争」だけでも激しかったようです。たいがいは均等に分けてはいたのでしょうが、そうでない場合は、うかうかしていると食べられなくなってしまうこともあったので、みんな早食いになってしまったそうです。それでも結局、一番下の二人の弟達は育たず、赤ん坊のうちに死んでしまいました。
 また、終戦直後の思わぬ時期に、あの悪名高いクラスター爆弾による被害を蒙ることにもなりました。それによって二番目の兄と四番目の兄が殺されました。
 最近の新聞記事にも、第二次大戦でこの爆弾が使用されたことが報道されていましたが、今は次兄と私が言っている三番目の兄が、戦後六十年以上経ってはじめて、自身の被害体験を書き記したものを教会のホームページに寄稿してくれましたので(談話室関連資料1「昭和一桁・最後のぼや記)、その一部を紹介してみます。

「…この兵器が最初に使用されたのは第二次大戦からで日本に対しても使用された。このことは全くと云っていいほど問題にされず話題にもなって来なかった。どの程度の規模で使用されたのか不明だが、少なくとも昭和二十年六月の大阪東淀川地区の空襲には使われたのである。
 何故そう云えるかと云えば私がそれによって被害を受けた当人だからだ、その経緯を述べると終戦直後の昭和二十年八月下旬、その地区の焼け跡整理に大阪北郊の府立茨木中学校二年生も動員されて、私の次兄はその一員であった。周辺には不発の小型爆弾がごろごろ転がっていて、中学生達の好奇心をそそった様だった。それがクラスター爆弾だとは誰も知る由もなかった。中にはそれを拾ってキャッチボールをする者達もいた。警戒心をなくしていたと云う事だ。引率教師の指導はどうだったかは判らない。その子爆弾の一つを警戒心を失ったらしい次兄は拾い、家に隠し持って帰ったのだ。人の手を経て来たことで家でも警戒心をなくしていた。半年後の昭和二一年三月一五日、兄弟四人が集まった庭で、その一キログラムに満たない風車の付いた不発小型爆弾が、庭石に向かって落下した瞬間爆発し四人を吹き飛ばした。
 済生会吹田病院に収容された四人のうち、次兄と小学校四年の文学好きの弟は、内蔵を露出した状態で一両日の間に相次いで絶命した。中学一年の私と五歳の弟は命拾いはしたが、共に五体不満足になった。私について云えば左足親指は千切れ、右下肢の骨が粉砕骨折し、その際、前頸骨筋の一部を失ったために、足の先を持ち上げることが出来なくなった。同時に右眼球破裂で隻眼となった。右足切断の必要があるとされたが、手術道具が無いとかで切らずにすんだ。薬はリバノール液だけで化膿が甚だしく、入院半年、全治九カ月を要した。…」

 以来六十年以上、片方の眼だけでものを見、読み書きもして来なければならなかった不自由さは想像を絶するものがあります。しかしよくしたもので、兄は(また足の不自由な弟も)そのハンディーを跳ね返して、きょうだいの中では彼らだけが、いわゆる一流大学を出ているのです。
 彼らはこれほどひどい目に遭ったのだから、コチコチの反戦平和主義者になってもおかしくはないのでありますが、そうはならず、DNAがそうさせるのか、考えることが私とよく似ています。みんな一見正義の主張と見える論の中に、どうしてもウソや歪曲や誇張や片寄りや党派的意図や偽善の匂いを嗅ぎ取ってしまう傾向があるようなのです。従軍慰安婦問題や沖縄集団自決問題などに対する考え方などもそうです。
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戦後の日本人は極端に摩擦に弱い
 そのように戦後育ちの一番上の年齢層、及び更にその上の年齢層は、人生の最初の出発点においては大変な辛酸をなめました。しかしそれ以後は、アメリカの属国として、物質的には世界中でいちばん恵まれた楽な生活をするようになりました。温室で暮らすようになりました。長寿世界一、二位ということはそういうことなんです。生存に最も適した環境に置かれているということなんです。
 それなのに戦後の日本人は、悲観的で、自虐的で、不平不満が多く、わずかな困難にも耐え難いような騒ぎ方をします。辛酸をなめたはずの世代でさえ、楽な生活が続けば抵抗力が鈍るようです。
 そして平和主義と言えば聞こえがいいのですが、実際はアメリカの庇護に頼ってきただけの、ひ弱な温室育ちであるため、極端に摩擦に弱いのです。他国に比べて、政府もマスコミも国民もおしなべて、外国と激しい言葉や感情の遣り取りをすることに対して神経がもたないのです。それですぐ引いてしまおうとします。近隣諸国の政府からも、押せば必ず引く国だと、すっかり足下を見透かされているのであります。
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洗脳の結果、卑屈で国に愛も誇りも持たぬ人間が大量に生み出された
 このように日本人がひ弱で無気力でその上卑屈になってしまったのは、単に温室育ちだからというだけではありません。それは戦勝国による洗脳の結果でもあります。占領政策は経済的な締め付けはわりあい穏やかで、敗戦による餓死者もあまり出ませんでした。精神的にもかえって自由な解放感を味わいました。軍備に金をかける必要が無くなり、未曾有の繁栄がそこから始まりました。戦争に負けてかえって幸せであったとさえ思うようになりました。
 それと引き換えに、彼らは、日本人に大きな罪悪意識を植えつけ、国に対する誇りや愛を奪うための教育や宣伝だけを徹底的に行い、それが見事に功を奏したのです。おまけに独立後も、進歩派マスコミや教育の場でもそれがそっくりそのまま受け継がれてしまいました。それが国を愛さず国に誇りを持たない日本人を大量に生み出しました。そのことのマイナス効果は年月が経つほどに効き目をあらわし、弊害を生み続けているように思えてならないのです。
 数年前、五十年ぶりに母校の中学校に用事があって行ってみると、何の意図があってのことなのか、廊下に伊藤博文を暗殺した安重根のことを書いた張紙が張り付けてあるのがチラっと見えました。相変わらずだなと思いました。読む時間はなかったけれど、明治維新に果たした伊藤の功績よりも、伊藤を暗殺した安重根のことを持ち上げて書いているに違いないと思いました。
 日本の歴史の欠点と見えるところばかりをほじくり出そうとするのは、反省のないところに進歩はないという考え方なのでしょうが、そんなことばかりしていてプラス面をバランスよく教えないと、というより、歴史教科書ではプラス面の方をより多く教えないと、対外的にどうしても卑屈な人間になってしまいます。だからどこの国でもそうしているのです。子供の教育はある程度きれいごとになるのは仕方がないとしても、一人前の大人が日本の過去を反省しようとするなら、それと同時に、外国の恐ろしさ、ずる賢さ、したたかさ、理不尽さなどもしっかりとわきまえるようにならないと、まともな外交ができなくなってしまいます。おまけに中国、韓国、北朝鮮などでは、真実をゆがめた一方的な反日教育がなされているようです。そんな人たちを相手にしていかねばならないのです。
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我々自身がそのようなひ弱さ無気力さ卑屈さを克服したい
 そして繰り返しますが、こういうひ弱さ、無気力さ、卑屈さは福田さんだけの問題でも、二代目三代目だけの問題でもなく、我々国民全体の問題なのです。
 でありますから信心さしてもらうものとしては、自分たち自身のそういうひ弱さ、無気力さ、卑屈さをまず自覚し、できるだけ克服して、もっともっとたくましさや粘り強さを身につけさせてもらいたいと、切実に願わずにおれないのであります。この国を愛するが故に、庶民は庶民なりにこの国が良くなることを一生懸命考えさせてもらい、国の行く末を願わせてもらいたいと思うのであります。
 党派的には私自身には特定の支持政党はなく、今度の選挙も、自民、民主どちらが勝っても先を楽しむことにしております。
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どんなときにも結局頼りになるのは、めいめいの本音・実感しかない
 今日はたまたま福田さんの話題から、芋づる式に思いつくところを語らしてもらったのですが、結局申し上げたいことは、このような政治の問題に限らず、我々の日常生活の中で何を見聞きしても、結局どんなときにも、価値判断や行動選択の頼りになるのはめいめいの本音・実感しかない、ということを申し上げたかったのであります。
 と言いましても、人間の心は弱いもの、頼りないものです。神様に頼ることを抜きにしては、心が活かされることも救われることも立ち行くこともおぼつかないのです。偽りの情報、誤った情報にもすぐ振り回されてしまいます。何事にも神様を杖に、できるだけ質のよい情報を豊富に取り入れながら、本音・実感を頼りに判断させてもらいたいと思うのであります。
 そのようにしながら自分の心と一生懸命向き合おうといたしますと、あまり軽々しくものが言えなくなります。どうしても慎重になります。言葉を練るようになります。言葉を選ぶようになります。結果的に考え深くなります。おしゃべりだった人も無口になるかもしれなません。

 去年も取り上げさせてもらいました「自分に正直に生きる」ということを、少し違った角度から考えてみますと、こういうことになると思うのであります。
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談話室より
教会長より 

今回の稿の発表をややためらう点がありましたのは、まず構成に難があるという点です。兄の手記が無理やり不自然にはめこんだような感じになっていはしないかと思うのと、いつもながら、つい政治がらみの話になってしまって、普通の信者さんの興味をそいだり、反発を呼んだりする心配があったからです。しかし、政治の話は誰にとっても大切な共通の話題として、かえってとりあげやすいという長所がありますし、話の流れで兄の話をどうしても入れたくなった気持ちもわかっていただけるかと思い、踏み切りました。
低次元の本音・実感にこだわり過ぎて、宗教家らしく世界平和や人類愛を説くことがおろそかになっているように見えるかもしれませんが、それらのこともいつも頭の片隅から離れないのだということも付け加えておきます。


坊っちゃん(男36歳) H.20.10.7

政治経済に対する理解力がなく、戦争のこととかにも詳しくない私ですが、順を追って読みやすかったです。
お兄さんの生々しい体験談は、被害に遭われたときの状況が、かなりのインパクトとして伝わってきました。読まれる方々も、きっと「もし、自分がそんな目にあったら・・・」と、ゾッとされるとは思いますが、そのゾッとすることがとても大切なことだと思いました。

本音と建前のことにしても、国を含め集団のことにしても、普段、新聞やマスメディアが書き連ねる非難や批判のオンパレードの情報を、そのまま「そうだ! そうだ!」と受け取るばっかりの人たちには、先生が書かれていることが新鮮で、「そうやなぁ」と気づくきっかけにもなると思います。

最初と最後で、自分の本音とか実感の大切さを書いておられますし、途中読むのがしんどいなぁと思いはるような方でも、先生が言おうとしてはることは伝わるように思いました。
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