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金光教高田教会、「血脈」を生んだ霊現象
3 「血脈」を生んだ霊現象
大和高田市 宗教法人 金光教高田教会|祈り、救いを求め、自分に正直に生きる。
もくじ
▲ 死生の安心を得る足しになりそうなお話
▲ 繰り返される佐藤家一族の悲喜劇
▲ 最初の種をまいた佐藤紅緑
▲ 子供達はほとんどみな悲劇的な最後
▲ ハチローもまた父と同じ道をたどる
▲ その子供達もやはり悲劇的な最後
▲ たくましく生き抜く女たち
▲ 超常現象に悩まされ、愛子「血脈」を書き始める
▲ 「血脈」執筆により佐藤家の浄化がはじまり、霊現象鎮まる
▲ 先祖と我々とは、お互いもちつもたれつ
▲ どんな人の人生にも、それぞれに意義がある
▲ こちらの方が死後の世界
▲ 信心は自分の自由意志を助かり立ち行く方向に向ける修行
▲ そういう死生観を持てることが有難い
平成一七年五月八日 奈良県 柳本教会にて
死生の安心を得る足しになりそうなお話
 私は常々、宗教がもたらす救いは、主として三つあると考えております。
 第一に「現世利益」、と言いますと、昔から賢い人達からはあまり良くは言われませんが、これを抜きにしては、庶民の救済はあり得ません。ただし、「ご利益」、言い替えれば「おかげ」ということには、考え方に大きな幅があります。今はそのことには触れません。
 その上で第二に「人間存在の根拠(を示す)」ということがあると思います。
 第三に、いわゆる「死生の安心」ということがあると思います。
 その意味で、旧教典は問題点もあったかわり「道教えの大綱」はとてもよく出来ていたと思います。
 と言いますのは、最初の三行でそれら全てを言い尽くしているからです。
 ご承知でしょうが、こうなっております。

 一行目。「今月今日で一心に頼め。おかげは和賀(わが)心にあり」
 これは現世における難儀救済・祈願成就の約束です。

 二行目。「疑いを放れて広き真の大道を開き見よ。わが身は神徳の中に生かされてあり」
 「わが身は神徳の中に生かされてあり」。これが「人間存在の根拠」です。

 三行目。「生きても死にても天と地はわが住みかと思えよ」
 これが本教の死生観を示す教えです。

 今回は、この三番目の「死生の安心」というものを得ようとするについて、少しなりと足しになりそうなお話をさせて頂きたいと思います。
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繰り返される佐藤家一族の悲喜劇
 NHKで「ハチロー」というテレビドラマを、一月から三月までやっていました。
 原作は、佐藤愛子さんの「血脈」という小説です。十二年がかり、原稿用紙三千四百枚、文庫本にして二千ページに及ぶ大作です。普通の人達からみると常識外れの悲喜劇を、何代にもわたって繰り返す、佐藤さん自身の一族の人々の姿が克明に描かれています。
 テレビでは、その中の、今でも数々の流行歌や童謡の作詞で有名なサトウハチロー(唐沢寿明が演じていました)を中心にドラマ化されていましたが、必ずしも原作通りではなく、原作の方がもっとおもしろいように思います。分量からいっても、とても九回ぐらいの連続ドラマでは再現しきれるものではありません。
 その「血脈」執筆にまつわる不思議な霊現象を中心にして聴いていただこうとしているわけですが、本題に入る前に、まずその「血脈」に登場する主な人物のあらましを紹介してみます。
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最初の種をまいた佐藤紅緑
 物語の発端になるのが、佐藤愛子さんの父親の佐藤紅緑です(テレビでは原田芳雄が演じていました)。今ではほとんど忘れ去られてしまいましたが、生きていた当時は、売れっ子の大衆小説家であり、少年少女小説家でもありました。
 「ああ玉杯に花うけて」という少年小説が、今でも一番人々の記憶に残っているようです。
 この紅緑という人は、子供の頃から規則や人に束縛されることが大嫌いでした。したがって学校生活が大嫌い。記憶力は抜群でしたが、名うての乱暴者として退学転校をくりかえし、弘前中学を退校になってからは、無断で郷里弘前を飛び出して、国家主義者として名高い陸羯南という人の書生となりました。
 二十代には新聞記者などをして、いわゆる国事に奔走していましたが、三十を過ぎてから、あるときたまたま出入りしていた新派の劇団の芝居を見て、「こんな芝居ぐらい自分でもすぐ書ける」と豪語したのです。
 「それなら書いてみよ」と勧められて書いた芝居が大当たりし、以後、劇作家、小説家として、才能を大きく開花させることになりました。
 紅緑は高い理想の持ち主ではありましたけれども、一方では、激しい情念に引きずられる自分を制御できず、金が入るようになってからはしたい放題、子供五人の他に、妾との間にも一児をもうけました。
 さらに三笠万里子という女優(原田美枝子が演じていました)に恋をして、妻子を捨てて、強引に万里子と一緒になり、三児をもうけました(一人はすぐに死亡)。佐藤愛子さんはその三番目の子です。
 紅緑にとっては初めての真剣な恋で、妾とも縁を切り、妻のみを愛したのですが、妻の方は、紅緑に引きずられながらも、女優として大成したいという夢をつぶした夫を生涯うとんじ、紅緑は生涯、妻の機嫌に一喜一憂しなければならぬ羽目になってしまったのです。
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子供達はほとんどみな悲劇的な最後
 そんなわけで、最初の妻(離婚数年後に死去)との間にできた子供達、後に有名人となった長男八郎をはじめ、四人の男子はことごとくグレてしまい、成長するにつれ、父親を精神的にも経済的にも徹底的に苦しめるようになります。
 父親同様、揃いもそろって束縛されることが嫌いで、ケンカ好きで、女好きで、その上、ある者はウソつきだったり、ホラふきだったり、なまけ者だったり、浪費家だったりで、そのあげく、八郎以外はすべて悲劇的な、それでいてどことなく喜劇的な要素もまじる死を遂げたのです。

 まず一番下の久(ひさし)という人は、わずか十九才で、年上の女性と心中を図り、女性は生き残って自分だけが死にました。
 下から二番目の弥(わたる)という人は、終戦間近に兵隊に取られて、フィリピンに渡り、戦車に乗って移動中、暑さを我慢できず、戦車の蓋を開けて首を出したところを砲弾の破片に頭を吹き飛ばされてしまいました。きかぬ気が災いして、その部隊で唯一の戦死者となってしまったのです。
 上から二番目の節(たかし)は、妻以外の愛人と広島の旅館に宿泊中、原爆に遭い、触るとくずれるほど一瞬にして炭化してしまっていたのが確認されました。生き地獄を味わわなくてすんだだけ、広島の死者のうちではいちばん幸福な部類だろうと愛子さんは言っているのですが…。
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ハチローもまた父と同じ道をたどる
 唯一人、八郎は、手のつけられない不良少年として何度も警察に補導され、それがそのまま大人になったような人だと言われながらも、詩人、作詞家、随筆家などとして世に認められ、精力的に仕事をこなしました。
 そして父親同様、最初の妻を捨てて、二人目の妻るり子(鶴田真由が演じていた)に三人の子を育てさせました。そのるり子にも二人の男子ができて、男子は合計三人になりましたが、三人とも見事にグレて父親を苦しめました。
 おまけに、若い愛人蘭子が同時にいて、妻妾同居という言葉そのままに、体の弱いるり子の手助けをさせました。そして子供は生まなかったけれど、るり子の死後、正式の妻の座におさまるのです。

 そんな中にあっても、八郎が戦中に作詞した「りんごの唄」は戦後大ヒットしました。その頃の国民最大の娯楽であった、NHKのラジオ番組にも出演して人気を博しました。
 私も、ちょうど子供の頃のことで、よく覚えています。
 紅緑が死んだ年の昭和二十四年、八郎は、同じくラジオ番組の人気者であった徳川夢声と共に、昭和天皇の話し相手として宮中に参内しました。そのことを八郎の口から聞かされ、戦後も変ることなく皇室を崇拝した紅緑は感涙にむせび、その感激を日記に書き記したのが絶筆となりました。
 それは恐らく、八郎がなした最高の親孝行であったろうと思われます。

 昭和四十八年、七十才になった八郎は、勲三等瑞宝章を授与されるという日の朝、突然の心臓停止で亡くなります。千人に一人あるかないかの楽な死に方だと医者が言うのを聞いて、人々は、やっぱり彼は特別に神に祝福された人だった、と言い合ったそうです。
 おまけに、急死したことで、急きょ正五位の位まで授けられました。
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その子供達もやはり悲劇的な最後
 しかし、その栄光の陰で、二カ月後には八郎の三男の五郎が死に、二年後には長男の忠(ただし)が死んでしまいます。二人とも野垂れ死に同様の死に方でした。
 五郎は十四才で年上の使用人の女性と駆け落ちし、一児をもうけます。使用人といっても、ハチローの詩が好きで、内弟子になりたくて上京してきた女性を体よく女中にしてしまったのです。
 そしてハチローのいわゆる「お手つき」なってしまっていたのでした。

 ところが五郎もまた親や祖父と同様、その女性を捨てて、他の女性との間に四児をもうけました。
 屑屋をやったり、料理人になりそこねたりしているうちに、アルコール中毒で廃人同様になっていました。
 最後の死因は胃ガンでした。

 忠も妻子に見捨てられ、一人であちこち放浪生活をしていましたが、親の遺産を受け継いでわずか半年しか経ていないのに、死んだ時には、現金千四百万は六三七円しか残っておらず、株券や国債の行方はわからなくなっていました。
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たくましく生き抜く女たち
 紅緑の妻シナ(三笠万里子)はといえば、あまり夫を愛してはいないのに、それでも最後まで献身的に夫の世話をしました。腹違いの息子たちを、可愛がることはなかったけれども、粗末に扱うこともしませんでした。
 そして、嫌な顔もせずすることだけはきちんとしたので、いつのまにか、息子達からも一目も二目も置かれるようになりました。
 そして、困った兄達ではありましたが、腹違いの妹達をいじめる者は一人もおらず、みな妹達を可愛がりました。

 シナは八郎が亡くなる前年、昭和四十七年に亡くなりましたが、その三年前の昭和四十四年には、末娘の愛子が直木賞を受賞するのを見届けて死ぬことができました。
 シナをはじめ佐藤家の男子に関わった女性達は、夫を亡くした後も、おおむねたくましく、ある意味幸せに生き抜いていきます。

 紅緑の末娘の愛子さんはしかし、結婚に二度失敗します。一度目は夫の覚醒剤中毒で破局、二度目は、夫のつくった莫大な借金を背負わされての破局でした。
 愛子さんには、もうひとり、血のつながった兄として、父の妾の子である真田与四男がいました。佐藤家の血をひいて、偏屈ではありましたが、いちばんまともな人間で、大垣肇というペンネームで劇作家になりました。大垣は晩年、はじめて愛子さんに会えたことをとても喜んだそうです。
 そして昭和五十四年に亡くなります。それが男きょうだいの最後の生き残りでした。
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超常現象に悩まされ、愛子「血脈」を書き始める
 そしてここからが今日の話の本題なのですが、その頃から愛子さんは、さまざまな、いわゆる超常現象に悩まされ始めたのです。それは、家の中の物がやたらに移動するというような現象から始まったそうです。
 それまで彼女は、日本の多くの知識人と同様、神仏などというものをまったく信じていなくて、人間は死ねば無になると考えていたそうです。しかし、そのことで思い余って、霊能者や心霊研究者に相談を持ちかけ、指導を受けるようになったといいます。
 その間、人にはとうてい理解できないだろうから言わない、というくらいの苦しい心霊体験の中から、「血脈」という小説を書くことを思い立つのです。

 そして書き進めると、八郎や節や弥や久や一人一人の人物を書こうとするたびに、その人物になりきって、自然に書いていくことができたそうです。まるでその人物が自分に乗り移ってきて、書かされているという気がしたといいます。
 また以前は、困った父だ、困った兄達だ、困った甥っ子達だとしか思えなかったのが、良いところも悪いところもありのままに書いて、彼らを理解しようとすることで、彼らすべてを愛することができるようになったというのです。
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「血脈」執筆により佐藤家の浄化がはじまり、霊現象鎮まる
 霊能者達の言葉によりますと、八郎が出てきて「愛子が俺のことを書こうとしてるけど、書きたいなら書け、だけど一言だけ言っとくけど、女の問題では、俺はその都度、誠心誠意愛したんだ」と言ったとか、「血脈」を書き終えたとき、変わり者として有名であった祖父(紅緑の父)が出てきて、「ご苦労だった」と言ったとかいいます。
 また、二、三十人の男女が固まっているのが見えて、一人ひとり螺旋を描きながら上空へ昇っていって、雲と雲との切れ目からスッと入っていく情景が見えるということで、これは愛子が「血脈」を書いたことで、佐藤家の浄化がはじまっているのだと言ったともいうのです。

 そしてそれを書くようになって、やっと苦しい霊現象が鎮まったそうです。だから、自分は佐藤家を浄化するというか、鎮魂する使命を与えられていたのではないか、と愛子さんは思い、それをわからせようとして、これでもかこれでもかと、佐藤家の霊達が不思議な現象を起こしてみせたのだろうかと思うといいます。
 佐藤家の人々は、この世にいるときも、みな気性も行動もはげしかったので、何かをうったえようとすると、その現れ方もそれだけ激しくなったのかもしれません。
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先祖と我々とは、お互いもちつもたれつ
 そういう霊現象によって、佐藤家の霊達は、一体愛子さんに何をうったえたかったのか、何をしてもらいたかったのか、鎮魂とは、浄化とはどうすることなのか、簡単にわかった気になるのはあぶないと思いますが、一、二言えることはあると思います。

 金光教祖の教えに「死んだ者のそばで泣いたり悲しんだり、悪いことを言うものではない。御霊が苦しむ。ほめてやれば御霊が浮かぶ」という教えがありますが、愛子さんの場合は、別に霊をほめたたえようとしたわけではありません。亡くなった人たちの生涯を、ただあるがままに理解しようとしただけです。
 けれども、そのことを通して、その人たちを愛することができるようになった、そのことが結果的にいわゆる鎮魂につながったらしいのです。

 一つ思いまするに、霊様にとってつらいことは、無関心ということなのではないでしょうか。
 子孫に忘れ去られることが、とてもつらいことなのではないでしょうか。
 神仏を信じない、死ねばそれでおしまいと子孫がみな考えていたなら、当然、神仏を祀ったり、祭祀や法要を営んだりして、死者に関心をむけることも少なかろうと思います。そういう状態が、先祖の霊にとってとてもつらいことなのだということを、この霊現象の話は物語ってはいないでしょうか。

 教えにも、信心することで、自分一人だけではなく先祖までが助かることになるとありますが、その逆に、子孫が神仏や霊魂を信じないと、先祖も助からないということになるのではないかと思います。
 また先祖が助かっていないために、子孫が難儀をするという話もよく聞きます。
 この世とあの世とは、けっして無関係なのではなくて、密接に関り合っていて、先祖と我々とは、お互いにもちつもたれつの間柄なのだと考えた方がいいようです。
 先祖に感謝し先祖のために祈ることで、先祖も子孫も共に救われていくのだと思います。
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どんな人の人生にも、それぞれに意義がある
 もう一つ思いますのは、どんな人の人生にも、みなそれぞれに意義があるということです。
 佐藤家で言えば、紅緑や八郎のように功なり名遂げた人物の生涯にのみ意義があるのではなくて、一見不本意とみえる生涯を送らねばならなかったような人々の人生も、それぞれに意義があったはずなのです。

 佐藤家の霊様達もそのことを認めてもらいたかったのかも知れず、それを愛子さんが理解しようとした姿勢が「鎮魂」につながり、「浄化」につながっていったのではないかと思うのです。
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こちらの方が死後の世界
 その佐藤愛子さんが、このごろよくテレビに登場する江原啓之という霊能者と対談をした本が、三、四年前に文庫本で出たことがありました。
 その中での江原さんの発言の中に、著しく私の心に響く内容の言葉がありました。それは「再生」、すなわち「人間は生まれ変わる」ということを前提にしての話ではあるのですが、人がこの世に生まれ変わってくるときは、その世話をしてくれる霊様たちから、これからつらいつらい修行に出るんだということで、涙ながらに送り出されてくるのだという話でした。
 つまり霊界の人たちに言わせれば、こちら側の方がむしろ死後の世界で、あちらの方が生の世界なのだそうです。ですから、人が生まれるときも死ぬときも、あちらとこちらとでは受けとめ方がまったく逆で、生まれてくるときは泣きの涙で送り出し、死んだときには、よく帰ってきたとにこにこ顔で迎えるのだそうです。

 お気づきの方もおられましょうが、実は教祖様も、もとお侍であった津川治雄という方に、それとそっくりなことをおっしゃっているのです。

 『人間は、生まれる時に証文を書いてきているようなものである。生まれたといったら、その時に悔やみを言いに行ってもよい。それくらいのものである。どういう災難があるとか、こういう不幸せがあるとかいうことは、決まっているのである。神様はよくご承知なのである…。』

 この「証文を書いてきている」というところを、「約束をしてきている」という言い方もなさっています。「下地(生まれつきの)の約束」とも言っておられます。
 それもあまり望ましい約束ではなくて、不幸災難についての約束が多いようであります。
 ということは、もともとこの世は「修行の場」としてしつらえられた場のようなんです。また一種の「償いの場」でもあることを示唆する教えを、同じく津川さんが伝えておられます。

 『あなたは、腹が立ってもこらえてこらえて、それを腹の中へおさえこんでおられる。それではわが体をこわす。もう一つ進んで、腹の立つことを知らないということになるがよい。それには、悪いことがきても、『これは自分が犯した罪のめぐりか、先祖が犯した罪のめぐりであろう。これで、一つめぐりを取り払ってもらうのだ』と思うがよい。また、それに相違ないのであるから』と言われたとあります。

 このように、この世が「修行の場」であり、「償いの場」であるからには、基本的には「苦の土、苦の世界」であると言われるのも「むべなるかな」と言えます。
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信心は自分の自由意志を助かり立ち行く方向に向ける修行
 私どもは、この世にそれぞれの運命と課題を背負って、修行のため、或いは償いのために一時的に送り込まれてきているわけです。その期間たるや長いようでも短いものです。
 私どものこの世での運命の、およその枠組みは決まってはいるようですが、自由意志をはたらかせる余地がまったくないわけではありません。その与えられた自由意志を、助かる方向に働かせるよう努力するのが、この世で課せられた修行であります。
 その結果如何によって、次の世での、運命や課題や幸不幸が定まってくるようでもあります。

 神信心するということは、とりもなおさず、自分の自由意志を、現世幽世を通して、助かり立ち行く方向に向ける修行をさせてもらえるということで、まことに有難いことなのであります。
 教祖も、いま取り上げた教えの後半の部分では次のように言っておられます。

 『…信心を強くすれば、大厄は小厄にしてくださり。小厄はお取り払いくださるのである。それがおくり合わせをいただくということである…。』

 またこうも言っておられます。

 『…幸いに信心をしていると、まあそれを(種々の難儀を)除いていただくのであるが、下地の約束であるから、また、こういうことが起きたというようなことが出てくるかもしれない。その時に、これほど信心するのに、なぜこういうことが出てくるのだろうかと思えば、もう信心はとまっている。これはまだ私の信心が足らないのだと思い、これはどこまでも私の勤めるべき役であると思って、信心をしていかなければならない。そこからおかげがいただける…。』
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そういう死生観を持てることが有難い
 もう一つ私が有難いと思いますのは、そういう死生観を持って生きられるという、そのこと自体なのです。
 私自身の場合、それが生きる力になり、死後についても希望を持たせてくれるように思うからです。
 「死生の安心」を得ると言いましても、死んだ後のことなど、どのように考えようと憶測の域を出ないのですから、あとは自分の好みで選ぶしかありません。或いは、選ばないという選択もあります。わからないものはわからないとしたままで生きるという選択があります。
 金光教祖は難波幸という方に、神様が先の世のことについて三日間にわたって教えてくださったが、そういう生き死にのことや魂の問題については、何も証拠があって言うのではないから、よほど一心の者にしか話さない、と言うておられます。
 知識人の典型の一人である松本健一という文芸評論家は、むかし心霊研究家として有名であった浅野和三郎という人についての評伝の中で、次のように書いています。

 『死ねば死にきり、というのが近代の個人主義的な死生観の究極である。これは自分一個の覚悟としてはそうありたいとおもうが、たとえば子どもを亡くした親の問題としてはどうだろう。死ねば死にきり、とはいえないのではないか。…そう考えたとき、わたしは浅野和三郎の心霊科学研究会に加わった土井晩翠や豊島与志雄の心底が理解できるような気がした。』

 この「死ねば死にきり」という考え方も、わからないものはわからないとして生きるというのではなくて、実は確かな根拠がないままに「死ねば無になる」という憶測を選択しているわけです。
 そして佐藤愛子さんも、最初はそうだったと言います。
 しかし松本さんは、一見、大切な人をなくした人々の心情に寄り添うふりをしながら、結局のところ霊魂というものを信じるには至らないのです。

 私自身もあるときまでは、死ねば何もかも無になる方が、かえって後くされがなくていいと思ったことがありました。その方が楽だとも思いました。死んだ後にまで、生きていたときの行ないについて審判を受けて、何かと責任を問われたりするのはかなわんなあという思いでした。
 そう考えていた時の私というものは、神様も信じていませんでした。信じたくありませんでした。そして、上辺は一応とりつくろっているけれど、陰では何をしでかすかわからない、そういう人間でした。
 だから私は、これはあくまで自分自身のいいかげんさから類推してのことなのですが、神を信じないとか、先の世や霊魂を信じないと言う人を、人間としてあまり信用しないのです。
 たとえ正義がどうとか人道がどうとか、立派なことを言う人であっても、陰で何をするやら、何を考えているやらわからぬ人だと思ってしまうのです。
 人間というものは、神様が見ているからとか、死んでもまだその先があって、とがめられるかも知れないから、ということが一種の歯止めになって、いわゆる悪事を思い止まることが多いのです。
 たとえ神や霊魂や先の世を信じたとしても、ついついいいかげんなことをやらかしてしまう私です。そういう「歯止め」を持たない人をとうてい信用する気にはなれません。

 いずれにいたしましても、死後のことで私どもに確かなこととして言えるのは、「生き死についての安心を得たい」というきわめて強い欲求が人間にはあるということだけです。
 そして、同じ死生観を選ぶのなら、私は、いちばん私自身に生きる力を与えてくれ、ましな生き方をさせてくれ、先にも希望を持たせてくれる死生観を選びたいと思います。
 それで私は、先にも申しましたような「生きても死にても天と地はわが住みかと思えよ」とか「先の世まで持って行かれ、子孫までも残る神徳が受けられる」といわれるような死生観を選び取っているわけであります。
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談話室より
 M.Oさん(男73歳) H. 18.12.8


 ホームページ開設おめでとう。
 「血脈」の要約は確かに良く出来ていました。著者が感心するだけの事はあると思います。

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 おおとり さん H.19.1.24
 霊的現象に関する佐藤愛子さんの著書を奨める教会長の言葉がありました。私は余り関心がなく、今までその類の本は一冊も読んだことがありませんでしたが、読書家の先生が推奨されるなら、一度目を通してみたいと思っています

 教会長より H .18.12.16

 もっとも良質で安価で入手しやすい心霊学入門書として、佐藤愛子さんの「私の遺言」(新潮文庫 500円)を推奨いたします。

 私が「血脈」を読むにいたったきっかけは、毎日新聞の書評でした。書評子によれば、その小説が佐藤家の霊たちの強い影響下で書かれたものであると紹介されており、書評子自身が(誰だったかは忘れましたが)そのことを疑ったり、それと距離を置こうとする気配があまり見られないのが印象的でした。
 そこで数年後文庫本(文春文庫)になったときに買って読んだのですが、この小説自体の中には霊の話はひとつもでてこないのです。副読本である「『血脈』と私」と江原啓之氏との対談本「あの世の話」(文春文庫)との中にやっとそれらしい話をみつけ、それらをもとに私は「『血脈』を生んだ霊現象」を書きました。
 しかし、いま言った二冊だけではもう一つ情報量が少ないというか、切迫感が伝わってこないような感じを持っておりましたら、ある方からこの本のことを教えてもらったのです。
 普通、一生のうちに、超常現象と言われるありえないような不思議な出来事を見聞きできる人はごく稀です。私もまだ見聞きしたことがありません。だからこそそれは超常現象なのであり、人に話してもなかなか信じてはもらえないわけです。
 ところが、社会的に信用も名声も有する人が、二十年以上にわたって心ならずもそんな現象に悩まされ続け、時には他の人たちをも巻き込むことがあったとしたらどうでしょう。五十一歳の佐藤愛子さんを突然襲い、苦しめはじめたのがそういう現象でした。
 この本は、高い知性と品格と優れた表現力を持つ一人の作家が、霊能者たちの助けを借りながら、勇敢にそして真摯にそれらの現象に立ち向かった克明な記録です。たとえ霊魂やあの世というものの存在を認めようとしない人であっても、彼女の体験した事柄の真実性と、事態の深刻さ、取り組み方の真剣さ誠実さだけは認めざるを得ないでしょう。
 とかくこの種の本は、安っぽいオカルト本扱いされかねないのですが、私が若い頃から読んできた数多くの心霊関係の書物の中でも、これはもっとも信頼するに足る記録であり、後世に伝える価値ある遺言になり得ていると思います。同時にまた、今の世を憂える警世の書でもあります。

 H.18.12.25
 同じ新潮文庫に入っている「こんなふうに死にたい」(340円)も読んでみましたが、こちらも「私の遺言」の姉妹篇と言うべき内容のもので、互いに補い合うような関係になっています。ぜひ両方併せて購入されることをお勧めします。
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