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外国人参政権問題について |
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国家分裂の永久固定化拡大化を食い止めよう |
以下の対話は「近頃思うこと」という話についての談話室から始まったもので、その対話が大きくふくらんだため、問題の重要性をも考慮し、独立させることにしたものです。言うまでもなく、教団にはいろいろな考え方の人がおり、私の意見もあくまで個人的な見解であります。
金光教高田教会長 角埜安信
かどの
私が今いちばん見過ごしにできないのが、いわゆる永住外国人に地方参政権を与えようとする動きです。これが私には正気の沙汰とは思えないのです。理由について知りたい方は、「外国人参政権に反対する会」の公式サイトで、不十分ながらある程度知ることができます。それより、今発売されている「Will」という雑誌の3月号をぜひ読まれるようお薦めします。
もしもこの法案が通ったら、確実に日本国の分裂弱体化、つまりは亡国の第一歩となるでしょう。国政(地方政治といえども)が外国人及びその本国政府に牛耳られることにつながる(短期的展望としては韓国北朝鮮に、長期的展望としては中国に牛耳られることになる)ことが目に見えています。
こんな危険な法案を「差別解消」だの「共生」だの「過去の歴史の清算」だの、きわめて安易な理由で通してしまおうと情熱を燃やす人たちや、それに左程危機感を持たないらしい多くの国民の、なんという無防備さ、能天気さ、お人好しさ加減!そんなのは友愛精神などとは断じて無関係です!まさに戦後の平和ボケ教育の弊害ここに極まれりという感じです。また、外国人組織票欲しさに暗躍するらしい国会議員たちは、ほんとうに情けない売国奴です!
現在の日本国籍には、他国に比べて忠誠義務を課していないという重大欠陥があるみたいですが、参政権を希望する永住外国人には、せめて帰属意識を示す最低限の証(あかし)として日本国籍を取得してもらいたいのです。それがたとえ過去にどのような「いきさつ」にこだわる永住外国人であろうと、外国籍のままで選挙権を持つようになってしまうと、その人たちとその子孫の怨念の固定化につながり、それが国家分裂の永久固定化拡大化ともなってしまいます。
このような風潮の中で飛び交う「われら世界市民」「多民族共生社会へ」「国益よりも世界益」「アジア共同体」「友愛」などといった言葉、もともとは宗教精神とはなじみ易いはずの言葉が、私はますます大嫌いにならざるを得ません。
今まずいちばん必要なのは、「日本列島は日本人だけのものではない」などとおっしゃる苦労知らずのお坊ちゃまの甘っちょろい理想ではなく、むしろ「日本列島だけは日本人のものとして守り抜こう」という強烈な意志だと私は思うのです。
この法案を阻止するために、何をしたらよいのか、何ができるのか、思い悩む毎日です。せいぜいこんな意見をホームページに載せるか、成立に強力な力を発揮しそうな小沢さんの失脚を切望する以外に、何もできないのがもどかしいです。
坊っちゃん(男36歳)
国籍とその国への帰属意識などの重要性、勉強になりました。
かどの
これからは、日本が次第に多民族国家となっていくのはやむをえないとしても、それなればこそなおさら、同一国籍によって一つにまとまる必要があると思います。間違っても多民族多国籍国家になどなってはならないのです。
O.Mさん(男76歳)
外国人参政権についての意見、全く同感です。
売国総理と売国幹事長、売国政党は早く消えて欲しいと日夜念願しています。
かどの
このことさえ思い止まってくれるなら、もうしばらく民主党にがんばってもらってもいいとは思うのですが…。
T.O さん(男 教会長 68歳)
永住外国人の参政権の議案を民主党与党が今国会にも出して議決してしまおうという一事、まことにおっしゃる通り正気の沙汰の外なるものであり、亡国の第一歩と憂ひてをるところです。この問題についての簡潔なる要点のご指摘、見事と拝読いたしました。
小沢一郎といふ人物は、保守の政治家としての経歴をもちながら、実は左翼の亡国徒であり、私益利権の拡大といふ才知をはたらかせ、場合によってはそのためには、尊貴なる皇室をも利用して、一党独裁の中国に媚をてらふといふ、まことに悪らつな政治屋にすぎないことが判然となってをります。
それもこれも、永年与党保守政権を担った自民党のていたらくに起因するものであり、「右を向いても左をみても、馬鹿と阿呆のからみあひ」といふ、古い流行歌のそれを思ひ出してしまひます。
かどの
小沢民主党幹事長についていちばん懸念されますのは、櫻井よしこさんもテレビ番組で指摘していましたが、外国人参政権付与のことを、まるで日韓親善や日中友好のための道具のように考えているらしいところです。しかも、既に両国首脳に法案の実現を約束したとかしないとか。本当だとしたらとんでもない話です。そんなことのために彼らに参政権を与えても、日本にとって百害あって一利無しだと思います。そんな強い危機感から、つい立場に似つかわしくない呪いの言葉を投げかけたくもなるのです。
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分裂の唯一の歯止めが日本国籍 |
A.Fさん(女45歳)
平和ボケした一般人の見解を想像してみますに
「外国人を住まわせるのと参政権を与えるのと、大した違いはないんじゃない~?
だって、日本を愛する外国人が日本人以上に この国のことを考えてくれるかもしれないわけじゃん?可能性は少ないけど。
日本日本って、単一民族で固めてる国なんて、今時 はやんないしさ~。グローバルに考えようよ。排斥の方向でなく。
植民地化されるなんて考えること自体、村意識が強すぎるんだよ。
外米が入ったことで、『やっぱり日本の米が一番だな!』という再認識も生まれたわけだし・・。
参政権くらいで日本がグラつくとは思えないな・・。
多数決なら日本の人口は 数だけはまだまだいるわけだし・・。
『日本人』という自分たちの意識が 卑屈な感覚を伴ったものである以上、日本列島は日本人が守る なんて思想は過去の遺物さ。」
くらいでしょうか。
よく日本人の誇り誇りって言いますけど、私自身も、民族の誇りを持つことに、大して意義を感じないんですが・・。むしろ、そういうことを強調されると、どうしても反発を感じてしまうんですが…。
かどの
まず「日本人としての誇りを持つ」ということについて…。
この場合は主として対外的な姿勢を意味するのだろうと思われます。私自身は具体的にどう考えているかといいますと…、
大事なのは、うぬぼれることでも卑下することでもなく、美点も欠点も含めて、できるだけ正確な日本人としての自己認識を持とうとすることだと思います(実際にはなかなかむつかしいことですがね)。その上で現状を見る限り、過度の反省や卑下はやめた方がよいと思うのです。
公平に見て、日本及び日本人は、世界水準から見て、いろんな点でかなりイイ線をいってるんじゃないか、そう捨てたもんじゃないのではないか、と考えていいと思うのです。
これはむしろ美点なのかもしれませんが、日本人ほど反省の好きな国民はいないみたいですね。また、外国の評判を気にする国民もいないそうです。
しかし、あまり度を越すのも考えものですね。最近も新聞の投書欄で、日本の鉄道が時間に正確なことでさえも卑下して、自分が滞在していたフランスではこんなことはないと反省している人がいて、思わず笑ってしまいました(同じことで、ドイツと比べて反省している人もいました)。
実際、やはり日本人はいちばん卑屈になりやすい気質の民族らしくて、日本よりはるかに「劣っている」と思われるような国民でも、自分の国にもっと誇りを持っているとはよく聞く話です。
日本人は、見習うならむしろ外国人の厚顔無恥ぶり、独善性を見習った方がいいかもしれないと思うくらいです。直接付き合ったことはないですけれど、ある国の人々など、明らかに自分に非があっても絶対に自分の非を認めないそうです。それほどではなくても、軽々しく非を認めてはならないというのは、ほぼ世界の常識らしいじゃないですか。
それと、日本人は外国人の感情を害することをひどく恐れますが、たとえばお隣の韓国人や中国人は、自分たちの感情を一方的に押し付けてくることはあっても、日本人の感情を害さないように気を配ってくれるなんてことは、何か特別な企みでもないかぎり絶対にあり得ません。一歩引いたら一歩押し込む。どこまでもつけ入るというのが、諸外国の外交の普通のやり方です。
よく一部の「良心的」知識人やマスコミが「反省」の材料にしたがる、日本人の残虐行為にしても、諸外国人の残虐性に比べたらチョロイもので、淡白な日本人などとても足元に及ぶものではないという事実も、いろんな具体例と共に、同時に絶対に知っておく必要があると思います。
反省したいなら、直接自分が責任を負わなくてもよいような事柄で反省するのではなく、自分個人の行いについて心ゆくまで反省するといいと思うのです。私自身、個人的には日々反省させられることばかりです。
そこで、先の「一般人の見解」についての意見ということになりますが、グローバル化とは、お人好しの日本人が(私もいたってお人好しです)、そういう一筋縄では行かぬ厄介な外国人たちとわたり合っていかねばならぬということでありまして、どれほどガードを固くしてもし過ぎることはないと思うのです。
「日本列島だけは日本人のもの」という意識は古臭いどころか、これからますます必要になると思います。それを「村意識」だなどと決めつけるのは、全く根拠のない、警戒心を欠いた、おめでたいたわごとでしかありません。
「日本人以上に日本のことを考えてくれる外国人」としては、数少ない実例の一人として金美齢さんがいました。台湾独立運動に深くかかわりながらも、こよなく日本を愛してくれ、日本支持のための論陣を張ってくれ、この人にだけは外国籍のままでもわが国の選挙権を持ってもらってもいいなと思えるほどでした。その彼女も、最近の祖国の風潮に絶望し、とうとう日本国籍を取得されました。日本にとっては百万の味方を得たような心強さを覚えますが、台湾にとっては大きな損失でしょうね。
この、国籍というものの重大性を骨身にしみて知る金美齢さんが、国籍や選挙権を得る外国人に最も望みたいものは、その国に対する忠誠心だと、「そこまで言って委員会」という、やしきたかじんさんのテレビ番組で発言していました。見学者席からは一斉に拍手が起りました。
ところが、もしも外国人参政権法案というものが成立してしまったとすると、例えば大阪の生野区には、日本人とほとんど同等の権利を持ち、しかも日本に対して忠誠心はおろか帰属意識さえ持たない外国人の大集団が突如として出現し、地方政治の(結局は国政にもつながる)キャスティングボートを握るようになるのですよ。或はある宗教の在日の会員を多数擁する政党が勢力を伸ばすことにもなります(そんなことが目的で、国民固有の権利を売り渡していいものでしょうか)。
或は、近年対馬には韓国人旅行者が多数流入し、韓国人による土地の買占めがすすんでいますが、選挙権を持った韓国人が意図的にそこに集結するなら、対馬の植民地化は一気に進むことになるのです。竹島どころの騒ぎじゃありません。
その2箇所にかぎらず、地方政治は票数が少ないだけに、たとえ少数派であっても、外国人が、今の国民新党や社民党のようにキャスティングボートを握る可能性が全国いたるところで生じてくると言われています。つまり、この外国人参政権付与ということは、十分に「日本がグラつく」第一歩となり得るのです。そして法案がいったん成立してしまえば、もはや後戻りは不可能に近いでしょう。ですから私は、このことを戦後日本が直面する最初にして最大の国難であるととらえています。しかも、外国からの圧力もあるとはいえ、大方は日本人自身の手によって招き入れようとしている国難なのです。
そういう危険性を食い止めてくれる一番の防波堤(消極的な意味でも、積極的な意味でも)は、やはり国籍取得というハードルだと思うのです。
これも「TVタックル」というタケシさんの討論番組で、国籍取得の重要性を主張した女性国会議員に対して、あるアジア系外人女性大学准教授が、「アナタ頭悪いね。内政干渉するつもりなら、はじめから意図的に集団で国籍取ってしまえば同じことじゃないの」と言いました。たしかに、そこまでやられたらお手上げかもしれませんね。しかし、そこまでやりますか?いや、もし何か企みがあるなら、せめてそこまではやってほしいものです。そこまでやらなくても簡単に企みが通ってしまいそうなことの方が、もっと問題が深刻です。
それに、国籍というものには帰属意識を変えていく力があると信じたいのです。たとえ気持ちを偽って日本国籍を取ったとしても、長い間には、或は世代を重ねるにつれて日本人という意識が生まれてくる可能性があるけれど、外国籍のままだと永久に水と油、日本人意識は生まれてこないのです。
ことほど左様に国籍というものは大切だと思うのですが、それを主張する人はいても、きちんと全面的に腑に落ちる理由付けがなされたのをまだ読んだことも聞いたこともないような気がします。「参政権は憲法に保障された国民固有の権利である」といった法律論的な議論は盛んですけれど、もっと心情的に納得のいく説明がほしかったのです。そんな欲求不満を解消するために、ない知恵をしぼって自分なりに考え出したのが「怨念の固定化、国家分裂の永久固定化、拡大化を防ぐため」とか、「帰属意識を示す最低限の証」とか、「多民族国家になればなるほど、同一国籍によって一つにまとまる必要がある」とか、「日本列島だけは日本人のものとして守りぬこう」といった表現でありました。それらがどれほどの説得力を持つかは不明ですが、場合によっては、新聞に投書したり、全国会議員に意見書を送りつけたり、といった行動ぐらいは起したい気分なのです。どなたか支援協力してくれる方はおられませんか? |
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無関心と無知がいちばん怖い |
A.Fさん
卑下しすぎる点が、諸外国の格好の餌食になっておることはわかっているのですが…。
自分の非を素直に認め、反省して、相手の感情を害したなら 謝って改めなさい、そうすれば物事すべてうまくいく、と教えられてきたし、そう考えることが悪いと思う人はいないので、つい個人の道徳と政治が一緒くたになってしまって、外交下手なわけですね。
個人のつきあいで、非を認めず感情の押し付け合いになりやすい人となんか、誰もつきあいたくはないです。でも、外交は、そういう人々(国々)でも相手にしていかねばならないわけですね。
でも、日頃 個人的道徳を実践している人が(しているとは限りませんが)、国のことになって、そんなに簡単に頭を切り替えられますかね。
外国人参政権のことについては、結局。マジに危機感を持ってる人がまわりにいないというか、私も危機感なんてないし…。楽天的な国民なのです。
かどの
確かに、とりわけ信心深い人ほど頭の切り替えがむつかしいかもしれませんね。人を信じ、人を分け隔てしないという生き方が身についている人も多いですからね。しかし、国籍によって参政権に線を引くというケジメはどうしても必要なのです。
この問題についての大方の人々の危機感のなさは、確かに統計にも表れています。私がいちばん恐れるのは、こうした無関心や無知なのです。というか、推進派が呈示する安易な理由で簡単に説得されたり、だまされたりすることを恐れるのです。
先だっても、親の代から購読するM新聞に、勝間和代、林真理子、西原理恵子という三女性の座談会記事が出ていたのですが、外国人参政権のことにも触れていて、「外国人もちゃんと税金を払ってるのに、参政権を与えないのは不公平だわよね」などと言い合っていました。聡明なはずの彼女たちでさえ、そんな初歩的な誤りを理由に参政権付与に賛成してしまうのを読み、新聞がまたそれをそのまま垂れ流しているのをみて、こりゃもうだめかもしれないと、暗い気持ちになりかけました。
税金というものはあくまで、この国で受けられる公共サービスに対する対価であって、参政権とは切り離されています。だからこそ、成人の国民には、納税の有無に関わらず選挙権が与えられるのです。しかし、その記事を読んだ人たちの多くは、「そうなんだ、外国人はそんな差別を受けてるんだ」と誤解したまま納得してしまうかもしれません。
今日のM新聞にも、外国人参政権の記事が複数の記者によって書かれていましたが、その中の一人が記事の最後に「国立国会図書館の調べによると、主要先進国のほとんどは、外国人の地方選挙権を認めている」という一文をさりげなく忍び込ませています。これがまた曲者で、実際にはそれらの国々は極めて限定された特殊な条件の下に参政権を認めているに過ぎず、日本の実情とは全くかけ離れたものです。しかし、これを読んだ人の中の多くは「やはり日本の国はこの点でも遅れているんだ」と思ってしまうでしょう。この記者は、意識的にか無意識的にか、読者をそういう誤解に誘導しているのです。
読者の無知につけ込んだこういう誘導ほど悪質なものはないと私は思います。
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坊ちゃん
その国への帰属意識と忠誠心、その証としての国籍。ほんと、そうですね。
金美齢さん、日本国籍取得されたんですね。
一般人としては、新聞記事などに「あ、そうなんだぁ~」って思うようなことが書かれていると、「日本って遅れてるんだなぁ~」なんて思ってしまったりしてしまいますよね。
そういう意味で、ほんと、マスコミもええ加減なこと書いて、国民感情を煽ってますね。
かどの
恐らく「進歩派」のA新聞などはでは、もっと露骨な誘導が行われているのでしょう。A新聞が行う世論調査では、参政権付与に賛成の人々の割合がとりわけ高い数値を示しているようです。
外国人参政権問題を取り上げた 3月1日の「TVタックル」もみました。予想したとおり、賛成、反対両者の意見が全くかみ合わなくて、ただ空しい疲労感だけが残りました。
外人女性2人を含む4人の賛成派は、、外国人に都合のよいことのみを強調し、それが日本のためにもなるのだという論法で、先に述べたような懸念やリスクは、過小視するだけ。反対派の4人も、反対の根拠を十分に代弁しきれていないように思いました。こういうことは、もう80歳になろうかという三宅久之氏や、すぐにカッとなり易い山際何某というような人に委ねるのではなく、もっと冷静で優秀な人材、例えば櫻井よしこさんのような人をメンバーに入れてほしかったです。
同時に映し出された在日の「民団」の様子や朴一教授の主張は、日本人は、過去を清算するために、彼らに対する参政権付与にどのようなマイナス面が伴おうとも、全て甘受せよと言っているように見えました。
唯一の救いは、民主党の反対派、長島昭久議員が、このまま(外国籍のままで)で彼らに参政権を与ええてしまったのでは、在日コリアンの、日本人でも韓国朝鮮人でもないという中途半端な状態が「永続化」してしまうという鄭大均教授(日本国籍取得者)の意見を紹介していたことでした。
まさに私が最初に述べたように、その人たちとその子孫の「怨念の固定化(永続化と言い換えてもよろしい)」とそれがもたらす「国家分裂の永久固定化拡大化」こそが最大の問題なのです。
それを食い止める歯止めが日本国籍だというわけなのですが、もちろんそれは万能薬ではありません。現に今言った「外人女性」のうちの1人は、便宜的に日本国籍を取ったに過ぎないと自称している人です(もう1人は、例の「アナタ頭悪いね」の女史です)。
それでも私は、多民族国家になればなるほど、せめて同一国籍によって一つにまとまるのでなければ、収拾のつかないことになると、憂慮するのです。
ある種の理想主義に凝り固まる人は、それすらも許そうとしないかもしてません。なぜ、多民族多国籍国家であってはいけないのか、民族や言語や宗教やその他の文化などによる一切の差別を許さない、最終的には国家というものを消滅させ(彼らは国家を憎んでいるのです)、国境のない世界を造り上げるのだ、日本はその魁(さきがけ)となるのだ、と考えているのかもしれません。
しかし、私は、世界中いたるところで、外国人の移住を受け入れた国家が、深刻な民族的宗教的文化的摩擦に悩まされている現状を見るにつけ、世界中の言語や文化を異にする人々は、ある程度の棲み分けが必要であり、地域によって特定の言語や文化に優位性を持たせるのもやむを得ないと考えるようになったのです。
そして、日本列島においてだけは、日本国民や、日本語や、日本文化が優位性を保持できるようにしておくべきだと考えているのです。 |
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坊ちゃん
私自身、少しばかりの期間ですが、外国に滞在していたことがあります。海外旅行ではなく、現地でしばらく生活をしていましたので、現地の人たちとも仲良くなり、その街に馴染めば馴染むほど、自分の国籍と言いますか、民族性みたいなものを意識することがありました。
折に触れ、「これはこの国の文化のもとで生まれ育った現地の人の感覚だな」とか「これは日本で生まれ育った、日本から来ている日本人の自分だから分かる感覚だな」とか、日本にいる日本人のままの感覚だけだと分からないことも多かったと思います。
『住めば都』とはよく言ったもので、そこで永住したいなという気持ちも自然と起こってきました。その国やその国の人たちのことを好きになれば、たぶん、誰でも一度は自然に湧いてくるであろう感情だと思います。
そして、もし、実際に、自分がそこの国へ移住し、永住するとなった場合、自分は一体どうするだろうかとも考えたこともあります。
すると、やはり、日本人としてのアイデンティティを失うみたいで、なかなかすぐには、国籍をスッと変えるようなことにはならないだろうなと思いました。
その場合、永住権を取得して、そこの国で定住外国人(定住日本人)として暮らし、外国人(日本人)として、そこの国に住まわせてもらうような感覚でしばらくは暮らすと思います。
もし、そういう感覚でいる間に、もちろん起こってはいけないことですが、万が一、日本とその国で戦争が起こってしまった場合、私は日本人という立場で対処するのだろうと思います。
そしてその国で仕事をし、税金を払い、本当の意味で(外国からのお客さん的な立場ではなく)そこの一市民意識的なものが芽生え、政府への不満や改善点などを意識し始めたときに、やっと、『日系○○人』としての人生を歩む覚悟を持って、国籍を変えるだろうと思います。
そういう感覚になったときに、これもまた先程と同じ話になりますが、もちろん起こってはいけないことですが、万が一、その国と日本で戦争が起こってしまった場合、今度は逆の立場で、心の中では割り切れないものがあるにせよ、私は『日系○○人』という立場で対処しなければいけないのだろうと思います。
あくまでも、この話の上での私の場合ですが、その国において『国籍を変えないまでも事実上の日系○○人』である間は、その国で参政権を欲しいとは思わないと思います。国籍を変えて実際に『日系○○人』になってからでいいと思うだろうと思います。
そして、その国で、子供を作り、孫ができ……、と、自分が日系一世で、日系二世、三世……、と続いていけば、子や孫たちは生まれた当初から日本人の血をひく現地生まれの『日系○○人』ですから、一世の自分とはまた違った感覚で育っていくのだろうと思います。
ボーダーレス社会と言われるこれからの社会の中での、適切な線引き。日本はどういう方向を向いて歩いていくのでしょうか。
かどの
なるほど、あくまで自身の経験と心情に密着しながらの穏健なご意見で、声高な反対論よりもかえって説得力を感じますね。
I.Wさん(男 教会長 70歳前後)
「外国人参政権問題について」の文章、まさに"天地の開ける音"を聴く聾を開いてもらった気がしました。
そんな参政権が問題になり、法律化されようという動きも報道で承知しておったのですが、ただそれだけのこと。そこにある問題点、そこから起ってくる諸問題、背後に隠れているなにものか、それらを白日のもとに晒してもらい、今までノンポリもノンポリ、ノンシャラン暢気な父さん脳天気能天気と、文字通り"の"の連続、恥じ入りました。そして私としても、あなたの文書をコピーしてまわりの人に配布させてもらっているところです(引用者注…恐らく「差別とケジメ」の方と思われる)。
それにしても、温厚篤実な角埜センセとばかり思っていたあなたの意外な一面、少々原理主義的(少し過激な)一面も垣間見た気がしました。
かどの
私の考えをコピーまでして配布していただいたとは有難い極みです。国政への影響力という点ではほんに微々たるものでしょうが、そういうものが集まってだんだん大きな流れに成長していくことを願わずにおれません。 |
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