大和高田市 宗教法人 金光教高田教会|祈り、救いを求め、自分に正直に生きる。 ホームへ教会のご案内 教会長からのメッセージ
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金光教高田教会、うどんが好きかラーメンが好きか
柳本教会布教50年記念大祭にて
28 私の五十年
大和高田市 宗教法人 金光教高田教会|祈り、救いを求め、自分に正直に生きる。
もくじ
▲ 若いころは、綱渡りのような生き方
▲ 綱渡りを可能にしてくれた魔法の杖が「絶対信」
▲ 生き方として学んだのが「絶対他力」
▲ 他力の信心は無気力で消極的か
▲ 他力的な信仰の角度からはじめて見えてくる、積極的に生きるための基本原理がある
▲ 他力に徹するとき、かえって人間は自主的能動的になれる
▲ もっとも奥深い内的要求に基づいて生きるのが他力の信心
▲ 中枢部の気風が、末端にまで及びきれず
▲ 新教典で、唱え詞についての教祖様の考えが明らかに
▲ 教祖は最低限祈るべきことを教えておられる
▲ 日々一定の時間を割いて、神様に心を向けるべし
▲ 自分と向き合いながら、考えては祈り、祈っては考える
▲ 手は貸してくださるが、ラクはさせなさらぬ
▲ 「当たり前」のことが身に染みて有難い
▲ 究極の目標は徳をいただくこと
平成二十七年十一月八日 奈良県 柳本教会にて
若いころは、綱渡りのような生き方
 皆さま、布教50年記念祭おめでとうございます。
 貴教会の50年の歩みは、私自身の教師としての50年近い歩みとほぼ重なります。
 それ以前の助走期間が10年、60年はあっという間に思えます。何ほどのこともできておらず、日々自分の無力さを思い知らされ続けてきましたが、それでも、実力以上にずいぶんと助けていただいたと思います。あの時あのことがなければどうなっていたか、と思えるようなことがいくつもあります。
 若いころは、綱渡りのような生き方を余儀なくされました。身の程もわきまえず、早くから自分の家庭を持ったのであります。学校にも、社会にも、教会にも適応しあぐね、自分の居場所がどこにも見いだせないからこそなおさら、人からどう思われても、そこからしか何もする気が起きないのでした。三十年前に亡くなった家内がまた大胆な女性で、ほとんど身一つで飛び込んできてくれたからこそ、それが可能になったのでもありますが…。
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綱渡りを可能にしてくれた魔法の杖が「絶対信」
 その綱渡りをどうにかこうにか可能にしてくれたのが、「絶対信」ということでした。下を見ず、よけいなことを一切考えず、前方だけを見て一心不乱に渡りきろうとする心境とでも言いましょうか、とにかくできるだけそうなろうとつとめたのであります。
 それを教えてくれたのが、旧教祖伝「金光大神」、や「湯川安太郎信話」をはじめとする教内外の書物でした。よくも悪くも、私の場合は、直接人を介してではなく、主として書物を介して救われたのであります。そして「絶対信」というのは、当時の私にとりまして、言わば苦境を切り抜けていくための「魔法の杖」でありました。
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生き方として学んだのが「絶対他力」
 それと同時に、生き方として学んだのが「絶対他力」ということでありました。言うまでもなく、先ほど教会長先生もおっしゃられたように、「させていただく」という生き方です。「お任せする」という生き方でもあります。
 すべて自分がするんではない、させていただくんだ、お願いしてさせていただいた上は、すべてお任せするんだ、ということで、そういう気持ちに本当になれたなら、生きることがずいぶんラクに感じられてきます。
 お任せということは絶対信とも深いかかわりがあり、絶対信に裏打ちされたお任せは、最強の武器になります。絶対信と絶対他力が本当に身につけば、心配も、恐れも、焦りも、失望もなくなります。いまだにそうなりきれずに、ずっと稽古の最中でありますが。できた分だけは救われてきているように思います。
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他力の信心は無気力で消極的か
 よく「他力」とか「他力本願」ということが、マイナスイメージで語られることがあります。他人任せであるとか、成り行き任せであるとか、単に怠ける口実に過ぎないとか、生き方として無気力であるとか、消極的すぎるとか…。
 もともとエネルギッシュで挫折を知らぬ人から見れば、そう見えるかもしれませんし、私自身についてなら、それは当たっている部分があるかもしれません。
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他力的な信仰の角度からはじめて見えてくる、積極的に生きるための基本原理がある
 しかし、他力的な信仰の角度からはじめて見えてくる、積極的に生きるための基本原理、とでも言えるものもあると思うのです。
 これももう亡くなられて50年近くになりますが、御本部に高橋正雄という先生がおられました。教祖様以来の本教の信仰の純粋性と質の高さを維持し、発展させるのに大きく貢献した優れた思想家であり、実践家でもありました。
 いささか俗っぽい情報ながら、一応お耳に入れておくのですが、高橋正雄先生は、教団設立の功労者佐藤宿老の弟子であられた高橋茂久平先生のご長男で、幼少の頃より神童の誉れ高く、長じては当時最も教授陣が優れていたと言われる早稲田の哲学科で学ばれ、そこを学校創立以来の成績で卒業されて、大隈重信侯からも将来を嘱望されておられました。
 それほどの方であったのが、経緯は省きますが、大学を辞して教団本部で御用されるようになったのであります。ちなみに、いま芥川賞選考委員をしておられる作家の小川洋子さんもまた、茂久平先生のご次男である博志先生のお孫さんで、教会育ちでもあり、おじいさまを大変慕っておられます
 今ではもう、正雄先生を直接知らない人の方が多くなってしまい、忘れられかけている面がないでもありません。私自身も、直に対話をかわしたことはないのですが、晩年の、もじゃもじゃ頭の哲人めいた風貌と語り口を垣間見るのには、なんとか間に合いました。

(ここで、最前列でそれを聴いておられた初代教会長の寺口シゲ子先生が、ご自身が教師養成機関である金光教学院での、正雄先生の最後の教え子の一人であると告げられた)

 しかし、正雄先生が教団の中枢におられたことで、教団の気風にもたらした影響は、まだまだ消えてはいないと思うのです。それが、現在もなお、金光教ほどまじめな教団はないと評価されることにもつながっているのだと私は思っています。
 私が当時の教団中枢に感じていた気風を一言で表現しますなら、「真実を大切にしようとする気風」であると言えると思います。ある人はその気風のことを「既成観念にとらわれず、真実を真実としてどこまでも自由に問い、人間の助かる道を求め、見いだしていこうとする柔軟な心」と言われたのですが、まさにそういう気風でありました。
 もちろん批判する人たちもいました。高橋先生が信心をむつかしくしてしまった、とか、教勢が伸びなくなったのは高橋先生のせいだ、とか…。一般大衆の中の多くは、まだまだそのような信心を求めないからです。
 しかし、私自身はそういう気風を感じ取ることができたればこそ、このお道にとどまることができたのであり、またそれゆえにこそ、布教の上で苦労も絶えないのであります。
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他力に徹するとき、かえって人間は自主的能動的になれる
 前置きが長くなりましたが、他力的な信仰の角度からはじめて見えてくる、積極的に生きるための基本の原理ということにいよいよ話を向けさせていただきます。
 私がその頃読んだ正雄先生の著書の中の言葉で、いちばん心に響いたものの一つは

 「心の底から生まれたがっているものを生まれさせよ」

という言葉でした。
 これは今ではどこへしまい込んだか思い出せないような、薄い小冊子の中の言葉で、前後の脈絡も思い出せないのですが、これも正雄先生がなされたという「心の底から本気で願わずにおれぬことを願う」ということと対をなす言葉だと思います。
 それらの言葉に出会ったとき、目からうろこといいますか、それまで生きてきて、そんなことを考えようともしなかった盲点に、はじめて気づかされる思いがしました。生きていく上に絶対必要でありながら、それまで自分に欠けていたもの、誰からも教わらなかったものが何であるかに、はじめて気づかされたのであります。
 そしてこの「心の底から生まれたがっているものを生まれさせる」とか、「心の底から本気で願わずにおれぬことを願う」という発想こそが、他力の信仰からはじめて生まれてくるものだと思うのであります。
 そういう発想は、自分の心そのものが授かりものなのだ、という認識からしか生まれてこないのです。そして、自分にはどのような心が授けられているのか、ということに関心を持ち、その授かりものの心に最も忠実に生きようとすることこそが、他力の信心の核心であると思うのであります。
 他力に徹しようとするとき、かえって人間は自主的になることができ、能動的になることができ、生き甲斐を感じることができるとさえ私は思うのです。少なくとも私は、そのときそう感じたのであります。
 今もそれは変わりません。もともと活動的な人からみれば、相変わらずおとなしくて消極的で、目立たない、物足りない人間に見えるかもしれませんが、その時を境に、はた目はともかく内面だけは、活き活きと活発に働くようになったのであります。
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もっとも奥深い内的要求に基づいて生きるのが他力の信心
 同じころ、リルケという人の「若き詩人への手紙」というのを読んでいましたら、「詩人であってならないためには、書かなくても生きられると感じられるだけで充分である」という言葉に出会いました。これも心に強く響きました。
 つまり、詩を書かなくても生きていけると感じる人間は、詩人になどなろうとするな、どうしても詩を書かなくては生きられないと感じる人間だけが詩人になれ、ということです。
 私は、詩を書くことはおろか、詩を読むことさえ、(たまに気まぐれに読むことはあっても)別にしなくても生きていける類の人間ですが、こういう考え方そのものは、あらゆるところに応用できると思いました。以来、何をするにしても、これをしなくては自分は生きられないか生きられるか、という問いかけが、大なり小なりつきまとうようになりました。もちろん、今ではほとんど意識に上らないことの方が多いのですが…。
 こういう問いかけもまた他力的な発想であると言えるのではないかと思います。自分というものがどういう人間として造られているのか、生かされているのかという問いが根底にあると思うからです。
 以上のようなことから、他力の信心というのは、単に成り行き任せの、他人に丸投げの生き方をいうのではなく、心のいちばん奥深いところから生まれてくる内的要求に基いて生きようとする信心であるとわかっていただけるかと思います。
 そういう信心、そういう生き方が、この道で求められていると感じられたからこそ、私は教会に踏み留まることができたのであります。そのことを心から有難いと思っております。
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中枢部の気風が、末端にまで及びきれず
 そういう私が、なぜ教会に、つまりは教会での生活に適応しあぐねていたか、ということですが、いくら教祖様の教えがすばらしく、教団中枢の気風に心惹かれるといっても、末端の教会にまでは及びきれず、私には受け入れ難いような偏見を押しつけられることが多々あったのです。
 個々の問題はさておくとしまして、教団全体に共通のこととしましては、大祓詞の問題がありました。今も神社であげられている大祓詞というのがまだ当時あげられていたわけです。教団設立の経緯からしてやむを得ないことではあったのですが、私はこの千年以上前の罪穢れをあからさまに列挙しただけの大祓詞が苦手でした。唱えるのが嫌いでした。儀式の際、本教の信心とはあまり関係のない詞(ことば)を唱えねばならないのが苦になって仕方がなかったのです。それなのに、大方の人たちが、そのことに何の苦痛もこだわりも感じていないらしいのが、不思議でなりませんでした。
 それが昭和58年教祖百年祭の折、新しい拝詞が制定されたときは本当にうれしく有難い気持ちがしました。
 今でこそ、私たちは神前拝詞を当たり前のようにあげさしてもらっていますが、長い間続けてきたことを改めるということはたいへんなことで、本教の信仰にふさわしい独自の拝詞が制定されるまで、百年を要したのであります。
 その際も、大祓詞から神前拝詞に変えることに猛反対した人々が多数いました。それも、それまでまじめに一生懸命大祓詞をあげてきて、それで助けられてきたと感じている人ほど反対したというのも無理からぬ話ではあります。
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新教典で、唱え詞についての教祖様の考えが明らかに
 興味深いことに、拝詞制定と同時に刊行された新しい教典の中で、教祖様がこの大祓詞についてどう考えておられたかということも明らかになりました。
 もと黒住教の信者であった国枝三五郎という人が、お祓を一週間に一万度もあげていたと金光様にお話し申し上げたところ、

 「拝み信心をするな。真でなければいけない」

と言われたという話があり、
 また、島村八太郎という人に対しては

 「お祓ばかり言うて、信心がなければ、氏子は天地の神に頼んだと思うておっても、神は頼まれておらん。それでは相損じゃ」

とも言うておられます。
 更にご子息の萩雄様は

 「金光様は、晩年には、ご祈念の時、お祓も心経(般若心経)も特別にはあげられなかった。ご祈念は、めぐり、ご無礼のお断りから、信者の身の上の願い事から、上のことも下のこともいっさいのことを、くり返しくり返しお申しあげになった。それで、常に、

 『お願い事を申しあげるのがご祈念である』
と仰せられていた」

と伝えておられます。
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唱え詞と祈りとは別
 これらの教えで重要と思われますのは、唱え詞を唱えることと、神様に祈ることとは別のことであるということです。したがって、これらの教えは、大祓詞が神前拝詞に代わっても、そのまま通用する教えなのであります。いくら神前拝詞の内容が有難いといっても、それを唱えただけで神様に祈った気になるのは、思い違いだということなのです。
 唱え詞を繰り返しあげるということが、全く無意味だと言うつもりはありません。それによって、ある願い事をかなえてもらいたいという気持ちが一層強まるという効果はあるかもしれないと思います。どうすればよいかわからぬことに対しては、せめてそうでもして願う気持ちの強さを表したいという、お百度参りのような意味合いがあることは認めてもいいと思うのです。
 しかし、教祖様は「お願い事を申しあげるのがご祈念である」と言われ、願い事を「くり返しくり返しお申しあげになった」といいます。
 願いというものは、繰り返し願うことで心に深く刻まれていき、その深く刻まれた願いの通りに神様は働いてくださるらしいのであります。
 「らしい」と申しますのは、これは科学の法則ではないので、決めつけてしまうのは人間の思い上がりであって、働こうと働くまいと神様のご勝手なので、こちらとしてはそう信じて縋り任せるしかないと思うからです。また人間の理屈では割り切れないので、お百度参りのようなことでも、聞き届けてくださるのかもしれぬとも思うのです。
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教祖は最低限祈るべきことを教えておられる
 そして、神様に心を向ける向け方や、お祈りすることの内容にもいろいろあると思います。
 まず、最低限のこととして、どういうことが考えられるか。
 河本虎太郎という人に対して、大祓はいらぬということと共に、次のように教えておられます。

 「お祓をあげなくてもよい。朝は、今日も家内一統おかげをお授けください、おくり合わせを願いますと申してご拝をし、晩には、今日も家内一統におかげをくださり、ありがとうございますと言ってお礼を申せ。お祓を三、四巻もあげていると、仕事のじゃまになっていけない」

 また、平野五郎四郎という人に、

 「信心といっても別にむずかしいことはない。親にものを言うように、朝起きたらお礼を申し、その日のことが都合よくいくように願い、よそへ行く時には、行ってまいりますと言ってお届け申しあげよ。そして、帰って来れば、無事で帰りましたとお礼を言い、夜寝る時にはまた、その日のお礼を申して寝るようにすれば、それで信心になる」

と信心する者として最低限なすべきこと、祈るべきことを教えておられます。
 朝夕にこれだけのお願いとお礼だけでも続けられたら、ラジオ体操と一緒で、積もり積もると大きな結果を生むのでありますが、それができている信者さんがまだ意外と少ないのではないかと思います。
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日々一定の時間を割いて、神様に心を向けるべし
 次に、日々、或いはせめて何日かに一度、一定の時間を割いて神様に心を向けるというやり方があります。
 この場合は、もう少し細かく具体的に祈ることができます。願いがすらすらと出てくるため、箇条書きにするのもよいでしょう。それを暗記できるほどに、折に触れ繰り返し願うのです。
 教会参りも一つの有力な方法です。「おかげは我が足にあり」とも言われますように、具体的な行為に表すことにより、神様に向かう気持ちが強くなり、祈りも強くなります。
 また、一人では背負いきれぬ願いは、教会の先生に分け持ってもらうといいのです。それ以外にも、我々教会長・教師は一人一人の全体に目を配って祈らせてもらっているのであります。
 私方の親教会である真砂教会の三代教会長(今は五代目)、福嶋輝明先生は、この方も早稲田で哲学を学ばれた方ですが、私の性格に合わせて、盤珪(ばんけい)という名高い禅僧の評伝やら、無名に近いけれど、のびのびと自由で型破りなある牧師さんの伝記やらを、読んでみろと貸して下さったことがあり、それらがとても役に立ったことを今でも感謝しています。
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自分と向き合いながら、考えては祈り、祈っては考える
 更に、三つ目の祈りの在り方として、折に触れ自分の心と向き合いながら、考えては祈り、祈っては考えるということも必要だと思います。幸いなことに、いつ何時どのような場所から拝んでも、神様には届くのです。壁を目当てに拝んでもよいという言い方を、教祖様は再々しておられます。電波の届かぬ場所はあっても祈りの届かぬ場所はないのであります。
 また、神様には何を願ってもよいのです。教祖様が教えられたように「身の上のこと何なりとも実意をもって」願えばよいのです。湯川先生が教えられたように「ありのままをありのままに」願えばよいのです。高橋先生がされたように「心の底から本気で願わずにおれぬこと」を願えばよいのであります。
 それも、無理やり何かを願わねばならぬということではありません。願いそのものが授かりものなので、授けられるままに願っていきさえすればよいのです。息を引き取る間際まで、つねにそれぞれの境遇や発達段階にふさわしい願いを授けて下されてあるのです。本気で願わずにおれないのはそういう願いなのです。自分と向き合うのは、それに気づくためなのであります。
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手は貸してくださるが、ラクはさせなさらぬ
 そうやって、私自身はこれまでずいぶんと助けられてきました。要所要所でヒョイヒョイと手を貸してくださるのですが、決してラクはさせてくださいません。だからこそ教祖様も、辛抱ということの大切さを強調なさっているのです。正雄先生も、色紙に「ラクはせぬぞ」と書かれたことがあったそうです。
 いつまでたっても問題山積、一向にラクにはなりませんが、それでも、信心さえさせていただいておれば、そういう苦労の日々の積み重ねの中で、いつの間にか大きなおかげをいただいております。そのことは、奇跡的なおかげをいただいたのに負けず劣らず有難いことに思います。
 人により、そのおかげを受けている姿はさまざまでありましょうが、私の場合は、例えば、60年前、この世にたった独りぼっちであるという深刻な孤立感を持っていただけに、今では子供3人、孫5人ひ孫2人を恵まれていること、そこへ嫁やらムコやらも5人加わってくれていることを何より有難いことに思います。
 そして子や孫の中に、今のところ社会生活や学校生活に、私が陥ったような適応困難を感じている者が一人もいないらしいことにも、密かに胸をなでおろしています。
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「当たり前」のことが身に染みて有難い
 更に、この齢になりますと、ごく当たり前のことが、有難くてなりません。当たり前と思っていたことが、だんだんむつかしくなるからです。とりわけ嬉しいのは、一時失いかけていた当たり前がよみがえったときです。
 二階に通じる階段の昇り降りが、普通にできるのが身に染みて有難く思えますのは、一時それがむつかしくなったからです。それのみか、歩くことも正座することもむつかしくなり、長年続けていたウォーキングも一時中断せざるをえなくなったのです。座椅子はいまだに欠かせません。
 この程度ではまだ医者に診てもらう気になれなかったので、原因はわからずじまいですが、幸いにも、痛散湯を2,3か月服用する程度で、かなり回復させてもらいました。おまけに、手を普通に上に上げても痛くないというのは、しばらく忘れかけていた感覚でした。
 他にも、まだ自転車に乗れるとか、買い物や食事の支度が苦にならないとか、目や耳が衰えたとはいえ、テレビが観れるとか、新聞が読めるとか、パソコンが使えるとか、数えればきりがないほど、すでに有難いことだらけなのです。少しでも長くこれらの能力を維持させてもらいたいと願わずにおれません。
 そのためにも、感謝ということが欠かせないのでありますが、私がお礼の信心ということに目覚めたのは、かなり年数を経た後でした。理由や経緯は省きますが、今では「絶対他力」「絶対信」と並んで、「絶対感謝」ということを、自分の信心の一番の拠り所と言いますか、力の入れどころとして生きています。
 しかし、これらの表現はいかにも堅苦しいです。教祖様は大切なことを常に平易な言葉で語っておられるというのに習って、ある時言い換えを試みてみました。
 と言うか、それ以来いつもこういう気持ちでいたいと努めています。

 「信心さえすれば、
 何事も自分がするんやないから、ラクなもんや。
 何があっても今が幸せや。
 何があっても先が楽しみや」

 「自分がするんやないから、ラクなもんや」が言うまでもなく絶対他力ですが、この「ラクなもんや」は、「ラクはさせなさらぬ」ということとはまた別のことであることは、言わずともわかっていただけると思います。
 「今が幸せや」が絶対感謝、「先が楽しみや」が絶対信でありますが、初期のころは、絶対信も、願いは必ずかなえてくださる、助けて下さるという意味合いが強かったのが、今はこういう風に大まかな感じの方が気持ちにピッタリなのです。教祖様も「先を楽しめ」と、いろんな人に言っておられます。
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究極の目標は徳をいただくこと
 このように自分に言い聞かせながら、困難を乗り切っていこうとしているのですが、しかしながら、生きることがラクになったり、子孫が繁栄したりすること自体は、まだこの世に生きる究極の目標とは言えません。
 苦労があろうとなかろうと、子孫が繁栄しようとすまいと、個人個人が人間として目指さねばならぬ究極の目標が、別にあるようなのです。
 それが、非常に漠然とした言い方にはなりますが、お徳をいただくということです。「神徳を受けよ、人徳(にんとく)を得よ」と教えられますように、いちばん大きなおかげは、そういう徳をいただくことのようであります。
 大まかに言いまして、神徳というのは、神様に心を向けることによって得られる徳、人徳は他人を助けたり他人の役に立つことなどで得られる徳でありますが、神徳をいただけば、人徳はおのずとついて回るとも言われます。
 結局、きわめて常識的なことながら、どれだけ他人の、大きく言えば世の中の役に立てたかで、その人の価値は決まるわけです。他人の役に立たせてもらえることが、一番のおかげなのであります。
 と同時に、役に立とうが立つまいが、一人一人の人間には絶対的な価値があり、それぞれに生きる意味があるのだということも忘れてはならないと思います。
 しかも、どれだけお徳をいただけたかという本当の評価判定は人間にはできません。ある程度の評価は他人がしてくれても、それもあまりあてにはなりません。それは棺の蓋を覆った後,人智を超えた存在に委ねるしかないのです。
 したがいまして私も、そういうことはあまり意識せず、神様を杖にしながら、今を喜び先を楽しみつつ、日々授けられる役目やら願いやらと取り組ませていただいておるわけであります。

 具体例の乏しい退屈な話であったかもしれませぬが、今現在話せる精一杯のところを話させていただきました。(拍手)
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談話室より
S.Mさん(女 90歳)H.27.12月
「私の五十年」も「投書して見えてきたこと」も、現在の私の心には深く受け入れられるお話しでした。「私の五十年」は同感することが多く、心に響きました。
私満九十歳になりました。この頃何事も有難いことに思えて感謝と祈りを繰返しています。やっと金光教の信者らしくなったのではないかと思います。
そしてこれからを大切に進めていきたく思っています。

A.Mさん(女 51歳)H.27.12.9
絶対信の杖を私も欲しいなと思いました。

教会長より
終わりの方で「具体例に乏しい退屈な話」ではないかとの懸念を表明していますが、この話に関連する具体例として、「1おあてがいのままに」も併せて読んでいただければ、いくらかその懸念が解消できるのではないかと思います。
また、生きる究極の目標として、ある一つのことを掲げていますが、「18修行の場を生きる」というのを偶然読み返してみましたら、「いま祈れることが究極の救い、願わずにおれないことが究極の願い」という言い方をしているのも見つけました。つまり、その時その時真剣に願わずにおれぬことが究極の目標だというわけです。勝手で矛盾するようですが、私にとりましては、どちらの考えも捨てがたいと改めて思いました。

T.Oさん(男74歳 教会長)H28.7.4
「私の五十年」のご教話は、先生の信仰の、ある意味で、集大成であり見事な自己告白であり、マニフェスト(宣言)といふべきものであり、ありがたく、いく度か、深読して参りました。
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