大和高田市 宗教法人 金光教高田教会|祈り、救いを求め、自分に正直に生きる。 ホームへ教会のご案内 教会長からのメッセージ
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金光教高田教会、うどんが好きかラーメンが好きか
41真実はきわめて大切だが
大和高田市 宗教法人 金光教高田教会|祈り、救いを求め、自分に正直に生きる。
もくじ
○ 三十年以上前の話を踏まえて問いかける
▲ 国民は未だに大きなウソに絡め取られたままである
▲ 多くの国民が敗戦後遺症を引きずったまま心を病んでいる
▲ 占領軍は徹底的に日本国民の精神の弱体化を謀った
▲ 戦後民主主義は東京裁判史観と表裏一体
▲ 自虐史観、暗黒史観からは誇りも愛国心も育ちようがない
▲ 「坂の上の雲」が暗黒史観を理屈抜きで駆逐した
▲ ある戦記を読んで、自身の中に愛国心を発見
▲ 上層部に敗戦責任はあっても、犯罪者とまで言えるかどうか
▲ 真相に近づくには多大の年月を要した
▲ 謀略が歴史に及ぼす力の大きさを思い知る
▲ A級戦犯は不当、海軍軍人が含まれないのも謎
▲ まず反省すべきは、情報戦に敗れ続けていること
▲ 一難去ってまた一難、隣国の脅威に悩まされることになった
▲ 我が国には教祖のような信心が生まれる土壌がある
▲ こういう信心や生き方は大陸ではなかなか通用しない
▲ 隣国の侵略に対して、警戒心や危機感を持つ国民がまだまだ少ない
▲ 危機感を共有した上で、祈り方は千差万別でよい

令和四年三月二十二日 奈良県 桜井教会にて
○ 三十年以上前の話を踏まえて問いかける
 いつの頃からか、金光教祖樣の信心は「真実を大切にする信心」であると言い続けてきました。
 そういうテーマで話をし、文章化したものが昭和の終り、五十歳になるかならないかの頃すでにありました。同じ頃、教区から出した同じテーマの「実例集3」というのに、解説代わりに「架空座談会」というのを執筆して載せました。
 現在続けさせて頂いている「教典について語る」というシリーズの第5番目に、久しぶりにこのテーマで取り組んでみようかと思い立ち、今述べた二つを改めて読み返してみました。思っていた以上に忘れている部分が多く、それでかえって新鮮で面白く読み返すことができました。皆様には信じ難いかもしれませんが、もともと、自分が面白いと感じていることや、過去にそう感じたことしか話さないようにしていますので、他人様にとっては退屈な話でも、少なくとも私自身にとっては面白い話なのです。
 その頃と比べて大して進歩していないどころか、細かいところまで追求する気力が衰えてしまっていますので、ホームページに載せるこのテーマの話としては、三十年以上昔のものをひとまずそのまま使わせてもらうことにしました。しかも、二つの話はお互いに補い合うような気がしましたので、「架空座談会」の方もそのまま載せることにしました(未掲載)。
 それらの話を踏まえた上で、今どういうことを切実に感じているだろうかと、改めて今回自分自身に問いかけてみたいのであります。別に踏まえていない皆様にも、もちろんわかっていただけると思いますので…。
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国民は未だに大きなウソに絡め取られたままである
 真実を大切にし、追究しようとする目は、自分の内側と外側とに向けられるべきものなのでありますが、私の場合、近頃は外側に向くことの方が多いのです。と言いますのも、外側の世界、とりわけこの国の現状に大きな危機感を持つからです。それは大きなウソに絡め取られていることから生じている危機です。今は主として二つのことが私にとって重大な関心事であります。
 一つは国民の精神構造についての危機感、今ひとつは国の財政政策についての考え方をめぐる危機感であります。
 それらの問題の深刻さに比べたら、ひと頃騒がれた「モリカケ問題」など、私にはどうでもよい、取るに足りない問題です。そういうふうに問題を矮小化して安倍さんをかばう気か、と言われるのも嫌なので、どうぞお好きなように追求してくださいと言うしかないのですが、私にはほんとにどうでもよいことなのであります(比較の対象として適切かどうか,疑問がありますが、つい…)。
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多くの国民が敗戦後遺症を引きずったまま心を病んでいる
 今回はその一つ目の、国民の精神構造についての危機感について話をさせていただきます。それは、敗戦後80年近くになるのに、多くの日本人は未だに敗戦後遺症を引きずって心が病んだままで、しかもほとんど自覚症状がないということに対する危機感であります。
 どういう風に病んでいるのかといいますと、戦後教育を受けた人たちはみな「軍国主義日本が他国を侵略し、無謀な戦争を仕掛けて諸国に多大な迷惑をかけた」というような、いわゆる「東京裁判史観」というのをしっかりとすり込まれていて、よほど意識的に努力しないかぎり、なかなかそこから抜け出せないでいるのであります。そのため、まるで犯罪者の家族か子孫のような負い目を感じ、自国に誇りが持てず、自国を愛せず、何かにつけ判断に狂いが生じるのです。そしてそのもとをたどれば、GHQ(連合国軍総司令部)の占領政策に行き着くのです。
 もっと昔、戦に負けるということは、皆殺しにされるか奴隷にされることを意味した事を思えば、連合国、実質的にはアメリカによる7年間に及ぶ占領は、実に寛大であったかに思えました。ごく短い期間を除いて、飢えの苦しみを味わうことはなかったし、略奪にあうことも、強制労働に駆り出されることもなく、かえってそれまでになかったような自由や開放感を味わうことができました。おまけに兵役の義務さえもなくなったので、私自身の中にも、敗戦をむしろ幸運であったと感じる気持ちが多分にありました。国民の大多数がそう感じていただろうからこそ、「東京裁判史観」をも、あまり疑問を感じることなしにすんなりと受け入れてしまったのでしょう。
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占領軍は徹底的に日本国民の精神の弱体化を謀った
 しかし、戦勝国がそんな善意と理想主義だけで占領政策を行うわけがないのであります。生意気な黄色い猿共が再び欧米列強に刃向かうことのないように、日本国民の精神の弱体化を図る政策を徹底的に推し進めたのです。
 と言いますのも、当時はまだ白人絶対優位の時代でした。そのことは今でもハッキリと覚えています。その名残をとどめる見本のような映画が、録画して手元にあります。「野郎どもと女たち」というミュージカル映画です。
 ニューヨークを舞台に、救世軍の女性伝道師と聖書を諳んじる賭博師との恋物語で、今観てもセリフの遣り取りがなかなか面白いのですが、時代を強く感じさせる点も幾つかあります。その一つが出演者の人種構成です。
 終戦から10年も経た1955年の作品なのに、多数の出演者はおろか通行人エキストラにいたるまで、アフリカ系やアジア系の人の姿が見当たらないのです。少なくとも大写しになった場面では…。そんな映画がその頃でもまだ作れたのです。探せばまだ他にも見つかると思います。
 そんな時代に、圧倒的な物量と、先進技術と(レーダーなどの)、暗号解読によってなんとか勝利をおさめたとはいえ、悪条件下にあっても命がけで立ち向かってくる日本軍には、ほとほと手を焼いたので、その強さの根を絶とうとしたのであります。
 そのためには、国民の伝統を極力破壊し、誇りと愛国心を奪うのが最も有効であるとして、一般国民には気付かれないように、報道機関には厳しい言論統制をしいて、言論誘導が行われました。占領軍が不都合と判断した報道は一切禁じられ、進駐軍兵士の不祥事も隠蔽されました。あくまでそういう制限の中でのみ許された、占領軍に都合のいい言論の自由でありました。
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教会前の桜並木 松月
戦後民主主義は東京裁判史観と表裏一体
 そうして生まれたのがいわゆる「戦後民主主義」であります。そしてその担い手が主に左派の人たちでした。米ソの対立が激化するまでは、GHQは言論機関や教育界から保守派を追放し、日本的伝統を破壊するため、そこにそういう人たちを導入して大いに利用したのです。そして密かにWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)すなわち「戦争についての罪悪感を日本人に植え付けるための宣伝計画」という洗脳工作を施し、見事な成功をおさめました。
 おまけにその効果は占領終了後も消えることなく持続しました。言論界や教育界をリードする人たちが、恐らくは占領軍の期待以上に、そうした考えを積極的に支持し守り続けたからであります。
 以来、戦後民主主義という言葉には独特の嫌み臭みがつきまとうことになりました。東京裁判史観と表裏一体だからです。裏にその史観がべっとりとまとわりついている感じなのです。従って戦後民主主義を賛美する人たちをつい白眼視してしまうようになったのであります。その実例としては、大江健三郎氏などの名前がまず浮かびます。この人はむかし北朝鮮を賛美し、逆に自衛隊を日本の恥だと言いつのり、沖縄で戦った軍人にあらぬ罪を着せていたのを、曽野綾子さんの実地調査で暴かれたりしていました。そういうことがいつまでも頭から離れないのであります。
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自虐史観、暗黒史観からは誇りも愛国心も育ちようがない
 それと平行して戦後猛威を振るったのが、いわゆる自虐史観、暗黒史観でした。GHQの立場や特定のイデオロギーの立場から観ると、皇室を中心とする日本史全体が負の歴史なのでした。GHQは、日本人の強さの源である国家に対する強い忠誠心を奪うには、国民と皇室の強い結びつきを弱める必要があったのです。

 確かに皇室は、意識するとしないに関わらず、日本人の精神的支柱であり続けたように思います。それが続き得たのは、聖徳太子の最大の功績だとのことです。太子は天皇と政治権力とを自ら切り離して、天皇に即位せず摂政に止まって政治を行ったのですが、その聖徳太子の実在そのものを否定する学者も出てきました。そのことを嘆かわしいことと批判する人たちもいるので、これも形を変えた自虐史観かもしれません。
 それに何よりも皇室を日本人の精神的支柱たらしめてきたのは、「神武以来」一貫して仕えられてきた宮中祭祀、つまりは「祈り」であるとされていますが、その話は別の機会に譲ります。

 話を戻すとしまして、私は、言われるような自虐史観や暗黒史観に立った本格的な論文を読んだわけではなく、日常目にした雑文評論の端々に垣間見えた史観で推測するしかないのですが、それらは概ね暗くネガティヴで恨みがましく、紋切り型で面白みに欠けます。特定の立場やイデオロギーによる歴史の評価や断罪がいかに一面的でつまらないかを実感させるものです。
 そんな論ばかり読まされ聞かされる国民が元気の出るはずがなく、未だにそんな調子の教科書で育つ子供たちに、誇りも愛国心も育ちようがありません。各種の国際比較の調査でも、日本人は自国に対する誇りや愛国心が最も薄いような調査結果がいつも出ていたように思います。まさにGHQの狙い通りの国民が大量に生み出されていったわけです。
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「坂の上の雲」が暗黒史観を理屈抜きで駆逐した
 そんな国民が少しは自信や誇りを取り戻しはじめたのは、司馬遼太郎の歴史小説の力、とりわけ昭和40年代中頃に連載された新聞小説「坂の上の雲」の力が大きいという意味のことを、どなたかが言っていたような気がしますが、全く同感です。これが多くの国民の心をとらえ、それまではびこっていた陰鬱な歴史観を、理屈抜き論争抜きで駆逐してしまうきっかけとなったのだと私も観ています。
 中でも日露戦争。敗戦以来、恐らくは教科書でも否定的に扱われ、すっかり片隅に追いやられていたこの戦争の勝利の記憶を、国民がやっと取り戻し、正当な評価に接することが出来たことだけでも意義は大きいと思います。以後人々は、我が国の歴史は、殊更美化しなくても、良いことも悪いことも含めてありのままに描くだけでも、十分誇るに値するものだと気づきはじめたのであります。
 ありのままにと言っても、司馬さんが乃木将軍を愚将として描いたことに対しては異論が多いのです。私も異論の側につきますが、今は深追いしません。
 司馬さんの先の大戦での日本軍に対する評価も極めて厳しく、東京裁判史観に近かったようです。その時代の人物や事件や戦闘を取り上げた作品もありません。
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ある戦記を読んで、自身の中に愛国心を発見
 その頃読んだ先の大戦に関するノンフィクションの中で、私がもっとも深い感銘を受けた本があります。坂井三郎という空戦のエースの一人による「大空のサムライ」という戦記です。その本の存在だけは早くから知っていましたが、題名からはいかにも時代錯誤な感じしか受けなかったので、長い間手が出ませんでした。それがゼロ戦に対する興味から読み始めてみると、内容は実に濃いもので、この本ではじめて、我々の先人たちは悪条件の中で実によく頑張ってくれていたのだと実感できました。すごい戦闘機をつくり、大きな戦果も挙げていたのだと、誇らしく思えました。生き方としても教えられるところがあり、それまで希薄であった愛国心までも呼び覚まされたのです。意外にもはじめて自分の中に愛国心を発見したのであります。
 この人の戦記は何度も出版され、今でもネットで手に入りますが、改めて調べ直してみると、ちょっと残念なこともいろいろとわかってきて、真実を語ることのむつかしさ、人の話を鵜呑みにすることの危うさを思い知らされました。
 しかし、それこそがむしろ人間の真実というものなので、そういう欠点を割り引いても、この本は後世に伝え残す価値は充分にあると思っています。
 おまけに、昭和28年、最初に出版された「坂井三郎空戦記録」の代筆者、つまりゴーストライターは、なんと福林正之氏であることもわかりました。この方はあのずいぶん以前に亡くなられたサンフランシスコ教会長福田美亮師と、旧制松本高校から東大に進まれた親友で、「神樣になった快傑」という福田師の伝記を執筆して自費出版した人です。私もむかしその本の書評を教内誌に書いたことがあるのです。
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上層部に敗戦責任はあっても、犯罪者とまで言えるかどうか
 昭和の日本軍は、上層部が無能な上に考えが間違っていた、それで無謀で誤った戦争を仕掛けて敗れてしまった。にもかかわらず、下級の将校や兵隊たちはよく頑張ったが、多数が無駄死にさせられた、しかも、近隣諸国に多大な迷惑をかけた、というのが、GHQの巧みな裏工作と誘導によって、日本人自身がたどり着いた標準的な見解だろうと思います。
 軍の上層部が全く無能であったかどうかは別として、自国民に対して敗戦の結果責任を負わねばならぬ事だけは確かです。しかし、戦争犯罪者として裁かれるいわれが本当にあったのかどうか。誤った戦争を仕掛けたという罪、つまり開戦責任を問われたわけですが、当初から疑問の声が絶えませんでした。当時の国際情勢のいろいろな経緯をたどれば、要するにお互い様ではないかということなのです。
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真相に近づくには多大の年月を要した
 近年、米ソの公文書の解禁などが進むにつれて、ようやく事の真相がよりはっきりと把握できるようになりました。
 明治の軍人たちにあれほど理解を示した司馬さんが、昭和の軍人たちに対しては、生涯偏った見方から抜け出せなかったのは、情報不足によるものだと考えています。万巻の書や資料を集めていた人であるにもかかわらず、ジグソーパズルの多くの重要なピースがまだまだ欠けていたのであります。
 私自身も平成19年(2007年)に、ある論争に関わって「かながわ」という教会誌に「歴史認識や平和論について」という一文を寄稿しました。その中で、日本の軍国主義が先の戦争の原因ということに疑問を呈して次のように書きました。

 「多くの人は未だに、先の戦争のすべての責任を日本の軍人と日本の『軍国主義』のせいにした、戦勝国の占領政策をそのままひきずっているようです。
 私自身長い間、日本の軍国主義が戦争の一番の原因、諸悪の根源であったかのように教え込まれ、そこまでで思考停止してしまい、それ以上のことは考えようとしませんでした。戦争や軍備に反対しさえすれば何もかもうまくいく、平和がもたらされるという発想も、案外そういうところに根差すのではないかと今は思います。
 そして、戦争の真の原因は、大きなものだけでも多岐にわたると考え、『軍国主義』はその一つではあっても、最大の原因ですらないと考えております。
 また、真の責任は日本だけにあるとも考えておりません。資源を持たぬ日本が、植民地支配を強めながらせめぎ合う白人諸国家に伍して、生存をかけた競争を繰り広げねばならなかった当時の国際情勢を知れば知るほど、日本のみが破綻の責任を負わされることになったのは、他の列強及び中華民国より、単に狡猾さにおいて劣っていたからに過ぎない、という気もしてまいります。
 にもかかわらず、無謀とはいえやむなく、欧米列強に果敢に立ち向かったことで、白人の植民地支配を覆し、人種差別解消の方向に世界が向かう端緒をつくったことを、アジア諸国にいわゆる『多大の迷惑をかけた』ことを割り引いても、もう少し誇りにしてよいと思うのです。
 『多大の迷惑』ということについても、例えば中国においては、日清戦争の結果、正当な手続きを踏んで得た権益が足がかりで、そこから相互に作用しあって生まれてきたことです。」
 (全文はホームページに第8話として掲載)

 このように書いたことについては今でも訂正の必要は感じません。しかし、かなり漠然とした内容で、まだ何かすっきりしないもやもや感、もどかしさが出ていると感じます。
 それでも、その後も元気で生きさせてもらい、活字を読む視力を維持させてもらい、そして関心を持ち続けていれば、時が経つにつれて、以前はわからなかったことがわかるようになったのは有難いことです。不勉強な私の知り得た範囲内でしかありませんが…。
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A級戦犯は不当、海軍軍人が含まれないのも謎
 こうしてみてみますと、東条英機をはじめA級戦犯として処刑され、死後も靖国神社合祀さえ問題視された人々に着せられた罪が、いかに不当であったかと思わずにおれません。本当に裁かれねばならぬ人々は、敵側も含め別にいることもわかります。
 更に不可解なのは、A級戦犯に海軍軍人が含まれていなかったことです。怪しいのはむしろ海軍の方です。アメリカを敵に回しては勝てないということが陸海軍の共通認識で、それを避けながら資源確保のため南進することがほぼ決まりかけていたのに、直前になって一部の海軍軍人がそれを覆して、わざわざ最悪の選択をしてしまったのが、今でも大きな謎らしいのです。
 そうでなければ決して無謀な戦争などではなく、定石通りやれば日本が勝てたはずとチャーチルさえ言っているらしいです。それを阻んだ米内光政、永野修身、山本五十六たちについて、単に陸軍に主導権を取られたくなかったからとか、鍛え上げた機動部隊の実力をみせつけたかったとかではなくて、敢えて日本を敗北に導こうとしたのだ、という親露派スパイ説が相当な説得力を持って語られるのもうなずけます。山本五十六がまだ好きなだけに残念です。
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教会前の桜並木 白妙
まず反省すべきは、情報戦に敗れ続けていること
 そして改めて思うのです。我々がこれまで植え付けられてきた罪悪感とは、一体何だったんだろう、これまで求められてきた反省は果たして正しいのだろうか、反省の仕方を変えねばならないのではないだろうか、何をどう反省するのが正しいのだろうかと。
 これまで我々は、主として倫理道徳による反省を強く要求されました。我々の先人が間違った戦争を仕掛け、多大の迷惑をかけたとして、長年まるで罪人の家族か子孫のような扱いを受け続けてきました。同胞の多くがそれを真に受けて卑屈になり、先人を呪いました。それを政治闘争に利用しようとする人たちもいました。
 しかし、知るほどに明らかとなるのは、国際間の競争、それが昂じた紛争というものは、何よりも情報戦(謀略や戦後の洗脳工作も含む)であるということです。我々はその情報戦に敗れたのであります。宗教家らしくないことを言うようですが、反省すべきはまずそこなのです。情報戦に負けないためには、今後どうあればよいのかを反省すべきなのです、道義的にはあくまで対等でありますから卑下することはないのです。
 戦争そのものが悪であるという基本認識を持つことは大切です。また個人の行動を律する倫理道徳も大切です。しかし、それでも戦争になったような場合、道義的な優位性を保てるかどうかは、情報戦にもかかっているのであります。情報戦こそが国家の存亡を大きく左右するのですから、これからはそのことも含めて国家存続発展のため英知をしぼるべきだと思うのです。
 自分たちだけが悪かったのだと思い込んでいる人たちが今も多数いて、そのように報道し続けているメディアもあるとすれば、それは、未だに情報戦に敗れ続けているということを意味するのであります。
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一難去ってまた一難、隣国の脅威に悩まされることになった
 そんな情報戦において、当時最も成功をおさめたのがコミンテルンでしたが、ご存じのように肝心のソビエト連邦が1991年(平成3年)に崩壊してしまったのであります。これでとうとう東西対立の危機が収まったかと思いきや、一難去ってまた一難、これまたご存じのように、もう一つの全体主義国家の台頭に悩まされることになりました。しかもそれが選りに選って我々の隣国であります。
 日中戦争において、コミンテルンは日本と国民党軍を戦わせることに成功し、毛沢東の率いる共産軍は、国共合作(国民党軍と共闘する)とは名ばかりで、力を温存し続けました。そして戦後首尾良く政権奪取に成功しました。
 その隣国と日米は、しばらくは対立していましたが、ある時期から歩み寄り、民主化を期待して、日米は惜しみなく技術援助を与え、相手も謙虚に学ぶ姿勢をみせました。安価な労働力を求めて多くの企業が進出しました。
 しかし、力をつけるにつれて、隣国は態度を豹変させ、文字通りの軍国主義国家、覇権主義国家の素顔を見せるようになり、その脅威は増すばかりなのであります。
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我が国には教祖のような信心が生まれる土壌がある
 最後に、これからもどういう国を相手につきあっていかねばならないのかについて、「真実」という観点から触れておきます。
 もう一つの隣国についても言えることですが、同じ東アジアの人間であるといっても、考え方の根本に、容易には埋めがたい大きな隔たりがあるようです。
 ここでやっと「真実を大切にする信心」ということに触れることになるのですが、教祖様の信心がそのような信心であるというだけではなく、我が国自体にも、ある程度真実を大切にする気風や伝統があり、そういう信心を受け入れる土壌があるのです。というか、そういう土壌からこそ、教祖様の信心は生まれてきたのであります。そういう気風伝統は、周囲を海に囲まれて国民が一つにまとまりやすく、相互に理解しやすい環境だからこそ生まれたものと思われます。
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謀略が歴史に及ぼす力の大きさを思い知る
 わかってきたことの要点はこうです。
 日米開戦を誰よりも望んだのはルーズベルト大統領の方でした。ドイツとの戦いに苦戦するイギリスのチャーチル首相から応援を頼まれて、参戦したいのだが、それを望まぬ国民に参戦しないと約束した手前、どうしても口実がほしかった。そこで「ハル・ノート」という、無理難題を盛り込んだ宣戦布告に等しい要求を、米国民にも議会にも内緒で日本政府に突きつけ、一切妥協を拒んだので、とうとう日本も開戦にふみきらざるを得なくなったのです。
 ルーズベルトがしてやったりとほくそ笑んだのは当然ですが、それよりまだ上手がいました。コミンテルン(国際共産主義運動の指導組織)のことです(大戦ごとに荒稼ぎをするユダヤ金融資本のことは、この際横に置きます)。
 当時ソ連びいきだったルーズベルトの側近には、コミンテルンのスパイが多数入り込み、日米を戦わせて両方を消耗させるよう画策したのです。ハル・ノートの作成に最も重要な役割を果たし、国連でも活躍したハリー・ホワイトという人物も、実はソ連のスパイだった事が今では判明しています(もっと早くからわかっていたのを、私が知らなかっただけです)。
 更にさかのぼれば、日米戦の元々の発端である日中戦争においても、近衛内閣に複数のコミンテルンのスパイが食い込み、事変の不拡大方針を覆して、日本軍と国民党軍を戦わせることに成功しました。両者を消耗させるためです。戦争の発端となった盧溝橋(ろこうきょう)事件を仕掛けたのも共産軍であったとの説が最も有力です。
 それらスパイの一人であった尾崎秀実は、後に発覚してゾルゲと共に処刑されましたが、生き残って戦後野党の重鎮となった人物もいます。

 これが平成19年(2007年)に「歴史認識や平和論について」を書いた以後に私が知ったことのあらましですが、これで長年モヤモヤしていたことが、かなりスッキリと理解できるようになった気がしました。と同時に、単なる陰謀論では片付けられぬ、謀略というものが歴史に及ぼす力の大きさを思い知りました。
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こういう信心や生き方は大陸ではなかなか通用しない
 ところがこういう信心やこういう生き方をそのまま東アジアの大陸に持ち込もうとしても、なかなか通用し難いのではないかと思われるのです。大陸の二国もしくは三国では、真実はそれほど大切にはされないと思われるのです。正直ということもまたそれほど価値を持たないのです。むしろそれが命取りになるような厳しい環境で、人々はずーっと生きてきたのです。上手にウソをつかねば生きていけなかったのです。今でもそういうことがあるのかも知れません。日本人からみて、そういう人たちが、まるで息でも吐くように平気でウソをつくように思えることがあるのも、そのためかもしれないのです。
 異境と地続きで、絶えず外部からの侵入者に取って代わられる、厳しい環境にある人たちにとっては、何が真実であるかよりも、何を真実だと人に思い込ませるかということの方が大事なのです。言うなれば、目的のためには手段を選ばぬ勝利至上主義です。
 日中の対立や戦いにおいて、中国側が用いたそういう数々の手段の典型例を一つだけ挙げておきます。
 「田中上奏文」。これは昭和初期に総理大臣田中義一が昭和天皇に極秘に、世界征服を目指すためその第一段階として、中国、満州、蒙古を制服するよう献策した上奏文という触れ込みの文書です。完全にでっち上げの偽文書でありますが、これを英訳したものを中国側は最大限に活用して、欧米諸国を味方につけることに成功しました。日本側が、言葉の壁もあってか、こんなことにさえ対外的に有効な反論が出来なかったという点では、今もあまり事情が変わっていない気がします。
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隣国の侵略に対して、警戒心や危機感を持つ国民がまだまだ少ない
 そして現在進行中の問題です。尖閣はおろか沖縄までも自国の領土であると隣国は主張します。真実などはどうでもよい、自分たちの都合でそう決めたら、それが真実なのです。あとは力で奪い取るのみとばかり、着々と準備を進めつつあるのです。沖縄諸島とその海域は、隣国の海洋進出にとって実に邪魔な存在で、なんとしても手に入れてしまいたいのです。そのため武力以外にもあらゆる手段を用いて侵略を進める、いわゆる超限戦がとっくの昔から始まっているのです。
 また、尖閣沖縄のみならず、スパイ天国の日本にはすでに数万人の隣国のスパイが潜入している、と言うより大手を振って活動しているとか、外国人を規制する法律がほとんどない日本中の土地や山林を隣国が買い漁っているとか、恐ろしい話ばかりが聞こえてきます。それに対して警戒心や危機感を持つ国民はまだまだ少なく、政治家たちでさえ、有効な手が打てず、手をこまねいているだけのように見えます。
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危機感を共有した上で、祈り方は千差万別でよい
 今回は、微力な私でも何とか国の役に立ちたいと願い、せめて私が知り得た範囲の事を聴いて頂いて、少しなりと日本国民としての誇りと危機感を共有できたらと思い、話をさせて頂きました。
 あとは、単に恐れているだけではいたくない、必ず何かさせてくださると堅く信じて祈り続けるのみです。しかし、皆様と危機感を共有した上で,祈り方はめいめいの心次第、信心次第、千差万別でよいと思います。それでも自ずと共通の方向には向いていくと思うのです。
 折も折、ウクライナ状勢を反映してか、ホームページでは、2月から3月にかけて「35健全な愛国心を取り戻したい」という、今回と似たテーマの話のアクセス数が3位に浮上してきています(最終的には3月が1位)。
 今日のような話は、日本を救おうとする話ではあっても、世界を救おうとする普遍的な宗教の話になっていないことは重々承知しています。しかし、こんなところで人類を救う話を持ち出したところで、空論にしかなりません。まずは手元足元を固めることが、回り回って結局は人類の助かりにつながるのだと考えています。
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談話室より
 M.O2さん(男 教会長の弟 80歳) R4.5月
 
 考えが似てるねー!血肉なのかねー
 司馬遼太郎や五味川純平には騙されたというより、膨大な資料を集めて読者を圧倒しながら、その資料が偏っていたのである。彼らも騙されていたのである。ノモンハン事件で、圧倒的物量のソ連軍の損害は、劣勢の日本軍より多かったというデータが出たのは、ソ連崩壊後である。
 子供の頃、中ソが日本軍国主義の復活をどうしてそんなに恐れるのか判らなかった。ノモンハン後、ソ連軍はモンゴル東部に対戦車大要塞を築いた。弱い日本軍に対し、どうしてそんな無駄な備えをしたのか理解できなかった。ある残留孤児の老婦人が「日本は弱いくせに侵略してきて、こんな目に合うのよ!」中国国内では八路軍の大活躍で弱い日本軍を追い払った」と言う教育が徹底しているのであろう。百家争鳴で「県城を占領されたままで大変苦労した」と告白した作家は反右派闘争で粛清された。中ソにとって日本軍は異常に強かったのである。日本人は中ソのプロパガンダに完全に騙されていたのである。
 乃木希典の評価も、司馬遼太郎は「無駄に大損害を出した」としたが、ソ連側では、「攻撃側の死山血河は、ロシア側でも同じ。旅順要塞が陥落したのは11インチ巨砲とトンネル爆破だ」とその作戦を高く評価している。
 「肉弾」は、旅順前哨戦で、死山血河を乗り越えて次々ロシア軍陣地を奪取して行き、本人も遂に重傷を負うに至った櫻井中尉の手記だが、闘魂の模範として全世界に翻訳された。ドイツでは全将官に配布され、第一次大戦の緒戦でベルギー要塞を強行突破するのに、躊躇なく死者の土手を築いた。司馬遼太郎の評価は後世の知恵である。
 それは別として、ロシアのウクライナ侵攻は、平和ボケしている日本人を少しは目覚めさせた。北朝鮮に次いで感謝である。

 教会長
 ノモンハン事件の真相が明るみに出たときは、確かに救われる思いがした。
 司馬遼太郎も、ノモンハン事件について何か書こうとして資料を集めたらしいが、結局断念したのは、マイナスイメージの資料しかまだ集まらなかったからかもしれない。

 司馬遼太郎はまた、203高地を陥せたのは児玉源太郎が持ち込んだ大砲のおかげであるように書いていたらしいが(直接読んでいない)、ウィキペディアによると、児玉自身は、乃木なくして攻略は不可能であったと言っていたらしい。親友を弁護するためにそう言ったのかも知れぬが、乃木の一番の真価は、やはり高潔な人間性にあるようだ。そこを児玉も明治天皇も愛し、外国人にも評価されたのだと思う。児玉の葬儀の折、乃木もまた降りしきる雨の中、棺を担いだらしい。


 S.Sさん(男 60代 海外在住)R.4.5月

 今回のウクライナの件を見ても、石油とガスを持っている国は強いですね。当時日本は備蓄が一年しかなく、アメリカからの輸入が90%の中で禁輸されるという状況でしたから。
 なんとなく今のドイツに似てますね。

 私の乏しい日本の歴史の知識ですが。
 米内光政氏 日米開戦はそもそも反対だった。天皇制の存続、天皇無罪の擁護の証言が米軍GHQにとっても必要だった。
 永野修身氏 裁判中に病院で亡くならなければ、海軍のA級戦犯だった。日米開戦の責任者。
 山本五十六氏 艦隊の責任者だから上司の命令に従っただけ。


 教会長
 山本五十六は単なる駒に止まらず、ある程度、自らの意思で軍を動かせるまで力を持っていたようです。この3者は一緒のところをよく目撃されていたので、恐らく重大な意思決定はお互い影響し合っていたものと思われます。揃って人望が厚かったようで、スパイ説は穿ち過ぎかもしれません。
 永野修身は今では無名に近いですが、海軍大臣をはじめ三つの要職を全部勤めた唯一の人物だそうで、何故か劣悪な収容環境で早くに病死させられてしまったため、謎が残ります。
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