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金光教高田教会、うどんが好きかラーメンが好きか
37金光教教典について語る 2
大和高田市 宗教法人 金光教高田教会|祈り、救いを求め、自分に正直に生きる。
もくじ
▲ 教祖の教えの認知度はまだまだ低い
▲ せめて知識としてもっと広めたい
▲ 珠玉の教えももとは岡山方言
▲ それでも通じたのは共通語の普及のおかげ
▲ 「神を、杖につきゃらくですのう」
▲ 「一生死なぬ父母にとりついたと思うて…」
▲ 当時の金神参りは大変な行程だった
▲ 「人間として、こういう方が、おられるか、とおもうた」
▲ 神信心の必要性を見事な比喩で説く教えが、幾つも出て来た
▲ まず問うべきは、神様に頼る生き方が正しいかどうか
▲ 「神に会おうと思えば…」
▲ 「神の中を分けて通りおるようなものじゃ」
▲ 「天地金乃神のご神体は天地である」
▲ 「大阪は広いなあ。しかし、…」
▲ 「人は十年は長いように思うけれども…」
▲ 「天地の開ける音」は単なる比喩ではない
▲ 「信心といっても別にむずかしいことはない」
▲ 巧みな比喩を用いた教えの典型は…
令和二年九月二十二日 奈良県 桜井教会にて
 前回は「教典について語る」と言う話をさせてもらいました。
 引き続き、金光教祖様の教えについて、できることなら何回かにわたって,様々な角度から味わい直し、取り組み直してみたいと思います。
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教祖の教えの認知度はまだまだ低い
 私共はキリスト教徒でも仏教徒でもありませんが、聖書とか「歎異抄」などを通じて、或いは一般の書物の中で引用された言葉などによって、ほんのわずかながら、それらの教祖宗祖の教えを、知識としては知っています。
 しかしながら、それ以外の宗教については、イスラム教をはじめいかなる大宗教の教えについても、何も知りませんし、天理教をはじめ国内の宗教についても同様です。
 金光教祖様の教えについての、一般社会における認知度もまだまだ極めて低く、所詮は、閉ざされた世界の中でしか知られていない教えなのが残念でなりません。
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せめて知識としてもっと広めたい
 それで今回は、こういう教えがありますよと、せめて知識としてでも知ってもらえるよう、我々がとりあえず世間にアピールするには、どういう教えがいいだろうかという観点から、教祖様のお言葉を幾つか選んでみたいと思います。
 そしてそれには、平易な具体例で物事の本質を指し示す言葉か、機知溢れる印象的な言葉がいいように思うのです。
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珠玉の教えももとは岡山方言
 もともと、お百姓としての生活の中での熱心な神信心が神様のお眼鏡にかない、不思議な力を現わされるようになったのを見聞きした人達が,農作業中の教祖を呼び出しては助けを求めて来るので、おちおち農作業もできなくなり、「来た人も待ち、両方の差し支えになるから、どうか家業を辞めてはもらえまいか」という神様の頼みで生まれた教祖広前でありました。
 根っからの農夫で、教養とては、子供のとき受けられた寺子屋教育だけ。にもかかわらず、そういう農家の日常語だけで、「話を聴いて助かる道」と言われるほどの、数々の珠玉の教えが紡ぎ出されていったのは、きっとそこに神様のお力が加わってのことであったろうと思われます。
 それに、伝えられた言葉のもとの形は岡山地方の方言が多いのです。それが当時(江戸時代末期から明治初期にかけて)の日常語だったからです。
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それでも通じたのは共通語の普及のおかげ
 それでも大阪から参拝された福嶋儀兵衛師や近藤藤守師らとも、また九州小倉から参拝された桂松平師らとも、ちゃんと話が通じたのです。これが実はすごいことらしいのであります。日本全国、備中の片田舎に至るまで、すでにある程度は共通語が普及していたことを意味するからです。
 そのことが明治以後の日本の急速な近代化と発展を可能にし、日清・日露の戦争の勝利をも可能にしたと言えるらしいのでありますが、それをもたらしたのが,江戸時代に200年以上も続いた参勤交代制なのだ、という説に最近接して目からウロコが落ちる思いがしました(理由はここでは省きますが)。学校の授業では、諸大名を苦しめた悪しき制度だという風にしか教わらなかったのが、そんな恩恵ももたらしたのだとは、何が幸いするかわからぬものです。
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「神を、杖につきゃらくですのう」
 それではまず、教祖ご自身は人にどのように神信心の必要性を説かれたのかをみてみます。いちばん早くから知られていますのに

 「金(かね)の杖をつけば曲がる。竹や木は折れる。神を杖につけば楽じゃ」(御理解第五十七節)

というのがあります。
 「御理解」の「理解」という言葉の意味は、普通「物事の道理をさとり知ること」ですが、ここで使われる理解という言葉は、「物事の道理をさとり知らしめる教え」という意味で使われています。
 しかし、複数の辞書で調べてみても、そのような用法が出てこないのです。それ自体が、今では狭い世界でしか流通していない旧い言い回しなのかも知れないので、外部の人達には、そこからまず説明してかかる必要があるかも知れません。
 いずれにしましても、この教えなどは、身近な具体例で根本的に大切なことを指し示す典型例だと思います。私の好きな教えの一つであります。
 この教えがどこから採られたものかは、昭和二十八年に刊行された旧教祖伝「金光大神」で明らかになりました(新教祖伝は平成十五年に刊行されました)。難波教会初代の近藤藤守師が頂かれた教えとして、

 「かねの杖をつきゃ、まがるし、竹や木の杖をつきゃ、おれるし。神を、杖につきゃらくですのう。神はまがりも、おれも、死にもなさらぬからのう」

と紹介されています。  これが昭和五十八年刊行の新教典では、

 「金の杖をつけば曲がるし、竹や木の杖をつけば折れるし、神を杖につけばよいのう。神は、曲がりも折れも死にもなさらぬからのう」

と書き改められ、更に400の教えを抜粋した「金光教教典抄」では、

 「金の杖をつけば曲がる。竹や木の杖をつけば折れる。神を杖につけばよい。神は、曲がりも折れも死にもなさらない」(抄録230番)

という表現に落ち着きました。
 妥当な修正だと思います。しかし、神信心の必要性を説く教えとして、もう少し早い順番に出てくる方がいいと思いますし、分類方法にも違和感があります。
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「一生死なぬ父母にとりついたと思うて…」
 近藤先生は次のような教えも頂かれたことが旧教祖伝で紹介されました。

 「一生、死なぬ父母に、とりついた、とおもうて、なにごとでも、無禮とおもわず、天地乃神にすがればらくです」

 この「一生死なぬ父母」という比喩がまた、人間の信仰対象としての神様の本質を、実に的確に表現し得ていると思うのです。
 これが新教典では

 「一生死なぬ父母にとりついたと思うて、何事でも無理と思わず天地の神にすがればよい」

となり,抄録では、

 「一生死なない父母に巡り会ったと思って、何事でも無理と思わないで天地金乃神にすがればよい」(抄録229番)

となりました。この抄録の順番や分類方法についても、先程と同じような感想を持っておりますが、このように神様をとらえることで、親子の情から神様の御心を類推出来るとするのが次の教えであります。

 「わが子のかわいさを知りて、神の氏子を守りくださることを悟れよ」(神訓 信心の心得)

 世の中には不幸な親子関係もあるにはありますが、一般論としては、親子の関係でとらえるのがいちばん妥当な類推だと思います。抄録では次のように改められました。

 「わが子のかわいさを知って、神が人間をお守りくださることを悟れよ」(抄録6番)
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当時の金神参りは大変な行程だった
 ちなみに、近藤先生が初めて教祖のもとに参拝されたのは、明治十四年二月のことで、教祖が他界される二年前のことでありました(我々の親教会である真砂初代の福嶋儀兵衛先生の初参拝はずっと早くて、明治二年のことです)。
 それ以後のある時から、近藤師は教祖を親のように慕って、奥様と共に毎月参拝されるようになりました。それがどんなに大変な行程であったか。
 当時大阪から備中大谷村まで行くには、船で瀬戸内海を下り(どんな船か全く見当がつきませんが)、岡山の三蟠港につけ、そこから小舟に乗り換えて倉敷川をさかのぼり、更にその支流をさかのぼって今の倉敷市連島というところに出て、更に玉島まで行き、そこから人力車に乗るなどしてようやくたどりつくのです。片道どうしても三日はかかります。その時間と費用たるやたいへんなものであります。
 教祖もそれを気遣われてか

 「天地金乃神は世界中にある。大阪ばかりでも日本ばかりでもない。世界中、天地のあらんかぎり、おめぐみあるのじゃ。遠方のところを、そう、たびたびまいってくれば、一度に、五圓からの入費がいろうが…」

とさとされたといいます。
 「五圓」という具体的な金額まで教祖が口にされたので、それが今の貨幣価値でどれくらいになるのか、ネットで調べてみました。それでわかったのが、明治三十年頃で、1円にはおよそ2万円の価値があったとのことです。それより15年も前だと、もう少し高くなるにちがいありません。だから少なくとも10万円から、多ければ15万円くらいはかかったとみていいでしょう。お二人の船賃や車代や宿泊費や食費を考えたら、それでもまだ安いかもしれません。同時にそれは、教祖広前に初参拝された同じ年の十二月に開かれたばかりの難波広前には、それだけの出費を厭わないだけの参拝者が、早くもあったということでもあります。
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「人間として、こういう方が、おられるか、とおもうた」
 教祖様がそうまで言われたにもかかわらず、藤守先生は毎月の参拝をやめられなかったのでありますが、藤守先生からそこまで慕われた教祖様とは、一体どんなお方であったのか。
 残された言葉の数々から、人柄の察しはつきます。しかし外見としては、残念ながら写真は一枚も撮られずじまいでありました。ですから、いろんな人が印象を語ったものだけが残されていることから推察するしかありません。ある人は、
 「眉ながく、肉つきよく、つやよく、温情あふるる方であったが、眼つきに、すこぶる、するどい感じを受けた。人間として、こういう方が、おられるか、とおもうた。みたことのないような人だ、とおもうた」
と言い、ある人は、
 「きついような、やさしいような方でありました。これが本当の神様じゃなあ、とおもわれ、こういうようなお方は、どこにもあるまい、とおもうた」
と言い、ある人は、
 「口もとには、えもいわれぬいつくしみがたたえられ、こえは、たかくはなかったが、鈴をふるようにすみとおっていた」
と言い,ある人は、
 「参ってみりゃ、ほかほかの拝む人とは違うておるぞな。それは、どうも神々しいもんじゃ。まあひとつ参っておみんさい。ありがたいでえ」
と語り,ある人は
 「ご生質温和にして、威ありて猛からず。うやうやしく御安く、寛仁大度に、毎日、お広前に早天より暮れまでご鎮座ましまし…」
と書き記しています。
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神信心の必要性を見事な比喩で説く教えが、幾つも出て来た
 そういう教祖様が、神信心の必要性を見事な比喩で説く教えが、新教典になってから新たに幾つも出て来ました。

 「石や金でも舟に積んだら浮かぶであろう。人はおかげの舟に乗るがよい」(伝承者不明)
 「戸締まりをして家の内に寝ていても、信心がなくば野中に寝ているも同然と思えよ」(島村八太郎の伝え)

 これらの教えは、抄録には採用されていません。
 「金の杖」の教えと主旨は同じながら、こういう言い方もなさっています。

 「建てた柱はたおれることがあるからのう、つったのれんにもたれる心になっておかげをうけなさい」(荻原須喜の伝え)

 ちょっとわかりにくいかもしれませんが、こういうことだろうと私はうけとめています。
 「建てた柱」というのは、私たちが今手にして頼りきっている物事、例えば地位、財産、健康、様々な能力、家族、人脈等々のことです。これらが実は、いつどうなるかわからぬ、不確かな物事ばかりであります。そんな物事に安心して身をゆだねることはできないのです。それらを吊ったのれんだと考えるなら、吊ったのれんにもたれようとする人はいません。そう考えれば、油断なく真に頼るべき存在にのみ頼ることができるから、つねにそういう気持ちになっておかげを受けなさい、ということではないでしょうか。
 「金の杖」の教えと共通するのは、真に頼るに値するのは神様のみということです。
 我々が頼りにしている先に挙げたような物事は、言葉を換えれば、全てが「授かりもの」です。そういう「授かりもの」自体に依存するのではなく、全てを授けて下さる元の力に頼れということなのです。授けられたものにはとことん感謝すべきなのではありますが、それがあるからといって、決して安心や油断はできないのであります。
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 まず問うべきは、神様に頼る生き方が正しいかどうか
 世には神様など信じないし頼る気もない、自分の力だけを頼りに生きているという人も多かろうと思います。実際人がそう言うのを聞いたり、書いたものを読んだりしたことがあります。他ならぬ私自身が、そう考えていた時期があったのです。
 あいにく私はその自分自身の力をも信じられなくて、つねに無力感にうちひしがれていましたので、藁にもすがる思いで「金の杖」の教え受け入れてみたわけですが、いま挙げたような三つの教えをもっと早く知っていたら、さらに受け入れやすかっただろうと思います。
 その三つの中の「吊ったのれん」の教えは、抄録にも採用されていて、

 「建てた柱はたおれることがある。吊ったのれんにもたれる心になっておかげを受けよ」(抄録231)

となっています。
 神信心をしたことのない人が、初めてこうした教えに接してまず問うべきことは、そんな神様に頼って本当にご利益があるのかどうかではなく、そのようにして神様に頼る生き方が、人間として真に正しい生き方なのかどうかということであろうと思うのです。それがいちばん正しい生き方だと感じられるなら、目先の結果如何にかかわらず、どんな困難をも神様を杖にして乗り越えていけるからです。
 そして、これらの教えには、そう感じさせてくれるだけの力がこもっているのではないかと思います。何しろ、関西や九州の人達を、口コミだけで備中の片田舎に引き寄せるだけの感化力を持つ人物から発せられた言葉なのですから。
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「神に会おうと思えば…」
 そういう教祖様が、神様についてどういうイメージを抱いておられたかにつきましては、早くから知られていたものに、

 「神に会おうと思えば、にわの口を外へでてみよ。空が神、下が神」(御理解第十二節)

というのがあります。これも神様を端的に指し示すものとして、好きな教えでありました。
 もちろん、わざわざ外へ出なくても、どこでも、壁を目当てにしてでも神様には会えるのですが、神様をもっと強く実感したいならという話なのです。
 世には、被造物を神様と考えるのは間違いで、被造物と神様とは峻別しなければならないという考え方もあるようです。しかし、そんな断定は全く無意味であると私は考えます。神観には正しいも正しくないもないのです。
 もともと教祖様も、神様のこと天地のことは人間では伺い知ることができないとした上で、あくまで人間の側から描くイメージとしての神観を差し出されたまでのことであります。天地万物に神の意志や力が内在する、というイメージが我々の心に響くならば、その神観は正しいと考えていいと思うのです。
 ところが、新教典が出たことで、この教えのもとの形は、もっと泥臭いものであるということもわかりました。

 「金光に会おうと思えば、わが家に帰り、にわの口(土間の入り口)を外へ出てみよ。空が金神(こんじん)、下が金神」(市村光五郎の伝え)

 最晩年にも、まだ金神という言い方もなさっていたことがわかります。これを先の「御理解」のように言い換えた、旧教典編纂者の判断は正しいと思いますし、もとのイメージの価値を一層高めていると思うのです。
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「神の中を分けて通りおるようなものじゃ」
 次のような教えも好きな教えでした。

 「目には見えぬが、神の中を分けて通りおるようなものじゃ。畑で肥をかけておろうが、道を歩いておろうが、天地金乃神の広前は世界中であるぞ」(御理解第6節)

 この教えが、実は合成されたものであることが、旧教祖伝で明らかになりました。

 「神さまは、眼にこそみえさっしゃらね、そこらあたり一杯におられるので、神さまの中を、わけてとおりおるようなものじゃ」(津川治雄の伝え)
 「たとえ、畑でこやしをかけておろうが、路を歩いておろうが、天地乃神の廣前は、世界中じゃぞよ」(松本太七の伝え)

 この二つの伝えが合成されていたのです。私はそれもアリだと思います。抄録ではこうなっています。

 「眼には見えないが、神の中を分けて通っているようなものである。畑で仕事をしていようが、道を歩いていようが、天地金乃神の広前は世界中である」(抄録7)
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「天地金乃神のご神体は天地である」
 そうした神観の極まるところが、新教典で初めて紹介された親教会初代の次のような伝えです。

 「天地金乃神のご神体は天地である。宮社に鎮まり納まっておられるのではない。真(まこと)一心の心に神がおられて、おかげになる」(福嶋儀兵衛の伝え 抄録9)

 そうしたことから、人間の祈りはどこからであろうと瞬時に神さまに届く、と教祖は説かれたのであります。

 「願う心は神に届くものである。天地金乃神は、くもが糸を世界中に張ったのと同じことである。糸にとんぼがかかればびりびりと動いて、くもが出てくる。神も同じことで、空気の中にずっと神の道がついているから、どれほど離れていても、拝めばそれが神に届く」(抄録21)

 オリジナルに近いものは、既に旧教祖伝にも出てきますから、同時にそれも味わってもらいたいです。

 「こころは、すぐいもので、天地金乃神の信心を、しておるものは、蜘蛛が、えぎを、世界にはったとおなじことじゃ。とんぼがかかれば、びりびりとうごいて、蜘蛛がでてくる。神さまもおなじことで、神の道は、空気のなかに、ズッと道がついておるから、何百里あっても、おがめば、それがズッととどくから、女郎蜘蛛のとおりじゃ」(伍賀慶春の伝え)
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「大阪は広いなあ。しかし、…」
 そういう神観を持った教祖はまた、神さまの目で物事をみるということに長けておられました。というか、そういう空間感覚や時間感覚を、神さまから授かっておられたのだと言えます。
 新教典に、近藤藤守師の伝えとして次のような記述があります。

 「ある時、絹川といううどん屋を伴って、多くの信者のお供え物をことづかって参った。その時、これだけことづかりましたと申して書付と共に出したら、
 『私は字を知らないから読み損なうので、それはそちらで読んでくれ。私は書くから』
 と金光様が言われたので、大阪東区○○町、と読みだしたところ、
 『いやいや、大阪何の年でよい』
 と仰せられた。そこで絹川が『金光様、大阪は広うございます。四区二郡に分かれておりますから』と申したら、金光様が、
 『ははは、大阪は広いなあ。しかし、けし粒よりは少し小さかろう』
 と仰せられた。」

 この最後の4行ほどが抄録に採用されています(抄録10)。
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「人は十年は長いように思うけれども…」 
 同じく抄録11の「人は十年は長いように思うけれども、神にとっては、あちらを向いてこちらを向く時間ほどもない」にも、藤守先生が伝えられた次のような話が付随しているのであります。

 「岡山の漁師で、はじめは信心に熱心であったが、家のことが都合よくいかず、『当分信心をやめますからお社を預かってください』と言って持って来た人があった。金光様は、
 『それもよかろう。またいる時にはいつでも取りに来なさい』
と申しそえておかれた。その人が、また十年ぶりに取りに来て、『金光様、よい都合にいきません。信心している間はどうにかこうにかいっておりましたが、信心をやめてからは借金ができました』と言ったから、
 『さあ、持ってお帰りなさい』
と言って持ち帰らせなさった。その翌日、もとの殿様の娘ごの病気をその人の所へ願いに来、その人が神様に願ってあげて、さっそく娘ごがおかげをいただかれ、たくさんにお礼を持って来られた。それでおかげをいただいて再び信仰するようになり、借金はすべて返せた。
 私がお参りした時その人もいて、右のような話を承った。その折、金光様はあちらからこちらを向かれて、
 『人は十年は長いように思うけれども、神様にとっては、あちらを向いてこちらを向く時間ほどもないからなあ』
と仰せられた。」

 神さまの眼で物事をみるなどということは、本当は不可能なのかも知れないのですけれど、教祖さまもなさったように、少しなりともそれに近いことをさせてもらえるとするなら、どんないいことがあるのでしょうか。
 そうなることで、目先の喜怒哀楽に振り回されることが少なくなり、より広い視野と,長い目で物事をみることができるようになり、それが困難を乗り越える力になっていくに違いないのです。だからこそこれらの教えは必要なのであります。
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「天地の開ける音」は単なる比喩ではない
 そして、こういう新しいお道の出現を、世界に向かって声高らかに呼びかけるかのような言葉として

 「今、天地の開ける音を聞いて、目を覚ませ」 (国枝三五郎の伝え 御理解第1節 抄録90)

という教えがあります。
 その言葉の深い象徴性を意識してか、これは金光教祖御理解百節のトップに据えられ、合唱曲にもなって、大祭などで演奏されています。なかなかの名曲だと思いますが、作曲者は金光学園の音楽の先生で、お寺の息子さんだったと、どこかで読んだ記憶があります。
 この「天地の開ける音」というのも、やっぱり見事な比喩だなあと思われるかもしれませんが、実はそうではなくて、教祖は実際にその音を聞いておられたのだと、これもどこかで読んだ記憶があります。「国枝さん、あなたには聞こえませんか。私には聞こえていますがなあ」と聞き入っておられたとのことです。 決して、ただの耳鳴りなどではなかったのだと私は確信します。
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「信心といっても別にむずかしいことはない」
 こういうお道の信心について、手短に伝えるにはどう話せばよいのか、教師も信者さんもそれぞれに頭を悩ますことが多いのです。意外と難しいのです。言葉だけで説こうとしても、こんなことで相手を説得できるはずがないと、話す本人が空しさを感じて、つい黙りこんでしまうことになりやすいのです。私などその典型です。
 教祖ご自身は,さすがにそういう難しさを易々と乗り越えておられます。

 「ある時、他行の途中に参拝し、『金光様、あなたはよく信心ができますなあ。私は不信心者で、いっこう信心ができません』と申しあげたら、
 『私方の若い者でも、こうして半日も座ってはいられないと言います』
と仰せられた。私が『信心はどうしたらできましょうか』と伺ったら、
 『信心といっても別にむずかしいことはない。親にものを言うように、朝起きたらお礼を申し、その日のことが都合よくいくように願い、よそへ行く時には、行ってまいりますと言ってお届け申しあげよ。そして、帰って来れば、無事で帰りましたとお礼を言い、夜寝る時にはまた、その日のお礼を申して寝るようにすれば、それで信心になる』
と教えてくださった。」(平野五郎四郎の伝え)(後半のみ抄録167) 

 神様と人間の関係は親子の関係であるとか、何事にもまずお礼が第一であるとか、何事も神様にお願いしてさせて頂くことが大事だとか、理屈めいた話は一切せずに、1日の過ごし方についてのごく平易な具体例のみで,信心の大切な基本を指し示しておられるのです。
 こういう説き方は真似ようとしても、真似られることではありません。その人に備わったお徳や総合的力量に神様のお力が加わって自ずと生まれてくるもので、その人だけのものです。私のような凡人に出来るのは、それをそのまま右から左に伝えることだけです。あとは、むつかしくとも、その時その場に応じて、自分に授けられた言葉で語らせてもらうしかないのだと思います。
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巧みな比喩を用いた教えの典型は…
 最後に、これまでの話の流れとは無関係ではありますが、巧みな比喩を用いた教えの典型と思えるものを幾つか挙げておきます。

 「明日塩辛を食べるからといって、今日から水を飲んで待つわけにはいくまい。取り越し苦労をするな」(高橋富枝の伝え)(抄録246)

 これはそのまま諺としてでも通用しそうな教えであります。

 「物事は何でも人に先をゆずれ。蔵に物を入れても、後から入れた方が先に出るぞ」(島村八太郎の伝え)
 「昼になると、『屋根屋さん、おりてご膳お上がり』『井戸屋さん、あがってご膳お上がり』と人は言う。自分が高いところにいれば人は下げ、低いところにいれば人は上げてくれる。屋根屋信心よりも、井戸掘り信心をせよ。おりて食べるより、あがって食べよ」(大本藤雄の伝え)

 これらは人間どう生きるべきかということに関しての教えですが、そういう教えについては、次回改めて取り組んでみたいと思います。
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談話室より
M.O2さん(男 教会長の弟 79歳) R2.10月

 自分は10歳の頃、一体と信じて疑わなかった母親と、皮一枚で互いに赤の他人と気付いて慄然とした。自分は孤独なのである。それは進化して暗黒の宇宙に浮かぶ孤立感に、太陽系に浮かぶ小片の感覚になった。ふと気づけば地球上にいるが、それは仮の姿でしかない!
 年齢が進むと、「宇宙の歴史の一瞬に居るに過ぎない」と言う時間感覚も伴うようになった。とは言え現実に戻ると、感知する限りを豊かに快適に暮らしたい、その一念で活動してきた気がする。
 時々、見知らぬ人に初対面で人生相談されることがある。心の中は不安や怒りの嵐でも、何処か冷めて、大概の人を赦している、その表面的穏やかさに気を許すのであろうか?
 信仰する人には申し訳ないが、信仰とは、悩む知性を封印して仮の安心に浸っているように思える。暗黒の果てしない思考世界が怖くて、狭い垣根に安住すれば、不確定感に悩む必要が無くなるのである。「聖書が言ってるから地球は平面だ」とも主張できるのである。
 我々は万物の一端に過ぎないが、生あるものとして、その生をより確実にしたいという欲望が行動の原点であり、絶対的な豊かさと隣人との相対的優位の間で揺れている。地球全体の幸福を優先するか、自己利益のみを追求するか人それぞれであるが、その中間で、集団がどのあたりに在るかが、いわゆる民度の尺度ではなかろうか!
 

 教会長

 親達への複雑な思いは、養父母に育てられた私にもある。お互いそのことにはあまり踏み込まないようにしよう。

 悩む知性を封印する必要は全くないと思う。全開するといい。
 しかし、悩むにしても悟るにしても、それなりの才能が要求されるので、信者であるなしにかかわらず、封印するにも値しない知性の持ち主が多いのも確かだ。
 それでも誰であれ、個々の人間はみな能力の限界というものを抱えている。信者にとって重要な課題は、悩むにしろ悟るにしろ、自分の能力の限界を少しでも押し広げて新たな認識に達することである。話をするにしても、毎回、誰もまだしたことのないような語り口を工夫するのが大変なのである。その蓄積がちょっとした威力を発揮するようにでもなれば、努力のし甲斐があるというものなのだが…。

 それにしても、どれほど理屈をこねようと、「神通力」のある人には勝てんね。神通力のある人のところへは、何百里離れていても人は寄っていく。教祖の神通力は半端じゃなかったからね。亡くなってからでも、電話も電報もない時代に、主だった信者はみな知らせを受けたそうな。近藤師も知らせを受けてすぐ、三日がかりで駆けつけなさったそうな。
 逆に、神通力のない人間が布教していくというのは、誠に困難を極める。しかし、それにもそれなりの意義はあるのだと思う。


 M.O2さん

 遠方交信はオーストラリアのアボリジニもやってたようだ。シベリアは人口希薄であるが、30㎞先にしか人がいない所でも互いの動きを感知し、男女の出会いもあった。余談だが、レーニンは「ロシアは無人地帯を探検開発した」とロシア帝国の領土拡大を正当化していたが、シベリアは希薄とは言え人々のネットワークがあったのである。
 ラスプーチンは人の心を読み、運命も見え、自分が暗殺されることも予知したと言われる。世間にはオーラを感じさせる人もいる。研究開発でも、100回実験しても進路をつかめない人と、2~3回の実験で可能性を導き出す人がいる。この直観力の差は如何ともし難い。麻原彰晃も近くにいるとその人間力に圧倒されるのかもしれない。西郷隆盛も、会った人間はメロメロになったそうである。
 現時の科学知識では説明できない特殊能力だが、大部分の、特殊能力を有さない人達が人間社会をうまく運営するには、絶えざる努力が必要である。努力の中には信仰力もある。信仰できない人間には更なる努力が必要であろう。努力を厭うと組織は腐敗する。
 科学も信仰も万能ではない。我々凡人は短い一生を、流れに身を任せながら、生を全うするだけなのかねー!


 教会長

 「神通力を持った人」と言うより、「神通力を持った徳者」と言っておくべきであったかも知れない。飛び抜けた「神通力」はなくても、信心して徳を受けられる可能性は、一応誰もが持っていると言えるだろうから。


S.O2さん (女 弟の妻 70歳前後) 弟が代筆

 神様とは自身の心の中にあるのでは

 幼少の頃、生家の離れに一人の老婆が住んでいた。満州で財を成し、大勢の使用人を置いていた方だったと言う。終戦で引き揚げ、親戚に身を寄せたが、折り合い悪く我家に助けを求めて相談に来られた。父は小さな離れを提供し、そこに居住されることになったと言う。
 私はそのお婆さんが、朝な夕な庭に出て、天地に手を合わせる姿を不思議に思い、見詰めていた。そのうち真似をし、隣に立ち手を合わせると、「おりこうさんネ」とお菓子をくれた。それからはお菓子欲しさに度々繰り返していた。神様は世界中においでになる。金光様の事だったのかな?被造物ではなく、心の中の神様、壁に面しても神様に会える。大好きな言葉です。これからは天地に手を合わせたい気持ちになりました。


 教会長

 Sさんの参入、嬉しい限りです。
 「神様とは自身の心の中にあるのでは」:
 まさにその通りで、我々も同じように考えています。しかし、「わが内なる神」というのはテーマが大きすぎて、まだこれまでキチンと考えたことがありません。今は安易な発言は控えたいと思います。
 ただ、実践面では、わが心に浮かぶ全ての感情や考えは、「授かりもの」として、まずは価値判断抜きに大切に扱い、全体として自他共に立ちゆく方向に導いてほしいと願い続けています。

 S.Sさん(男 60代 海外在住)R.2.10月

 今回は内容も深いですが、ボリュームも凄いですね。圧倒されました。
 先生のお話の間口が広く深いので、以下ぶつ切りで小学生の感想文みたいですが。。。

 せめて知識としてもっと広めたい:
 いいお話やよくよく考えてみたら怖い話も多く、本当にそうだなあと思います。

 近藤先生が明治14年初参拝:
 市村さんや山本先生はその少し後だと思いますが、よく二年弱の短期間で皆さん集中してお話を聴き、文章にされ、解りやすく咀嚼されたなあと思います。

 神の中をわけて通りおるようなものじゃ:
 2つのやや異なる内容が一つの文章に入っているのを私も少し不思議に思っていました。経緯が解りました。

 天地金乃神の御神体は:
 蜘蛛の例えでお話が3つありますが、その中では伍賀先生の女郎蜘蛛の文章が一番カラフルで絵になり心に残ります。伍賀先生は元神官?元山伏?だったと聞いたことがありますが、それが感受性、文章力に何か関係しているかもと思いました。

 大阪は広いなあ、しかしけし粒よりは小さい:
 空間と時間を超えているわけで、宇宙空間から地球を見ている感じですね。ブラックホールでは時間も歪曲するそうです。
 金光様は養父養母のおかげで庄屋の小野氏の寺子屋で二年間勉強されたと聞いています。小野氏は当時の最先端の天文学者でもあったそうなので、文字書きそろばん以外にも宇宙全体について学んだと思います。

 金光様のお言葉は平易ですが中身が深いので、自分で考えて深堀りしないとなかなか深い部分にたどり着けません。中身の底まで行かないと文章を知っているだけで結局使えないで終わってしまいます。
 お言葉に、だからXXXXXX、なぜならYYYYYYをつけて自分でしりとりの様に文章を繋げていき、自分の体験も交えて咀嚼する作業が必要だと感じています。個人的見解です。

 写真にある立教聖場は私も行ったことがあります。そのときも不思議に思いましたが、昔は左側の霊殿がなくただの扉のようですね。当時は死後の世界は仏教、現世頼みは神様と別れていたのかもしれませんね。

 金光様があまり霊界について述べていないのは、現世を大事に主体的に生きるのがより大事だというのもありますが、神様から「あまり世間に言うな」と口止めされているかもしれませんね。ただし、其のため宗教としてのロジックの完成度がやや低下して人に説明しづらいのかもしれません。佐藤宿老など気付いていたはずなんですが。。

 弟さんとの対話いいですね。

 
教会長

 話の分量はいつもとそんなには変わらないのですが、いつもより多く引用した教祖の教えの持つパワーに「圧倒される」思いをなされたのではないでしょうか。

 同じ教えを何種類も並べ比べるというやり方を、面白いと感じてもらえるか、わずらわしいと思われてしまうか、不安だったのですが、S.Sさんの場合は吉と出たようで、少し安心しました。

 「宗教としてのロジックの完成度」が低いために説明がしづらい、というようなことは、たしかにつねに感じてきたことではあります。反面それは、自由裁量の幅も広いということで、完成したロジックにがんじがらめに縛られるよりは、幸運なのかもしれぬとも思います。
 ひょっとしたら我々は、全ての問題を個々に神様と向き合いながら解決していく、すべての生き方を、個々に神様と向き合いながら生み出していく、という独特の信心スタイルを授かっているのではないか、という気さえしてきました。

 S.Yさん(女 95歳)R.2.10月
 
 今度のお話は大変心にしみました。今日一日を大切に出来る事をさせて頂いて居ります。


 J.Kさん(女 80代)R.2.10月
 
 屋根屋さんと井戸屋さんのお話とても心に残りました。


 教会長より
 
 たった一行でも感想を頂けるのは嬉しいものです。それが肯定的なものなら尚更です。思わぬ枝葉の部分が心に残るというのもよくあることです。それもひとつの収穫と言えますね。


 Y.Aさん(女 50代) R2.10月
 
 金の杖のお話しでございますが、「一生死なぬ父母」の比喩はすごいですね。今の私にとって金光様は、一生死なぬ父母なのでございます。
 
 教祖の教えの認知度はまだまだ低い…
 実は自分以外に金光教ファンを見つけました。最近の楽しみ事はYouTubeなのです。偶然にとあるチャンネルに出会いました。循環器内科の開業医をされている錦城ひかるさんという方のYouTubeなのです。
 動画では金光教や黒住教のお参りのエピソードなどを話されています。宗教精神世界にとても関心がお高く体験も数多くあるご様子なのです。
 https://youtu.be/0AvGkor40ho


  今回はまたとても深いお話しでした。何度も読み返しながら勉強をさせて頂きたいと思っております。


 教会長より
 
 今度のお話は私としては比較的ラクに準備ができたのに、それでもいろんな方が深く心に響くように言って下さるのは、やはり、教祖様の教え自体に備わった力なのでしょうね。
 錦城ひかるという方のYouTubeの最近の話を幾つか視聴してみましたら、とても興味深い話をなさっています。そして実際、金光教祖のことも頻繁に話しておられます。(「鬼滅の刃について」や「サイババの話」など)さらに時間をかけてゆっくりと視聴してみたいと思います。


 坊っちゃん(男 40代 ) R.2.11月
 
 今回のお話は、一つ一つの教えが、教祖様の岡山方言から、かな表記・漢字表記を含め、標準語表記に寄せて修正されていく様子。とてもおもしろいな~と、興味深く読ませて頂きました。
 教祖様の、やわらかい岡山方言の良さ。教えを標準語的にスッキリ整える良さ。教えを理解する上で、どちらも、それぞれに良さがありますね。

 私自身は、子供の頃から、金光教の教えに触れる際、神様からのお言葉を頂くというイメージよりも、何でも明解に答えてくれるおじいちゃんが、孫に話し掛けてくれているようなイメージを持っています。
 やはり、それは、教祖様のやわらかい岡山方言の話し言葉による、独特の優しさに触れているからなんだろうなと思います。
 学問的に整備された心理学やカウンセリング等々のテキストでは、なかなか方言で表記するわけにはいかないですものね(笑)。
 そういう点は、宗教の成せるわざなんだろうなと思います。

 教祖様ご在世の頃、まだまだ交通環境の整わない中、福嶋儀兵衛先生、近藤藤守先生、桂松平先生はじめ、教祖様のもとへ参拝なさった方々のご苦労を思いますと、ただただ頭が下がります。
 そして、その教えの数々を、今日まで伝え残して下さった方々のご努力。そのご努力のおかげで、今日を生きる私たちの胸にまで教えが響き、時代を越えて、心の糧とさせて頂けていることに、ただただ感謝するばかりです。

 日々、教えを頂きながら、客観的に自らを省みながら、一歩一歩、謙虚に過ごさせて頂けたらな~と思います。


 教会長より
 
 少し前に、語り口を工夫するのが大変だとは言いましたが、どう工夫したのかはっきり自覚できないくらい、ごく自然な成り行きであのような話になってしまいました。私は最初、ただ選んだ教えを刷った紙片(今日のみ教えという)を並べて眺めていただけでした。
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