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23 長寿社会に思う |
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平均寿命のみが国民の幸福度を示す客観的な尺度ではあるが |
昨年、ここの教会の大祭で話をさせてもらいましたことの中に、平均寿命について言及させていただきました。平均寿命のみが国民の幸福度を示す唯一の客観的な尺度になり得るもので、それ以外の尺度となると、全て主観が混じらざるを得ない、という話をしました。
国民の寿命の平均値が高いということは、それだけ生存に適した条件に恵まれているということで、理由の如何を問わず幸せなことなのです。そして日本の女性のそれが世界一であるということは、とりもなおさず、日本の女性が世界一幸せだということであります。かつては男性も一位でありましたが5位に落ちてしまいました。それでもたいしたものです。それなのにそのことの認識が足りない、感謝が足りない、それを感謝したり誇りに思うどころか、それさえも不平不足のタネにしている、そんなのはおかしいのではないか、というようなことを話させて頂きました。
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大切なのは長寿の中身 |
今回はその続きを考えてみたいと思います。
我が国民の平均寿命がきわめて高いことをまず感謝した上で、それでも考えてみなければならぬことがいっぱいあるのです。長寿の中身についてであります。平均寿命が幸せの尺度になるとは言いましても、それは単に、他の国と比較しての話でありまして、単に長く生きるというだけでは、幸せが完成したとは言えないからです。いろいろと不平不足が出てくるというのも、理由がないわけではありません。大切なのはあくまで長寿の中身です。
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健康寿命が長く続くことが望ましいが |
それでは、幸せな長寿を全うするためには、何が必要なのか、ということになります。
近頃「健康寿命」ということがよく言われます。「心身ともに自立し、健康的に生活できる期間」のことをいうらしいです。2004年のWHO(世界保健機関)の調査統計では、日本が、男女合わせての平均が75歳で、これも世界一でありました。
直近の2010年の厚生労働省の統計では、WHOと定義が少し違うらしいですが、男性の平均寿命が79,55歳、健康寿命が70、42歳、女性の平均寿命が86、30歳、健康寿命が73,62歳であるとなっています。つまり、死ぬまでに何らかの医療や介護を受けねばならぬ期間が、男性では9,13年、女性は12,68年にも及ぶのです。その期間を「日常生活に制限のある『不健康な期間』」と定義しています。ということは、そんな「不健康な期間」が、死ぬまでに男性は9年余り、女性は13年近くも続くわけです。
この健康寿命ができるだけ長く続くこと、できることなら死ぬ間際まで続いてくれることが、自分にとっても周りの者にとっても、いちばん望ましい幸せなことであるには違いありません。
幸い私自身は、男性の健康寿命の平均をはるかに超えて、平均寿命近くまで生きさせてもらいながら、有難いことに今のところなんとか健康を保たせていただいておりますが、こればかりは、いつどうなることやらわかりませんので、あまりえらそうなことは言わないようにしています。それだけを幸せと考えるのも危ないように思います。
今はいいですが、遅かれ早かれ、長い短かいの差はありましても、いつかそういう「不健康な期間」を迎えることは避けられないと思います。それをこの世での修行の最後の仕上げ期間であると、前向きに受け止めることができるように、覚悟を決めておいた方がいいかもしれないとも思うのです。
欲を言えば、そうなっても生活に何の心配もなく、至れり尽くせりの医療や介護を受けられるように、社会の仕組みが整っていてくれることが望ましいです。それが、人々が政治というものに求める究極の要求のようです。そして、そのことがまだ完全に実現していないこの国の現状を、声高に非難する人たちも後を絶ちません。
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「理想」が実現しても新たな問題が |
しかし、仮にそういう「理想的」な状態が実現したとして、それだけで幸せが完成したと言えるかどうかといいますと、けっしてそうではなくて、まだまだ新たな問題が浮かび上がってくるだろうと思います。
まず、人間は緊張感を欠いたまま寿命だけが延びますと、認知症の老人の激増することが懸念されます。それだけが認知症の原因だというのではないですが、年を取るほどそのリスクが高まることは否めません。
作家の曽野綾子さんは、83歳の今もなお雑誌に複数のエッセイの連載をかかえて、精力的に執筆活動を続けておられますが、最近のエッセイで、ご自分の周囲の80以上の老人の中のかなりの人々が、認知症の兆候を見せて変化していく有様に怖れをなし、最晩年にやはり認知症となられたご自分の実母の影にもおびえて、いろいろと思いをめぐらしておられます。
そして、結局、「安心しない毎日を過ごす」のが、認知症を防ぐのに一番有効そうに見える、と書いておられるのです。
つまり、誰もご飯を作ってくれない、誰も老後の経済を心配してくれない、誰も毎朝服を着換えさせてくれない、誰も病気の治療を考えてくれない、といった心配をしなくてもよいような恵まれた境遇の年寄りの方が、どうもぼける率が高いと、気の合う仲間同士で密かに思っているのだ、というふうに結んでおられるのであります。
してみると、私が前回のお説教で、自分の置かれた境遇、状況についての基本認識を「問題山積、前途多難、日暮れて道遠し」と表現したのでありますが、それは(曽野さんが挙げられた実例とは違うところもありますけれど)まさに「安心しない(或いはできない)毎日を過ごす」という条件にぴったりで、あながち不幸なことでもなかったのだと、改めて思い返すことができて、意をつよくしたのであります。
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幸不幸の最後の決め手は個人の生き方考え方 |
認知症の増加以外にも、恵まれていることでかえってはっきりと浮き彫りにされてくる問題があるかもしれません。生活の心配はないのだけれど、もう一つ充足感がないとか、むなしさを感じるとか、孤独感がつのるとか、いろいろあると思うのですが、結局それらは、個人個人のそれまでの生き方、ものの考え方から生じてくるものだと思うのです。人の幸不幸を決定づける最後の決め手は、やはりそこにあると思うのであります。
ということは、私共の場合は、これまでにめいめいが培ってきた信心、及び信心生活というものの真価が問われるということであります。その信心がどの程度のものであるにしろ、とにかく私は神信心させていただいていることを、この上なく有難いことだと思っております。
「安心できない毎日」でも、さほど不幸だと感じずにいられるのは、根本のところで、この道の信仰によって、曲がりなりにも死生の安心を得させてもらい、頼みすがる対象を持ち得ているからであります。曽野さんの場合も、曽野さんなりの信仰が根本にあるからこそ、そういうことをおっしゃるのであろうと思います。
私がこの齢になって、信心して一番有難いと思えますのは。当然と言えば当然のことながら、神様に心を向けられるということであります。
体は思うように動かなくなっても祈ることはできると、よく言われますが、私において、その祈るということの中身のかなりの部分は、常に問いかけを含んだ願いなのであります。「この私は、いったい何をすればいいのでしょうか、どう生きればよいのでしょうか、どうか教えてください」という問いかけであります。そのことは若い時から一貫して変わりません。
そういう問いかけを含んだ願いに基づいて、今何をしなければならないのか、何がしたいのか、何ができるのかということを常に自分自身に問い続けて生きてきました。そうすることで、人生に空しさを覚えることもなく、孤独な一面もあるにはありますが、それで深刻に悩むということもなく、己の無力さをいつも思い知らされつつも、それなりに充ち足りた生活を送らせて頂いているのであります。
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心を神様に向ける能力だけは取り上げないでほしいが |
これから先もそのことはずっと変わらないだろうと思います。「死に際までお願いせよ」と言うてくだされてありますように、できることなら死に際まで、心を神様に向ける能力だけは取り上げないでほしいと思います。
信心ということは、先ずは心の営みです。その心が、認知症などによってどの程度まで破壊されてしまうのか、そうなってもどこまで信心を続けることができるのか、認知症のご家族の介護に精通しておられるO先生あたりに聞いてみなければ全く見当がつきませんが、本当に悟れた人なら、認知症さえも怖るるにに足りないのかもしれない、という気もします。
しかし、なるべくならそうなるまでに逃げきって、ラクをさせてもらいたい、というのが正直な気持ちでありますが、逃げ腰でいるときほど追いかけられそうな気もしますので、心配する気持ちを、できるだけ安心してお任せできるような気持ちに、切り替えて過ごさせて頂くよう努めております。
今回は、せっかく授かった長寿を最も幸せに生きるにはどうあればよいかというようなことについて、思うところを少し聴いていただきました。
ここにおられる比較的若い方々の中には、自分はまだまだ無関係だと思っている方もおられましょうが、心配ありません、すぐです(笑)。あっという間です。
それに、今現在の生き方が、老年期の幸不幸に大きく影響するという意味では、けっして無関係とは言えません。どの部分でも、いささかなりとも心に留めておいていただければ幸いです。
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談話室より |
T.Oさん(男72歳 教会長)H26.12.27
小生は来る二月で七十三を迎へることになってをり、話をしてゐても名前や語彙がすぐには出てこなくなったのが、自覚症状(?)としてあります。いったい、認知症といふのですが、あれは症状、すなはち病気なのかどうか、年令相応の神様のお手配かと思ひつつ、自身としては、余りこれに把はれないやうにしてゐる次第です。老いるといふ未知の世界に一日づつ、一年づつ入って行ってるのかと、半面なかなか我ながら興味深いところでもあります。
以前より、朝の目覚めがありがたくなってきました。新たなる命を頂いてゐるということが、日日、ありがたくてならない、といふ思ひが強くなってをります。さうとして、先生のいはゆる「問題山積、前途多難、日暮れて道遠し」は、まざまざと小生のものでもあります。却て、年を重ねて若い時よりはるかに忙しいといふ感覚が強くなってきたやうに思ひます。そして、人が助かる教会として、何か取返しのつかない往時を閲してしまったといふことを痛感するところです。布教者としての信行と憂国の思ひとが私の中では二つながら大事なこととして胸に占め、結局人が助かるといふ実績において、力を殺いでしまったところがあったといふことを、思ふわけです。まあ、これもわが内なるものの必然の姿と言へばさうとも言はねばなりません。
教会長より
ここしばらく、教務センターなどに講師として招かれて話をされる「実績」ある先生方の講話を拝聴しておりません。大方老齢のせいではありますが、今更真似のできないお話で自己嫌悪に陥るのが嫌なせいであったり、或いは、必ずしも私を助けて下さるお話とは限らぬことが多いせいであったりもします。
いわゆる「布教成功者型の信心」が、教内的にもてはやされるのはごく自然ななことであり、大切なことでもありましょうが、そういう人たちが投げ入れる救いの網の目から抜け落ちる人たちも当然いるわけです。私は、ごく少数でも、そういう人たちのお役に立てればと願って御用させてもらっているのですが、それさえも、なかなか容易ではありません。
O先生の書簡の続きは「ドラマで考えたことなど」のところで紹介させて頂きます。
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