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従軍慰安婦問題について
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 教会長より 

 最近朝日新聞が、30年前からの従軍慰安婦報道の誤りを、ようやくほんの一部だけ認めたことにより、再び論議が活発になってきました。私自身も、これらの報道のもたらした世界中への悪影響に、長年無念の思いを抱いてきた国民の一人ですので、これまでに表明した意見やこれからの考えを、別項目を設けてとりまとめていくことにします。
 なお「談話室関連資料1」の中で、奥村実氏も、この問題について冒頭で熱く意見を述べています。
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「『東京物語』のことなど」から
 平成22年9月22日

▲ その時代に生きた者にしかわからぬこともある
 そういう時代の事情とか空気とか一般常識というものは、その時代を生きた者にしかわからないところがあり、時代の変化と共に急速に忘れ去られていくものであります。
 近頃日韓の間で深刻化している慰安婦問題にしても、そういう事情が、密接にからんでいるように思われます。世界最古の職業と言われる売春婦という存在にしても、戦中はおろか戦後もある時期までは、今ほど罪悪視はされていませんでした。我が国で売買春行為が真に犯罪であるとみなされるようになったのは、ようやく戦後十数年も経った昭和三十年代の初めの頃に、売春防止法が制定され、適用されるようになってからであります。法律の力というものは、やはり大きいのです。
 昔から軍隊のあるところに、そういう女性たちが集まってくる(仲買業者などを通す場合もある)ことは、ことの善悪は別としてごく有り勝ちなこととされ、戦後もそのことをことさら問題視しようとする者は、我が国にも韓国にもいなかったのです。そういう時代の空気は、私自身も多少は知っているつもりですが、何しろまだ若過ぎたので、一知半解といったところでしょう。

▲ 現在の基準で過去を裁くのは、慎重であってほしい
 ところが、法律制定後、時を経るにしたがって、だんだんそんな時代の常識は忘れ去られ、戦後に定められた法律基準、それによって培われた道徳感覚に基づいて、戦争中の日本軍の行為を糾弾しようとする人たちが現れはじめました。しかし、現在の基準で過去を裁くのは、よほど慎重であってほしいと私などは考えています。
 歴史上の人物を評価する場合、普通我々は、現在の基準だけで評価するということはしません。現在の法律基準からすれば、英雄視されている歴史上の人物、信長、秀吉、家康は言うまでもなく、幕末の志士達までもが、多くは犯罪者であるということになってしまうかもしれないのです。
 戦時中の日本兵の買春行為が非難されるのは、ある程度致し方ないこととはいえ、それが国際間の「従軍慰安婦問題」にまで拡大発展してしまったのは、言うまでもなく特定の立場の人々の政治的意図によるものです。
 今も、ますます我々を悩ますこの従軍慰安婦問題も、もとをたどれば日本発であり、しかも、大きなウソから発したものであるということは、何とも残念なことです。

▲ 正しい主張をしようとする人には、ウソをついてほしくない
 その特定の立場の人々がこのことに目を付けたのは、その勢力の急速な退潮と軌を一にしています。
 何とかこの劣勢を挽回する手はないものかと模索したあげく、日本政府に大きな打撃を与え、しかも、自分たちこそ正義の味方、弱者の味方であるという、道徳的優位性をも確保できる妙手として編み出したのが、この「従軍慰安婦問題」ではないかと言いたくなるくらい、そのころのその立場の人々の集合的意識を反映しているように私には思えてならないのであります。
 その意図は見事に功を奏したというか、狙い以上の波及効果を及ぼして、今もなお、日本政府というよりも、多くの日本国民を苦しめ続けていると言えるのです。
 この問題では、ごく簡単に言いますと、私たちは主として二つの大きなウソに振り回されてきたと言えます。
 一つはYという人物が書いた「私の戦争犯罪―朝鮮人強制連行」という本で、これはのちに根も葉もない作り話であることが発覚しました。今一つは、A新聞のUという記者が書いた、「軍による強制連行」という、事実を大きく捻じ曲げた報道記事でした。これらが韓国・朝鮮の人たちの怒りに火をつけたのです。
 もともと韓国・朝鮮に引け目を感じるよう刷り込まれてしまっていた多くの日本人も、簡単にその話を信じ込んでしまいました。保守系の政治家までがそれを信じて、判断を狂わせられました。そして、いろんな人たちの努力によって、今ではそれらがウソでありねつ造であることが明らかになったにもかかわらず、今なお両国の多くの人々の判断を狂わせ続けて、日本国民に重大な損失を与え続けているのです。「従軍慰安婦問題」というのはそういう悲劇なんです。
 私は「正義の主張」を装って、こういうウソを流布させるほど罪深いことはないと考えています。いやしくも正しい主張をしようとする人には、ウソをついてほしくないのです。そればかりか、一つでも故意のウソが混じると、その主張全体が信用できなくなるのです。
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毎日新聞の「慰安婦報道」をめぐる報道への意見書
 平成26年8月11日
 「慰安婦報道問題」についての報道に思う

 親の代から百年近く毎日新聞を購読し続けています。気に入らぬ報道がなされても、販売店が同じ町内にあるよしみで、おいそれとは購読紙を替えるわけにいかないのです。同じく浮世の義理で、今たまたま短期間の契約で読売新聞を併読しています。
 読み比べてみると、それぞれに特徴があり優劣がありますが、最近の「慰安婦報道」問題に限って言うなら、毎日の報道は、質量共に読売に劣ると言わざるを得ません。
 一番の問題点は、記事全体として、国益を大きく損ねるもとになった虚偽報道キャンペーンとその後の対応に対する憤りや後悔の念が全く欠けているということです。ということは、毎日の報道姿勢もまた、朝日と全く変わることのない「同じ穴のむじな」なのだということです。
 それは吉見大沼両学者がすり替えて言うような「被害者に対するメディアの責任」とは全く別の意味で、国際社会に誤った認識を定着させ、日本国民に多大の苦痛を与え、外交上も大きな損失をもたらした重大な責任を、メディアは問われねばならないということです。
 もともと慰安婦の存在というのは、少なくとも二十世紀前半までのあらゆる軍隊につきものの普遍的な「現象」であったにもかかわらず、日本軍のみがその責任を問われることになった根拠の大半は、「組織ぐるみの強制性の有無」ということにかかっていたと言えましょう。しかしその根拠たるや、吉田証言の虚偽は言わずもがな、強制の証拠書類として報道された記事もまた記者の曲解によるものでした。それは軍目当てに集まってくる慰安婦たちを、いかにも日本人らしい律儀さで、軍が管理しようと試みたことを示すに過ぎない書類でした。しかも売春行為そのものも、当時は犯罪とはみなされていませんでした。
 私は慰安婦問題というのは、そういう曲解と、挺身隊との混同、そして、戦後の法律制定後の道徳基準によって日本軍を裁こうとする反戦思想のようなものが、幾重にも絡み合い増幅して怪物化したものと考えています。
 朝日が、一連の大々的なキャンペーン報道の根拠が崩れ、形勢不利とみるや、「広義の強制性」という論理にすり替えてそこに逃げ込み、それに固執して、長年虚偽を正そうとしなかった結果、慰安婦の存在は日本軍固有の蛮行によるものという認識が、国際的にすっかり定着してしまいました。
 毎日の報道姿勢もまた朝日に追随するというか、基本的に同調するスタンスを今日まで保ち続けて来ました。そして問題の本質は「女性の人権問題」であるとして、曲解,混同にもとづいて形成された日本軍固有の犯罪という国際認識を是正しようとする努力を一切怠ってきた、そのことこそがまさに問題の卑怯なすり替えなのです。
 毎日が朝日の報道姿勢を暗に是認し放置し続けたことは、とりもなおさず、国益が著しく損なわれたことに毎日も加担したことになります。そういう責任は一切棚上げにして、「慰安婦問題の事実関係を改めて検証すべきものがあるとは思えない(青島顕記者)」と他人事のように言い放ち、学者を使って「政治的に利用しようとしているのを感じる」などと発言させるような、鈍感で厚顔無恥な報道姿勢には、本当の意味での真摯な自己反省の念など、一かけらも見出すことができません。
 更に許し難いことの極めつけは、社説です。従軍慰安婦問題の本質は、社説が主張するような「女性の人権問題」などでは断じてありません。問題の本質はあくまで、「無責任ででたらめでド派手な告発報道キャンペーンが隣国の憤激をあおり、外交上我が国に多大の不利益をもたらし、尚且つ国際社会において、本来なら普遍的な女性の人権問題として扱われるべき問題が、日本軍固有の性犯罪ということにすり替えられて定着してしまい、今もなお日本国民に多大の苦痛を与え続けている」ということなのです。
 にもかかわらず社説は、自分たちがその種を撒いて国益を大いに損なっておきながら、「国際社会に通じる論で」などと、まるでその招いた結果を甘受せよとばかりに、上から目線で説教を垂れようとする、その姿勢はまことに盗人猛々しいものと言わねばなりません。
 あの河野談話という政治決着があったにもかかわらず、いつまでも思い切り悪く談話の否定論が蒸し返されるというのは、左派系メディアがいかに言いこめようとしても、こういう決着が到底甘受できず、無念やるかたなき思いを抱えたままの国民がいかに多いか、ということを物語っているのです。そういう国民の無念をくみ取ることができず、「右傾化」だの「偏狭なナショナリズム」だのという常套句で封じ込めようとするようなメディアの存在価値など、私は絶対に認めることができません。
 社説の直接の執筆者がどなたであろうと、私はこの社説が一応論説室の総意であると受け止めています。私のこのような怒りや疑問に的確に応答してくださる人物が論説室に果たしておられるのかどうか、時々ラジオで聴く福本容子さんや相原洋さんならどう答えてくれるのか知りたいところです。
「被害者」への償いということについても、私はいろいろな疑問を抱えていますが、今はそのことに触れないでおきます。
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毎日新聞社説 2014年 8月7日
 上記の意見書で批判の対象とした毎日新聞の報道記事のうち、社説のみを参考までに転載
しておきます。


慰安婦報道 国際社会に通じる論で…毎日新聞社説 2014年08月07日 

 朝日新聞が慰安婦問題に関する過去の自社報道を検証し、一部に誤りがあったと認めた。慰安婦問題は歴史認識を巡って鋭く対立する日韓関係の最大の懸案だ。不確かで行き過ぎた報道がこの問題を冷静に議論する場を奪ってはならない。
 朝日新聞は1980年代から90年代初めにかけ、朝鮮半島出身の女性を強制連行して慰安婦にしたという故吉田清治氏の証言を16回掲載し、慰安婦問題を追及した。今回、朝日新聞は証言を虚偽だったと認めて取り消したが、同氏の「慰安婦狩り」証言などに基づく朝日新聞のキャンペーンは、日本国内で激しい論争を巻き起こす契機になった。
 慰安婦問題とはそもそも、戦時下において女性の尊厳が踏みにじられたという、普遍的な人権問題だ。国際社会に通じる感覚と視点で議論していくことが求められる。
 にもかかわらず、朝日新聞が吉田証言を前提にした報道を続けたことで、国内論議は慰安婦の強制連行の有無にばかり焦点があてられた。その結果、女性の人権という問題の本質がゆがめられたのは残念だ。もっと早く訂正すべきだった。
 朝日新聞は、他紙も吉田氏のことを記事にしたとしている。毎日新聞(東京本社発行版)は92年8月12日と13日、吉田氏がソウルに行って謝罪したという事実を短く伝えたが、吉田証言には信ぴょう性に疑義があるとの見方が専門家の間で強まり、それ以降は報じていない。
 毎日新聞は慰安婦問題について、法的には国家間で決着済みとする政府の立場を踏まえつつ、これを人権問題として考え、医療や社会福祉などの面で救済措置を講じることができないかと提案してきた。
 河野談話に基づき95年に設置された「女性のためのアジア平和国民基金」が、首相の「おわびと反省の手紙」を添えて韓国、台湾、フィリピンなどの元慰安婦に1人あたり200万円の「償い金」を渡すことにしたのは、当時の日本としてできる最大限の措置だったといえる。
 しかし、韓国側はこれをいったん評価しながら、その後、あくまで国家賠償を求めるとして受け取りを拒否した。これが慰安婦問題がこじれて今日に至った大きな原因である。
 もつれた糸を解きほぐすには、双方が知恵を出すしかない。
 ただ、「旧日本軍の関与」という言葉で政治決着させた河野談話を安倍政権が引き継ぐと世界に約束した以上、広義の強制性か狭義の強制性か、といった国内論議に改めて時間を費やすのでは、国益を損ねる。戦時下の女性の尊厳というグローバルな問題と捉え、日本の取り組みを再構築していくべきだろう。
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毎日新聞の「慰安婦報道」をめぐる報道への意見書 2
 平成26年9月13日
 他のメディアの批判は少しも「過剰」ではない

 過日、「慰安婦報道」について貴紙の報道姿勢を厳しく批判するメールを送りましたが、12日の社説その他の記事を読んで、相変わらずの「小朝日」体質に大きな失望を味わい、怒りを覚えました。
 一応は朝日報道を批判しながらも、他の新聞や雑誌のきわめてまっとうな批判に対して、学者に「違和感を感じる(服部孝章)」と言わせてみたり、「過剰だ(小川一)」とけなしたり、朝日的なるものを擁護したい本音がちらつきます。もともとの体質が同じだからです。
 他メディアからの厳しい批判を浴び続けたからこそ、朝日はようやく重い腰を上げて誤りを半分認めて謝罪したのですが、半分は相変わらず論点をすり替えて逃げ切ろうとしています。その点に関しては、貴紙も右へ倣えのようです(左へ倣えかな?)。そこが許し難いのです。
 この問題の本質は、貴紙が主張するような「戦時下において女性の尊厳が踏みにじられたという、普遍的な人権問題」でも「植民地支配と侵略戦争の過程で起きた悲劇」でもありません。
 問題の本質は、突き詰めれば、劣勢挽回を焦った左翼陣営が、ゆがんだ正義感から、戦時下の日本軍に的を絞って、普遍的であるはずの女性の人権問題を道具にして争点化した反戦運動であり、反政府運動でもあったのが、そこから生じた数々の勇み足が国益を大きく損ない、国民を苦しめ続けている、ということなのです。
 重要なのは、靖国問題同様、この問題も日本発だということです。争点化に大きな役割を果たしたのが高木健一、福島瑞穂、戸塚悦郎といった弁護士の面々です。高木、福島氏らは金太鼓で被害者探しを行い、あやふやな「強制連行被害者」を集めてきて、訴訟を起こさせたり、テレビに出演させたりしました。戸塚氏は「国連人権NGO」代表の地位を利用して、「日本軍の悪行」の争点化を国連に執拗に働きかけ、あの悪名高い「クマラスワミ報告」に結実させました(読売はそうした実態もちゃんと掘り下げて指摘しています。そんなのを「過剰」な報道と決めつけたいのでしょうか)。
 そのようにして形成された「国際世論」であり、貴紙も長年その上に無批判に乗っかっておきながら、そういう背景や実態にはほおかむりして「国際社会に通じる感覚と視点で議論せよ」だの、「歴史を直視する姿勢を崩してはならない」などと偉そうに説教されても、多くの国民は絶対に承服しないでしょう。
 「被害者への償い」という問題についても、納得のいきかねる点が多々あります。  軍としての組織的な強制性がなかったと判明した後にも、単に関与したというだけでも償わねばならないというのはどういう理由からでしょう。軍の秩序を保つため、軍目当てに集まってくるその種の人たちをある程度管理しようとする、その程度の関与は、当時の時代にあっては当然のことでした。
 売春行為自体が、そういう仕事に就くことの幸不幸は別として、有史以前からごく近年に至るまで、軍隊のみならず世界中のいたるところで営まれていた合法的行為でした。我が国でそれが違法行為となったのは、昭和30年代になって「売春防止法」が制定されてからです。これによって女性の人権は画期的に擁護されることになりました。
 しかし、それ以前に遡って、そういう仕事に従事していた「気の毒な」人たち全員に償いをするといっても、それは不可能だと思います。実際、これまでそのような試みはなされませんでした。それなのに、戦時中にまで遡って日本の軍隊だけを標的にして糾弾し、償わせようとするのは、何故でしょうか。そして、その償いの対象として、多数を占めたはずの日本人慰安婦が含まれていないのは何故でしょうか。慰安婦といえども、日本人である以上、「侵略戦争」に加担した加害者としての連帯責任を負わねばならぬとでも言いたいのでしょうか。
 また、例外的にひどい振る舞いをした軍人がいたり、隊があったりしたとしても、それを一般化して非難し、軍組織全体のこととして国に償わせようとするのにも無理があると思います。また、わざわざそこから女性の人権尊重の教訓を引き出さなくても、法律制定により、女性の人権は今後は十分に守られていき、二度と同じことは起こらないと確信できます。
 それなのに、わざわざ日本軍糾弾運動としてそれをはじめた人々は、被害者への純粋な同情心からではなく(たとえそうだとしても、ピントはずれであることに変わりありませんが)反政府運動としてそれを行ったのであり、その意図は狙い以上の波及効果を発揮して、日本政府と国民に大打撃を与えたのでした。
 そういう背景、実態を全く無視した貴社の社説の傲慢な説教は、間違いなく、多数の我が国民の神経を逆なでにするものであります。
 最後に、河野談話は吉田証言とは無関係であるがごとき言い草も大嘘です。恥知らずな詭弁です。あの証言についての一連の報道が、韓国国民を憤激させ、あんなその場しのぎで後々まで禍根を残す談話を出してしまうような政治状況を生み出すもとになったことは間違いありません。そういう無念さを国民と共有できないようなメディアに「健全で良質なバランス感覚」などと自称できるような資格や力量を全く認めることができません。
 この「慰安婦問題」もしくは「慰安婦報道問題」についての報道に関する限り、貴紙よりも読売新聞の方が、はるかに「健全で良質」な報道ができていると断言できると思います。私が目を通した範囲の他の雑誌や週刊誌もしかり。貴紙よりよっぽどまともです。真剣です。正当な憤りが感じられます。病んでいるのは確実に朝日、毎日の方です。
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毎日新聞社説 2014年 9月12日
 上記の意見書2で批判の対象とした毎日新聞の報道記事のうち、社説のみを転載しておきます。

  朝日社長会見 メディアの重い責任
   毎日新聞 2014年09月12日 
 
 朝日新聞の木村伊量(ただかず)社長が記者会見し、東京電力福島第1原発事故の「吉田調書」報道と、慰安婦報道を巡る誤報を謝罪した。
 「慰安婦狩り」をしたという故吉田清治氏の虚偽証言に基づく朝日新聞の慰安婦問題追及キャンペーン報道は、「奴隷狩り」「性奴隷」という誤ったイメージを国際社会に拡散させる結果を招いた。また、朝日新聞を批判した池上彰さんのコラムをいったん掲載拒否した一件は、自由な言論空間を保障すべき新聞にとっての自殺行為だった。
 日韓の歴史摩擦をいたずらに激化させる誤報の放置は、問題の本質を離れて日本の立場や外交に深刻な影響をもたらした。グローバル時代にあって、メディアの責任は一層重いことをかみしめたい。
 新聞をはじめとするメディアがさまざまな問題に光を当て、粘り強く伝えることは、社会的問題の解決や権力監視のためにも欠かせない。ただ、それは正確さと公正な判断が前提になる。不確かな事実に基づくキャンペーンは内外の世論を誤った方向へと導き、問題解決を遠のかせることになりかねない。
 とりわけ、慰安婦問題や歴史認識のようなナショナリズムを刺激するテーマは、国民感情の相互反発による関係悪化の悪循環をもたらしやすい。だからこそ、冷静さを失わず、どうすればもつれた糸を解きほぐして事態の改善と問題解決につなげられるかを、極論を排して誠実に考えていくことが大切だ。
 そのためにも、日本は歴史を直視する姿勢を崩してはならない。吉田証言のような「慰安婦狩り」がなかったからといって、慰安婦がいなかったことにはならない。慰安婦問題は植民地支配と侵略戦争の過程で起きた悲劇であり、元慰安婦の人々の境遇への理解こそが、この問題を論ずる入り口だからだ。
 河野談話も見直すべきではない。談話は組織的な強制連行を認めたものではなく、吉田証言を採用してもいない。軍の一定の関与を認めて過去を反省し、女性の人権擁護に前向きに取り組む、というメッセージを国際社会に送ったものだ。見直せば、日本はこうした問題に後ろ向きな国と受け取られるだけだろう。
 そのうえで、「女性のためのアジア平和国民基金」による償い事業や歴代首相の「おわびと反省の手紙」など、日本が道義的責任を果たしてきたことを世界に説明し、20万人の少女の性奴隷といった誤解を解く努力をする必要がある。
 慰安婦問題の反省をゆるがせにせず、誤解は払拭(ふっしょく)していく。大事なのは、その二つを両立させる健全で良質なバランス感覚だ。
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