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2015.7.19 |
26 万葉の時代から「天地の神」はあった |
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「天地の神」という言葉が既に万葉集にある |
最近、次のような歌が万葉集に詠まれていることを知って驚きました。
「天地(あめつち)の神も助けよ草枕 旅ゆく君が家に至るま
で」(万葉集巻第四)
「天地の神もどうかお守りください。旅ゆく貴方が無事に家に
たどりつくまで」
という意味ですが、日本最古の歌集にそういう「天地の神」という表現があるということは、我々が信仰しているはずの「天地の神様」という発想が、すでにその時代にあったということになるのです。
と言うより、当然それよりずっと以前から、そういう考えは芽生えはじめたに違いないのです。そのことは、とりもなおさず、天地の神様というのは、金光教祖様がはじめて発見されたのでも発明されたのでもなく、誰しもが薄々は意識できた神様、思いつくことのできた神様であることを示していまして、私はそのことにかえって心強さを覚えるのであります。
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「天地の神様」を求める心が一神教を生んだ |
この天地には、それをお造りなされた神様と言えるような存在、或いはそれを支配してなさる存在が、ひょっとしたらおられるかもしれない、おられるはずだ、きっとおられるに違いない、どうかおってほしい、そして我々を助けてほしい、導いてほしい、といったような考えが、恐らくこれまで世界中のいろんな人々の心に、大なり小なり思い浮かんだことと思います。
そういう考えが浮かんでくるというのも、それなりの根拠があるのでありまして、何もないところからは、そんな考えは浮かんで来ないのです。もしかしたら、我々自身の中に、そういう神様を求める気持ちが、もともと埋め込まれているのかもしれません。
そして、そうした人々の中から、実際にそういう神様を探り当て、人が助かっていく道筋をつけてくれる人たちが現れました。それがいわゆる一神教の教祖たちであります。金光教祖様も、大まかに言えば(注1)そのお一人です。
神様に出会わしてもらう入り口は、ただ一つではありません。したがって、宗教の違いは、よく富士山の登山ルートに例えられます。私自身も、これまでそれが一番妥当で無難な説明だと思ってきました。
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それなのに日本では幕末まで一神教が生まれなかった |
それにしましても、そんなに早くから「天地の神」という表現があるのに、日本には八百万(やおよろず)の神々を祀る神社があるだけで、どうして幕末まで一神教的な宗教が現れなかったのか不思議といえば不思議です。
神社に祀られた神様というのは、自然現象や山、川、海を祀る神をはじめ、神話の神様から歴史上の人物まで、実に多様です。日本人の神観はその点ではおおらかであいまいで、天地の神様について突き詰めて考えたり、崇拝対象を一つに絞り込むということをして来ませんでした。途中から仏教が入ってくると、神仏として崇めるようになりました。
金光教祖様も、そのような信心環境の中で、とにかく少年の頃から神参りが好きということで、方々の神社仏閣に熱心にお参りしておられたのです。
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金神様が実は「天地の神様」 |
それが四十二歳の大患の際、義弟の古川治郎さんの神がかりに乗り移られた金神(こんじん)様のおかげが受けられるようになり、それ以後その金神様への信仰に的をしぼられるようになりました。
ところが、もともとは方角日柄を司るとされ、祟る神と恐れられていた神様のはずが、関わりが深まるにつれて、もっともっと大きな金乃神様として立ち現れられるようになり、実態が天地全体を司る神様であることがだんだんと明らかになったわけであります。それはつまり、最初は教祖様の方から天地の神様を信仰しようとする意図はなかったということでもあります。
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この道の神名は神様と教祖の共同作業で生まれた |
それで、ご布教初期から中期にかけては、つまり明治の初期の頃までは、表向きは金神様のままで布教しておられました。「天地金乃神」として拝まれるようになったのは、明治六年、「天地書附」が定まって以後、ご晩年の十年くらいであります。それも、神様の方から「われは天地金乃神なり」と一方的に名乗られたわけではありません。新政府の政策に振り回される中で、神様と教祖様との共同作業のような形で練り出されたお名前なのです。
あるとき、鳩谷古市という人の質問に対して、次のように答えておられます。
「ただいまでは、金神ということお廃しと相成り、いま少しみ名は決まらず。まず、天地金乃神とみ名を呼ぼうと思うが、いま少し、申し上げることにはなっておらぬ」と…。
それに対する鳩谷さんの反応も興味深いのです。
「それにつき、私、恐れながらよくよく考え申し候ところ、天地と申すこと上につき、なるほど、これは広きところ。もとの金神を金乃神。天地金乃神とは至極よろしき御事と思い奉り候につき、金光様に向かい、『ただいま、私考えてみまするに、実によろしきみ名でござりますなあ。いずれ、このみ名がつきますのでござりましょう。結構なみ名でござりまする』と申しあげ候。
今日のごとくに相成り候えば、私つらつら相考えみるに、何か、生まれ子の七夜に名をつけるようなことを申したと思えば、恐れ多いやら、もったいないやらと思いおり候」
と記しています。
肝心の神様の名前の決まる過程の、このユルイ感じと言いますか、もったいぶらぬ力みのない自然な感じが、私にはとても好ましく思え、それについて語られる教祖様の、飾り気のない率直なもの言いも好きです。
このように、神名の定まる過程にしましても、また天地書附の定まる過程にしましても、それまでの全てにおいて、神様と教祖様との共同作業で、段階的に練り上げられていったという感じを強く受けます。天地書附があのようなスッキリとした内容にまとまるまでにも、実に様々な過程を踏んでおられます。神様もまた何事にも無理のないように、順序を踏んで手を差し伸べておられるように思われるのです。
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2011.5.27 |
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金神様のみが天地の神様に移行しても矛盾がない |
もう一つ注目したいのは、「金神様」ならば、そのまま天地の神様に移行しても、少しも矛盾がないということです。何故なら、日柄方位の神ということは、突き詰めれば時間空間を司る神ということです。そのまま宇宙的規模にまで発想を拡げて、まさに天地宇宙そのものを司る神ということになっても不思議ではないのです。ただ、そんな大きな神様を人間の方で勝手に誤解して、小さな祟りさわりの神として避けようとしていただけなのであります。
後になってこそ、教祖は「日柄方位は見るに及ばず」という教えをされるようになりましたが、最初からそんな「迷信打破」というような旗印を掲げられたわけではありません。はじめは日柄方位に関する禁忌をあくまで真剣に守ろうとされただけでありました。
ところがそういうタブーを真剣に守ろうとすればするほど、ほころびが生じることをも自覚され、そこを「凡夫のことゆえ、どこにご無礼があるかわかりませぬ」「これで済んだとは思いませぬ」とお断りを言う謙虚な姿勢をつらぬかれたところから、金神様、すなわち天地の神様と交流する道が開けたのでありました。そして、人間にとって真の無礼とは何かということをも教えてもらうことになられたのであります。
これが仮に、古川治郎さんに乗り移られたのが金神様ではなくて、天神様であっても、日本の他のどんな神様であっても、そこから天地の神様に結びつけるには無理があります。名前だけからすれば、天神様の方がふさわしいようなものですが、これは菅原道真公を祀った神様ですからね。
してみると、これはほんとうによくできた話だなあ、結構なことであったなあと思わざるをえないのです。同じ頼るなら、小神様より天地の神様の方が頼り甲斐があるにきまっています。
にもかかわらず、この国に長らくそういう神様を信仰対象とする宗教が生まれなかったのは、飛鳥時代に渡来した仏教が、どういう形でかは知りませんが、何か宇宙的な存在にすがりたいという民衆の欲求の、ある程度の受け皿になってきたからではないかと私は睨んでいるのです。
そこへ金光教祖様が独自に、直接そういう「一生死なぬ」天地の親神様に頼れるルートをつけてくださったのである、と言えると思うのであります。
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金光教祖が開いたルートはとても登りやすい |
そして、先ほどの登山ルートの例えからは、そのルートを登る難易度の違いといった例えが派生して来たり、見えてくる景色の違いなども何かに例えられるかもしれません。
難易度ということに関して言わしてもらいますなら、我々がご縁を頂いているこのお道は、とても登りやすい、みやすく信心をさせていただける道であることを、たいへん有難いことに思います。
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教祖の教えは単純平易で奥が深い |
そして、いつも言うようですが、教祖様のみ教えは、一見単純平易ではありましても、けっして幼稚というわけではありません。極めて奥が深いのです。我々の信心が幼稚なことが、一概に悪いこととは言えず、その時その時の正直な気持ちを大事にしていけばよいのではありますが、難しく考えたければ、いくらでも考えていける奥深さがあるのです。 |
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願うということだけでも、際限なく奥が深い |
例えば、これもこれまで散々言ってきたことのおさらいですが、その都度新しい気持ちで取り組んでしゃべっています。そうしないと、私自身もしゃべる気がしないものですから(読み飽きた人は、せめて小見出しだけでも目で追ってください)。
「氏子身の上のこと何なりとも実意をもって願え」と言うてくだされてあります。「実意」とは、言い替えれば「本当の心」です。「実意をもって」とは、「本当の心で」つまり「本気で」ということになりますが、それらの言葉には、「真剣に」という意味と、「正直な気持ちで」という意味が含まれているように思います。
ところが、人間というものは、何もかも無差別に本気で願えるものではありません。願わねばならぬというものでもありません。それぞれの置かれた境遇や立場によって、自ずと優先順位があります。
もともと、願いそのものが授かりものでありまして、我が自由にはなりません。心にないことや優先順位の低いことを、本気で願おうとしても願うことはできないのです。
だから、めいめいが心の底から本気で願わずにおれぬことは何か、自分にはどのような本気の願いが授けられてあるのか、ということに願いの的を絞っていけばよいのでありますが、そのこと一つとりましても、真剣に取り組みだすと、際限なく奥が深いのであります。
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願いは量的にふくらみ、質的にも変化する |
玉水教会初代の湯川安太郎師は、この「身の上のこと何なりとも実意をもって願え」を「願いは、ありのままをありのままに願えばいいんです」と、見事に言い替えられた、と常々私は勝手に言っているのですが、この言葉も、実に単純平易でありながら、どこまで信心が進んだとしてもそのまま通用します。
その湯川先生ですら、最初の頃の願い方といえば、「商売繁盛、家内安全、アン」でおしまいであったと言われます。それがだんだんと、このこともあのことも真剣に願わねばならぬと思うようになられて、願うことが広く大きくふくらんでいったと言われました。
それは単に取り組むうちに願いが量的にふくらんでいったというだけではなく、質的にも変化を遂げていかれたはずです。
毎年初詣などにお参りする人たちの大部分は、「商売繁盛、家内安全アン」「どこそこ受験合格アン」のレベルだと思われますが、我々信奉者は、いつまでもそんなレベルに留まっているわけにもいきません。
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2009.11.12 |
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願いを拡げ深めるため常に自分と向き合う |
願いを広げ深めるためには、常に自分自身と向き合いながら、自分に授けられた本当の願いを探り当てようとする習慣を身に着ける必要があります。かといって、難しく考え過ぎる必要もありません。
日々その時その時、心の底から本気で願わずにおれないことのみを願い続ければよいのです。
それらをある程度祈念詞としてまとめて願うもよし、思いつくままに願うもよし、両方するもよしです。或いは、はじめはご本部から出ている「祈りの手帳」の中の「祈りの言葉」をなぞるのもいいでしょう。
神様に向ける願いは、無理に型にはめようとしなくてもよいのです。初めから是非善悪を決めつけなくてもよく、背伸びする必要もないのです。ありのままを願いさえすれば常に寄り添ってもらえるのですから安心です。
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個人が神様と向き合うのに固定した決まりはない |
どの宗教においても、団体行動としての儀式や作法や唱え言葉などが定められていますが、私は、個人が神様と向き合うのに固定した決まりはないと考えています。特定の作法とか、瞑想法とか、静座法とか、場所とか服装とか、そういうものはあってもなくてもいいと思うのです。
教祖様は、本当はそういう、いつでもどこでもでき、自由で形にとらわれない信心を我々に授けて下されてあるのです。そして何より肝心なのは神様に向かう心です。頼みすがる心です。
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「信心生活」は神様と自分との共同作業 |
教祖様と神様との遣り取りからもうかがえますように、こちらから頼っていくならば、親神様は常に各人に根気よく寄り添いながら、こちらの発達段階に合わせて手を差し伸べてくださるのです。「信心生活」そのものが、神様と自分との共同作業だと言えます。そういう信心生活がさせていただけるということは、とても有難いことだと思うのであります。
この齢になりましても、相変わらず仕事上の悩みは尽きませんが、それでも、この冬を、飢えもせず凍えもせず元気に越えさせて頂きました。それだけでも、有難いこともったいないことであるとお礼を申しています。
その上先月、無事に曾おじいさんにならしてもらいました。数日前、孫娘がそのひ孫の写真を送ってきてくれました。そういうことも、問題山積の中で自分を元気にしてくれます。
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この生き方で何千年でも何万年でもやっていける |
いつの世にも、むつかしい問題は尽きないでしょうが、先々どのような世の中になっていこうとも、生き代わり死に代わり、どのような世の中に生れて来ようとも、この「神様との共同作業」という生き方で何千年でも何万年でもやっていけると楽観しています(生まれ変わってもこのお道と出会えるかどうかが問題ですが、子孫の間に飛び石伝いに生まれ変わることが多いとも聞いていますので、これも楽観しています)。
お互い、せっかくこのような結構なお道にご縁をいただいているのでありますから、常に天地の神様に心を向け、自分と向き合いつつ、神様のお守りとお導きを頂いて、幾多の困難に立ち向かい、切り抜けさせて頂きたいものであります。
注1
昭和二十八年に刊行された教祖伝「金光大神」には次のような記述があります。参考までに…。
「金光大神(教祖のこと、)は、天地の統一神たる天地金乃神をみとめると同時に、萬有個々に、その本質として神をみとめ、この神の徳をあらわし得たものを『生神』とした。したがって、金光大神の信仰は、いわゆる一神教と汎神教とを調和したものということができるであろう」
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談話室より |
S.Yさん(女89歳) H..27.4.24
いつも乍ら懸命に取組んで道を求めて、私達に伝えて下さることを感謝致して居ります。金光教に出逢って(母の代から)救われて参りましたことの数々、他の宗教も勉強させて頂きましたが、私にとって金光様の御教えが益々有難いことになって居ります。
この度の「天地の神」のこと本当によく分ります。
教会長より
あまり学問的な裏付けもなく、いつものようにただ自分が感じたままを話したまでですが、そのきっかけを与えてくれたのが、新聞社勤めの身内が、期間限定で購読させてくれた新聞のコラムに引用されていたあの和歌でした。
いつも話のネタ探しには苦労していますので、今回のは思わぬところから恩恵を受けた感じがします。もともとこちらの新聞の論調の方が、私の考えに近く、しかも身内が働いているのですが、ご町内に販売所がある義理で、私の考えとは食い違うことの方が多い新聞を購読し続けています。そういう点では、私は断固として「義理堅い」のです(両紙を購読するほどの資力も時間もありません)。
T.Oさん(男74歳 教会長)H28.7.4
ご教話の中で、万葉集の一首を引用されてをります。
天地の神も助けよ草枕 旅ゆく君が家に至るまで(549)
[註 草枕のところで余白を置いてをられますが、余白の一字空けを施すとすれば、「天地の神も助けよ」の二句切れにすべきであります。
一般に歌を口で詠むとき、五七五(上句)と七七(下句)の別がすっかり言ひ慣れてしまって、つい、五七五/七七と口に詠んでしまひますが、、一首の中のことばのつながりや、あるいは休止を意識して,一句で休止、二句で休止、四句で休止など、意味の脈絡次第で変化します。]
万葉集全体を、この際,当たって確認いたしましたが、先生ご引用の歌を含めて、「天地の神」については全部で八首あり、次に、せっかくですから引用させて頂きませう。現在では、万葉集全体の、どの言葉が、どこに何例、使用されてゐるかといふことは、通し番号で簡単に知ることができます。
天地の神の理(ことわり)なくはこそ吾が思ふ君に会はず死にせめ(605)
(天地の神の道理がもし無いものであったなら、私が恋しく思ふあなたに会はず死ぬであらう。いや、そんなことがあるものか!)
天地の神を祈りてわが恋ふる君い必ず会はむらめやも
天地の神をもわれは祈りてき恋とふものはさね(実に)止まずけり
天地の神を祈(こ)ひつつ吾待たむ早(はや)来ませ君待たば苦しも
天地の神なきものにあらばこそ吾が思ふ妹(いも)に会はず死にせめ
天地の神に無かれや愛(うつく)しきわが妻離(さか)る―以下略 長歌の冒頭
(天地の神は無いといふのか、可愛いわが妻はわが元からから離れて死んでしまった―)
天地の神を祈りてさつ矢貫(ぬ)き筑紫の島をさして行くわれは
仰有るとほり、万葉集に歌はれてゐる「天地の神」は、どうも私どもの現在頂いてる「一神教」としての神、天地の統一神としての神とは違ふやうであります。天地のなかの神々といふニュアンスであって一個の主体として私に対して、人格的に迫ってくる神ではありません。あるいは、人間救済の神としての明確な神の意志、神のお心といふものはここにはなく、従って神と人との交はりといふ関係は,成り立ちえないまま、久しい年月が経ってしまったといふことになりませうか。あらためて神からも氏子からも両方の恩人はこの方金光大神であると仰有る神さまの感動がいかばかりであったかと、感慨を久しうするところです。
教会長より
こんなところでも自分の無知と誤りが発覚してしまいましたが、それを修正して頂けたのは、とても有難いことであります。確かに、「草枕」は「旅」の枕詞ですから、その間で区切るのはおかしいですね(指摘に従って、ホームページでは既に修正してあります)。
それに、「天地の神」を詠み込んだ歌が,万葉集全体で八例あるというのも驚きです。その言葉、つまりそういう神観は、やはり相当幅広く行き渡っていたのですね。いやー、貴重な情報を有難うございました。
教祖様の神観は、それとは大きな隔たりがあるとはいえ、決して無関係というわけではなく、それを母体として,そこから更に成熟して生まれてきたものではないかと思います。、
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