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30叙勲前後のこと |
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突然身体が崩れ落ちた |
三月頃だったか四月頃だったか、もう思い出せないのですが、夕食後テレビを観ながら雑用をしていましたら、何の前触れもなしに、突然身体から力が抜けたと言いますか、平衡感覚を失ったと言いますか、座ったまま身体が崩れ落ちてしまいました。
ほんの一瞬のことで、意識も途切れることなくすぐ元にもどりましたので、気味悪く思いながらもそのままやりすごしてしまっていました。
ところが、一、二ヶ月経って、今度は食卓に座っているときに同じことが起きました。さすがに捨てておけなくなり、それでもまだ病院にまでは行く気になれず、ネットでいろいろと検索してみました。
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まず疑ったのが、脳梗塞 |
まず疑ったのが、脳梗塞、脳血栓のたぐいでした。まだ直接当てはまるような症状は出ていないのですが、突然ぶっ倒れるという点では、脳梗塞は有力候補の筆頭です。それはどうやら血圧や血液の濃度と大きな関わりがあるらしいのです。
これまでは私は、血圧というものを全く気にせずに生きてきました。二十年ほど前、ストレス性の皮膚疾患でただ一度入院したときに毎日計ってもらったのですが、そのとき以来、一度も計ってもらっていないのです。
親教会から何かの記念品にいただいた血圧計というのがあるのに、まだ使ったことがありません。とうとうあれを使わねばならぬ時がやってきたか、あれは何処へ置いてあるんだろうと考え、見つけたとしても、細かい説明書きを読むのがまたおっくうだなあと思いました。
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とりあえず血液をサラサラにする取り組みから |
そこでとりあえず、血液をサラサラにする取り組みから始めようとしました。
いささか滑稽に映るかもしれませんが、それには納豆が最も効果的ということで、それまで時折しか食べていなかった納豆を、少量ながら毎日食べるようになりました。小型カップに添付されたタレとカラシ以外に、ウズラ卵を一個と、オリーブ油を少々垂らして、二、三百回練って食べるのが私の定番です。
ご存じかどうか、まだ知らぬ人もあるかと思うのですが、生のウズラの卵の中身を取り出すのには専用の器具があります。はさみ状の金具で、片方の先端が輪になっています。もう片方には90度以下の尖った刃がついていて、輪の方を卵の細い方の部分に当てて、殻の先端を切り取るのです。
二、三十年前、何かの祭事の記念品として、近鉄百貨店で見つけてきて配ったのですが、そんな滅多に使わないような特殊なものを、よくも配る気になりましたなあと、総代のT・Kさんに笑われてしまいました。
その残りのたった一丁が、今となっては大活躍してくれているわけですが、配られたものの中には、そのまま使われずに放置されたり、紛失してしまったものも多いのではないかと、今も気にかかっています。
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万一に備えていろいろ手を打ちはじめる |
そんな風に納豆を食べ始めると同時に、これも何を今頃になっってと笑われそうですが、万一に備えて、いろいろと手を打ちはじめました。
まず自分の名前や子供たちの電話番号を書いたメモを何枚も刷って、財布やカバンに入れておいて持ち歩くようにしました。同じことを以前市から支給されていた記入用の厚紙にマジックペンで記入して、教会内の二カ所に置きました。
また、後々困ることのないように、思いつくたびに申し送り事項を書き記すことにしました。例えば、教会と両隣の境界線をどう話し合って決めたかを書き記して登記書類に挟んだり、パソコンなど通信関連に必要な情報を一覧表にまとめたりしました。
境界線のことでは、父の代に、隣家の前の所有者との間にきちんとした取り決めがないままに、今の隣人が引っ越して来られたので、後々双方が困ることになったりしたからです。
通信関連の情報については、暗証番号などわからないようにしておかねば危険だとよく言われますが、いっぱいありすぎて、きちんと書き留めておかないと、自分自身が混乱してしまって、どこからどんなサービスを受けて、お金を払っていたりするかさえわからなくなってしまうのです。
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ウォーキングの途中に三度目の発作 |
そんなことをはじめて一ヶ月あまり経った7月24日のことです(今度こそ日にちをきっちり覚えておくことにしました)。今度はウォーキングの途中で三度目の発作が起きました。倒れたときに左の肘をすりむき、左の顔面も打ち付けて、左目の縁にしばらくは人相が変わるくらいのアザができたんです。
しかし、そのときも意識ははっきりしていて、後遺症もなく、そのままノロノロと立ち上がって歩いて帰ることができました。幸い人も車も通っていなかったので、恥ずかしい思いもせずにすみました。
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H28.8.9( 79th birthday) |
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検査の結果は全部正常なのに |
けれどもとうとう翌日タクシーで市立病院に乗り付け、内科の診察を受けました。脈拍、血圧、尿、血液、心電図、脳のレントゲンなどの検査を、長時間一通り受けましたが、ご覧の通りのメタボ体型にもかかわらず結果は全部正常、若いお医者さんの診断では、心配いらないとのことでした。問題自体は何一つ解決していないのにです。他のどこそこへ行って更に調べてもらえとはおっしゃらないのです。
私自身も、脳梗塞ではなかったということですっかり安堵してしまいまして、それ以上追求してもらおうという気が失せてしまいました。久しぶりに計ってもらった血圧が、正常というのにも気をよくしました。私ぐらいの年齢になると、或いはもっと若い人でも、大概高過ぎたり低過ぎたりしていると言うのをよく聞くからです。これでもうしばらく、あの測定器も使わずにすむなあとも思いました。
「歩いて帰ってもいいですか」とたずねたら、「いいですよ」と、たいした根拠もなく答えてくださったのをいいことに、帰りはタクシーを使わずに歩いて帰りました。
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ありふれた行為の一つ一つが大冒険に |
しかしそれ以後、日常生活のありふれた行為の一つ一つが、もしもそのときにあの発作がおきたらと思うと、スリル満点の「大冒険」になってしまったのであります。
コーヒーとか味噌汁とか、汁気のものを手に持っているときに起きたらどうなるかとか、便所で用を足しているときに起きたら
どうなるかとか、いろいろと想像をめぐらしてみるのですが、やはりいちばん恐ろしいのは、階段を上り下りするときや、自転車に乗っているときなどです。そんなときに発作が起きたら、大けがをしたり、他人を巻き込む事故につながりかねません。
かといって、どれもやめるわけにはいかないので、一つ一つのことを慎重に慎重に、祈りをこめながらしていくしかないのです。
発作の原因が脳梗塞でないとするならば、自己診断で思い至ることは、やはりストレス系ということになります。ストレス系のメニエル氏病症候群となら、ずいぶんと長い付き合いになります。そこで改めてそのあたりをいろいろと検索してみましたが、ぴったりとあてはまるような症状はみつかりませんでした。
いずれにしましても、とりあえずの目標は、発作の起きる間隔をできるだけ先に延ばすことと、その前兆を見つけることであります。
前触れがないとは言うものの、気をつけていれば何か見つかるかもしれないと思うのです。そういう気構えで身体の状態に意識を集中させながら歩いていますと、時々平衡感覚が微妙に不安定に感じることがあります。そういうときはなお一層慎重に歩くと
か、立ち止まって歩道脇の手すりにつかまるとかするようにしております。
その7月24日から今日でちょうど、105日目、前の発作の間隔よりはだいぶ伸びたようです。そういう風に指折り数えて、一日一日、お願いとお礼を繰り返しながら、きわめてスリルに富んだ日々を過ごさせてもらっているのであります。
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信心しても苦労はなくならないが、
重荷を軽くしてもらえ、元気も授けてもらえる
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そのように、信心しておりましても、それで苦労がなくなるというわけではありませんが、それでも、これまでずいぶんと重荷を軽くしてもらってきたなあという実感があります。また、元気の出る出来事をも授けてもらえます。
今も相変わらずストレスのたまりやすい多くの困難にとりかこまれており、「問題山積、前途多難」というのを、状況を説明するうたい文句にしているほどでありますが、それでも何とか凌がせてもらっておりますのは、そんな中でも時折元気の出る出来事を授けてくださるからであります。
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出し抜けに褒章授与を打診された |
今回は、それが全く思いもかけぬ方向からやってきました。
話の発端は、2月頃、突然市の統計課の職員さんがやって来られまして、これまでの統計調査などの功労とやらで、次の藍綬(らんじゅ)褒章受章者に推薦したいが、受けるかどうかと打診されたのです。
褒章には、赤色やら、紫色やら、黄色やら、藍色やら、色分けがありまして、私が頂くはずだった藍色は、地域社会に何らかの貢献をしたと認定された者が頂く褒賞です。
今までにも何回かそのことで表彰は受けていました。最後にはもう十年以上前、知事表彰まで行きました。それでおしまいだと思っていました。その先の勲章褒章の類いなどは、自分とはまったく縁のないものと思い込んでいたんです。従って関心もありませんでした。
しかし、いざそういうものに手が届きそうになってみると、欲が出てくるのです。それを受けるとなると、自費ではありますが東京に行くことができ、宮中にまで参内できます。一生のうち一度ぐらいそういうことがあってもいいかなと思いました。
これまでに頂いた表彰状や額縁は、どれもこれもどこかにしまい込んだままで、一度も壁にかけたりする気にはなれなかったのですが、今度ばかりは重みが違います。高価な専用額を買ってでも、賞状とそれについたリボン付きのメダルを、部屋のどこかに飾っておいてもいいかなと思ったんです。
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有難く受けさせて頂くことにした |
そんな褒章を受ける意思があるかどうか、それをまず確認なさるということは、「そんなものいらん」と辞退もしくは拒否なさる方がたまにおられるからです。それも一つの見識ではあろうと思います。
むかし芥川龍之介という人が、勲章をつけた軍人のことを、酒にも酔わずによくもあんなものをぶら下げていられるものだと皮肉った話は有名ですが、私の考えは少し違います
日本を誤った方向に導いた軍人もいたかもしれぬことは別としまして、国のため、つまりは我々のために、大なり小なり命をかけて任務を遂行して得た勲章を、軍人が正装して、つまりは時と場所をわきまえて佩用(はいよう)することには、何ら揶揄(やゆ)されるべきいわれはないと思うのです。
そして軍人に限らず、どんな人でも、自分のしてきたことが何らかの評価を受けることを喜ぶのは、ごく自然なことだと思うのです。現に文学を志す人たちが、芥川氏自身の名を冠した賞を穫るのを、あれほど嬉しがるのも同じことです。
褒章関係では、学術や芸術の分野の人に与えられる紫綬褒章というのが、有名人が多いためいつも大きく報道されます。皆さん大抵喜んで受けておられるようです。
というようなことで、私も有難く推薦を受けさせて頂くことにしたのですが、それからが、長くもあり短くもある、独特な時間の流れの中で時を過ごすことになりました。
いろいろと身辺調査を受けた上で、三月末に再度の意思確認を経て、申請書を上に上げておくと言われました。しかし、それは確定ではなく、上の方の裁定で却下されるか、来年伸ばしになるか、九月の半ばに内定が下りるまで全く予測ができないと、市の職員さんは慎重な物言いをされます。そういう宙ぶらりんの状態が、かなり長期間続くわけです。しかもその間、交通違反すらしてはならないとか、満員電車の中では、何かと間違えられないように両手を上げておくように、などと冗談めかして言われたりしました。
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H28.11.9 |
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二十代から七十代まで、回数が突出 |
ところで、私が市の調査員を務めた二十代後半から七十代前半まで、統計調査に従事した人たちは何百人もいたはずですが、自分のことしか知らないので、他の人がどうなのかということは全くわかりません。
過去の市政便りのサイトなどで遡って調べてみましても、ここ十年くらいは、そのことで褒章まで行った人はいないようです。私自身も、はなからそんなものとは生涯無縁だと思い込んでいました。
若い頃は、それまで父が引き受けていた後を引き継ぐようにして、言われるままに素直にどんな調査でも引き受けていました。国勢調査、商業調査、事業所調査などです。工業調査というのまでやったことがあります。
だんだんと一人では手が回らなくなり、近年は国政調査一本に絞るようになっていました。そして、それさえも前回は高齢を理由に辞退してしまったのです。この頃は、国勢調査以外の調査は引き受け手が少なくて、たいがい市の職員さんが調査に回っておられるようです。そんなだから、私のような者でも、どうやらこれまでの引き受け累計回数が突出しているらしいのです。
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ふたを開けてみれば瑞宝単光章 |
ところが、物事は最後の最後までどう転ぶかわからぬもので、十月末の閣議決定後に判明した結果は、藍綬褒章ではなくて、瑞宝単光章ということでした。つまり勲章にすり替わっていたのです。勲章は勲章でも、言わばいちばん下位の勲章です。別にそれはかまわないのですが、そのことは市の職員さんも把握していなくて、国会議員さん達から届いた祝電の内容や、東京での宿舎の世話を頼んだ業者さんがもたらした情報で疑問を持ち、改めて職員さんに問い合わせてもらってやっと判明したのです。
言ってみれば、おいしいカレーをご馳走すると言われて、すっかりカレーの口になって待っていたところへ、いきなりラーメンが出てきたようなものです。
この単光章が、格上げになるのか格下げになるのか、それとも同等のものとして与えられたのか、いろいろあってどのようにでも解釈できますので、信心さしてもらう者としては、すべてをよい方に受け取って、喜ばせてもらうことが大切だと思わせて頂いております。
できることなら、そのようなランク付けとは無縁な褒章の方を頂きたかったというのが偽らぬ気持ちではありますが、褒章は人数枠が限られていて、私が居住する市では二年に一人ぐらいの割合でしか受章されておりません。
それが今月二日の新聞発表を見ますと、同じ大和高田から、ある保育園長さんが受章されていましたので、なるほどそういうことかと合点したようなことでした。各部局から思い思いに申請がなされていて、あまり横の連携がとれていないようなのです。
いずれにしましても、私のような者がそのような叙勲の対象となり、有難いことにかわりはありません。
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落ちこぼれ引きこもり体質の人間に頂けたのが有難い |
今回のことで、私がとりわけ有り難いと思いますのは、それが、常に言わせてもらっているところの「おあてがいのままに」生きさせてもらう中でもたらされたものだということです。
もともとが落ちこぼれ体質、引きこもり体質の私のような人間でも、他力の信心に徹するならば、リボン付きのメダルをつけてもらえるようなことがあるのだということを示すことができたのが有り難いのです。
しかも、役所内に何かの人脈があるわけでもなく、特定の団体から推薦を受けたわけてもなく、自分から働きかけたわけでもないのに(ネット上の噂では、そういうこともあるらしいのです)、私自身の全くあずかり知らぬところで話が進められ、決定がなされた、ということも有難く思うのであります。
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何事もお願いしてさせて頂く稽古材料になった |
また、金光教祖様の教えに
「信心するという心におかげはない。信心させていただくという心におかげがある」
「商売するというから神は見ている。商売させていただくという心になれば、神はつきまとってさせてやる」
とありますように、「何事も神様にお願いしてさせていただく」ということが、この道の信心の基本中の基本でありますが、昔からこの仕事は、その信心実践のよい稽古材料になりました。
とにかく煩わしいのです。用紙を配って、期日に回収しに回っても、書いてもらえるまで何度も足を運ばねばなりません。とりわけ商業調査などの場合、いくら税金とは無関係だと説明しましても、売上げ金額を書き渋る人が多いのです。書けていても、明らかにデタラメと思われるものもありました。それでもそのまま受け取るしかなかったのです。
無理もないなあと思われますのは、商品の細かい分類方法がありまして、その分類に従って売上げを書かせようとするのですが、小売店の人々にいちいちそんなことが把握できているわけがありません。かといって何も書かない訳にはいきませんので、一日とか一ヶ月とかの売上げのおおよその見当をつけてもらって、それを年間に換算して書き込んでもらうしかないということもありました。
また、どんな調査でも、書けたとしても満足に書けている人は希で、たいていどこかに間違いや記入漏れがあります。人によっては、特にお年寄りなどの場合、全部こちらで聞き取って書いてあげねばなりません。
前々回の国勢調査から、個人情報を知られたくない人は、封をして提出してもよいことになりました。そうなると、恐らくあの封筒の中身は間違いや記入漏れだらけだろうと思います。それを市の職員さんだけできちんと訂正するのは無理なように思えてならないのですが、どのように処理しておられるのか気になるところです。
そんなことなら国勢調査などやめてしまって、マイナンバー別に打ち込まれたデータの中から、必要な情報だけを取りだして集計するようにした方が、よほど正確に、しかもラクに実態がつかめるのにと思うのですが…。
いずれにしましても、これらの調査にとりかかるのが、毎回おっくうでしかたがありませんでした。負担になってしかたがなかったのです。
そこでどうしたかといいますと、気の進まないときには、無理に頑張ろうとはせずに、ただ無事に役目を果たさせてくださいとだけ願い続けるのです(他のことをしながらでも)。するとそのうちに必ず、今から作業に取りかからせてもらおうという気にならせてもらえる時がくるのであります。
これまではすべてそれの繰り返しでありました。気が向かねば縦のものを横にもしようとしない、めんどくさがり屋の私でも、それで全部の調査を、期日までに提出させてもらうことができました。
気が向いたとか向かないとか言っておれないサラリーマンのような立場の人でも、根本は同じでしょうから、それぞれの置かれた状況に最もふさわしい願い方を工夫すればよいのだと思います。
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多くの人達から祝福されたが |
それで、勲章の方の公表されたのが三日で、ちょうど私共の教会の大祭の日でした。子や孫や兄弟達は一足先に知っていて、わが事のように喜んでくれていましたが、その日に知った信者さん達も、とても喜んでくださいました。そんなことで、私自身だけではなく、周囲の人々の幸せが、ほんの少しでも増したとするなら、そういう関係が築けているとするなら、こんな嬉しいことはないと思いました。
公表前から、高市総務大臣をはじめ県知事や議員さん達からの祝電が届くのですが、しきたり通り型どおりとはいえ、けっこう気分が盛り上がるものだという発見もありました。
もっと嬉しかったのは、同級生で前知事のY・Kさんや、いつも骨惜しみすることなく小学校卒業時のクラス会の世話をしてくれるH・Yさん、そして敬愛する先輩のK・Kさん達から、発表のあったその日のうちに電報や電話をもらったことでした。そんな迅速な対応は、ずぼらな私にはとてもできそうにないなあとも思いました。これまでは、そういう叙勲発表の記事にほとんど目を通したことさえなかったのですから…。
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K・Kさんは貴重な情報をもたらしてくれた人 |
ちなみに、この一年先輩のK・Kさんは、私共の教団にとってきわめて貴重な情報をもたらしてくれた方でもあります。他のところで何回かこの話は紹介しているのですが、ここでは初めてなので、ちょっと蒸し返しておきます。
Kさんは、ある大きな組織の中でとても重きをなしておられる方ですが、私より一年後輩の弟さんがおられて、二人とも勉強がよくできられました。そして弟さんは長年文化庁の宗務課というところに勤められていました。日本全国の宗教教団を一目で見渡せる立場におられたわけです。本教の教務機関にも何度か話をしにこられたことがあるそうです。そのたびに一年上に私がいたという話をなさるということは、人伝で伝わっては来るのですが、卒業以来一度も会ったことがありません。
あるとき母校でのある会合に、Kさんや私も呼ばれて出席することになり、途中車で拾ってもらって行きました。その道中のことです。その前日あたり、今は遠方に住む弟さんがたまたま実家に戻って来られていたので、翌日私と一緒に母校に行くということが恐らく話題になったのでしょう。その時「角埜くん、弟がこんなことを言ってたよ」と教えてくれたのが、日本には実にいい加減な教団が多いけれど、金光教ほど真面目な教団はない、という評価でした。「頭が下がる」とまで言われたそうです。
真面目とはどういうことか、具体的にどういうことでそういう印象を受けられたのかまではわかりませんが、我々が当たり前のように思っている無意識の言動に対してそういう感想を持たれたのだとしたら、とても有難いことだと思います。
そして、私はその話に大きな元気をもらうと同時に、その話が私の耳の届くことになった不思議な巡り合わせに深く感謝した次第です。
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本職の方はまだまだ |
話を戻します
今回の受勲で、一市民としての働きを評価していただけたことは、とても有り難いことではありますが、肝心の本職の方はまだまだです。教会そのものの働きによる地域社会への貢献ということになりますと、まだまだ力及ばず、相済まぬことだらけであります。そしてそのことは、地域に深く根を下ろそうとする私共の教会にとりまして、永遠の課題でもあります。
また、私方のみならずどの教会にとりましても、教祖様のご信心を、世の一人でも多くの人に伝えさせて頂くということこそが、何よりの地域貢献であろうと思います。私の受勲も、この道の信心抜きにしては到底あり得なかったことを痛感いたしております。
それぞれの教会で、お道の信心が伝わり育つということについての一番の重い責任は、もちろんそれぞれの教会長が背負わねばならぬことではありますが、同時に、教会長一人の力だけでは到底及ばぬことでもあります。
ここにお参りの皆様お一人お一人が、なお一層真剣に神様に心を向けておかげを蒙られ、道が伝わり人が育つ働きをそれぞれの身に現わしてくださいますことを切に願って、私の話を終わらせて頂きます。
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談話室より |
H.Sさん(女 80歳)H.28.12月.
ご受章おめでとうございます。長年地道に努力してこられたのが 認められて 誇らしいことですね。してこられたこともですが、お人柄も立派だからでしょう。これからもお体に気をつけられて 有意義な人生をお過ごしください。
T.Oさん(男75歳 教会長)H28.12.20
長年にわたる国の調査員として蔭のご用に当たられ、褒章として瑞宝単光章といふ勲章を授与され、何と、宮中に参内し、今上陛下にも拝謁された由、眞に以て、おめでたうございました。国家としての尊厳を、まさに象徴として体現されてをられるお方から、最も由緒正しい晴れの褒章を身に受けられたことであり、これ以上の名誉、これ以上の喜びがあらうかと、心よりお祝辞申しあげます。このやうな御用を、お父君から継続されてをられる由にて、角埜家としても永久の誉と申しあげねばなりません本当に本当におめでたうございました。さて、今年の三、四月頃より、突然に体の力が抜けおち崩れ落ちるといふ体調不順を何度か経験された由、たしか小生より五歳年長の貴先生でありますから、八十歳といふ大台に入ってをられるはず、この頃は長命の人が珍しくなくなってをられる情況ではありますが、何と言っても、お齢をめされてをられます。御心も御体調についても、いよいよに神さまのお心のまにまに、日々を、大切におつとめになされますやう、小生としても、日々お祈り申しあげる次第であります。
教会長より
多くの方々から祝辞を頂き、有難く幸せに存じます。
11月8日、大阪に住む孫の一人に付き添われて、33年ぶりに上京し、品川プリンスホテルに宿泊。9日、同ホテルでの勲章伝達式に参列し、次いでバスにて皇居に参内し、天皇陛下に拝謁しました。その間、お言葉を賜った時間を含めて数分間、前を通られたのは数秒間でしたが、それがなければ、どれほど立派なホテルで伝達式が行われても、わざわざ出向く気になれたかどうか…。やはり皇室というものの重みはスゴイと思います。
その日の夕方、仕事のある孫とは別れ、迎えに来てくれた弟に案内されて初めて千葉県に足を踏み入れ、市原市の家に泊めてもらいました。遅い到着にもかかわらず、家族中で歓待し、祝ってくれました。
翌日は弟の運転でアクアラインの中程まで行き、東京湾の沿岸をぐるりと見渡し、そこから船橋市にとって返し、そこに住む孫の一人とひ孫の一人に合流し、昼食を共にするなど、至福の三日間を過ごさせてもらいました。
教会長より H.30.12月
細かいことですが、卵と納豆は食い合わせがよくないとのことなので、その後ウズラ卵を練り込むのはやめにしました。
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