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35健全な愛国心を取り戻したい |
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これまで、男性の平均寿命に届きそうになっては、すっと逃げられていたのが、やっと追いつき追い越すことが出来ました。
82才の今も、痛いところもなく元気で居らせてもらえるのが、何より有難いです。一人暮らしには様々な雑用がつきまといますが、それも含めて、いわゆる健康寿命を保つのにプラスになっているらしいのです。
いろんな用事に費やす時間を差し引くと、神前に座れる時間は極めて限られてきますが、そこで祈らせてもらうことと、考えさせてもらう事を最も重視しています。
それ以外に、情報の収集に費やす時間も馬鹿になりません。近頃は書物や新聞(百年近くM新聞一紙のみ購読)よりも、パソコンの前に座ってインターネットに頼ることの方が多いです。それもこれも、衰えたとはいえ、まだなんとか活字の読める視力を保たせていただいているからこそであると、近頃とみに意識され、お礼を申さずにおれません。
ここではいつも、神様にお願いしながら、過去半年の間に見聞きしたこと、経験したこと、感じたこと、考えたことなどの中から話をさせて頂くのでありますが、どういう話をさせて下さるかは、直接準備を始めねばならぬギリギリの時点まで、あらかじめ見当が付かぬことの方が多いのです。
あれこれ思案したあげく、結局今回は、内外情勢や国の行く末についての大きな気がかりについてなら、何か話をさせてもらえそうだと思うようになりました。
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インターネットからは、内外情勢について、新聞からは得られない情報が得られる |
情報収集をインターネットに頼るようになりましたのは、書物はともかく、新聞よりはインターネットの方が、使いようによっては、はるかに多様で深い、真実に近い情報が得られるからであります。
例えば内外の情勢について、あるアジア奥地の軍隊を持たない平和的な仏教国が、どういう巧妙な段階を踏んで隣国の支配下に置かれるようになってしまったかとか、いま沖縄の言論空間や教育現場が、特定の勢力の支配下に置かれて、どれほどゆがんだものになっているか、そしてそれに乗じて隣国が、尖閣はおろか沖縄本島までも手中に収めるべく、着実に浸透しつつあるなどということは、少なくとも私の購読するリベラル系の新聞では決して報道されません。ということは、そういう新聞は、重大な事実や真実を知るには役に立たないということなのです。
隣国のことをそのように言いますと、特定の国を敵視するのは、信心上いかがなものか、という声が聞こえてきそうです。もっと隣国を好きになり、信頼するのが信心というものではないか、という意味のご意見もいただいたことがあります。
しかし、個人にせよ国家にせよ、好きになり信頼する前に、相手のことをできるだけ正確に知ろうとすることも、決して信仰とは相容れないことではなく、むしろ極めて大切なことであると、私は思っています。
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国家の行動についての一方的な反省はかえって有害 |
大戦後、もっとひどい目に遭うことを覚悟していたのに、思いもかけず手にすることができた一応の「平和と繁栄」の中で、日本人の多くが、いわゆる平和ボケの状態に陥り、警戒心を全く欠いた空想的平和主義が大手を振ってまかり通るようになりました。
敗戦記念日前後ともなりますと、少なくとも私の読む新聞は、戦争関連の反省や非難の記事で埋め尽くされます。
今の世代の人達までが、ご先祖の行いを我がことのように引き受けて、軍国主義の我が国が愚かな戦争を始めたばかりに、世界中に迷惑をかけてしまった、とりわけ隣国に迷惑をかけてしまった、申し訳ないことであった、もう二度とこんな過ちは繰り返すまいと誓ってみせるのです。また、そういう教育をずーっと受け続けてきてもいるようなのです。
私は常々、自分自身の行ない以外のことについての反省は、余程慎重でなければならないと言い続けています。とりわけ国家の行動について、教え込まれた批判を鵜呑みにしてはならないと強く思うのです。我々の知りうることは限られていますし、時が経つにつれて、新しい事実が次々と掘り起こされてくるからです。そして、我が国のみが一方的に悪かったのだとする反省は、かえって有害であると思うのです。
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ある信者さんの家の庭にて |
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我々の罪悪意識の大半は、巧妙な洗脳工作の結果と知るべし |
少なくとも知っておかねばならないと思いますのは、多くの日本人が、未だに先に述べたような、自分たちだけが悪かったのだというような強い罪悪意識を持ち続けているのは、7年間にわたる占領期間中に施された極めて巧妙な洗脳工作によるものだということであります。
その工作はWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)と言い、「戦争についての罪悪感を日本人に植え付けるための宣伝計画」と言うものであったことが今ではわかっています。
そして占領軍はこの目的に添うように、占領期間中の出版物やラジオ放送や映画などの内容に徹底的な検閲を加えたのです。しかも検閲が行なわれているということの報道すらも禁じて、反省が押しつけられたものではなく、自発的に行なわれたものであると、国民に思い込ませるように誘導しました。占領期間が終わったあとも効果が持続するようにです。
この工作の狙いは、敗れたとはいえ、頑強な戦いぶりで連合国とりわけアメリカを悩ませ恐れさせた日本軍が、再び蘇るようなことのないよう、日本国民をとことん精神的に弱体化することでした。
その目論見は見事に効を奏して、独立後もその考えは、主として日教組や進歩派マスコミに熱心に受け継がれていきました。それはきっと、日本が一方的に悪かったと決めつけてしまった方が、自分たちの政治的主張にとっても都合がよかったからだろうと思います。占領軍と特定の政治勢力の思惑が完全に一致したのです。
ですから、彼らが占領軍の考えを引き継ぐと同時に、国民を洗脳する役目をも引き継いだのだと言った方が実情に合っているかも知れません。つまり我々は、最初は占領軍によって、続いて同じ日本人によって洗脳され続けてきたのです。いわゆる自虐史観や暗黒史観というのも、そうやって形成されて、一時は猛威を振るったのであります。
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その洗脳工作が日本人から誇りや愛国心を奪った |
占領軍による洗脳工作の方法は、元「正論」編集長であった上島嘉郎さんの言葉を借りますなら、
「『平和』や『個人の尊重』『人権擁護』などの言葉で飾りながら、内実としては日本人の間から愛国心を奪う。自立心を奪う。現実的思考を奪う。誇りを奪う。それらを徹底したもの」
でありました。
確かにその後、これら四つを奪われたとおぼしき人々が世にあふれ続け、我が国の危機を深めつつあるとの感を深く致します。M紙一紙の記者だけでも、大なり小なり大抵その傾向を帯びていて、そういう人達のつくる紙面や書く記事が、昔から絶えず私を悩ませ続けてくれたのであります。
「愛国心」ということ一つをとりましても、それを「偏狭なナショナリズム」という常套句でおとしめ、そんな偏狭なナショナリズムにだけは陥りたくないと書く記者がいたり、日本が如何に野蛮な恥ずべき侵略戦争をしたかを掘り起こすことにのみ情熱を注いできたある記者は、「国益よりも世界益」を追求すべきだと主張していました。
そういう人達は恐らく、よくあるように国家というものを憎み、世界市民、地球市民として生きていきたいと考えているのでしょうが、そんな人達でもまだ無国籍というわけにはいかないので、自分が属する国家の恩恵だけは何の感謝もなく享受しながら、権力を監視するのだと称して、自国政府を非難し続けるのです。
それならそれでよろしい。自国中心主義から放れて、より大きな視野から物事をとらえようとするのも悪くはないかも知れません。しかし、その記者が長年書き続ける連載記事は、私からすると、ものの見方が自国だけの批判否定に偏り過ぎていて、一本調子で、気が滅入るばかりなので、とっくに読むのをやめてしまったのであります。
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公平な目で自国他国の実態を把握し、先人達を評価したい |
これまで、反省は大切だが、我々が一方的に自国だけを悪者にしてしまうのは巧妙な洗脳工作の結果であり、かえって有害であると述べました。
それでは何が我々に必要と考えるかと言いますと、自国をも他国をも、せめて公平な目で、その実態を把握しようとすることが大事だと思うのです。
憲法の条文にあるような「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」だけでは、厳しく利害がからむ国際社会の中で、国家を維持存続させていくには到底不十分なのです。外国を無条件に信頼するだけが信仰的態度だとは思いません。その前に、諸外国についてのあからさまな真実を知ろうと願うことの方が、もっと大事だと私などは思います。
あからさまな真実という言い方には、あまりよいイメージが想定されない予断が含まれています。数年前に「世界は腹黒い」という題名の本が出版されたことがありますが、我々が反省すると同時に知っておくべきことは、まさに諸外国の、そういうしたたかさ、ずる賢さ、厄介さ、恐ろしさ等々なのであります。
先の大戦について反省するのは結構ですが、反省するならするで、同時にどういう相手と戦わざるを得なかったのかをもっと知るのでなければ、本当に反省したことにはならないと思うのです。我々の先人たちだけが一方的に悪いなどということはあり得ないのに、そう思い込まされてしまったのは、まことにずる賢い洗脳工作と、それをうまく利用しようと、そっくり受け継いだ人達の政治的思惑のせいだと思うのであります。
そういう諸外国に翻弄されながらも、時には互角かそれ以上にわたりあい、懸命に国民の生活や利益を守ろうとしてくれた先人達の努力を、今の我々が正しく認識し評価できているとはとても思えません。それが愛国心や誇りをなかなか持ち得ないことにもつながっているのではないかと思うのです。
既に戦後74年、もういい加減そんな洗脳からは自由になってもいいのではないでしょうか。
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○「軍国主義の日本が無謀な侵略戦争をはじめた」は本当か |
しかし、もともと知識に乏しく無力な我々に、せめて今できることといえば、「軍国主義の日本が無謀な侵略戦争をはじめた」という一方的な濡れ衣に軽々しく同調しないこと、そんな単純なものではない、と踏みとどまることぐらいでしょう。テレビの討論番組に出てくる隣国人のように、何があろうと絶対に自分たちの非を認めない、というあり方も少しは学んだ方がいいのかもしれません。
どういうふうに単純ではないのかといいますと、例えば、アメリカとの開戦責任ということ一つとってみましても、最初に日本が、真珠湾に卑怯で無謀な攻撃を加えたのだから、当然日本は戦争をしたがっていたのだ、というような単純なことではないのです。
今の時点になってはっきりわかってきましたことは、あの当時日本との戦争を最も強く望んでいたのは、ルーズベルト大統領自身であったということであります。それというのも、ヨーロッパや中国の戦線に加わる口実が、どうしてもほしかったからだというのです。
第二次大戦のはじめの頃、ヒトラーのドイツは、イギリス、フランス、ソ連を攻めて優勢を保っていましたが、まだアメリカとは戦っていなかったのです。そして日本は中国と戦っていました。イギリスのチャーチルや中国の蒋介石やソ連のスターリンは、劣勢挽回のためにはどうしてもアメリカの助けがいるということで、アメリカの参戦を熱心に働きかけました。
アメリカ大統領のルーズベルトは、中国びいきソ連びいきでもありましたので、すぐにでも参戦したかったのですが、当時のアメリカの世論は参戦に反対の意見が大多数でした。ルーズベルト自身も「攻撃を受けない限り絶対参戦しない」と公約して大統領選挙に当選したので、おいそれと約束を破るわけにはいかなかったのであります。
そこでまず、ドイツをいろいろと挑発してアメリカを攻撃するように仕向けたのですが、ヒットラーはそれに乗りませんでした。
そこで次に狙いをつけられたのが日本でした。挑発どころか、いわゆるABCD包囲網によって、飛行機や船舶の燃料として絶対に欠かせない石油の補給を絶った上で、ハル・ノートという、現実的には受け入れ不可能な要求を日本政府に突きつけたのであります。
日本政府首脳は苦悩し、それでも何とかアメリカとの戦争をさけようと、大幅に譲歩して、受け入れ可能な妥協案を提示したのですが、ルーズベルトはにべもなく拒否しました。もともと開戦に踏み切るまで日本を追い詰めるのが目的で突きつけた要求なので、まともに交渉する気などはじめからなかったのです。窮鼠(きゅうそ)猫を噛むところまで持っていきたかっただけなのであります。
そしてルーズベルトが待ちに待った、真珠湾への日本側からの第一撃となったのです。その上、事務作業の遅れから、宣戦布告を届けるのが攻撃開始に間に合わなかったというおまけまでついてしまいました。これが「卑怯なだまし討ちを仕掛けた日本」というイメージを決定づけてしまうことになり、アメリカの世論を変え、アメリカ人の士気を高めるのになお一層の効果をもたらしました。その日ルーズベルトとチャーチルは、直通電話で、これでとうとうアメリカが戦争に参加できると喜び合ったそうです。
そして実質的には宣戦布告とも言えるハル・ノートの内容については、アメリカ国民はおろか議会にまで一切伏せたままで、ルーズベルトはぬけぬけと「アメリカが平和を求めて交渉しているさなかに、日本は真珠湾を奇襲した」と議会で演説しました。
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したたかで腹黒い国際社会に翻弄されたあげくの結果責任 |
この話はいわゆる陰謀論では決してありません。しかし、これに似た話が長い間陰謀論のようにして根強く囁かれ続けてきたのは、私も知っています。それがついに「明白な事実」に昇格しましたのは、ルーズベルトの前任の大統領であったフーヴァーが、その真相を見抜いてルーズベルトを厳しく批判した著書が、死後50年近くたって出版されたからであります。
遺族が長い間発表をためらったのは、それがあの戦争は「好戦的な日本軍部が起こした戦争である」という、大多数の人々が信じ込んで定着した通説を、真っ向から否定し、覆すものだったからです。しかも、連合軍総司令官であったマッカーサーまでが、その批判に同意していたというのです。こんな無茶な要求をつきつけられて戦う決意をしない国などない、とフーヴァーもマッカーサーも考えたのであります。
したたかで腹黒い国際社会に翻弄されるとは、まさにこういうことでありまして、当時の日本政府首脳達は、好戦的どころか、馬鹿正直に悩み抜いて提示した大幅な譲歩案もはねつけられ、余儀なく開戦を決意したのであります。まともに戦って勝てる相手ではないけれども、初期に善戦して、何とか和平に持ち込むことに望みを託したのであります。
しかし、ルーズベルトの狙いは、徹底的に日本を叩きつぶすことで、終戦数ヶ月前に亡くなったとはいえ、いわゆる無条件降伏の要求も、原爆投下も、彼の強い意向をそのまま受け継いだものでした。白人に逆らった生意気な黄色人種を徹底的に懲らしめるのだ、と言ったかどうかわかりませんが、きっと内心ではそう思っていたに違いありません。そんなことが当たり前の時代だったのです。ルーズベルトが日本を敵視し、中国に加担したもっと重大な理由もあるらしいですが、今は触れないでおきます。
いずれにせよ、そのあげくに、日本の首脳達の多くが、敗戦後裁判で戦争責任を問われ、A級戦犯として処刑されてしまったのは、私から言わせれば気の毒としか言いようがないのであります。
敵国からみれば犯罪者でも、せめて同胞の我々ぐらい、違う見方をしてあげてもいいのではないか思うのでありますが、それでも、結果責任を重くみたがる人達は、彼らを許そうとしないかも知れません。そんな目に遭うかも知れぬ仕事を自ら選んだ以上、泣き言を言うなと言うかも知れません。
しかし、そんな人達でも、彼らをきびしく、或いは偉そうに糾弾するのは、せめて自分がその当時そんな責任ある立場に立たされたらどうしただろうか、何ができただろうか、或いは、自分ならそんな事態にまでなるのを防げただろうか、などとまず自分に問うてみてからにしてもらいたいと切に思うのであります。
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いい加減、洗脳とそれに乗っかる歴史観を断ち切ろう |
このこと一つとっても、国家のとった行動についての反省や評価が、如何に困難かがおわかり頂けると思います。せいぜい私たちに出来ることと言えば、軽々しく評価を下さないこと、これまで教育されてきたことや通説や新聞をはじめメディアの言説をあまり信用しないことぐらいかもしれません。
結局、何が一番言いたいのか。世界市民も結構ですが、その前にまずは手元である自分の国をもっと大切にしよう、ご先祖も含めて自分の国にもっと感謝しよう、国の歴史も含めて、自分の国にもっと誇りを持とう、と言いたいのであります。
我々が所属しているこの日本は、よそと比べてもそんなに悪い国ではないと思うのです。よいところ、自慢に出来るところがいっぱいあると思います。
ところが、いろんな調査によりますと、我が国ほど恵まれていないように見える国の人達でさえ、自分たちの国に愛情と誇りを持っているらしいのに、日本人だけがその数値が低いという話を何度か見聞きした記憶があります。未だに洗脳工作の効果と、それに乗っかって利用した政治勢力の歴史観が尾を引いているのです。悔しい話ではありませんか。こんな洗脳は、みんなでしっかり自覚して断ち切ろうではありませんか。悪いところだけを取り上げて強調するのはもうやめにしましようよ。
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相も変わらず一方的な決めつけ |
ところが今年も、8月15日のA新聞の社説は、相も変わらずこんな調子だったらしいです。
〈満州事変以降に拡大したアジア太平洋戦争により、日本人の死者は300万人を超えた。無謀な戦争の犠牲となった人々に追悼の念を捧げる日である。
そして同時に、忘れてならないことがある。侵略と植民地支配により、日本以外の国々に及ぼした加害の事実である。〉
このように、まるで洗脳プロパガンダそのもののような言説が、いまだに大手を振ってまかり通る日本の言論空間なのであります。
これが個人の行ないについてのことなら、自分の欠点にのみ目を向けて謙虚に反省し、言い訳は一切せず、他人のあら探しもしないような人は、きっと尊敬され、信心する人のお手本にもなり得るでしょう。それに、善くも悪くも自分一人のことで済ますことができます。
しかし、組織集団のこととなるとそうはいきません。繰り返しますが、限られた情報の中で敢えて反省するとしても、日本だけが悪かったと決めつける偏った反省はかえって有害です。同時に日本と関わった国々の実情実態や行動にも目を向けるなら、反省も一筋縄ではいかないことがすぐわかるのであります。
だからこそ、百戦錬磨の諸外国は、簡単に自国の非を認めたり、謝罪したりはしないのです。侵略や植民地支配の罪をあげつらうなら、もっともっと悪質な罪を重ねてきた国や、現に重ねつつある国がいっぱいあります。
ある種の日本人があこがれるヨーロッパのある文化国家など、いまだにアフリカの旧植民地諸国から、年間60兆円近くを合法的に狡猾に搾取し続けているらしいです。優雅な長期バカンスが可能なのは、そのおかげなのだそうです。それを改めようとする現地の指導者が現れても、何故かみな同じアフリカ人に殺されてしまったらしいです。
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日本人に欠けているのが、正確な外国認識と警戒心と危機感
必要なのが自国への愛と誇りと感謝、
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そして我々に決定的に不足しているのは、そういう諸外国の実態についての正確な認識と、それらに対する警戒心と危機感です。そういう認識と警戒心と危機感を全く欠いた、非現実的な平和主義が戦後はびこることになったのも、洗脳工作の影響だと言われています。
我々に今一番必要なのは、洗脳工作によって奪われたと指摘された自国に対する愛と誇りです。それに私は感謝ということもつけ加えたいです。それらをまず取り戻すことです。
更に必要なのが、この国に害を及ぼそうとする内外の動きには、つねに警戒を怠らぬことです。平和主義であったチベットやウイグルが、どのような悲惨な目に遭ったか、現に遭わされ続けているかを知るにつけ、我々もまた危機感を持たなければ、いつ同じような目に遭ってもおかしくないのだと痛感させられるのです。
とは言うものの、今の我々日本人には、そういう動きを完全に封じる力はありません。極めて無力な存在です。
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もう一つ欠かせないのが自国に対する強い祈り |
そこで、自国に対する愛と誇りと感謝以外に、もう一つ、これこそ欠くことができないと思うもの、それが自国に対する強い祈りであります。国の発展と安泰を真剣に祈ることであります。
我々に今できるのはただ祈ることのみです。しかも、これは誰にでもできることではありません。我々信心させて頂く者だけにしか出来ないことなのであります。一人一人の力は本当に微々たるものに見えますが、同時に、祈るという行為には、無限の力が秘められてもいるのです。そこからまず始めるならば、その力は必ずや大きなものになっていくはずです。迂遠なようでいて、実はそれが一番の近道なのであります。
私自身が、たいしたことはないにしても、ここまで述べてきたような知識や考えを授けてもらっているのは、そういう祈りがあってのことです。「国家信心するがよろしい」という教えは、こういうところにも当てはまると思うのであります。
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健全な愛国心は世界益にも繋がる |
しかし、それだけでもまだ飽き足りないと思う人もいるかもしれません。それこそが「偏狭なナショナリズム」だと、リベラル系の記者さん達は毛嫌いするかもしれません。自分の国のことだけでなく、もっと世界人類全体の幸せを目指したいと…。「国益よりも世界益を」というのはそういう考えに基づく言葉だろうと思います。それはそれで結構なことです。わが教団がつねに掲げ、私方の教会の月例祭の祭詞でも奏上する「世界の平和と人類の助かり」という願いとも一致します。
今はそれぞれの国が国益を求めてしのぎをけずっているのですが、それだけでは世界全体が立ちゆかなくなることが多いので、世界全体のことを話し合う場として生れてきたのが国連です。なかなかうまく機能しませんけれど、それでもないよりはある方がいいのです。
そして、今のところ「国益よりも世界益」を優先させるような国など世界中見渡しても、どこにもみつかりません。せいぜい、世界益を損なわない範囲内で国益を追求する、というのが精一杯というところでしょう。
なればこそますます、一個人の生き方として、或いは一組織のあり方として「国益よりも世界益」を追求する崇高な精神を持ちたい、と思う人達が出てきても不思議ではありません。
しかながら、今のところ、私が実例として思いつきますのは、残念ながら「慰安婦問題」とか、「靖国問題」といった、いびつな実例ばかりです。
これらに火をつけたのが元々は日本人で、その人達の働きかけによって国益が大いに損なわれているのですが、こんなことがはたして世界益につながるのでしょうか。問題化した人達はそう信じているみたいですが…。時間がないので、今は詳しくは触れないでおきます。
そして、リベラル記者さん達が忌み嫌う排外的な愛国心とは別に、健全な愛国心というものがあると思うのです。日本人が洗脳工作によって失わされた国への愛と誇りと感謝、そこに祈りが加わったのがそういう愛国心であると私は思うのです。そういう愛国心なら、必ず世界益にもつながると信じます。それを取り戻して、更によい国になってもらいたくて、ここまで縷々述べてきたのであります。
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近頃一番の衝撃は、「『財政赤字のツケを子孫に回すな』は誤り」説 |
桜井教会で話をさせてもらったのはここまででしたが、ついでに、今度は国家の方針についての議論です。
近頃最も新鮮な衝撃を受けましたのが、「財政赤字のツケを子孫に回すな」は誤りだという主張であります。
これは一昔前までアメリカの主流派だったケインズ派経済学などの流れを受け継ぐ、MMT(現代経済理論)派の論者の主張でして、ウソか真かまで判定する力は私にはないのですが、これまで心に重くのしかかっていたものが、急に取り払われたような爽快感を覚えたことだけは確かです。
果たしてこれはぬか喜びなのかどうか…。
もうかなり以前から、国民一人あたりの借金が一千万円近くに膨らんでしまったということで、歴代政府も財務省も、何かと批判される欠点はありながら、いかにも日本人らしい生真面目さで、限られた(?)財源をやりくりしながら財政健全化に懸命に取り組んできました。
にもかかわらずというべきか、それ故にかえってというべきか、デフレ不況は一向に収まらず、国民の貧困化は進むばかりでした。「まずは身を切る改革を」だの、「弱者に優しい政策を」だのといった精神論だけでは、ほとんど効果がみられなかったし、今後もあまり期待できないのであります。
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小さな政府と大きな政府を使い分けよと言う説らしい |
そこのところをMMT論者に言わせますと、財源が限られていると考えるのがまず間違いらしいのです。それは税金を財源にしようとするからで、自国で通貨を発行出来る政府は、税収とは関わりなく必要な予算を組めばよい、それで財政破綻することはないと説くのです。説明は省きますが、税金を徴収するということの意義は、また別のところにあるのだとも説いています。
そして重要なのは、需要と供給のバランスの見極めであるらしいです。民間が不況の際には、必要なところに思い切った公共投資を計り、好況に転じたら過度にインフレが進行しないよう公共投資を控える。つまりは大きな政府と小さな政府とを使い分けようというわけです。
ところが、現在の主流派経済学はひたすら小さな政府を目指しており、公共事業も出来るだけ民間に委ねようとします。日本の財務省もそういう考えの人達で占められており、財政政策は緊縮一辺倒です。MMTにはもちろん大反対で、主要メディアも、今のところおおむね反対の論調らしいです。
私はこれまで、経済学がこれほど発達しているのだから、お金というものの本質については、とっくに解明されているものとばかり思い込んでいました。ところがそうでもないらしいのです。MMT論者から見ると、今の主流派経済論者達はそのお金、つまりは貨幣の本質を見誤っており、そのため誤った政策をとり続けるのだそうです。
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とりあえず少々羽目を外してみては |
そんな情勢の中で、最初にMMTを取り入れようとしたのが、山本太郎のれいわ新撰組です。安倍首相も強い関心はあっても、一人でそんな財務省を押し切るほどの力は持っていないようです。最近ではA新聞も。MMTに肯定的な記事を載せ始めたそうです。この件の争点は、緊縮財政路線か拡大路線かで、左右のイデオロギーの対立は関係がないと思います。どうしてもそこへ持って行きたがる人もいるようですが…。
よくはわからぬなりに私は、このまま緊縮路線を続けても景気改善の兆しが見えず、希望が見いだせないのなら、国民の能力がフル稼働できるよう、拡大策を講じてみてもいいのではないかと考えます。サンデー毎日に掲載された浜矩子氏の反対論をはじめ、これまでに出回るMMTへの反対論にも、それほど説得力があるようには思えませんし、とりあえず少々羽目を外してみては、と思うのですが…。
引き続きこの件にも、つねに神様と向き合いながら、注目していきたいと思っています。
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談話室より |
教会長より
この話の中で、雑誌「正論」元編集長で、今も更に精力的な言論活動を続けておられる上島嘉郎(かみじま・よしろう)氏の著書「反日メディアの正体」からの引用文をホームページに掲載するにあたって許可を求めましたところ、快く了承して下さり、次のようなコメントも頂きました。
「文章を拝読しました。論旨明瞭ですね。
M新聞というのは毎日新聞でしょうが、それのみを長く読まれてきた方が、日々の情報や思想の偏向から脱するのは容易なことではなかったと思います。
御年82歳という人生の先輩に失礼ながら、感心しました。
『反日メディアの正体』に御着目いただき、有難うございます。どうぞお元気で…。」
坊っちゃん(男 40代 ) R.1.11月
今回の先生のお話を読ませて頂いて、恥ずかしながら、私自身、平和ボケ世代であることを、自覚はしていたつもりでしたが、甚だそうであるなと、再確認させて頂きました。
とは言うものの、戦争という特殊な危機的状況下において、『日本の戦争責任』と、日本ばっかりが責め立てられていることには、疑問は持っておりました。
先生が書いておられます、『自分自身の行い以外のことについての反省は、余程慎重でなければならない』、『とりわけ国家の行動について、教え込まれた批判を鵜呑みにしてはならない』、『我が国のみが一方的に悪かったのだとする反省は、かえって有害である』は、ほんと、そうだなと思います。
巧妙に、とことん日本を追い詰めて、戦争を仕掛けさせたルーズベルトの思惑のお話には、ほんと驚きました。
戦後の、『占領軍による巧妙な洗脳工作WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)』=『戦争についての罪悪感を日本人に植え付けるための宣伝計画』。
これに基づく、占領軍の思惑、並びに、占領軍に同調した日本人の特定勢力の思惑によって、日本人から、日本人としての、『健全な』誇りや愛国心を奪ったんだなぁと思いました。
私もそうでしたが、学生の頃っていうのは、余程の歴史オタクでもない限り、検定済みの歴史教科書とそれに基づく参考書等での学習のみで、定期テストや入学試験を受け、終われば忘れる、というのを繰り返して来ました。
何年に何があって、その出来事の大まかな理解ぐらいだけして、いざ、テストに臨むというぐらいが精一杯でした。
で、教科書的な正解を書き、それが正解とされ、試験を突破してしまえば、自分の中では、その歴史認識が正解となってしまう。すると、そこで自虐史観が、また一人、またまた一人……と、若い世代の中に醸造されて行く。
いろんな歴史研究家の、いろんな見方や調査結果に触れていたわけではありませんから、なかなか多角的な見方が育ちにくいというのが実状だったのかなと思います。
長年に渡る、北方領土や尖閣諸島、竹島等々、隣国との間に存在する領土問題と隣国のその振る舞い。
また、南シナ海に、勝手に軍事拠点となりうる人工の島を建設したり、漁業では不法操業したり、何発もミサイルを飛ばしたりとか、言い出したらキリがないほど、隣国が、好き勝手やっている現状。
隣国の、そんな自分勝手な振る舞いや実効支配・占拠状況等々を見ていると、こんな好き勝手なことができる神経の持ち主たちから、戦争中、日本だけが悪いような言われ方をされるのは、おかしいんじゃないかと思います。
国が違えば、考え方も違う。国益が関われば、尚のこと。折れたり、譲ったり、妥協したり、全ての認識や理解を乗り越えて、円満に解決するなんてことは、難しいのかも知れません。
これから先、100年先か200年先か分かりません。500年先かも1,000年以上先かも知れません。
それでも、いつか、それぞれの国の人たちが、不幸な全ての過去を超越した解釈と境地に達し、それぞれに健全な誇りと健全な愛国心を持って、互いに敬意を払い合い、地球全体が、"ONE TEAM(ワン・チーム)"、になれる日が来ることを、お祈りしたいと思います。
M.O2さん(男 教会長の弟 78歳) R1.11月
同感!頑張るねー!受け入れられたら良いね!
こちらも色々な仕事仲間と付き合い、チラっと本音を漏らすと「もうちょっと中国を好きになって下さいよ」と言われた。
以前、民主党が大勝するという選挙予報に、「あの鳩山・小沢では日本の行く末が案じられて夜も寝むれ無かった」と話したら「本当ですか!」と異星人扱いで驚かれた。
こんな人々が日本の研究社会を主導しているのである。彼らが「最近の若者は保守化している」と嘆くのを聞くと「若者こそ現実を見つめている」と内心思うのである。最新の情報を得るには、付き合いは大切、なるべく政治談議は避けている。
卒業大学仲間の地区同期会を主宰しているが、大学や大企業の中核以上、中に日本のエネルギー産業を主導してきた連中もいて、地球の温暖化を含めて議論するのであるが、その連中さえも米国民主党を支持して「トランプ弾劾」を叫ぶのである。全学連の元闘士もいる。吾らの受けてきた教育から抜けられない「半テリ=インテリに満たない人々」集団の中では本音を語りにくい。
財政赤字については、そもそもバブル崩壊を騒ぐ経済学者達が信用できなかった。それに乗って赤字を膨らませていった歴代政府は愚かというしかない。災害の常態化、中国・半島との軋轢、この荒波を巨額赤字を抱えながら、長期にわたって乗り切っていかねばならない。取り敢えず日々の務めをこなしているのだが、機会があれば語り掛けていきたいと考えているが、そちらも頑張ってもらいたい。
追伸:1980年代後半、財政赤字と貿易赤字という2重苦に苦しむサッチャーとレーガンが話していた。「なぜ日本だけが黒字なんだろう!」その後「世界の景気振興に貢献せよ」という名目で日本に赤字財政出動の圧力を掛け続けたのは周知の事実。
教会長より
「赤字」についてはあまり気にしなくていいらしい。肝心なのは国全体の供給能力であって、これを緊縮財政ばかり続けて、必要なところに能力を活かしきれず、長期間デフレから脱却できないため、すっかり国力が衰えてしまったのが一番の問題らしい。
S.Sさん(男 60代 海外在住)R.1.11月
愛国心の部分は100%賛成で、海外から見るとごく当たり前の普通の常識的なことが書かれているなと思います。
世界中どの国も隣国とは歴史的に上手くいっていません。隣近所とはゴミ出しやハトの餌等もめ事が多いのが普通です。
日本の財政赤字は自民党ならまだしも野党になったら確実に更に増えます。
今の収入は50兆円、支出は100兆円。老人向けの医療費、介護費用が少子高齢化の中どんどん増えていますが、もう止める方法はありません。腹八分で満足するピンピンコロリの時代に戻れば別ですが。。。
実は新薬の半分以上は欧米の製薬会社のものなので、日本はいい鴨になっています。また医療機関、介護施設も老人を限界まで延命したほうが現金と50%-90%の補助金で儲かるので、誰も表面上は損をしない制度になっています。
やがては財政赤字は破裂して円安にふれ、資産価値は半値八掛け二割引に下がります。その時はお金のある中国、韓国、インド、欧米が日本の資産を安く買い叩く予定です。経済活動としてはごく普通のことで知らない人はいないのでは。
教会長より
私も「メッセージ58」の中で、この程度のことが「常識」にならなければ日本は危ういと言った矢先でした。
赤字財政と言っても、本質は長期間緊縮財政で、本当に必要な費用を削り続けて来たがために、デフレから脱却できず、供給力そのものが縮小し、国力が疲弊してしまった、というのがMMT派の主張のようです。
私もまだよく理解していないのですが、政府の赤字は国民の黒字、政府の黒字は国民の赤字であるという彼らの主張が腑に落ちるかどうかが一つの分かれ目になると思います。したがって、あくまで財政の健全化(黒字化)を目指すという今の政府(財務省)の方針は「 狂気の沙汰」だというわけです。
OさんとSさん両インテリの意見を読んで感じますのは、そこのところ、一度はその派の入門書みたいなものにあたってみた人でないと、赤字財政ついての考え方が、なかなかかみ合わないのだなあということです。
私にもわかるのは、主流派経済論者たちが,いつまで経ってもデフレ脱却という公約を果たせていない、と言うか、長期政権をもってしても、とうとう果たせなかったことだけです。
Y.Aさん(女 50代)R.1.11月
先生の今回のお話は、正直難しく感じられました。しかし内容を完全に理解できていない私でも、先生の感じていらっしゃることやお考えはよーく伝わってきましたし共鳴いたしました。
新聞やテレビ、書物からの情報は嘘が多く、情報元の人たちによる刷り込みに知らず知らずのうちに洗脳されかかっている自分に危うさを感じてしまうことがあります。もちろんネットの情報だけを鵜呑みにすることはありませんが、真実の見極めが出来る自分にならなくてはといつも心しております。
したたかで腹黒い国際社会の見出しには、はっとさせられました。
私自身がまさしく現在、隣人たち(隣に住む隣人ということではなく、私が営んでいる小さな社会)との共存、折り合いというものにどう対処していくのが最善なのか、と日々模索中だからなのです。
こちらが一歩下がれば、向こう様はそこの一歩を踏み込んでくる。
お先にどうぞがしにくい現代。ルーズベルトやチャーチルは今でも隣人のように身近にいるかのようです。
自分はどのような考えや態度でこのさき生きていくべきか?
【我々に今できるのはただ祈ることのみです。しかもこれは誰にでもできることではありません。我々信心させて頂く者だけにしかできないことなのであります。一人一人の力は本当に微々たるものに見えますが、同時に、祈るという行為には、無限の力が秘められてもいるのです。そこからまず始めるならば、その力は必ずや大きなものになっていくはずです。迂遠なようでいて、実はそれが一番の近道なのであります。】
有難いことに今回もまた先生のお話の中に答えを頂くことができました。日々の祈りが自身を助け、そして周りの者までが助かっていく。これからも祈りがおかげに繋がっていけるよう、出来得限り明るい気持ちを持って生活させて頂こうと思いました。
T.Oさん(男 教会長 70代)R.1。12月
…世界の国々の力学関係のなかで、広く細かく分析の眼をはたらかせ、いかにして愛する日本が他の国々ひとびとの上に祈りをこめさせて頂くか、そのリアルな世界情勢の分析とともに、貴重な眼くばりについてお話下さってゐて、実に若々しい柔軟な頭脳の冴えを、うれしく、ありがたく、共感深く、拝読拝誦させて頂いた次第です。…
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