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金光教高田教会、おあてがいのままに
40金光教教典について語る5
ー真実を大切にする信心
大和高田市 宗教法人 金光教高田教会|祈り、救いを求め、自分に正直に生きる。
もくじ
▲ 金光教祖の言行の真実味に強く惹かれる
  ・相対主義
 ・実質主義
 ・合理主義
 ・自然主義
 ・公平無私
 ・正直
▲ 正直は日本の伝統的な道徳思想であり、文化でもある
○「いつわらざる人情」のままに生きて救われる道はあるのか
○「真実を大切にする信心」を改めて言い直せば

昭和六十三年五月十一日 奈良県 王寺教会にて
▲ 金光教祖の言行の真実味に強く惹かれる
 近頃何かにつけて、金光教祖の信心は真実を大切にする信心である、と言わせてもらっておりまして、中近畿教区から出た実例集にも、私が言い出しっぺになって、それが一つのテーマとしてとりあげられております。実物をごらんになっておられない方も、ご本部の休憩所などに張ってあるチラシで、ご存知の方もあろうかと思います。
 私がこのことを熱心に主張いたしますのは、実は、私自身が教祖樣の教えに惹きつけられるいちばん大きな要素の一つが、そこにあるからなのであります。
 金光教祖の言行から感じ取れるなんとも言えない真実味、その教えによって培われてきた教風というものに愛着を覚えることがなかったなら、おそらく本教から離れてしまっていただろうと思われるのであります。或いは離れないまでも、さっさと他の仕事に就いてしまっていただろうと思います。
 これも方々で引用しておりますが、ある方が、その教えによって培われた教風について、次のように表現しておられます。
 「既成観念にとらわれず、真実を真実としてどこまでも自由に問い、人間の助かる道を求め、見いだしていこうとする柔軟な心」と。
 そこでそういう教風の生まれる元になった教祖の言行の、どういうところに真実味を感じるか、どういうところが好きなのかということについて、もう少し具体的に、思いつくままに言葉にしてみますと、
 ・ とらわれがない
 ・ 無理がない
 ・ 不自然なところがない
 ・ 独りよがりなところがない
 ・ 押しつけがましさがない
 ・ ハッタリがない
 ・ 宣伝臭がない
 ・ 商売気がない
というようなことが強く感じられるのです。
  その点皆様はどうでしょうか。中には、そのことにそれほど心を惹かれない方もおられると思います。
 布教の御用の上でも、このようなことは必ずしもプラスにはならないのであります。こうした教祖様の御性質というものを、後々の者も大なり小なり受け継いではおりますけれども、教祖様ほどの御神徳がないために、それだけでは、多くの人を積極的に惹きつけていくことにはならないのであります。
 しかしながら、その良さがわかり、そういうところを自分も身につけていこうとすることは、これからの信心にとって,とても大切なことだと思いますので、小難しくても一応聴いておいて頂きたいと思います。
 金光教祖様の言行に触れて誰しもが感じる限りない真実味、それを今し方、ざっくばらんに思いつくままに言葉にしてみましたけれども、もう少し整理してみますと、いろいろな要素に言い換えられるように思います。
 私はそれらの要素を、ちょっと表現が堅苦しくなりますが、相対主義、実質主義、合理主義、自然主義、公平無私、正直というふうにとらえ直してみました。一度こういうふうに堅苦しく言うてみて、また改めて言い直した方が、よくわかって頂けるように思うのです。
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・ 相対主義
 今の場合、相対主義といいますのは、自分の考えを絶対正しいとしない、というか、自分の考えだけをたけを正しいとしない考え方、自分の考えもまたいろいろある考え方の一つ、というふうに位置づける考え方であるとしておきます。
 教祖の言行の奥底にはつねに、我のみをよしとしない、相対主義とでも言うべきものの見方、感じ方があります。そこから、とびぬけた柔軟性、包容性、謙虚さが生まれたのだと思います。そしてそういう相対主義に立つときに、人間はいちばん物事の真実に近づくことができるのだと思うのです。
 教祖の場合、その相対主義の母体になっているのは、人間の有限性の自覚、無知無力の自覚だろうと思います。
 「天地のことをあれやこれやと言う人がありますが、人では天地のことはわかりませぬ。…」(近藤藤守の伝え)
 「障子一重(ひとえ)がままならぬ人の身ぞ」(神訓)
という教えにそれがよくあらわれています。
 そして近藤藤守師が、「どうすれば、神様のみ心にかない奉る信心でありますか」とたずねられた時、
 「神様のみ心は、わしもわからぬ。もの言わぬようになればわかるじゃろう。なあ近藤さん、昔から、八十の手習いといおうが。けっして、これで書けたと思うなよ。生涯が手習いじゃ」
と教祖は答えておられるのです。
 教祖は一生涯、こういう謙虚な姿勢をつらぬかれました。
 それともう一つ、人間の個別性の尊重ということが、相対主義の母体になっているように思います。人間は、才能も性格も境遇も一人一人皆違うので、一律に同じ生き方ややり方を押し付けられると、かえって助からないことになるのですが、教祖は、そういう一人一人の違いというものを、どこまでも尊重して、一人一人に応じた教えをしておられます。
 例えば
 「十人は十人ながら違うぞ。そこで一つ手にはいかん」(市村光五郎の伝え)
 「何事もくぎづけでなし。信心をめいめいにしておらねば長う続かん」(同)
 「ご裁伝(神のお告げ)については百人百色に説く」(高橋富枝の伝え)
とあり、より具体的には、古川このの伝えに
 「ある人が子供の数が多く、それぞれ性格が違うので困っているとお願いした。金光様はその人に、
 『五本の指が、もし、みな同じ長さでそろっていては、物をつかむことができない。長いのや短いのがあるので、物がつかめる。それぞれ性格が違うので、お役に立てるのである』
と教えられた」
とあります。これなど、なるほどなあ、とうなずかせられる鮮やかな受け答えであります。こうした認識から、謙虚で、我のみをよしとしない、広く大きく柔軟な心が生まれてくるのだと思います。
 教祖においては、神様の名前でさえも絶対的なものではなく、その時々の情勢と信心の進展に応じて、変わっていくものであったということが、現在の天地書附が定まるまでに幾多の変遷があったことや、鳩谷古市の次のような伝えからうかがうことができます。
 「『ただいまでは、金神ということお廃しと相成り、いま少しみ名は決まらず。まず、天地金乃神とみ名を呼ぼうと思うが、いま少し、申しあげることにはなっておらぬ』
と仰せられ候」
 また金光萩雄様の伝えに、
 「ご在世中、ご神名についてかれこれ言った者があるが、
 『神名はどうでも、おかげは一心にあるのであるから、まあ、わが一代はこのままでよい。また、お前たちの代になったら、何とでもよいようにするがよい。学問からはどうなっても、神様からの名はこうである』
と仰せられて、天地金乃神とお示しになった」
とあるところからもうかがえます。
 時勢に合わせ、自分の考えに固執しない柔軟さということでは、同じく金光萩雄様の伝えとして、
 「『今までは、四つ足は食べなくてもよいと言ったが、時勢が変わって、僧侶でも肉食ご免の世となったから、頑固なことは言わず、嫌いでない限りは四つ足も食べてよい』
と言われるようになった」
とか、
 「小田県となり、諸事改正される前は、
 『信心する者は、戸締まりをしてはならない』
と仰せられていた。それ以後は、
 『十人なみのことをしていけ』
と仰せられるようになった」
とか、
 「今までは私が自由を言ってすんだが、これからは時勢に従っていけ」
と言われたというところによくあらわれております。ただし、盲目的な時勢追従でなかったことはご承知の通りであります。
 排他性独善性の強い宗教やイデオロギーが、今なお世界中に満ちている今日、我々はこうした、謙虚で広く大きく柔軟な考え方を、もっともっと世に広めていく使命があると思います。
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・ 実質主義
 新教典においてまた顕著なのが、形式や外見よりも実質を重んじ、心を重んじる教えの数の多さであります。優に二十を超えております。これを実質主義というふうに呼べると思います。
 形よりも心を重んじる教えとしては、例えば国枝三五郎さんの伝えによる、次のような教えがあります。
 「はじめは黒住教の信者で、お祓を一週間に一万度もあげていたが、後、そのことを金光様にお話し申し上げたところ、
 『拝み信心をするな。真でなければいけない』
と言われた。また、
 『神様を拝むのに手や口を洗っても、心を洗わねば何にもならぬ。心は火や水では洗えない。真一心で心を洗って信心をせよ』
とも教えてくださった」
 また、森政さだのさんの伝えに、
 「体にはぼろを下げていても、心にぼろを下げてはならない。体の垢は、ぬかやせっけんでは落ちない」
などが典型的なものと言えるかと思います。
 修行ということについても、あくまで実生活を重視する、つまりは日常の実利を追求しながら、その中での心の持ち方を行じさせるという点が、実質主義のあらわれと言うことができると思います。
 例えば福嶋儀兵衛師の伝えに、
 「『世間には、水の行、火の行などがあり、いろいろの物断ちをする人もあるが、此方にはそのような行はしなくてもよい。巡礼のように白い着物を着て所々方々巡り歩く暇に、毎日の家業を信心の行と心得て勤め、おかげを受けるがよい。世のため人のため、わが身の上を思って、家業をありがたく勤めることができれば、それがおかげである。それが神様のみ心にかなうのである』
とみ教えくださった」
とあります。
 もっともこういう発想には先駆者がありまして、山本七平氏の説によりますと、十七世紀の頃、鈴木正三(せいさん)という禅僧が、「世俗の業務は,宗教的修行であり、それを一心不乱に行なえば成仏できる」と説いたのが最初で、それが日本人の勤労精神の源流になっているとのことであります。
 それからまた、石井虎という人の伝えた、
 「縁談の場合には、人筋家柄の良し悪しは言うな。いかに筋がよいといっても、悪いことをしていれば、悪いことが起きてくる。信心をせよ」
というようなのも、実質主義に根ざす教えの一つに数えていいのではないかと思います。もっともこれは、差別に対する批判、という色合いも濃く持った教えであります。
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教会前の桜並木 普賢象
・ 合理主義
 次に合理主義ということですが、これは、教えに当時としては大変合理的なところがあるという程の意味です。近頃のいわゆる合理主義とは違って、あくまで信仰を土台にした合理主義です。しかもそれらの多くは、因習を打破する形でとなえられた、勇気ある主張であるということができます。
 例えば食事についての教え、
 「これまでの人はみな、痛い時には毒養生をし、または、その身の嫌いな物を食べ、とかく根を劣らすばかりなり。それより、ご信心申して合薬(アイグスリ)を用いよ。合薬とは、その身の平生好きな物を食べよ。体に丈夫がつかねば、治らぬ。また、毒というはうまいものなり。何によらず、いただく心で食べよ。また、痛い時には金乃大神様へ願う心でいただけよ」(斎藤宗次郎の伝え)
 これは信仰的にはもちろん、医学的にも、原則的としては、たいへん理にかなっているのではないかと思います。また、
 「一に大食、二に腐敗物、三に大酒、この三つを慎まなければ無病長寿は保てない。大食は身に斧を打つようなもの、くさった物を食べるのは身にまさかりを打ちこむようなもの、大酒は身にかんなをかけるようなものである」(鳥越四郎吉の伝え)
 こういう教えも非常に合理的と言えます。
 教えはもう挙げませんが、斎藤宗次郎さんや山本定次郎さんに対するお産についての数々の教えも、胎教のこと、腹帯のこと、食物のことなど、たいへん理にかなったものであります。初乳を飲ませよ(斎藤他)という教えまで複数ありまして、これなどは、医学の世界でも、近年になってやっと、初乳の中に病気に対する抵抗力をつける成分が含まれているということで、見直されるようになった事柄であります。
 日柄方位等についての教えについては、今更申し上げるまでもないと思います。道理に合わないものを退けるという意味で、合理主義のあらわれとみることができます。
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・ 自然主義
 次に自然主義ということですが、これもやや大げさな言い方でして、普通、自然主義といいますと、哲学や文学の一つの流派を指しますが、それとは全く関係がなくて、教祖は自然なあり方を尊ばれたというくらいの意味であります。例えば、
 「親は親らしゅう、子は子らしゅう、何事もらしゅうせよ」(中村弥吉の伝え)
 「人間は人間らしくすればよい。何も求めて不思議なことをしなくてもよい」(佐藤範雄の伝え)
などというのがそれです。
 そして不自然なことや大げさなことが嫌いで、肩肘張らない自然体を好まれたと言えます。大本藤雄という人の伝えに、
 「尾道から十四五人参り、非常においさみがあった時、
 『派手な信心をされるなあ。おいさみのないように願うがよい。
 桜の花の信心よりは、梅の花の信心をせよ。桜の花は早く散る。梅の花は苦労しているから長く散らない』
と仰せられた」
とあり、片岡次郎四郎師は、
 「拍手などでも、大きな音をさして手をたたくにはおよばぬ。小さい音でも神には聞こえる。神を拝むというても、へばり声を出したり節をつけたりするにおよばぬ。地声で人にものを言うとおりにして拝めい」
と言われたと伝えておられます。
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・ 公平無私
 公平無私ということも教祖のきわだった特質であります。教祖は他人に対しても自分に対してもきわめて公平であり、およそ身びいきというものがありません。そのことは、身分や貧富によって人を差別されなかったことや、他宗教に対する公平な態度になどによくあらわれております。そして信者を自分の手元に引きつけておこうとか、支配して思うように動かそう、というような私心がまったく見られません。布教に有利か不利かということには頓着なく、遠方からたびたび詣って来なくてもよい、と多くの人に言うておられますし、荻原須喜さんの次のような話にも教祖の面目がよくあらわれております。
 夫の豊松さんが、教祖から「どんな信心をしているか」と聞かれて、「日本国中のあらゆる神仏を信心しています」と答えると、教祖は、それはどこか一つにしぼらねば駄目だといろいろさとされたのち、こうも言われます。
 「ここへ信心せえと言うのじゃない。どこでもよい。お前方の好きな所へ信心すりゃ、それでよいのじゃ。何様ではおかげがないということはない…」
 それに対して豊松さんが、「今から、こなたへ一心になります」と答えると、「それはいかぬ。帰って、一家相談のうえでのことにせよ」と言われるのであります。
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教会前の桜並木 松月
・ 正直
 教祖はまた、非常に率直で正直な人でありました。そのことは、「覚書」や「覚帳」の記述内容や、或は他家に養子に入られた時、養父母に自分は麦飯が嫌いですと言われた、という逸話などからうかがうことができます。
 教えとしては、「実意丁寧正直」というふうな徳目風に説く場合と、
 「心にないことは言うな」(山田又助の伝え)
とか、「此方は、見ない所を見たように、ないものをあるようには言わない」(藤井広武の伝え)
というふうに、自分に対する正直さに力点をおいたような教えがあります。
 一口に正直と言いましてもいろいろあって、商売人が量りの目をごまかさないのも正直なれば、「心にないことは言わない」というのも正直であります。
 いずれにせよ、
 「信心は正直がもとである」(田村忠平の伝え)
とあるように、教祖が正直ということを非常に重く見ておられたことがわかります。
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▲ 正直は日本の伝統的な道徳思想であり、文化でもある
 しかし、そのことは何も、教祖の専売特許であったというわけではありません。むしろ、日本の伝統的な道徳思想を受け継いでおられるところがあると言えます。
 実は,先ほどの鈴木正三とか、それより少し後に出て、石門心学の祖となった石田梅岩の説いた思想の基本になるのも、正直ということであったそうです。石門心学は江戸時代の庶民の間に相当広く深く浸透したようでありますから、教祖もそうした思想の影響を間接的に受けておられるに違いありません。
 「信心は本心の玉を磨くものぞや」という教えのあの「本心」という言葉も、梅岩の弟子で教祖伝「金光大神」にも名前の出てくる手島堵庵(とあん)が、初めて現在使われているような意味で使い出したものだそうです。そして、石田梅岩の説いた正直というのは、「自己の本心に対して正直であれ」の意味だそうであります。
 また、皆様方が果たしてこういうことを面白いと思われるかどうか、わからないのですが、面白くなくても、もうしばらくですから我慢して聴いて頂きたいのですが、内藤湖南という人は、明治から昭和にかけての超一流の学者で、住んでいるところに鉄道の駅がついたという伝説があるほどの人でした。その湖南がこういうことを指摘しているのです。
 日本の文化というものが、外国の影響を放れて真に日本固有の発達を遂げたのは、室町時代の応仁の乱以後の時期だというのであります。その戦乱で、それまで伝えてきたものをあらかた失って、それまでのシナ文化の衣を脱いでしまって、丸裸になってしまった頃から、日本人は正直を尊び、ありのままなる姿を尊ぶことを特色とするようになったといいます。
 その時代においてもっとも尊ばれた本が、「源氏物語」や「伊勢物語」だったそうです。そういう、いわば男女の関係のだらしないところを書いたものを尊崇するようになったのは、そこにシナの道徳でもなく、インドの道徳でもない、日本国民のいつわらざる人情が書かれてある、そこのところに、日本人のある要求を満たすものがあったからだろうというのです。つまりは、そこに日本人のいつわらざる性質、正直な性質を発見したのであろう、というのであります。
 日本人がそれほど正直を尊ぶ国民であったとは、私にとって思いもかけなかったことなんですけれど、その正直を尊ぶということが、人間の「いつわらざる人情」を尊ぶということであるなら、ある程度うなずけます。
 しかしそれさえも、明治になって西洋から学んだものだとばかり思っていたのであります。西洋の近代小説や心理学や精神分析学を通して、日本人は人間の心の姿をありのままに見ることを学んだのだ、と思っていたわけです。それもあながち間違ってはおらぬと思うのですが、実は,我が国には昔から、西洋のそういう芸術や学問を受け入れるだけの下地が、十分にできておったのだということなんです。
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○「いつわらざる人情」のままに生きて救われる道はあるのか
 ところが、日本人はそうした「いつわらざる人情」のままに生きて、果たして幸せであったかどうか、或はそこへ、西洋の芸術や学問を取り入れて、幸せになっているかどうかといえば、必ずしもそうでないことは、言うまでもないことであります。だからといって、それらの人情を排斥したりねじ曲げたりして、それで幸せになれるとも思えません。
 「いつわらざる人情」はやはり「いつわらざる人情」のままで生かされて、そこに助かりの世界が生み出されねばならない、と思うのであります。そして、そこに助かりの世界を生み出すことこそが、信心する者の使命であり、そこにおいてこそ、信心する者の力量が問われるのだと思います。
 人間をあらかじめ定まった道徳でしばりつける必要はさらさらないのであって、信心する者の「いつわらざる人情」と、そうでない者の「いつわらざる人情」とは、おのずから違ってこなければならない、というのが私の考えであります。しかもそれは各人の力量に応じて、無数の段階があるように思います。
 正直ということでいろいろと申しましたが、私自身のモットーが、実は「自分に正直に生きる」ということでありまして、いつも自分の本当の気持ちと向き合いながら、その自分の本当の気持ちが生かされ、立ちゆくことを、信心上の一番大切な課題として生きておるのであります。テレビ・ドラマなどを見ておりますと、時々この「自分に正直に……」というセリフが出てきて、チョッピリ恥ずかしい気持ちを味わいますが、全体としてはまだまだそういう生活態度は未発達のような気がします。
 人間うっかりしますと、ついつい自分自身にだまされます。社会生活を営む上で、いろいろと自分を飾ったり、とりつくろったり、演技をしたり、これはある程度致し方のないことで、むしろ必要なことでさえあるのですが、そのために、自分の本当の姿を見失ってしまっているように見える人が、あまりにも多いのです。
 そういう人に対しては、極端に言うと、「他人にはウソをついても、自分にはウソをつくな」と言いたい気がします。他人に何もかも、自分の本当の姿を見せる必要はありませんし、そんなことは不可能ですが、少なくとも自分自身には、自分の本当の姿がわかっていたいものです。
 自分のありのままの姿を人に見せることがいかに困難かということについて、山本夏彦という人が面白いエッセイを書いています。
 日本には、明治の頃から、私小説というものがありまして、これは自分のありのままの姿を、小説の形で表現していこうとするもので、それなりに成果を生んで、多くの有名な作家を輩出しております。その中で、あまり有名ではないのですが、嘉村磯多(かむらいそた)という人がいます。昭和初期の,今ではほとんど無名に近い人なのに、文学全集などでは、他の作家と抱き合わせで、いまだに消え去らずに、しぶとく生き残っているというのです(最近はどうかわかりませんが、ほんの一昔前までは確かにそうでした)。
 それが何故かということについて山本氏は、嘉村磯多という人は、誰もが隠して言いたがらないような自分の恥ずかしい姿を、これまでのところでは、いちばん率直にさらけ出した人だというんです。
 例えば人間というものは、たいていが、けちな浅ましいところを持っているのだけれども、それを他人のこととしては書けても、自分のこととしては、意外と書けないものなんです。島崎藤村も田山花袋もそこまでは書けなかったというんです。告白と称して、自分のふしだらなことは書けても、どこか自慢話になってしまっているわけで、自分のケチさえ言えない者が、どうして告白なんか出来るもんか、と山本氏は言うんです。
 ところが嘉村という人は、それを自分のこととして書いたのだそうです。また、自分の作品が、当時は今以上に権威のあった「中央公論」という雑誌に掲載されるとわかった時に、喜びのあまり「とうとう日本一になった」と口走って卒倒した、というような自分のはしたない姿まで、正直に書いた、そういうところが一種名状しがたい感銘を与えるのだそうで、それ以上恥ずかしいことを書く人があらわれないかぎり、この人をいつまでも無視できないのだと言うんです。
 まあ、これくらいに、自分をあるがままにさらけ出すというのはむつかしいのですから、人の話を聞いたり読んだりするだけでは、人間を,或は自分自身を知るということは不可能です。自分をよく知るためには、自分自身と真剣に向き合わなければなりません。しかしながら、いくら自分をよく見つめて、自分の浅ましい恥ずかしい姿を知ったとしても、それだけではもちろん助からない。そういう自分の実態を踏まえた上で、少しでもよい心にならしてもらい、よい行いが出来るようにならしてもらわねばならないわけです。と言いましても、それが自力で出来るくらいなら苦労はしません。
 私は常々こう考えております。自分の実態をあるがままに見つめ、その実態に即して、神樣を杖にしながら、自分に正直に本気で生きていこうとするとき、神樣は自分の立場、境遇、能力等にもっともふさわしい思いや願いを授けて下さるはずだ、自分にもっともふさわしい生き方をさせて下さるはずだ、そして一段一段、自分を引き上げて下さるはずだ、と長い間信じて生きているのであります。そして、私のような者でもそれなりに、大いに救われてきているつもりであります。
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○ 「真実を大切にする信心」を改めて言い直せば
 以上、金光教祖樣の信心の一つの大きな特質は、「真実を大切にする信心」であるとして、相対主義、実質主義、合理主義、自然主義、公平無私、正直という六つの要素を挙げて、それらの中身をかみ砕いてみたのでありますが、その上で、それらのことをもう少しくだけた表現で言い直してみるとしますと、
 真実を大切にする信心とは、
 ・ いつも自分の本当の気持ちと向き合う信心
 ・ ウソ、ハッタリのない信心
 ・ 実質を重んじ,合理性を重んじ、自然さを重んじる信心
 ・ 謙虚で柔軟で公平無私な心を持つ信心
であるというふうに言えるのではないかと思います。
 そしてこういう信心こそが、これから先、私共を真に助かり立ちゆく方向に導いてくれ、世の中をよりよい方向に変えていくのではないか、と申し述べて今日のお話を終えさせて頂きます。
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談話室より
令和4年4月28日
「教典について語る」シリーズの5番目として、今から34年前に話したことを、ほぼそのまま微修正のみにて掲載させて頂きます。それでも文字打ち等に時間を取られ、メッセージ67での予告は、来月に先送りせざるを得なくなりました。


 S.Sさん(男 60代 海外在住)R.4.5月

 読ませていただきました。

 金光教に触れるきっかけや信心の継続はいろいろあると思います。
 1.何か大きな力が宇宙や天地にありそうなので助けてほしい。神様から入る。
 2.教会の初代のカリスマ、おかげを渡す力に惹かれ、慕い、助けてもらって。
 3.金光様の性格、生き方、考え方、教えに惹かれ、人間と神様との間の仲立ちにも惹かれて。

 今回のお話は金光様の性格、考え方、教え‐神様の教えでもありますが、に光を当てて深堀されている章だなーと思いました。ありがとうございます。

 とらわれないから、無理がなく、不自然なところがない。
 ひとりよがりがないから、押しつけがましさがない。
 合理的で、お参りしないとおかげをやらないとも言っていない。

 金光様の性格、考え方に一番惹かれたのが近藤藤守先生だったのかなーと思います。教えを聞きたいという強い要望もあったと思いますが。

 今回のお話では、金光教関連以外の人の話も面白く勉強になりました。

 山本七平氏紹介の禅僧、鈴木正三、家業が行の推進者
 江戸時代の道徳家石田梅岩、自己啓発の手島堵庵が言い始めた本心
 学者の内藤湖南と源氏物語や伊勢物語と日本人の変わらない性格
 私小説作家の嘉村磯多、山口県の生家が記念館になっている


 教会長より
 終り近くで紹介した教外の諸説にも目をとめて頂き、とても嬉しいです。格別努力感なしに、興味本位の読書だけでそうした知識に出会わせてもらえたことは、大きなおかげであると考えております。途中で退屈して投げだしそうになった人でも、なんとかそこまでたどり着いて頂けたら有難いのですが…。
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