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42至急拡散してほしいこと |
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後期高齢者となって十年、85歳の今も、活字が読め、物事を考える能力もある程度維持させて頂いていることは有難い極みであります。
そうとして、いま我々日本国民にとって、当面の最重要課題だと思われることが二つあると考えています。そのことを訴え続けることが、私の信仰的使命の一部分でもあると考えているのです。
その二つのうちの一つが、いつも言うように、自国に対して愛と誇りと感謝の気持ちを持つことであります。
言い換えるなら、それはGHQの洗脳工作で一方的に徹底的にすり込まれた「過去の過ちの反省」はひとまず横に置いて、良いことも悪いことも含めて、出来るだけ公平で正確な歴史観国民観を身につけようとすることです。
さすれば、我々の国土、国体、歴史、言語、文化は、世界標準からみても充分誇るに足るものであり、かけがえのないものであり、大切に守り続けねばならぬものであることがわかってくるのです。そしてそういう国の存立を脅かす動きを見抜いて、それらに立ち向かう強い意志が求められます。
そう主張し続ける甲斐あってか、ホームページの8月の閲覧数が、「35健全な愛国心を取り戻したい」が第1位につけ、それに関連した内容の「8歴史認識や平和論について」が第2位となりました。それらの内容を更に深く掘り下げた「41真実はきわめて大切だが」という直近の話があまり伸びないのは、タイトルだけでは内容が推測できないせいかもしれません。
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「『子孫にツケを回すな』は誤りである」という説に衝撃を受けた |
そして二つ目が、今回話させて頂く国の財政政策の問題であります。
3年前「『子孫にツケを回すな』は誤りである」という説に接して衝撃を受けて以来、経済学の知識は何もないのだけれど、私なりにそのことを理解しようと努めてきました。それについて、自分の言葉で語れる範囲のことを話させて頂きたいと思うのです。それでもむつかしいと感じる方があるかもしれませんが、我々の暮らしに直接関わるとても大事な事柄ですので、わかるところだけでも聞き取って頂きたいと思います。
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日本経済衰退の根本原因は、貨幣観の間違いに起因する |
我が国の経済が停滞するようになって、もうずいぶん久しいです。いろいろと改革が叫ばれたり試みられたりしますが、一向に改善しません。その根本原因が、1997年の橋本龍太郎内閣以来続いている、財務省の緊縮財政主義にあると言われています。その緊縮路線のもとを突き詰めれば、古い誤った貨幣観なのだというのです。
財務省といえば、日本で最も頭がいいと言われる人たちの集団ですが、その人達が未だにお金は「商業用具」であるという、アダム・スミスやジョン・ロックの時代の貨幣観を引きずっていて、いわゆる「国の借金」は、将来の税金で返済しなければならない、と思い込んでいるらしいのです。私自身も当然そのように思い込まされていました。
ところが、新しく興りつつあるMMT(現代貨幣理論)という経済理論などによりますと、「自国通貨を持つ政府は、その返済の必要はない」と言うのです。
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それは新自由主義と新しい経済理論との闘いでもあるらしい |
今の世界の経済学の流れを極々かいつまんで言いますと、ノーベル賞学者のフリードマンという人から始まった「新自由主義」というのが主流派で、それ以前はケインズ派というのが主流でした。
この新自由主義というのがちょっと厄介な代物で、この派の人たちが「小さな政府」や「グローバリズム」を掲げて推し進めようとした改革が、むしろ世界中に災厄をもたらしつつある、などの批判が絶えません。
日本も例外ではなく、この新自由主義に支配されています。それを利用して、アメリカは我が国に対して数々の「改革」を強要し、そこから日本の富を吸い上げようとしました。その典型が郵政民営化で、そうした改革の強要は今も尚続いています。竹中平蔵氏を強く批判する人達が多いのは、そのお先棒を担いできたと見なされているからです。
そういうことについての詳しい話はここでは端折るしかありませんが、MMTというのは、そういう新自由主義に抗って生まれてきた理論で、ケインズ派の流れをくむものだと自称しているらしいです。
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お金とは用具ではなく、データである |
話を貨幣観のことに戻します。
アダム・スミスらがお金を「商業用具」であると考えたのに対して、現代において、お金は「債務と債権の記録」であるとMMTでは考えるらしいです。せめて「貸し借りの記録」とか「売り買いの記録」という風に言ってくれればまだわかりやすいのですが、要するにお金とはモノではなく、単なるデータであると言うのです。
そして買い物をするとは「モノやサービスの価格という『債務』を、他者(日本銀行や市中銀行など)に対する『債権』で弁済する」ということらしいのです。
例えば、スーパーで野菜の代金千円を支払うということは、「日本銀行に対する千円分の債権で、スーパーマーケットに対する千円分の債務を弁済する」ことになるらしいです。
こういうややこしい話は、一応聞き流しして頂くだけで結構ですが、ここからは、私自身の常識的な推論も交えての話であります。
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当初、貨幣制度は兌換制度によって支えられていた |
そういう風にお金の本質についてのとらえ方が変化したきっかけは、兌換(だかん)紙幣が不換(ふかん)紙幣となったのと、銀行取引というものが発明されたことによるようです。
長い間、各国の高額貨幣には金銀などの貴金属が用いられましたが、紙幣が発行されるようになっても、同じ額面の価値のある金銀と交換できる兌換紙幣として流通することで、それぞれの国の貨幣制度は維持されていました。そして、流通する貨幣の総量は、その額面の金銀の価値とほぼ一致すると考えることができました。
そしてもしもある国で発行した紙幣の総額が、備蓄する金銀の価格を上回るようになったなら、その国の貨幣制度は崩壊すると考えられていました。
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不換紙幣になっても、貨幣制度は成り立つことがわかった |
その常識を最初に覆したのが、ナポレオンの軍隊と戦ったイギリスであります。金銀と交換出来ない不換紙幣をどんどん発行して、必要なだけの戦費を全て調達し、それによって常勝ナポレオンの軍隊を相手に勝利を収めました。しかも、それでイギリスの貨幣制度が崩壊することはなかったのです。
今では全ての国の高額通貨は不換紙幣ですが、交換出来る金銀の裏付けがなくても、その国の貨幣制度はちゃんと維持されています。ただし、必須条件が一つだけあります。国民に必要な物資(財)やサービスの需要と供給のバランスがとれていて、物価が安定していなければならぬということです。
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不換紙幣制は、国民が全てのリスクを負うことで成り立つ貨幣制度 |
兌換紙幣が不換紙幣になったことで生じた一番の問題は、言うまでもなく出回った貨幣の価値が不安定になったことです。様々な理由ですぐ伸び縮みするのです。国家に信用があり、需要と供給のバランスが安定している間は、この貨幣制度はうまく機能しますが、いつ貨幣価値が下落して制度が崩壊するかわからぬ、という不安もかかえこむことになったのです。
需給の安定がくずれ、供給が需要に追いつかないと、インフレーションになり、お金の値打ちが下ってしまい、極端な場合、その国の貨幣制度が崩壊してしまいます。
そしてこんなことはとっくに誰かが指摘していると思うのですが、改めて私が気付いたのは、そうしたリスクや損失の一切は国民が背負うしかないということです。つまり、兌換紙幣が不換紙幣に変わったということは、国民が全てのリスクを負うことで成り立つ貨幣制度に変わったということなのであります。
我が国でも過去に一度だけ極端なインフレーションを経験したことがあります。敗戦により物価が何百倍にも高騰し、戦前からの貯金は紙屑同然となり、銭(せん)というお金の単位は消えてしまいました。子供の頃、銭という単位で駄菓子を買ってもらった記憶だけが、かすかに残っています。
それでも高騰が数百倍程度で止まり、そこから復興を遂げ得たということは、とても幸いなことで、世界にはもっともっと深刻なインフレーションを経験した国家もあるようです。
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需給のバランスが崩れないよう舵取りをするのが国家の重要な役割 |
したがって、そういう需給のバランスが崩れないように適切な舵取りをするのが国家の重要な役割となります。
しかし、新自由主義が唱えるような「小さな政府」では、そういう役割が充分に果たせません。それは「国家の店仕舞いだ」と評する人もいます。
民間の活力に委ねると言えば聞こえがいいのですが、その代表格である国鉄民営化にしろ、郵政民営化にしろ、単に従業員からユトリを奪い、無理を強いるブラック企業と化しているに過ぎない面がありそうです。民間の力だけでは、全ての分野で国民にとって必要不可欠な物資やサービスの需要をまかなえるだけの活力や確かな方向性を、充分に備えているとは限らないのです。
にもかかわらず、新自由主義に染まった政府、もしくはそれを押しつけられた政府は、民営化してはならないものまで民営化してしまい、なおも民営化を進めようとしているのです。
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その舵取りを可能にするのが国債 |
だとして、その需給のバランスの舵取りを可能にしてくれるのが国債です。自国通貨を持つ政府の予算は、税金と国債によって賄われます。
それにも、税金だけでは賄いきれない必要経費をやむを得ず国債で補うという緊縮財政派の考え方と、徴税は抑え気味にして、国債にもっと積極的な意味を持たせようとする積極財政派の考え方と、二通りあるようです。
どっちにせよ税金は不可欠です。積極派のMMT派が挙げる理由は、主に三つあります。説明抜きでその三つを挙げておきます。一つ目は景気の安定化装置として、二つ目は格差縮小を目的とした所得再分配のため(消費税はこの目的には適いません)、三つ目は自国通貨の流通を確かなものにするためだそうです。
国債に積極的な意味を持たせるというのは、単に不足分の補いだけではなく、国民の供給能力の上限を見極めて、その力をギリギリまで引き出せるように、民間にお金が出回る予算を組もうとすることです。それによって、国民に真に必要な物資やサービスの購買力と供給能力を維持向上させようとするわけです。
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「国の借金」についての考え方の違いが、緊縮財政派と積極財政派との深刻な対立を生んでいる |
ここで大きく問題になるのが、「国の借金」ということについての考え方の違いです。この違いが、緊縮財政派と積極財政派との深刻な対立を生んでいるのであります。
現在の主流派は、これまでに発行された全ての国債を国の借金であると考え、その借金を減らすために1997年の橋本龍太郎内閣以来、「財政健全化」を目指して一貫して緊縮財政を続けてきました。途中で政権交代した民主党でさえ、緊縮に一層力を入れました。
その結果、日本だけがどんどん衰退し、大切な物資やサービスの購買力が衰え、供給能力もまた維持できなくなりつつあります。言ってみれば、やればできることもさせないでいると、出来ていたことまでできなくなってしまうのです。そして今では、「健全化」を律儀に生真面目に追求する我が国だけが、かえって疲弊し、「いい加減な」他国の方が発展しつつあるのです。
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自国通貨を持つ政府は、国債が原因で財政破綻することはない |
そうした事実に危機感を持ち、誤りを指摘し、それを正そうとするのが積極財政派です。
どこが誤りかといいますと、緊縮派は知ってか知らずにか、売り出した国債のうち、中央銀行である日銀が買い上げた分まで負債として計上するのです。
発行した国債は、実は全部が売れるわけではなく、国民(組織も含む)や外国投資家(組織も含む)が買った残りのかなりの部分は日銀が買い上げて、それらのお金で政府は予算を執行します。そのうちの国民や外国投資家が買った分には利子をつけて返さねばならないので、確かに国の借金と言えますが、日銀が買い上げた分は自分が発行したお金を自分で使うだけで、返済の必要がないお金です。
言うなればそれは、何度も言うように、国民に真に必要な物資やサービスの購買力を高め、供給能力を維持向上させるために、政府が国債を使って市中に流通させたお金です。国債というのは、私の理解するところでは、国の不換紙幣による貨幣制度を順調に維持できるよう、需給のバランスをとるための調節手段なのです。
それは帳簿の上では赤字であっても埋め合わせる必要のない赤字です。それらがどれほど累積しても、何の問題もないのです。したがって「自国通貨を持つ政府は、国債が原因で財政破綻することはない(極度のインフレを招かぬ限り)」ということになるのです。
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「政府の赤字は国民の黒字」なのに |
しかもその分国民の側は潤うので、国民にとってはそれだけ黒字が増えたことになります。MMT派の主張を正確に反映している自信はありませんが、彼等は「政府の赤字は国民の黒字」だと主張しています。
ごく最近にも購読する新聞は、国民の負債が一人あたり1千万円に達したという政府の発表をそのまま何の疑問も差し挟まずに垂れ流していましたが、それは返済の必要のない累積赤字も含めてのことで、明らかにウソであり、間違いであります。
これが間違いであることを、私は自分自身にわかる説明の仕方で述べたつもりですが、MMT派の人たちはそれを貨幣観の間違いが根本原因だとしています。そのワケは少し複雑で長くなるので省略させてもらいます。
困るのは、その負債一人一千万を理由に、政府や財務省にまたも消費税を上げようとする動きがあり、メディアを含む民間の方にも、それを「やむを得ないこと」と容認する空気が生じつつあることです。
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財政黒字化目標は狂気の沙汰? |
更にいけないのは、2025年だったかを目途に財政黒字化目標とやらが設定されていることです。そんな黒字化には何の意味もないどころか、かえって有害なのです。狂気の沙汰だと言ってもいいくらいなのです。せっかく集めた税金の一部を累積赤字を減らすために使うなど、税金をドブに捨てるようなものです。これもMMT派に言わせれば、「政府の黒字は国民の赤字」なのだそうです。
国家の財政が健全かどうかは、赤字か黒字かなどではなく、真に必要不可欠なことにお金が使われているかどうかにかかっているのだと私は思います。
他国と比べて格別不正がはびこっているわけでもないのに、むしろ少ない方だと思うのに、ここまで国力が低下してしまったのは、四半世紀にわたってひたすら緊縮路線という間違った健全化を追い求めてきたせいであります。これを直ちにやめさせなければ日本の未来はないのです。
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積極財政の方がよほどやり甲斐があると思うのだが |
国民にとって必要不可欠な物資やサービスについて常に考え続けながら、それらの購買力と供給能力の維持向上に焦点を絞りつつ需給の安定を図ろうとする積極財政は、むつかしいけれどもやり甲斐のあることでもあります。
災害対策、エネルギーや食料自給率の向上、防衛力強化、学術振興、医療や福祉の充実、老朽化道路や橋脚トンネル、水道設備等の補修管理、等々、もっともっとお金を注ぎ込まねばならぬことが山ほどあります。
財務省のお役人にとっても、各省庁からの予算要求を上手に削ることは重要な仕事ではありましょうが、そればかり考える緊縮財政より、国民にとって必要不可欠なことについても同時に考え巡らすことができたら、よほどやり甲斐があると思うのですが、頭の切り替えはなかなかむつかしいらしいです。政治家も同様です。
亡くなった安倍さんは、MMTにはかなり理解を示し、積極財政に転換を図ろうとしましたが、あの権力をもってしても、財務省相手に自分の考えを押し通せるほどの「人間力」はなかったみたいですし、岸田さんに至っては、最初の頃は「新自由主義からの脱却」を目標に掲げておきながら、いつの間にやら竹中さんを審議会のメンバーに加えていたり、財務省の言いなりになりそうな気配濃厚であります。
与党内でもMMT支持、積極財政派は徐々に増えつつありますが、まだまだ大きな勢力にはなり得ていません。そこへきて安倍さんの死は大きな痛手です。
野党では「令和新選組」山本太郎氏がMMT支持をはっきり打ち出していますが、これだけではいかにも微力です。
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緊縮財政下では、どんな改革も裏目に出る |
これまでいろいろと改革が叫ばれ、試みられもしましたが、緊縮財政下では、どんな改革も裏目に出てしまうようです。
一時民主党が掲げた「コンクリートから人へ」というマニフェストは、従来のようなダムや道路の建設などの大規模土木工事(コンクリート)への予算注入をやめて、子育て、教育、年金、医療、雇用など、人間を大切にすることに予算を注ぎ込もうということで、マスコミも大きく報じて相当なインパクトを与え、幅広い共感を得ました。そして土木建設業界は元気を失いました。
本当はどちらも大切なのですが、緊縮財政のもとで災害対策のダム工事などがストップし、後々に禍根を残すことになりました。八ッ場ダムのように、工事が復活して、完成直後に「危うく水害を免れた」と言われる例もあれば、川辺川ダムの計画は、中止されたまま大水害を被りました。
この場合、ダムの効果については意見が分かれていますが、いずれにしても災害大国日本においては、いつに時代も、災害防止並びに復旧工事というサービスの供給能力を衰えさせてはならないのであります。
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「身を切る改革」も見当違い |
「身を切る改革」ということがかなり以前から叫ばれ、今も叫ぶ人たちがいますが、これも見当違いの目標です。
これは経費削減のためには、まず自分たち議員自身の給与を減らしたり、定数を減らしたりいたしましょう、或は公務員の給与を減らします、数を減らします、ということらしいですが、そんなことをしてもなんのプラスにもなりません。
議員はそれなりの理由があって選ばれてきた人たちだし、片手間に出来ることではないのですから(町村会議員くらいまでならともかく)、地位にふさわしい報酬を得てくれて少しもかまわないのです。それにあまり数が減ると多様性が失われます。
公務員も、減らすだけではユトリが失われ、サービスの質が落ちてきます。大阪のコロナ感染状況が国内で最悪なのは、職員数をどこよりも大幅に削減したためであると批判されています。
その上、これも典型的な合成の誤謬(ごびゅう)と言うべきでしょうか、国や個々の自治体が人件費を浮かしたつもりが、世の中全体でみれば、ますます購買力が落ちて景気が悪くなるだけです。身なんて全く切らなくていいから、(少なくとも国会議員は)政府が積極財政に転換出来るよう頑張ってほしいものです。
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防衛費を増やすのに福祉予算を削る必要などないのだが |
隣国の脅威がますます強まる中、やっとこさ防衛費増額の声が出始めました。すると、防衛費を増やそうとするなら、福祉関係の費用を削らねばならないと言い出す議員が現れました。積極財政派に言わせれば、そんなのは問題ではないのです。どちらも必要なんだから削る必要はないのです。それくらいで需給のバランスがくずれる心配はありません。
とは言え思わぬ伏兵がいました。つい最近知ったことですが、財政法第4条というのがありまして、軍事費調達に国債をあててはならないと定められていたのです。GHQが憲法9条と抱き合わせに、9条に実効性を持たせるためにそういう法律をつくらせたのです。
戦費調達は国債を発行して賄うのが常識で、そうしないと勝てないとされていたらしいです。それをさせないようするというのは、もともと憲法9条は、日本が平和国家を目指すための法律ではなく、強い日本を二度と見たくないということで、徹底的に日本を弱体化し、無力化するための法律だったのであります。
その9条を未だに有難がって押し戴くほど愚かなことはないと思うのですが、アメリカ自体、その後朝鮮戦争などを経て方針転換せざるを得なくなり、9条などお構いなしに、日本に強引に自衛隊を発足させました。
それからも70年近く、9条は置き去り、手つかず、問題先送りのままであります。良くも悪くもそれが国民性というか、良い方に取れば日本人の知恵なのかも知れません。
それはまあどうでもいいですから(よくないか)、とりあえずは財政法4条というのを何とか変えるべきだと思います。法律自体知らぬ人が大半だと思いますが…。
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早急に思い切ったバラマキを |
積極財政は危険なバラマキだと、文藝春秋誌上で警告した緊縮派の財務次官がいましたが、いろいろとたたかれ、その誤りが指摘されています。
今はむしろある限度まではバラまいた方がよいのです。
例えば少子化対策として一人生まれるごとに1000万円支給せよと言う人がいます。なかなか面白い考えです。せめて500万円か300万円でも支給できたなら、企業のように利益が内部留保されず、出回ったお金が全部直に国民に届くので、かなりの流通効果が見込めます。それでも実行するとなると、1日違いで支給を受けられない人達が必ず出てくるので、格差が大きすぎて抵抗が生じますから、むしろ今の児童手当を段階的に増やしていく方が無難かもしれません。
小学校から大学まで学費を無償にせよと言う人がいますが、それもいいかも知れません。それくらいでインフレになることはないでしょう。
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大急ぎで話を拡散させたい |
こうした話のどこが信心の話なのかと、疑問に思う方がありましょうが、直接信心の話ではなくても、熱心に信心する私が、個人的に今緊急の政治社会問題だと考えることを、これまでのよしみで聴いていただいたわけであります。そして何度も言いますが、毎日いろいろ学ばせて頂き、考えさせて頂き、気付かせて頂けるのが有難くてならないのです。
今日話をさせて頂いたことは、専門的な知識のないど素人であっても、少々ピント外れでも、受け売りしてどんどん拡散していかねばならぬ段階に来ていると思うのです。そうしないといつまで経っても日本の経済は回復出来ません。事態は急を要するのです。ですから、どうかこの話を聞いた方は、断片的でいいですから話をどんどん拡散させていって下さい。
それこそ「『子孫にツケを回すな』は大間違いらしいよ」でもいいのだし、「借金一人あたり一千万円は大ウソらしいよ」でも、「このまま緊縮財政が続くと、ますます国民が貧しくなるだけらしいよ」でも、「子供手当増額するだけでも、世の中明るくなるよ。少しは子供増えるよ」でも、何でもいいのです。
もう何回も言ったので、もし覚えていてくださるなら、
「必要不可欠な物資やサービスの購買力と供給能力を維持向上させることが、何より大事なんだよ」
ということも是非拡散してください。
伝言ゲーム式にどんどん話が拡散していくことを願って、一旦話を終わらせて頂きます。また折に触れこのことに言及させて頂くことがあるかも知れません。
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談話室より |
S.Sさん(男 60代 海外在住)R.4.10月
大きな経済の問題なので、どう金光様の教えを入れ込むか悩むところですね。
財務省が国債の発行体。
そして普通は市場が買うのを、禁じ手の日銀が買うという図式。
だから無限に国債を発行できる。円を刷って日銀が財務省にお金を渡す。
MMT理論は、国の借金は国民の資産だから問題ないと言いますが、半分正解で半分間違っています。
今回円安の中、金利引き上げができない状態が出てきてはっきりしました。
国から日銀への利払いはほぼゼロ金利で25兆円。金利が倍になると50兆円です。三倍になると75兆円です。
因みに国の支出は100兆円、医療費等社会保障40兆円です。
収入は確か税収70兆円。足りない分は毎年新規国債発行30兆円です。
事実上破綻してると言っても過言ではないです。
普通の家でも、借金が多く、外食、キャバクラ、ギャンブルで散財している家族がいれば辞めるように言うと思います。金光様も質素倹約、家に借銭がないのが一番と言っていますし。
そういう中、日本のインド等への援助額は莫大です。MMT理論だと問題ないことになりますが。。。
諸外国は日本のMMT理論を笑って見ています。東南アジア含め普通の国はこれほど借金していません。収入と支出を基本合わせています。もちろん借金もありますがバランスのある国策で無駄なお金は使っていません。日本は太平洋戦争でアメリカに騙され、また借金問題でアメリカに騙された?
なんで騙されるかというと、政治家の4割が二世、三世の政治家だからではないでしょうか? 企業だと普通は世襲していないです。官僚は一応試験を通っている。。。
それに二世、三世にとっては特に選挙が大事で、そこに統一教会が入り込む隙があったと思います。愚痴を言わない辛抱強い信者さんが選挙を手伝ってくれると凄く助かるはず。特に地方の市議会議員の場合は追加で500票あれば心強い。
日本は韓国に収入で抜かれましたが、もうすぐメキシコに抜かれます。
為替が本当は50円から75円でもいいのですが、借金が膨大で金利を上げられない日本円は145円です。中国東南アジア諸国から見ると円安で日本旅行が本来の三分の1で行けるのでインバウンドの政策はいいと思います。
解禁されればすごい数の人が古都である京都奈良を訪れると思います。
教会長より
日銀の独立性についての議論がどうなっているのか、ほとんど関心がありませんが、国から日銀に支払われた利息も、最終的には国庫に納まることだけは間違いないように思われます。幸いなことに外国からの借金もありません(海外投資家が買い上げた国債以外は)。
ところが狡猾な財務省は、国連の機関に対しては、それ故我が国が財政破綻することはないと弁明しておきながら、国民に対しては、その事実を覆い隠して危機感を煽るという風に、二枚舌を使っているらしいのです。緊縮財政を続け尚且つ消費税を引き上げたいために…。今のレベルの国民やメディアなら、まだまだ騙せると見くびっているのでしょう。
財政破綻ということについての解釈ですが、今回私は、その国の貨幣制度というところに焦点を絞って考えてみました。国の(不可欠な物資やサービスの)需給のバランスが取れていて、物価が安定している限り、その国の財政は破綻していないと考えるのです。このまま黒字化を目指して緊縮財政を続けるとかえってその需給のバランスが崩れ、財政が破綻の方向に行くと考えます。
統一教会が恐ろしいのは、政治家だけではなく、司法関係にも想像以上に深く食い込んで影響力を持っているらしいところです。
金銭の要求が極端すぎる上に日本人を愚弄しているにもかかわらず、それに唯々として従う日本人信徒が、本国よりも多い60万人もいるとは!これも洗脳で自尊の心を奪われた敗戦後遺症の表れに違いありません。
円安の恐ろしさは、外国の(特にある一国の)国土買い漁りがますます加速することです。それを有効に食い止める法律が整備されておらず、それの出来そうな政治家が見当たらないのです。特に安倍さんを失ってからは…。
その安倍さんが、統一教会とここまで深くつながらねばならなかったとは、政治というものは全く一筋縄では理解できないものですね。
M.O2さん(男 教会長の弟 81歳) R4.10月
赤字国債に対する見解、衝撃的である!しかし同意するにはリスクが大き過ぎる。自分は未だ困惑の域にある。
この千数百兆円という巨額の債務とは何なのか?仮想通貨ビットコインを観るにつけても「お金」を不思議な幻影に感じ始めていた。
市場に貨幣が不足して経済が回らなくなったところで、王立造幣局長官のアイザック・ニュートンが、貨幣の量産に成功して、英国経済の発展に寄与した。通貨供給量の問題であった。
江戸幕府は、金資源の枯渇と市場での貨幣不足から、金含有量を大幅に下げて、通貨発行量を増やす貨幣改鋳を度々実施し、時に莫大な利益を得た。一時的にはインフレになるも結果的に経済を活性化出来たのである。しかし碩学新井白石は「幕府の信用を失墜する」として貨幣改鋳に猛反対した。儒学的には正論である。お金は天下の宝として、夜の川に落とした一文銭を探し出すのに、多くの灯火と人手を動員した話が「国富を大切にする」という美談として教科書に載っていた。貨幣自体を財貨とする考え方である。
一方、元帝国は紙幣「交鈔」の大量発行によるインフレが滅亡の一因とされる。これは不換紙幣の過大な発行が国を亡ぼす例と学んだ。エカテリーナが、絶えざる戦争と美術品蒐集による巨額の赤字でも財政破綻しなかったのは、一説によると、紙幣を代価として受け取った農民が、皇帝の肖像が描かれた紙幣を押し頂いて聖像画のように飾り、使用するなんてとんでもない事としたためとか。満州では日本敗戦後もしばらく日本の紙幣が流通していたとか?お金とは何か?信用の幻想?
日本の現状はどうか。インフレも僅かなもの。ニューヨークのラーメン一杯3000円となる円安は異常でさえある。赤字国債なんて幕末維新のごとく、無利子500年賦の金禄公債にすれば済む、NTTの電話公債もチャラにしたではないか・・色々な想いで困惑しております。
バブルがはじけて以来、ニッポン経済は低迷と言われるが、家の巨額ローンをバブル期に解消した身としては、物価は安定し、生活用品の供給も豊富で、インフラも整備された豊かで安定したな社会を実感して来た。低迷と言うが、路傍に餓死者が出たか?それに本来高齢化で、労働力が減って行くのに、経済成長とはおかしい!経済学が何か間違っている。
大量生産・大量浪費でGDPを引き上げるのに意味があるのか!丈夫で長持ちする商品を少量消費すれば廃棄物が減り、省エネにもなる。そもそも江戸時代は殆どリサイクル世界であった。経済成長なんて糞食らえである。
「正しい経済学」は解らないが、技術の一部において中国・韓国に抜かれたことは事実であるとは言え、元来全勝を望むのは異常なのである。我が道を頑張れば、自ずといいバランスで落ち着くというもの、貿易断絶となっても最低限の生活を維持できる態勢さえ備えれば、何を恐れることが有ろうか!
以上混迷の経済観である。
教会長より
大量生産、大量消費の必要はないが、このまま緊縮財政が続くと、それこそ「必要不可欠な物資やサービスの購買力と供給能力」が維持できなくなることを恐れるわけ。せっかく整備されたインフラも、老朽化に対処しきれず、水道事業さえも外国の要求通り民営化して、グローバル企業がつけ込めるようにする動きが加速するかもしれない。
M.Mさん(女 教会長 70代) R4.11月
確かに自国に対して愛と誇りを持つこと,国の財政について真剣に考えることはとても大切なことだと思います。私は今まで日本はこんなに借金をかかえてどうするんだ!と心を痛めていたので、今回、自国通貨を持つ政府は、国債が原因で財政破綻することはない、財政黒字化目標は狂気の沙汰、身を切る改革は見当違い、思い切ったバラマキを、には心底びっくりしました。
そして先生が安倍元首相支持者ということも驚きました。私は、今までほぼ反対の考えでいましたから。それに今の自民党は嫌いです。(革新政党もダメですが)、先生のご意見にすべて賛成というわけにはいきませんが、もっと勉強しなければと思いました。
教会長より
こうやってキャッチフレーズを復唱して頂けるだけでも有難いです。それこそが拡散の第一歩です。
これって,保守だの革新だの正義だの不正義だのといった、イデオロギーや倫理道徳とは全く関係のない、純粋な経済問題だと考えたら気持ちよくないでしょうか。逆に言うと、この問題の議論に、イデオロギーや倫理道徳をできる限り持ち込まないようにしたいと思いませんか?
などと述べた直後に、緊縮主義が支持される背景には「平和主義」や「反成長」というイデオロギーも根深くからんでいる、などと指摘する情報が入ってきました。厄介なものですね。「小さな政府」を目指すこと自体「新自由主義」ですからね。
安倍元首相支持者かと言われると、考え込みますが、否定はしたくないです。力不足な点はあっても得がたい人物ではあったと思います。安倍さん以上に外交力を発揮できそうな人が、今は他に見当たらないし、国難に立ち向かえそうな突出した見識と力量を持った人もいそうにありません。派閥の後継者が決まらないのもそのせいです。
こういう人間の総合力というものは、学力だけでは測れないところが不思議ですね。東大生の頃安倍さんの家庭教師だった平沢勝栄さんも、政治家としては伸び悩みだし、名前も覚えていないけれど、失言で最近法務大臣の地位を棒に振った人がいましたね。東大法学部を主席で出たらしいですが、再び這い上がれるだけの見識や手腕はあるのでしょうか。
その点、安倍さんの祖父の岸信介氏は、別格ですね。学力も手腕も兼ね備えていて(人格までは知りませんが)、妖怪とまで言われ、首相当時はぼろくそにたたかれて引きずり下ろされたけれど、歴史的評価は高いようです。
いずれにせよ、国を救う人物があらわれてくれるよう、我々もまた、一人一人何等かの役に立てるよう祈るしかないですね。
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