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43初めての開腹手術 |
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発端はキツイ便秘と下痢の同時進行 |
この歳(85)になって初めて、お腹を切ってもらいました。
発端は2年余り前、キツイ便秘症状におそわれたことです。便も空気も出ず、同時に水分だけが漏れてくる下痢症状のような状態にもなりました。だんだんと動けなくなり、座っているのもつらい状態になったので、長女が救急で受け付けてくれる市内の病院を見つけて、そこへ連れて行ってくれました。
レントゲンをはじめ色々と検査の結果、歳を重ねるにつれて腸のある部分がだんだんよじれてきて、閉塞症状を引き起こすのだとのことです。お尻から内視鏡を兼ねた管をいれて中のものを吸引(正式な名称は知りません)してもらうと、ウソのように治ってスタスタ歩けるようになりましたが、それは根本的な解決ではなく、よじれる部分を切り取らねばまた同じ症状が現れるとのことでした。空気も溜まりやすくなっていて、すぐお腹が張ってくるのです。
まだ元気なうちに手術を受けるのが望ましいのですが、それでも、便を柔らかくする薬などを服用しながら、しばらくは様子を見ようということになりました。
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空気が出るたびに「有難うございます」 |
それ以後は毎日、便や空気の出てくれることがいかに有難いことであったかを痛感させられることになりました。お尻から出てくる空気のことを通常「オナラ」と称しますが、その量や音たるや、とてもオナラなどというような生やさしいものではありません。それでも大量の空気が出てくれるたびに、ごく自然と「有難うございます」という言葉が口をついて出てくるのです。声にまでならぬことの方が多いですが…。 |
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自転車で病院通い |
そうした中、いくら気をつけているつもりでも、数ヶ月に1度は閉塞症状が現れるようになりました。そうなると押しても引いてもどうにもならない感じになるのですが、遠方の娘を煩わせるのも気が引けるので、やや早い段階で自分でタクシーを呼んで病院に行こうとしましたが、あいにく出払っていて来てくれません。仕方なく2キロ弱離れた病院に自転車で乗り付けて吸引してもらいました。
そんなことが2度続いたので、それからはもう、はじめから自転車で行くようになり、帰りは何事もなかったように元気になって帰って来ていました。しかし、その都度少しばかり恥ずかしい思いをしました。仕事とはいえ嫌な顔もせず処置にあたってくださる医師や看護師さん達には頭の下がる思いもしていました。
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ついに手術を決意 |
最初の発症から2年経った去年の暮れのこと、症状が出始めたのに病院に行くタイミングがやや遅れて、土日にかかってしまいました。念のため病院に電話してみますと、土日には吸引のできるお医者がいないから、月曜まで待てということでした。その二日間の長かったことつらかったことといったら筆舌に尽くしがたいです。
ここまで来ると自転車は無理なので、詣ってきた総代さんにお願いして、翌日病院まで乗せていってもらうことにしました。ところが病院の方も長女と連絡をとってくれたらしく、結局長女が仕事を休んで来てくれることになりました。
日曜の夜が明けて迎えに来てもらった時は、車の座席に座っているのもつらくて、横になったままの状態で運んでもらい、病院内は生まれて初めて車椅子で移動させてもらいました。初めてと言えば、今度のことで初めてオムツもあてるようになっていました。便秘なのに水分だけは漏れてくるので、今述べた総代さんに頼んで買って来てもらったのです。
その日は病院側も、いつもは長く待たねばならないのに、最優先で処置をしてくれました。こうなるともうためらっている場合ではありません。翌日がちょうど定期検診日だったので、正式に手術をお願いしました。
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コロナで入院が大幅に遅れた |
翌年1月中頃を目途に手術を行なうということで、年末から年始にかけて色々と検査が行なわれ、1月の7日には必要な手続きも全て済ませて、あとは入院日の指示を待つだけとなりました。その間、娘達が留守番をしてくれる特定の日以外は教会を閉めたままとし、市内に住む信者さん達に門の開け閉めだけをしてもらうという手はずも整えました。
ところが、待てど暮らせど入院の指示がないのです。コロナ禍への対応が大変とは聞いていましたが、それほど遅れるとは思っていませんでした。何度か問い合わせてみましたが、一向にらちがあきません。
ちょうどその頃「最強『第8波』病院疲弊」という新聞記事が載りました。患者を受け入れている医療機関は、第2類指定の伝染病である以上、一定の病床は確保せねばならず、しかも高齢者が多くてその介助が大変、死亡率も高い、これまでの波で一番きつい、現場は疲弊しきっているとのことです。成程そういうことかと、半ば納得できました。しかし意地悪な週刊誌やネット情報によりますと、空き病床に対する巨額の補償金で、経営難の病院がいくつも息を吹き返したとか、ワクチン注射などに携わる人々は多くの臨時収入を得ているとのことです。
私はそれらの情報のどちらもが真実をついていると思います。そしてこんな機会に医療関係者が大儲けするのも、悪いことばかりではないと思っています。国内への波及効果も期待できるからです。何より残念なのは、外国企業の開発した「怪しげな」ワクチンを必要以上に日本政府が買わされて、一方的に莫大なお金が流出していくことです。これもネット情報ですが、そうした製薬企業と結びついた人達が医療の審議会などに潜り込んで、多大な影響力を行使した痕跡が色々とあるらしいのです。
1月の末近くに問い合わせて、やっと手術日が2月8日になっていると教えてもらえました。出来れば2月3日に入院してもらいたいのだけれど、まだベッドに空きが出ないのだというのです。確定したと通知をもらったのは、入院のやっと数日前でした。
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教会前の桜並木 紅華 |
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最初の関門もコロナの検査 |
この度の入院で私が信仰的な面で改めて心がけようとしたことは、いつも通りではあるりますが、神樣にお願いした以上は、起こり来ること一切を、選り好みなしに感謝で受け止めていこうとすることでした。願いは大切にするけれども、全てを成り行きのままに、おあてがいのままに感謝で受け切るということであります。
入院前後、時節柄最初の関門もコロナの検査でした。PCR検査というのを2度も受けなければならないのです。まずこれが陰性でなければ入院させてもらえません。そして入院3日後、再び検査に通らねば手術してもらえないのです。
ちょっと気が重かったのは、流行りだしてから3年間、そんな検査は受けたことがなく、実はワクチンも打っていなかったのです。
ワクチンを打たないのを敢えて理由づけするなら、ネット情報では懐疑論や否定論や陰謀論ばかりが入ってくるのと、これまで他のワクチンも1度も打ったことがなく、それでも無事に生きて来られたのに、今更という気持ちが勝ってしまったからだと言えますが、要するにめんどうくさかったのです。
ただし、人様に対しては、打てとも打つなとも言ったことがありません。信者さんからワクチンを打ちますというお届けがあれば、そのまま、願い通り免疫がつきますよう、副作用のなきよう、あっても無事切り抜けられますよう、遺伝子などに悪しき痕跡が残りませぬよう、お願いさせてもらうことにしています。
そのようにこれまで検査や予防措置をしてこなかったことが、結果としてどう出るかが試されるわけです。全く見当がつかなかったのですが、始めに心に誓った手前、それらのことも、面倒だなとか、もしも引っかかったらどうしようなどとは、一切苦にしないことにしました。実際、それがどうしても通らねばならぬ道筋であると、感謝しながら通ろうとすれば、結構その気になれるのであります。
結果としては、2回とも問題なくパスすることができました。
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看護師さん泣かせの血管 |
しかし、個人的にもう2つ課題を抱えていました。1つは、以前腸内の内視鏡検査を受けたとき、腸を空っぽにするため下剤を飲まされたのですが、私は液体の一気飲みが苦手で、500ccの下剤がどうしても飲み干せずに難儀をしました。そのことを相談すると、あっさり200ccずつ3日間かけて飲むように、やり方を変えてくださいました。
あとの1つは注射に関することであります。
いつまで経っても、体に針を入れられるということには慣れることができません。実際の痛み以上の気持ち悪さを感じます。しかし、それも心中「有難うございます」と唱えることできりぬけてはいます。この年になると、ごてごてと祈るのがめんどくさくて、大抵のことは「有難うございます」で済ませてしまうのです。誠に便利で有難い、最強最善万能の唱え言葉であります。
問題は、私の血管がどうやら看護師さん泣かせの血管であるらしいことです。ゴムの管で縛っても、隠れていてなかなか浮き上がってこないのです。以前はそれほどでもなかったと思うのですが、今はそれがひどくなってきているらしいのです。
そのことをはっきり思い知ったのは、かなり経験を積んでいそうな看護師さんが、採血がうまくいかず他の看護師さんを呼んできたときでした。ヤレヤレと思いながらも「名人と交代ですか」と冗談めかして声をかけると、「いえいえそんな」などと返しながらもその人は1度で決めてくれました。注射の技量というものは、看護師としての仕事の基本中の基本だと思うのですが、私の腕に針を通す場合、これほどの差が出てしまうのです。
これが点滴用の針を通すとなるともっと大変です。手術を受ける人の点滴には、普通より太い針を使うらしいです。手術の3日前から流動食となり、2日前からは点滴も受け始めましたが、その最初の針を通すのに担当の看護師さんが、またも2度失敗しました。この人も新米ではなさそう見えるのに、他の人を呼びに行きました。やって来たのが、それほどベテランにも見えない若い看護師さんです。今回は、先に余計なプレッシャーを与えない方がよいと思い、何も気にしていない平気な顔を装うことにしました。するとこの人も1度で決めてくれたので、成功した後で、名札を覗き込むなどして褒め称えるパフォーマンスをしました。その後失敗した看護師さんが巡回してきて「名人はどうでした」と聞くので、「1発で決めてくれたよ」と、にこやかに返答しました。
点滴の針は、そこが腫れてこない限り何度も使えるように、刺したままにして包帯を巻いておくのですが、幸いなことにこの看護師さんが入れてくれた針は、手術後も2日間使い続ける事が出来て、ずいぶんと助かりました。
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前立腺癌の疑いもかかる |
手術前日は点滴のみで過ごしましたが、空腹感はありませんでした。実は、思わぬ副産物として、何かの映像か数値で前立腺癌の疑いもあるとかで、その日MRI検査というのが行なわれました。その疑いがあると聞いたとき、ああやっぱりと思いました。既に実の兄や弟がその病気にかかったことがあると聞いているので、私がそうだとしても、不思議ではないからです。それどころか、自分も1度診てもらった方がいいかもしれないと思いながらも、ずるずると放置していた事柄でもあったのです。期せずしてその答えが出るのですから、たとえ黒と出たとしても、それはそれで有難いおかげ以外の何ものでもないのです。
MRI検査は、名前だけは知っていましたが、あんなに騒々しい滑稽な音を立てる検査だとは思いませんでした。
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術後の痛みはあまりなかった |
そしていよいよ手術当日、ドラマなどのイメージとは裏腹に、自分で歩いて同じ4階にある手術室に案内され、自分で手術台に上がらされました。ピンピンしているのだから、思えば当然のことです。入室前に初めて家族との面会が許され、次女と会うことが出来ました。
そしてこれも当然のことながら、肝心の手術の記憶だけがスッポリと抜けているのであります。短かったような長かったような、深い眠りから揺り起こされた時には、全てが終わっていました。移動していくとき、一瞬長女と次女の顔が見えましたが、いろいろな器具のある部屋に運ばれ、そこで1夜を過ごしました。
意識が戻ると痛みが襲って来るとよく聞いたことがある気がしますが、痛みはあまり感じませんでした。ただ、言うに言われぬしんどさがありましたが、それも長くは続かず、うとうとしては目を覚ますことを繰り返すうちに、程なくラクになりました。しかし、咳をしたりすると、腹部に痛みが走りました。術後何時間経ったのか時間の感覚もつかめず、時間を尋ねて答えてもらっても、それが朝なのか夕方なのか、ピンと来ないのです。自分では2日ぐらい経ったかと思った頃に、やっとまだ1夜明けただけだと知りました。そこからまた個室に移されました。
手術前の4人部屋に比べると、トイレも洗面所もついていて、周囲に全く気を遣わなくても、ひげそりなどの用が足せます。なのにこの病院は差額を取らないそうです。その代わり選択権はこちらになく、病院任せです。そんな部屋にずっと退院まで置いてもらえました。
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つらかった事といっても、せいぜい術後の点滴ぐらい |
手術の翌日からもう自分で起き上がれるようになりました。しかし、身体とつながったチューブや計器や針などのため、歩くのがまだたいへんでした。5つぐらいつながっていたと思います。私は携帯を使わないので、外部と連絡を取り合うためパソコンを持ち込んでいましたが、そのおかげで翌日にはもう、真砂教会の親先生や長女に部屋からメールをすることができました。
結局入院中一番つらかった事といっても、せいぜい術後の点滴ぐらいです。胃腸系の手術では、術後数日間は点滴で栄養補給するしかないので、時間が長いのです。その間中あのスタンドにつながれたままです。リハビリの歩行訓練も、それにつながれたままでしなければなりません。手が腫れてきて、とうとう長持ちしていた針も取り替えねばならぬとなったときに、またも「2度失敗。呼びに行く」のパターンが繰り返されました。顔ぶれは別の人達でした。ローテーションがコロコロ変わるのです。
説明は省きますが、最後の2日間で2、3度針の交換が行なわれましたので、それが4日目で終り、流動食に切り替わったときは、本当に嬉しかったです。選り好みをしないとは言っても、そういう素直な気持ちは抑え込む必要はないと思います。
回復の兆しとされる待望のオナラも3日目に出るようになり、何も食べていないのに(3日目からジュース状のものが1本だけ出るようになりましたが)4日目には便も出るようになりました。その頃には身体につないでいた管や計器が次々に取れ、6日目にはすっかり取れました。どうにか咳ができるようになったのは5日目のことでした。
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教会前の桜並木 御衣黃 |
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快復後初めて知った執刀医や所要時間 |
快復して少しユトリができてきますと、執刀医はどなただったのだろうとか、8時間ぐらいかかると言われていた手術が、実際は何時間ぐらいかかったのだろう、などということが気になりだしました。
ドラマに出てくるような院長回診というのはなかったのですが、術後毎日1回、お医者さんが看護師を伴って容態を聞きに来てくれました。マスクで顔がよくわからないのですが、その顔ぶれが毎日違うように思えるのです。そこでもう一人、手術前から時々一人でやってくる看護師だか研修医だか医師だかよくわからない男性にそのことを尋ねてみました。するとその男性が他ならぬ今回の執刀医で主治医のS先生でした。
S先生によりますと、手術はなんと2時間余りで済んだとのことで、その理由を説明されたけれど、耳の遠い私には良く聞き取れず、理解できませんでした。術後から夜明けまでの時間が長すぎるように思われたのはそのせいでした。
切り取った部分は30センチほどで、これでちょうど捩れにくい長さになったとのことでした。以前の内視鏡検査の折、内視鏡が一番奥まで届かない、他人より長い腸だとわかっていたからです。
開腹手術と言いましても、近頃は内視鏡を併用してあまり切らずにできるらしく、あとで傷跡を見てみると、へそのあたりに僅かに痕跡が残っているだけで、ほとんど目立たないのです。シロウトの推測では、そこから腸を引っ張り出して、捩れ易いところを2カ所で切り取って、残りをつなぎ合わせて中に収めるだけで済んだのではないかと思っています。その切り取った部分を娘達は見せてもらったらしいですが、私は見ていません。
手術の種類によっては、長時間かかるはずの手術が短時間で済んだということは、開いてみてダメだとわかってすぐ閉じてしまったということを意味しますが、私の場合は全くその心配がないので、麻酔の時間が短かいほど体にかかる負担が少なくて、回復が早いのではないかと、その先生に尋ねてみましたら、それは大いにあり得るとのことでした。
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残りの関門も無事通過 |
そして次なる関門は、縫合したところから中身が漏れ出さないかということでした。10パーセントの確率で、つまり10人に1人は、漏れ出して再手術ということになるらしいのです。1週間目ぐらいが山場らしいですが、時には退院後にそうなる人もいるようです。看護師さんに聞いてみたところでは、防ぐ方法がまだわからないらしいです、つまりは運任せということです。
その1週間もなんとか無事に切り抜けられたらしいところで、私の場合、入院中の最後の関門は、MRI検査の結果でありました。すなわち前立腺癌の有無であります。それも幸いなことに一応白と出ました。しかし念のため紹介状を書くから、退院後市立病院の泌尿器科で診てもらうようにと勧められました。この病院は大腸肛門科と内科のみで、泌尿器科がないのです。
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手術十日目に退院 |
手術9日目、いよいよいつ退院してもよいと言って頂きました。長女と相談して、明くる日の昼食後1時半に退院ということにしました。お腹にはまだ違和感が残っていましたが、それがなくなるにはまだまだ日数がかかるとのことでした。病院最後の昼食も、まだ五分粥のままでした。
退院したとき、泊まり込んで世話をする気で来てくれた次女も、私の元気な様子を見て安心し、2人で何食かの用意をしてくれてその日のうちに帰って行きました。
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心穏やか感謝を土台に順調な経過 |
以上が、私のここ2年間の症状と入院生活のあらましであります。とりたてて劇的な要素はありませんが、それでも色々と、初めての貴重な体験をさせてもらいました。その間、親教会長をはじめ多くの人達の祈りと助力にも支えられ、終始心穏やかで、感謝を土台にした過ごし方をさせてもらえたことが、きわめて順調と言える経過にもつながったのだと信じております。更に有難いことに、その後の市立病院での受診でも、問題はないと診断して頂きました。これで百歳まで元気に御用させてもらいたいという願いの実現に、更に1歩近づけたように思います。
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国の制度の恩恵で少ない費用で済んだ |
最後に費用のことについてでありますが、予想していたより遙かに少ない費用ですみました。治療費だけではなく、宿泊費や食費に当たる部分まで割り引いてもらえたようです。これこそまさに国の制度の恩恵です。病院独自の恩恵もあるかも知れません。
しかし、この恩恵がいつまで続けられるかが怪しくなりつつあるのです。前回もお話ししたように(「42至急拡散したいこと」)、私はそのことに常に大きな危機感を抱いていますので、そのことのおさらいで話をしめくくりたいと思います。
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快復を祝って 富本憲吉生家にて |
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必要不可欠な財やサービスの供給能力が大幅に損なわれつつある |
ここ数年、色々と学んでわかってきたことは、財政についての誤った考えによって、日本の国力がどんどんと衰えていっているということであります。
国力とは、2つの面から推し量ることが出来ると思います。1つは必要不可欠な財やサービスの供給能力という面で推し量ることができ、今1つは国民の精神力という面からも推し量れると思うのです。
その供給能力が、財務省主導の長年の財政緊縮主義と、増税主義によって大幅に損なわれてしまったのです。何故緊縮財政や増税に走るかといえば、通貨発行権を持ちながら国債というものを充分に生かし切れていないからです。まさに「羮(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」の例え通り、戦時中の体験に懲りて、国債を生かしきれないような仕組みを作ってしまい、更にそれを強化しようとさえしているのです。
例えば、日銀が買い取った国債は。予算化されて通貨として世の中に出回る、言わば景気を良好に保つための調整材料のようなもので、どれほど累積しても物価が安定しておりさえすれば何の問題もないし、返済の必要もないのです。子孫にツケが回ることはありません。それを国の借金であると勝手に誤解して、集めた税金の一部をその返済にあてようとするのです。するとどうなるか。
税金というものは、予算化して使われることで国民に還元されるのですが、それを日銀が買い上げた国債の累積額の帳消しにあてるということは、せっかく集めた税金がその分使われずに消えてしまうということです。つまり、国内はデフレなのに通貨の供給量がそれだけ減ってしまい、国民の購買能力が更にそがれてしまうのです。無意味どころか極めて有害な施策です。
そういう人達は、国家財政は税金のみで賄わねばならぬと堅く信じ込んでいて、軍備増強の必要が生じても、国債を有効利用せずにおいて、財源がないから更なる増税が必要だなどと言いだすのです。
全く無意味で有害なだけの「財政黒字化目標」のために、世界中で日本だけが、安全運転どころか極端なのろのろ運転で世界から取り残されつつあるのです。その結果円の価値が下がって、日本中の土地が外国に買い漁られても、多くの政治家は何の危機感も持たずに手をこまねいているだけです。超限戦によるものか、もはや自民党の8割(?)に達すると言われる親中派議員に、とりわけそういう傾向がみられるようです。
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緊縮体質を変えるのは困難だが、望みがないわけではない |
そういう外国の脅威もさることながら、亡くなった安倍さんがいちばん危機感を抱いていたのが、この財務省の強固な緊縮体質に対してであったということが、出版された回顧録で明らかになったそうです。安倍さんの権力をもってしても突き崩せなかった体質が、岸田さんごときで歯が立つわけがありません。案の定、すっかり財務省の操り人形と化してしまっているように見えます(面と向かっては言えないけれど、お許しを)。
1997年の橋本龍太郎内閣から始まった財政緊縮路線、それに加えて新自由主義による小さな政府路線、そのくせ消費税を上げ続ける重税路線、それらが相まって日本だけがどんどん没落衰退してしまったのです。財務省が腐敗した結果というのとは違う、誤った信念の基に、極めて日本人らしい生真面目さで続けて来た施策の結果の衰退だからこそ余計に厄介なのであります。おまけにメディアもそれをほとんど批判しません。大方まだ、財務省に洗脳されたままを垂れ流しているのです。
しかし、それでも望みがないわけではありません。批判勢力は着実に増えつつありますし、私自身も、早急に衰退を食い止めなければという思いから、機会あるごとに発言し、祈り続けているのであります。そして個人の祈りがいかに非力に見えても、祈りの力に限界を設ける必要はないと考えています。
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我が国に対する極めてまっとうな愛と誇りを取り戻したい |
もう一つの国力と言える国民の精神力というのは、言うまでもなく国に対する愛と誇りです。愛国心とは国を大切に思う心です。国を誇りに思い、大切に思う心が国力となるのであります。
「人類みなきょうだい」という考え方や「天が下に他人はない」とう教えを私はとても大切に思います。しかし同時に、我々はいわゆる世界市民や地球市民である前に、日本国民であるという自覚と誇りをしっかりと持たねばならないと思うのです。何故なら、恐らくこれから先も、我々の生活や人生は国単位でしか守れないと思うからです。
我々がこの国土に、日本語を使って生きようとする限り、この国を大切に守り続けるしかないのであります。
ところが、GHQがもたらした戦後民主主義というものは、いわゆる東京裁判史観というものと表裏一体になっていて、それが日本国を弱体化させるための極めて巧妙な仕掛けになっていて、今に至るまで日本人の精神を蝕み続けています。その史観の実態を知り、その不当性をはっきりと自覚して(「35健全な愛国心を取り戻したい」「41真実はきわめて大切だが」参照)、我が国に対する極めてまっとうな愛と誇りを取り戻そうということも、真剣に願い続けずにおれないのであります。
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談話室より |
M.O2さん(男 教会長の弟 81歳) R5.4月
生体検査でステージ4、PSA値は手術台で13,MRI図では癌細胞が溢れんばかり、全摘手術で「10年以内に必ず再発します」の宣告を受けて早12年、全くその兆候無し。全摘手術を避けて、放射線治療等で長引いている人々を尻目に、後遺症も無く、サッパリしたものです。
余談だが、長岡技大時代、地元の病院でMRIを希望したら、「爆傷の鉄片が身体に残り、強磁場をかけるのは怖くてできない」と拒否され、発見が遅れた。千葉県立がんセンターへ行った時は、癌細胞は溢れんばかりで、危なかったのである。しっかりした病院探しは必須の心掛け、市原市内も駄目である。
注射針泣かせの血管はこちらも同じ、唯一の左腕の一点を教え、成否は看護師任せ、無念無想、終わったら腕前を褒め称える。病気はできないのである。
財政赤字が、「インフレさえ起らなければ平気」と断言するには確信が持てない。愈々となったら薩摩藩のごとく無利子500年債で一掃すればよいと思うが、一国内で済むものなのか、更に、安心してどんどん赤字を積み上げられたらどうする!やはり基本は税収と支出はバランスをとるべきではなかろうか?
教会長より
癌の疑いどころではない、本物の癌の第4ステージから生還したのだから、見上げた根性と言うべきか。精神力と言うべきか。
看護師泣かせの血管が同様とは笑える。
財政問題については、シロウトなりに根本に遡って考えてみる必要があると思う。そもそも不換貨幣による我が国の貨幣制度が維持出来ているのは何によるのか。信頼以外に考えられない。国家に対する信頼、及び国民同士の信頼感である。ただそれだけである。
そこにはもちろん根拠のない盲信も多分に含まれていようから、それでも制度が成り立っているというのは、奇跡みたいなものである。そのたまたま成立している奇跡を、どうやって維持していくかが問題なのである。唯一の拠所である信頼が揺らげば、たちまち制度は危機に瀕する。
その信頼は何によって維持されるか。国民に必要不可欠な物やサービスの実質的な供給能力が維持され、尚且つ、国民の間にそれらを購入するに足る量の貨幣が出回っていなければならない。それが出来てさえいれば、貨幣発行権を持つ国家財政の帳尻など気にかける必要はないのである。
ところがここ30年近く、デフレ傾向が続いて収まらないということは、誤った緊縮財政によって、国民への貨幣供給量が大幅に不足し続け、すっかり国力まで衰えさせてしまったということなのである。
これを税金だけで是正するのは不可能なので、国債を上手に活用するしかないのであるが、また、やれば出来ることなのだが、そのためにも早急に撤廃せねばならぬ余計なルールが一つある。国債の60年償還ルールというやつである。
何を血迷ったか、我が国だけがこんな全く不要なルールを作ってしまったがために、これを忠実に守れば、確かに日銀が買い上げた国債までが国の借金になってしまうのである。言わば子孫につけが回ってしまうのである。
そんなルールは無視すればいいようなもので、実際そのような議論が横行し、私自身も普段はそうしているが、本当はそういう余計な障害を粉砕するという一手間をかけなければ、目先はそのままでいけたとしても、それから先、前には進めないのである。
これで納得いかねば、一度は有力な論客の著書にもあたってみてほしい。三橋貴明氏の論などは非常に明快で面白いが、そちらは三橋氏が嫌いらしいから、そちらと同窓の藤井聡氏あたりがいいかもしれないね。彼の「亡国論」など、ネットでまだ送料だけで手に入るかもしれない。
しかし、誰にでも欠点はあるもので、そこを同じMMT論者の中野剛志氏などは厳しく批判しているらしいが、能力のスケールは藤井氏の方が大きいようだから、欠点もまたご愛敬である。三橋氏についても同じような事が言えそうだ。
これらにあたってもらえば、このコメントが、いかに自分の言葉で語ろうと苦心しているかにも気付いてもらえるはずだ。
S.Sさん(男 60代 海外在住)R.5.4月
手術無事に済んで良かったですね。コロナ下で大変だったと思います。
娘さんが仕事がある中、手伝ってくれたのいいですね。独り身の人は大変そう。
腕に針を刺すのは大変ですね。技術の違い、感性、経験値が看護婦さんの間で如実に表れますね。
出来る人は一発で通すし、出来ない人は数回トライしても無理ですね。
同様に、信者さんで拍手した瞬間に金光様に通じる人と、全く願いが通じない人の差に似ていますね。自分も反省ですが。。。差はまずお礼が出来ているか、実意丁寧かでしょうか。
教会長より
「本当の気持ち」という意味での「実意」なら、一番大切にしようとしているものですが、それでどこまで願いが通じているのか、よくわからないままです。それでも、ここまで生きさせてもらえただけで有難いです。
今回のお話の準備はいつもより比較的ラクでした。体験したことを出来るだけ正確に要領よく、と心がけるだけでよかったからです。しかもいつもとは少し毛色の変わった話で変化をつけることができ、一石二鳥でした。
アクセス数も好調で、掲載後僅か数日で今月のトップを抜いてしまいました。かえって関心と親しみを持って頂けているようです。そういう方達からもお便りが頂けるといいのですが…。
坊っちゃん(男 50代 R.5.4月
角埜先生、この度は、手術に至るまでの過程、そして、いざ手術・入院と、大変な期間をお過ごしになられましたですね。改めまして、お見舞い申し上げます。
高田教会にお参りさせて頂いた際には、食事の制限も緩和されていらっしゃるとのことで、お元気なお顔を拝見でき、安心いたしました。
私も、昨年は、思いがけず手術・入院を経験し、今も尚、気をつけないといけないことには充分気をつけながら、ボチボチ過ごさせて頂いております。
私も入院中は、角埜先生と同じく注射針が入りにくく、看護師さんたちには、随分ご苦労をおかけいたしました(笑)。
でも、まぁ、何度も痛かったには痛かったのですが、『神様から頂いた素敵な看護師さんたちとのコミュニケーションタ~~~イム!』と思って、冗談言いながら、楽しく過ごさせて頂きました(笑)。
私も入院させて頂きまして、病院の先生方や看護師さん、スタッフ皆々様の大変さというものを目の当たりにし、医療従事者の皆様には、ほんと、頭の下がる思いでいっぱいになりました。
今は、お世話になった病院の皆々様が、公私共々充実されて、健康的な毎日をお過ごし頂いていることを願う毎日です。
季節の変わり目、角埜先生も、どうぞお大事になさって下さいませ。
教会長より
読み書き不如意な状態から談話室に復帰され、まことに有難いことです
注射針の話題で、どなたともこれほど盛り上がるとは想定外でした。しかも私だけのことではなく、わりと広範囲で起きていることのようですね。だとすると、意外と深刻な問題が浮き彫りになったのかも知れませんね。
M.O2さん(男 教会長の弟 81歳) R5.5月
赤字国債については、以前にも書いたが、江戸幕府は、金の枯渇もあって、貨幣を改鋳した。金の含有量を減らしたのであるが、真面目な儒学者達は「幕府の信用を損ねる」として猛反対した。それも一理有るが、結果的に経済を活性化し、幕府の財政逼迫も救済したのである。物と貨幣を等価と考えるから、貨幣量が経済拡張に追いつかない。単なる血液、血流をよくするだけと考えれば増血は当然の流れと考えられる。生活基本物資の供給さえ確保されれば問題は無い。ところがこの基本物資が拡大変遷するのである。
結論として、「無利子の500年債、全額日銀引き受け」としても、貿易が均衡し、生活基本物資を確保できれば問題無いとしよう。インフレも昇給も無用、給与は技量アップに応じてのみ上がる。
とは言え、戦時国債の例有り、増幣は何処まで許されるのだろう!
教会長より
確かに「生活基本物資」や必要不可欠なサービスの中身は変動し続ける。だからこそ常時いちばん力を注がねばならないのは、その変動についての的確な判断と対策である。財政収支黒字化などではない。ましてや累積国債を税金で減らしていこうなどと考えるのは、貨幣供給量を無駄に減らしてしまうだけの超愚策である。しかし、一旦誤った伝統的思い込みというものは恐ろしいもので、我が国で一番頭がいいと思われている人間の集団が、そういう思い込みから抜けられないでいるらしい。金本位制の貨幣観を未だに引きずっているようなのだ。
戦時国債にしても、結果的に価値が下がったのは、発行し過ぎによるものではなく、あくまで敗戦によるものである(主として情報戦で敗れ、今も敗れ続けているのである)。負ければ貨幣そのものの価値が下がって当然である。まだあの程度で収まったのが奇跡みたいなものだ。国債のおかげで戦艦大和も建造出来たのだとしたら、意義や効果は充分あったということである。大艦巨砲主義が時代遅れになったというのも、それとは別の問題である。
…と言うか、それこそが必要不可欠な軍備の変動についての判断を誤った事例ということになるかもしれない(無理ないとは思うが)。
増幣がどこまで許されるかについては、シロウトには見当もつかないが、少なくとも少子化対策にバラまいたり、老朽化したインフラを修復したり、当面の軍備を増強したり(まずは隊員の給与を上げよ)、する程度なら大した支障はないのではないかと…。
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