大和高田市 宗教法人 金光教高田教会|祈り、救いを求め、自分に正直に生きる。 ホームへ教会のご案内 教会長からのメッセージ
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金光教高田教会、うどんが好きかラーメンが好きか
45これまで語ってきたこと
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もくじ
▲ ワープロが早くてパソコンへの切り替えが遅れた
▲ より広い範囲に通用する話がしたい」
○ してきたこと考えてきたことを区分して紹介
● 私の信心の原点
● 私の死生観
● 私の信心の基本理念
● 私の教祖、教典、信心論
●  私と政治社会問題
● 私の信心の個性
● 私の体験談
● 身内の話
▲ 長女が電撃意思表示
○ 付記
令和5年11月23日 奈良県 王寺教会にて
ワープロが早くてパソコンへの切り替えが遅れた
 お話の依頼を頂いた時は、丁度桜井教会で話させて頂いたものをホームページに上げようとしていたところで、何もかも出し切って空っぽの状態でした。
 あと1ヶ月余りあるといっても、その間大祭などを挟むし、準備にかける時間があまり取れそうにありません。しかしそれでも、何とかおかげを頂きたいと思い、受けさして頂きました。

 とつおいつ思案する中で、当教会のホームページについて語らせていただくという形で、これまでの自分の歩みを聞いて頂くということなら、準備も間に合うのではないかと思いつきました。
 ホームページを立ち上げたのは平成18年(2006年)9月、今から17年前、69歳のときでした。その時既に高齢でしたが、そんなに遅くなったのは、パソコンの使い始めが遅かったからです。遅れたのは、ワープロの使い始めが早すぎたせいです。
 それが一般に出回りはじめたのは丁度40年前、家内が亡くなった年でした。それに真っ先に飛びついたのです。当時70万円ほどしたと思います。
 それまで文書類の筆記を一手に引き受けてくれていた家内に代わる有能な助手を得て(もちろん限られた範囲だけのことですが)何とか1人で最低限のことはこなせるようになりました。行事の案内状や布教文書はおろか、お祭りの祭詞までそれで作成するようになったのです。
 それにデータが蓄積されてしまうと、パソコンが普及するようになっても容易に切り替えができず、パソコンの使用は人よりずいぶん遅れてしまいました。保存データの関係で、未だにワープロも併用しています。電気機器の工事に入って来た若い人が、ワープロというものを初めて目にしてひどく珍しがるのをみて、時代の移り変わりを強く実感しました。
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より広い範囲に通用する話がしたい
 高田教会のホームページを開設した当初は、私の話を掲載したのはわずか2話だけでしたが、その後だんだん増えていって、令和5年現在、通し番号のついたものだけで44話に達します。
 それらのほとんどは、県下で唯一同じ真砂手続きの桜井教会で話させて頂いたものです。春と秋の霊祭時にそこで話をさせてもらう慣例が、父の代から続いているのです。他教会名で載せているものも、殆ど一度は桜井で話したものに手を加えて話したものです。同じ教会で連続して話すということは、大変な苦心を要することですので、自分の教会ではそれを文書化して配布することにしています。
 桜井教会で聴いて下さる方々にとって、その話は時にわかりにくかったり、面白くなかったりして、多大の迷惑をかけているだけかもしれません。あるとき桜井教会長の神田隆之先生が、そんな私の話でも「ここでの話がそのまま世界中に発信されていくのだ」と取り繕って下さっているのが、登壇前に聞こえてきたことがありました。
 実際私自身は、単に目の前の人たちだけではなく、世界中とまでは言わぬまでも、もっと広い範囲の人たちを常に意識しながら、そういう人たちにも通用するような話がしたいのです。そういう話し方しかできないのであります。
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○ してきたこと考えてきたことを区分して紹介
 これまで積み重ねてきた44話を通して、自分がこれまでしてきたこと、考えてきたことを、効率的に知って頂くための手がかりになるような話をさせて頂きたいと思います。それでホームページを覗いてみようかという気になって頂ければ、もちろん有難いのですが、そうでなくても、今話すことだけでも、ある程度はお役に立てるとか、面白いとか思ってもらえる話でなければならぬと思うのです。一つくらいはホーッとかヘーッとか思ってもらえるような話をさせてもらいたいのであります。
 前置きが随分長くなってしまいましたが、制限時間は40分です。そこで全体を8つに区分けして描き分けてみようと思います。
 その8つの区分というのが、私の信心の原点、私の死生観、私の信心の基本理念、私の教祖、教典、信心論、私と政治社会問題、私の信心の個性、私の体験談、身内の話、ということです。番号をつけてもいいのですが、そうするとよけい堅苦しくなるので、なるたけ行き当たりばったり思いつくままにという体裁で話をさせてもらいたいと思います。
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リフォーム中(R6.4月現在)
● 私の信心の原点
 「1おあてがいのままに」(2006年)
 「31壁を目当てに拝む」(2017年)

 ホームページを始めた時に掲載した第1話「おあてがいのままに」という五条教会での話が、たまたま私の信心の原点に関する話になりました。そこから私の信心が始まったと言えます。20歳の頃大学入試にまつわって経験した出来事と、70歳近くになってインプラント手術を受けた折に経験した2つの奇蹟的な出来事について述べています。
 世には奇跡というものを頭から信じない人が数多くいるし、信者さんでも、奇跡的なおかげを頂いたという言い方を嫌う人がいます。奇跡がダメなら別に偶然という言い方でもいいのです。私はこれまで、実に有難い数々の偶然に恵まれて救われてきたと言えます。
 ちょっとニュアンスは違いますが、教祖様も、信心すればおかげがあるのが当たり前なのだから不思議と言ってはならないと言われたので、もちろん私とて言い方には気をつけたいと思っているのであります。
 第31話「壁を目当てに拝む」も私の信心の原点についての話と言えます。壁を目当てに拝むという行為から私の信心は始まったのです。
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● 私の死生観
 「3『血脈』を生んだ霊現象」(2005年)
 「34改めて死生の安心を問う」(2018年)

 宗教の大切な役割というか、神信心から与えられる大きな救いの1つに、死生の安心を得るということがあります。我々はその安心を教祖様の教えから得ているのでありますが、外部から得られる様々な知識によってその安心を補強しようとするのも、ごく自然な流れだろうと思います。
 そういう系統の話が第3話「『血脈』を生んだ霊現象」及び第34話「改めて死生の安心を問う」です。
 第3話では作家の佐藤愛子さんの「血脈」という小説を取り上げています。
 これは今月百歳になられた佐藤さんが、別冊文藝春秋に65歳の時から12年の歳月をかけて連載された2千ページに及ぶ大河小説です。テレビドラマにもなりました。
 執筆の有力なきっかけは、それまで霊魂とかあの世をまったく信じていなかった佐藤さんが、50歳の頃からご自分の一族にまつわる奇怪な心霊現象に悩まされるようになったことからとのことであります。
 その佐藤さんの小説を題材にして、私なりの死生観を語ってみようと思い立ちましたが、そのためにはまずその大部の小説の勘所を手短に要約してみせねばなりません。行きつ戻りつ、苦心の末の要約に自分の感想を加えて1つの話に仕立てましたが、それをホームページに掲載するにあたって、ご本部の指示通り、佐藤さんに引用許可を求めたところ(文章を直接引用したのはほんの僅かでしたが)、掲載快諾の返事と共に、次のような言葉が添えられていました(もうこの自慢話めいたおかげ話は何回かしているので、これを最後にします)。

 「血脈の要約を拝読して、失礼ながら感心してしまいました。これほどきちんと要約されたものを今まで見たことがありません。有難うございます」

 一生懸命神様にお願いしてさせてもらっただけに、これはとても励みになりました。そしてこの話はこれまで一番数多く閲覧されてきました。今月も2位につけています。
 第34話「改めて死生の安心を問う」は、「勝五郎の再生」という江戸末期の有名な再生話を中心に、教祖様の教えの普通教内ではあまり注目されない、と言いますか、お道の先生方が余り触れたがらない部分に目を向けていて、これもわりとよく読まれています。
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● 私の信心の基本理念
 「22絶対他力、絶対信、絶対感謝」(2013年)
 「39教典について語る4―生きることが少しはラクになるための三要素―」(2021年)
 「28 私の五十年」(2015年)

 私の信心の基本理念は、端的に3つの言葉で言い表せます。「絶対他力」「絶対信」「絶対感謝」がそれであります。別の言い方をすると「生きるのが少しはラクになるための三要素」ともなります。私自身はその三要素で救われてきていると思っています。
 「少しは」などと控えめな言い方をしますのは、人生に苦労は避けられないが、少しラクになるだけでも、その違いはとても大きいと思うからです。
 話としてはそのものずばり、第22話「絶対他力、絶対信、絶対感謝」第39話「生きるのが少しはラクになるための三要素(教典について語る4)」があり、第28話「私の五十年」でも取り上げていて、これも閲覧数が多いです。
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どんな外観に変わるのか
● 私の教祖、教典、信心論
 「36教典について語る」(2020年)
 「37教典について語る 2」(2020年)
 「38教典について語る 3-神様は懐が深いー」(2021年)
 「39教典について語る4―生きることが少しはラクになるための三要素―」(2021年)
 「40教典について語る 5―真実を大切にする信心ー」(1988年)

 私の話では、普通教祖様の教えはあまり出てこないのですが、決して軽んじているわけではありません。むしろその逆です。身の丈に合った話しをしようとすると、つい安易な引用がはばかられてしまうからだろうと、自分では思っています。
 しかし、あるときに限って出血大サービス、重点的に取り上げました。それらが第36話から第40話にかけての「金光教教典について語る(1~5)」シリーズであります。

 「4我が信心を語る」(2006年)
 「6神様と出会いたい」(2007年
 「10私の神様を語る(2008年)」
 「20次世代に手渡したい信心」(2011年)
 「29大きな信心」(2016年)
 「32廃れることのない信心とは」(2017年)

 信心論というのは、この道の信心や自分の信心について語るということで、語り口は場所柄に応じて様々です。
 第4話「我が信心を語る」は、平成18年に北海道牧場教会で話したもので、今頃になって(今年の7月から9月にかけて)何故か閲覧数1位を記録しました。
 他には、ここに挙げたように、第6話「神様と出会いたい」、第10話「私の神様を語る」、第20話「次世代に手渡したい信心」、第29話「大きな信心」、第32話「廃れることのない信心とは」などが主なものですが、他の話とて信心論でない話は少ないと言えます。
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● 私と政治社会問題
 「2 うどんが好きかラーメンが好きか」(2005年)
 「8歴史認識や平和論について」(2007年)
 「9人類みな兄弟というけれど」(2008年)
 「15近頃思うこと」(2009年)
 「16差別とケジメ」(2010年)
 「21『東京物語』のことなど」(2012年)
 「23長寿社会に思う」(2014年)
 「24豊田喜一郎のドラマで考えたことなど」(2014年)
 「35健全な愛国心を取り戻したい」(2019年)
 「41真実はきわめて大切だが」(2022年)
 「42至急拡散してほしいこと」(2022年)
 番外コーナー
 「外国人参政権問題について」「従軍慰安婦問題について」

 一日本人(地球市民などではない)として、国の行く末、社会の行く末を案じ、模索し、祈らずにおれないので、これだけの数になってしまいました。
 時事問題も扱うだけに、やや古びてしまった話もあります。考えが変わったものもあります。例えば、「近頃思うこと」という話の中で小泉純一郎さんを支持していましたが、郵政民営化はアメリカの圧力でアメリカの利益のために行なわれたもので、あまり日本のためになっていないと後でわかってきて、考えを変えました。民間の活力というのも、うまく使い分けねば発揮できないこともわからされました。国鉄民営化で、このままでは貴重な地方路線が次々と失われていくのが残念でなりません。

 このように折に触れ色々と発言してきましたが、今一番危機感を抱いているのが、日本という国家の危機・弱体化と、国の財政政策の誤りについてであります。
 一つ目は、大多数の国民は未だに、いわゆる東京裁判史観という大きなウソにからめとられたまま、心を病んでいることです。そのため国に誇りも愛着も持てず、的確な思考力も奪われています。それが国家の危機、弱体化を招いているということです。
 二つ目の財政政策の誤りというのは、主として財務省の責任であります。その誤りのため、日本だけが国力を落としていっているのです。もちろん政治家にも責任がありますが、財務省の力が強すぎて、安倍さんでさえ思うようにならなかったのです。
 説明している時間がないので、刺激的な言葉だけを並べておきます。
 「・『子孫にツケを回すな』は大きな誤り
 ・財政黒字化目標は狂気の沙汰
 ・身を切る改革も見当違い
 ・今こそ思い切ったバラマキを」
 というので、これを今年の年賀状にも書きました。
 これらの理由に興味覚えられた方は、是非、第35話「健全な愛国心を取り戻したい」第42話「至急拡散してほしいこと」などをあたってみてほしいです。第41話「真実はきわめて大切だが」は国家の危機・弱体化を問題にしています。
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● 私の信心の個性
 「5『自分に正直』ということ」(2007年)
 「11私の本音・実感」(2008年)
 「27 投書して見えてきたこと」(2015年)
 「40教典について語る5―真実を大切にする信心―」(1988年)

 どの話をとっても、私の個性は出てしまうのですが、とりわけ、私自身の特徴は、自分の本音実感を大事にしようとするところにあると思っています。「自分に正直に」とか「真実を大切にする」という言い方をしたりもしてきました。
 「正直の頭に神宿る」という諺や、「信心は正直がもとである」という教えを私は、本音実感の中にいちばん神様のお働きが表れる、という風に受け止めています。
 ずっと考え続けていることは、自分の本音実感と他人の本音実感とは、心の奥深いところでは相通じるものなのかどうか、つきつめれば共通な真実に到達できるのかどうかということです。同じ条件下でなら、感じることは皆一緒、と言えるときは確かにあります。だからこそ共感というものも生まれるのですが、全てそうだと言い切れる自信はまだありません。それでも、共通の真実に到達するには、めいめいが自分の本音実感を大切にするしかないように思うのです。
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教会前の桜並木 一葉
● 私の体験談
  「30叙勲前後のこと」(2016年)
 「43初めての開腹手術」(2023年)
 「1おあてがいのままに」(2006年)

 自分の体験を主に語ったものは多くありませんが、ちょっとした体験というものは他の話の中にも含まれています。
 第30話は、柄にもなく勲章を頂いた話です。一時は落ちこぼれて引きこもっていた私でも、そういうものをいただけたのが有難くてならないのであります。特定の団体の推薦もなしにいただけたのも、おかげとしか言いようがありません。
 第43話は、今年はじめ頃85歳という高齢で手術を受けた話。第1話も「原点」の話と重なりますが、体験談として加えておきます。
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● 身内の話
 「12二人の母親のこと」(2003年)
 「25六十年目の幸せ」(2014年)
 「44亡き妻のことなど」(2023年)

 第12話は養母と実母の話です。第25話は子孫の話です。そして第44話では、今年40年祭を仕えた家内のことを中心に、養父母のことも加えて、最低限伝え残しておきたいような事実を語らせてもらいました。子孫の者たちが初めて知るようなこともあったと思います。落ちこぼれ引きこもりの私に、どうして結婚が可能であったのか、などということも話させてもらいました。

 以上が、私がこれまでに語ってきたことのあらましです。
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長女が電撃意思表示
 そんな中、ここしばらく奈良市に住む長女が月例祭ごとにお参りしてくるようになっていました。恐らく老齢の父親の様子見も兼ねてのことであろうと思います。
 その長女が先月10日、次女と3人で本部の大祭にお参りした車中で、突然高田に帰ってきて教会の御用を手伝うと言ってくれました。いずれ誰かが名乗りを上げてくれるとは期待していましたが、これは全く想定外でした。と言うのも、長女は長女でそう簡単には動かせない生活基盤が出来上がっているからです。元新聞記者の夫がいますし、結婚が近い見込みとはいえ、2番目の娘もまだ同居しています。
 長女は夫の転勤に合わせて各地を転々とした末、ようやく奈良市に終の棲家を得ました。まだそのローンも残っている住居を売り払ってまで、夫婦共々こちらに移り住もうと言うのです。遠方の夫の両親がもう亡くなっているとはいえ、婿殿がよく同意してくれたものだと思います。
 言い出したのは誠に唐突でありますが、実際は長い時間をかけて、あれこれ考え抜いてくれていたのだと思います。随分むかし、50歳を過ぎたら御用をしてもいいと、ちらと言ったことはありましたが、還暦過ぎて、実際それを行動に移しかけているのです。直接聞いてはいませんが、次女から聞いたところでは、その決心の最後の決め手になったのが、どこがどう響いたのか、第44話なのだそうです。
 ここで話をさせてもらうにあたって、話の流れによってはもうこのことを表沙汰にしてしまってもいいかと娘に伺いを立てましたら、もう後には引けないからかまわないとのことでした。実際、住居売却のことやら、教職舎のリフォームのことなど、業者との具体的な話し合いが既に始まっているのであります。
 私はこれまで20年間も勝手気儘な一人暮らしを続けて来ましたので、今から共同生活を始めるとなると、困難な問題がいっぱい出てくるでしょう。しかし、今のうちに引き継いでおかないと、これからは弱っていく一方なんですから、いち早く気持ちを切り換えて、全て感謝を土台に、前向きに乗り越えさせてもらいたいと願っています。
 そして、今日の話をこのような、私にとっては紛れもなく大きな「おかげ話」で締めくくらせていただけますことを、この上なく有難いことと思います。

 最後の最後に、このホームページがどのような「成果」をもたらしたかをお知りになりたいだろうと思います。しかし、それで信者さんが増えたとかいうことを成果と考えるなら、そういう成果を挙げておられる教会もあるとは聞いておりますが、残念ながら当方ではそのような成果は挙がっていません。
 それでもごく少数の大切な友人や仲間はできたと思います。そして、読者の顔は殆ど見えないのですが、番外を含め44話以上あるどの話にも、毎月二桁以上の読者はいてくださるのです。ほとんど自己満足だけのためとはいえ、それがご用していく上での大きな励みになっています。そして、これまで積み重ねてきたものが、後に続く者たちにとって、何らかの役に立つものであってほしいと切に願います。
 まあ、そういうことで、第44話だけでも、興味がわいたらお読みいただければ幸いです。
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○ 付記
 これまでホームページへの訪問者の数は月6千人が最高でしたが、今年に入って、1月には7千人に達し、2月3月と、遂に1万人超えを果たしました。理由はわかりません。人気のあるサイトに比べたら微々たる数字でも、それが長年の目標の一つでした。
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談話室より
 S.Sさん(男 60代 海外在住)R.6.4月

 身近なところ、ホームページ作成から話を始めるのはいいと思います。体験話が一番人を引き付けるので。

 教会内での話で終わるのではなく、インターネットを通じて外部に、より広い範囲に届けることは同感です。

 教典を読むと、おかげという単語が想像以上にこれでもかこれでもかと出てきます。当時も今もおかげが一番大事だと思います。文字数で34の天地書付にも、願え、おかげ、頼めと強調されています。  要約は行間を読み取る力、作者が言葉で表現できなかったことを文字化する能力がいると思います。
 一歩踏み込んだ現場での死生観が、佐藤愛子女史の琴線に触れたのだと思います。おおいに自慢していいと思いますよ、(笑い)。

 生まれ変わりについては教典に内孫の桜丸様のことがさらりと書かれています。死んでみないと本当のことは分かりませんが、十分あり得ると思います。

 長女の方が引き継がれるのは凄いことですね。何らかの宗教的体験、きっかけがあったと思いますが、次回お話があればと思います。

 成果は既に十分あると思いますが、更なる飛躍的な成果は長女の方がホームページを引き継がれてからではないでしょうか?
 ご主人が元新聞記者なら編集局や整理部にもいたはずなので、情報発信のコツ、読者により届く構成、SOEが出来ると思います。


 教会長より

 長女の宗教的体験については何も聞いていませんが、幸せはいろいろと授けられていると思います。
 話の中にあった通り、現在まさにそのリフォーム工事の真っ最中です。半年間でここまで具体化するとは、予想出来ませんでした。車も置きたいということで、外観も一気に変わりますが、どう変わるのか、出来てみないとわかりません。
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