大和高田市 宗教法人 金光教高田教会|祈り、救いを求め、自分に正直に生きる。 ホームへ教会のご案内 教会長からのメッセージ
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金光教高田教会、おあてがいのままに
46だまされているのに気付かない
大和高田市 宗教法人 金光教高田教会|祈り、救いを求め、自分に正直に生きる。
もくじ
▲ 死ぬと言ってきかぬ青年を何とか思い止まらせた
▲ そこへ管内通牒が
▲ いい若いもんが二人がかりでやるに値する仕事か
▲ 1年も経たぬうちに同居が実現した
▲ 諸刃の剣をかざしての布教ではあるが
▲ おかげで十人並みの子孫にだけは恵まれている
▲ 個人的におかげを受けるだけでは救われない。安心できない
▲ 日本人の多くは未だに東京裁判史観に騙され続けている
▲ 日本人の罪悪意識は徹底した洗脳工作の成果
▲ ありのままを知るだけで、我々の歴史は充分誇るに足るものである
▲ 国債にまつわるウソ、国債敵視が諸悪の根源
令和6年9月22日 奈良県 桜井教会にて
死ぬと言ってきかぬ青年を何とか思い止まらせた
 今年の4月ごろでしたか、30代頃の青年が、近くの工事現場から立ち寄ったのだが、話を聞いてもらえるかと訪ねて来ました。実は車にもう一人いるのだが、連れてきてもいいかと言うので、別にかまわぬということで入って来たのが同じ年頃の青年です。どうやらその青年の方に問題があって持て余しているらしいのです。
 二人は、能登半島で社長と一緒にある工事に加わっていたのですが、あの地震で被災して、社長だけが亡くなってしまったのだそうです、慕っていた社長が亡くなって途方に暮れつつ、各地の工事場を転々としているらしいのです。ところが、後から入ってきた方の青年の絶望感は激しいらしくて、もう生きる気力もなくなってしまい、どうしてもこれから死にに行くと、私の前でも言い張るのです。
 もともとの住所はどこかと尋ねると、静岡だと言います。社長の奥さんや子供もそこにいるらしいのです。そこへ帰ったことがあるのかと聞くと、どうしても帰る気がしないのだと言います。社長のことをそんなに大事に思っていたのなら、なぜ肝心なときに奥さんたちを支えてあげないのか。奥さんたちを支えもせずに、会社の車に乗ったままで何をうろうろしているのか、などと説得を続けたら、二人ともようやく帰る気になったように見えました。
 それならこれから歩いて静岡に帰るから、車をこのまま置かせてくれますかと言うので、何を言ってるんだ、ガソリンを入れて乗っていけば済むことではないか、そもそも会社の車だろうが、ということでガソリン代として幾ばくかのお金を握らせ、足りぬ分は自分らでなんとかしろと送り出しました。そんなに気前よくできたのは、能登で被災した人たちに、自分はまだまだ尽くし足りないという負い目もあったからです。僅かなお金でも臨時の出費は痛いですが、これで少しはいいことが出来たのだと、有難く思うことにしていました。
 
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そこへ管内通牒が
 ところがです。それからしばらくして、大阪センターの管内通牒が届き、そこに「寸借詐欺について」という記事が載っていました。まさにその二人組が、静岡県、三重県、愛媛県など、広範囲にわたって荒らし回っているというのであります。
 3つの実例が挙げられていましたが、いずれも被害は未然に防がれていました。報告した人たちに共通しているのは、車が岐阜ナンバーの車であることに気付いていたことです。私は車などろくに見もしなかったのに。そのうちの二人は車が「ダイハツ、キャンパス」という車種であることも知っており、一人はそれがレンタカーであることにも気付いていました。車種を知らぬ人も、車のナンバーをキチンと記録していました。そして、3人とも、お金を貸してほしいと要求されていました。
 まさにそれは寸借詐欺未遂だと言えますが、私の場合は余りにも完璧過ぎて、そこまでも行っていないのです。あちら側にとっての見事な成功例であります。要求される前にお金を与えてしまったのでありますから。名付けるなら「死ぬ死ぬ詐欺」とでもいうべきでしょうか。
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いい若いもんが二人がかりでやるに値する仕事か
 私がどうしてそんな彼等を怪しいと疑わなかったのか、考えてみまするに、主たる原因は、いい若い者が二人がかりでそんなみみっちい詐欺行為を働く、とまで想像力が及ばなかったということだと思います。
 そんな手の込んだお芝居をしても、ぼろもうけができるわけではないでしょう。むしろ普通に土木工事で働いた方がもう少しはお金になると思うのです(現場の厳しさを知らずに言っているとはいうものの)。彼等は汗水垂らして働くのが嫌いなのかもしれない、ひょっとしたら好きでそんなことをしているのかもしれぬ、売れない演劇青年のなれの果てなのかもしれない、そういう生き方しか出来ないのかもしれない、などと考えました。いずれにせよ、切羽詰まってやっているようには思えないのです。
 大喜田喜三郎という人の伝えに、

 「盗賊の難を受けた時は、大の難を小の難で逃してくださったと神にお礼を言い、また、盗賊が本心に立ち返り正業に就くようにと、神に願ってやれ」

というのがあります。
 この「盗賊」を「詐欺師」に置き換えることもできるでしょう。しかし、その詐欺師たちが「本心に立ち返り正業に就くように」とまで願ってやる気がどうもしないのです。「どこまでそんなことが続けられるか、ずーっとやっとれ」といった、冷たく突き放すような気持ちにしかなれないのですが、それでもこういう教えを知っていて、思い出すことが出来るのは有難いことだと思うのであります。
 いずれにしましても、私にとってこんなことは大した問題ではありません。日本人全体が、大きく騙され続けている問題の深刻さに比べましたら…。
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1年も経たぬうちに同居が実現した
 その話をする前に、前回の続きを報告しておきます。王寺教会でも話したのですが…。
 本部参拝の列車の中で長女が同居の意志を表明してから、あれよあれよという間に教職舎や門前のリフォーム工事が進み、1年も経たぬうちに同居が実現してしまいました。その費用たるや、まだローンの残る住まいを数分の1の値段で売り払って捻出したのですが、そうして改造した住居が個人の所有物になるわけではなく、あくまで法人である教会のものなので、改造費用はすべて教会にお供えしたことになるのであります。
 それでよく旦那さんが承知してくれたものだと思いますが、どういう遣り取りでそうなったかまでは聞いていません。とにかくこれまで喧嘩をしたことがないらしいです。(一方通行ということも考えられますが)。私からは神信心の勧誘をしたことがないので、まだ信者にもなっていませんが、思想傾向を知る唯一の手がかりとして、学生の頃は鶴見俊輔を熱心に読んでいたらしいことだけは娘から聞いたことがあります。いずれにせよ、一族の式年祭などの祭事にだけはキチンと参列してくれています。
 
 そんなことで3ヶ月前から同居がはじまったのですが、今のところさしたる支障もなく過ごさせて頂いております。支障がないどころか、新たな恩恵をいろいろと蒙ることになりました。最大の恩恵は、やはり、大したご祈念が出来ていないとはいえ、神前に座らせて頂ける時間が増えたことでしょう。パソコンに向かえる時間も増えました。
 逆に娘らは、仕事のある日は、遠くなった職場に、つらそうな顔も見せずに早朝から出かけていきます。もちろん、お互い気を遣い合わねばならぬこともいろいろと出てきます。それは当然のことで、全て前向きに有難く気を遣わせてもらおうと思います。それも出来るだけ目立たぬように、気付かれぬようにそうしたいです。そしてそれがじきに当たり前になって、意識すらせぬようになってしまいたいです。向こうも同じ気持ちだろうと思います。
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諸刃の剣をかざしての布教ではあるが
 しかし、私が進めようとしている信心に、そうまでして支えてもらう程の価値があるのかとも自問せずにおれません。むろん、価値のあるなしに関わらず、教会の将来をおもんばかってのことでありましょうが…。
 それに関して言ますならば、今年の2月に、金光新聞で私の考えを取り上げてもらったことがありました。これは、私が考えたことを自分でまとめた体裁になってはいますが、実際は、お忙しいでしょうからこんな風にまとめてみましたが如何でしょうか、という具合に、これまで公表したものの中から適当にピックアップして、編集担当の先生がまとめてくださったものであります。
 それは実に有難いことで、自分でまとめようとすると、かなりの時間とエネルギーを要します。しかもどれほど力を注いでも、独りよがりであることは免れませんが、第三者の視点で選んでもらうことで、その考えもある程度取り上げる価値を認めてもらえたことになるのであります。
 そうして取り上げてもらった考えの中に、教祖の説かれた信心をつきつめると

「① 時間と場所と施設を問わず、いつでもどこでも出来る信心
② 連れのいらぬ、一人でもできる信心
③ 金も物もいらぬ、素手でできる信心
④ 特定の儀式儀礼にこだわらぬ、形にとらわれぬ信心である」

というのがあります。
 それを選んで下さったか、と有難くは思いますが、実は布教する者の立場からすると、この考えは諸刃の剣ともなり得るのであります。
 この考えは確かに私が言い出したもので、最初に言い出したのは、いまからもう30年以上前、「究極の信心」と題して、平成2年に親教会で話をさせてもらったときでありました。
 その時こんなことを言っていました。

 「私は一信者として信心というもの、神と人との関わり方というものは、いよいよのところそうであってほしい、そうでなければならないと思い、金光教祖が神信心というものをそのようなものとして説いてくださったことを、たいへん有難いことに思うのであります。信心とは本来そうあるべきものであると思うと同時に、それは非常にラクな無理のない信心であると思います」
 「ところが、一信者として一人の人間としてはそう思うのでありますけれども、布教の御用に専念する立場にあるものとしては、手放しで喜ぶことの出来ないきわめて深刻な矛盾を抱え込むことになります。熱心に道を説けば説くほど、自分の存在意義が脅かされるというか、自分を否定しなければならないことになるのです。そして、こういう教えが徹底した時には、自分は無用の存在となってお払い箱になるかもしれないんです。或は教会も教団もいらなくなって消滅してしまうかも知れないのです」
 
 教祖様の場合は、そのご神徳に引き寄せられていくらでも人が寄ってくるので、平気でこんなことを説かれたのですが、自分ごときがそんなことを言っていたのでは目も当てられぬことになりかねません(事実今それに近いことになっています)。それでもそういう信心を広げようとせずにおれないのだ、というようなことを、すでにその頃縷々語っているのです。
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おかげで十人並みの子孫にだけは恵まれている
 まあ、いろいろとむつかしい課題をかかえる教会を受け継ごうとしてくれているわけですが、幸い子孫繁盛のおかげだけは頂いています。70年前は独りぼっちであったのが、今では子、孫、ひ孫、配偶者など、私を含めて丁度20人となりました。有難いことに全員十人並みの能力は授かっていると思います。
 教祖様は佐藤照師に、長男の一夫師(後の教務総長)を身籠もられた時「十人並みの子をと言って願え」と教えられました。最初照師は、十人並みではつまらないがなあと思われたのですが、後には、十人並みということは実はたいしたことなのだと思われるようになったという、その十人並みです。
 もちろん、そうでない人を背負っていかねばならぬという修行を課せられている人も少なくありません。そういう人はそういう人で救われて行かねばならないのですが、今のところその修行は免じられております。そしてみな仲がいいし結束力も強いようです。これだけいてくれれば、後は何とかなる、と思うことにしています。少数ながら信者さんもいてくれることですし…
 
 十人並みでも、人数が増えると変わり種もでてきます。今回の同居で、ごく短期間ではありますが一番下の孫娘とも一緒に暮らすことができました。今は別の処で暮らしていますが、その孫は、大学を出て今時の人気企業の一つに就職して親元を離れたのに、すぐに辞めて舞い戻ってきました。ちょっと精神的に参っている様子だったので、親たちはそれを責めることもせずに見守っていました。しばらくアルバイトをしながらくすぶっているかに見えましたが、突然、彼女の描く漫画に、大手出版社の担当がついたという話が伝わって来ました。続いてその出版社の漫画雑誌の賞を獲り、賞金30万円と副賞の漫画用パソコンをゲットしたという知らせを受けました。
 以後40ページほどの作品が2度掲載され、次の掲載の予定もあるようです。十人並みの子でも、時にはそんな才能を発揮できることはあるのです。しかし、もっと才ある人たちがひしめく漫画家集団の中で、ちゃんと居場所を見つけていけるのか、空恐ろしい気もしますが、先のことは全く未知数ながら、とにかくこれまでにできたことは大いに喜ばせて頂きたいと思っています。
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個人的におかげを受けるだけでは救われない。安心できない
 そういう風におかげは頂いてきていると言えるのではありますが、どれほど個人的におかげを頂いたとしても、国全体がもっとしっかりしてくれていないことには、到底安心できるとは言いがたいのです(まあ、世界のことまではさておくとしても)。それで国のことが気になって仕方がないのであります。
 
 そこでやっと本筋にもどります。日本人全体が大きく騙され続けているという話であります。と言いましても、もうそんなに長く時間がとれないし、いつも手を変え品を変えして言っていることなので、要点だけにします。今の日本人は、主として2種類の大きなウソに騙され続け、それらがわが国の極度の衰退と貧困化を招いているという話です。
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日本人の多くは未だに東京裁判史観に騙され続けている
 その一つが言うまでもなく歴史認識であります。いろんな言い方がありましょうが、GHQ(連合国総司令部)が去った後も、私たちがこれまで学校やメディアや、多くの書物から吹き込まれてきたことで、さしあたり思いつくのは次のよう内容です。
 「およそ80年前。軍国主義日本が(とりわけ軍人たちが)、思い上がって無謀で理不尽な戦争を起こし、世界中に、とりわけアジア諸国に多大な迷惑をかけ、自国民をも苦しめた。我々はそのことを深く反省し、アジア諸国には謝罪し続けねばならない。そして二度と戦争はしないと心に誓わなければならない」
 戦後の大部分の日本人は、このようにすり込まれた考え方にさして疑問もはさまず、自国への誇りも愛情も持てぬまま、それでも食うために頑張って生きてきました。経済成長も遂げてきました。ところが、ここ30年ほど、アメリカの度重なる圧力等によってその勢いがバッタリ止められ、停滞期に入り、すっかり自信と元気を失ってしまいました。
 押しつけられた数々の改革と称すものは、全て外国が日本から搾取するのに都合のいい改革ばかりで、日本経済はますます停滞しました。そのお先棒を担いだ人々は、停滞するのはまだまだ改革が足りないからだとうそぶいています。
 
 時が経つとともに、先のような考えに疑問を呈する人たちが現れ始めました。ウソもいっぱい暴かれ、ことの真相がいろいろと明るみにでるようになりました。
 第一軍国主義日本という言い方からしていい加減です。そんなことを言うなら、列強諸国はみな軍国主義なのでした。どの国も皆、軍備を整え、国益を賭けてしのぎをけずっていたのです。日本の開戦責任とやらも、日本にそうし向けるよう日ロ戦争以前から始まった「オレンジ計画」によって周到に計画されていたもので、ルーズベルトはそれを採用したに過ぎません。
 その上、コミンテルン(国債共産主義運動の指導組織)からルーズベルト政権に送り込まれた多数のスパイたちも、日米を戦わせて疲弊させるよう画策しました。それに呼応したのが、近衛文麿政権に巣くっていた尾崎秀実、風見章といったスパイたちです。この人たちはまず国民党軍と日本を戦わせるよう、日華事変を拡大させました。そして毛沢東の軍隊の力を温存させました。またその裏で、各勢力に資金を提供して戦わせ、大儲けをしてきた(それも江戸時代から現在に至るまで)金融資本家たちもいるようです。
 
 GHQはいわゆる東京裁判という茶番劇を立ち上げて、A級戦犯と言われる人たちに戦争責任を背負わせましたが、真犯人と呼ばれるにふさわしいのは、こういうスパイたちであり、或はスターリン、ルーズベルトといった人たちであり、また金融資本家たちなのであります。
 BC級戦犯といわれる人たちの裁判や処刑はもっとひどいものでした。これはマッカーサーガ自分の占領政策を円滑に進めるため、諸外国、中でも植民地を失ったヨーロッパ諸国の復讐心のはけ口として思いついたもので、後にマッカーサー自身も後悔したほど理不尽なものでした。
 ここまでわかってきておりながら、そういう知識はまだまだ日本人のごく一部でしか共有されておらず、相変わらず大部分の日本人は、このいわゆる東京裁判史観をしっかりと抱え込んだままであります。
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日本人の罪悪意識は徹底した洗脳工作の成果
 こういう、日本人だけを一方的に悪者にする歴史観を、戦後の日本人はほとんど日本人自身の手によって作り上げたのです。それを担ったのが、それまで学会や言論界や教育界や報道機関から大量に追放された人々の後を埋めるために入ってきた人たちでした。GHQはそれらの人々を巧みに利用しながら、裏で秘密裏に厳重な言論統制をしいて、日本人に徹底的な罪悪意識を植え付けるよう、その人たちの言論を誘導しました。 
 例えば、報道内容は全て事前に検閲され、GHQにとって都合の悪い情報が絶対に流れないようにしました。また焚書(ふんしょ)というのを行なって、8千冊近い著書が好ましくないものとして闇に葬られました。
 そのようにして、GHQや諸外国にとって都合の悪い情報や、日本人とって有利な誇らしい情報などが徹底的に排除されました。特定の政治志向を持った日本人たちがそれに協力して高い報酬を得ました。それが戦後民主主義社会の言論の自由の実態であります。焚書になった書籍は今でも有益なものが多く、復刻されたものもあります。
 
 今でも8月15日頃になると、新聞には反省の記事が載ったりしますが、私に云わせればそもそも反省の仕方自体が見当違いで、自分たちだけが一方的に悪かったなどと思い込んだりするのは、諸外国が我々以上にしたたかでずるがしこく、残虐でもあることを知らないからか、わざと無視しているからであります。これらの国々が、勝つためにはどんな汚い手でも平気で使ってきたことも、今では明るみに出ています。こんな歴史観を後生大事に抱え込んでいるのは、未だに外国との情報戦、謀略戦に敗れ続けているということなのであります。反省すべきだとしたら、まずそこなのです。
 それに、先の大戦の日本軍に対して、少しでも肯定的な評価をしようものなら、外国からならともかく、まず日本人の方から、あの戦争を美化するのか、正当化しようとするのかなどと罵声が飛んできそうです。長年購読してきた新聞では、これはもう条件反射みたいなものでした。
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ありのままを知るだけで、我々の歴史は充分誇るに足るものである
 こんなことでは愛国心を持ちようがなく、外国の侵略を受けても、国を守ろうとする気力も沸いてきません。この種の意識調査では、愛国心も国を守ろうとする気概も、毎回日本人のみが異常に低い数値を示すのです。
 あるバンドが日本という母国を愛する思いを歌った曲を発表したところ、「軍歌のようだ。愛国の歌だ、けしからん」と批判が殺到し、謝罪に追い込まれたといいます。GHQは日本を弱体化するために、いろいろな手を使って日本人から強固であった愛国心を奪い去ろうとしましたが、まさにその狙い通りになってしまったのであります。

 日本の全てについて言えることですが、ある人が、先の大戦についても、日本の良いところも悪いところもありのままに知るだけで、格別美化や正当化をせずとも充分誇りを感じるに値する、と主張しています。まさにその通りだと思います。あるがまま、本当のことを知るだけで充分なんです。悪いところしか見ない、或はすべてを悪く解釈する方が異常なのであります。
 
 私が日本軍の、広くは日本のこれだけは疑いようもない最大の歴史的功績だと言えるのは、数百年に及ぶ白人の非人道的植民地支配を終わらせる端緒を開いたことであると思っています。それは日露戦争に始まって先の大戦で完結しました。日露戦争の勝利は、白人にはとてもかなわないとあきらめていた世界中の非白人たちに大きな勇気を与え。先の大戦では各植民地国家の独立に直接間接に大きく貢献しました。しかし、そんな日本人の功績を少しは詳しく知るようになったのは、80歳を過ぎてからです。それまでどこからも与えられなかった情報が、ネットを通じてやっと私にも届くようになったのです。インド独立の最大の功労者藤原岩市の名を知ったのも最近のことであります。それ以外にも、もっと知られていい人たち、称えられるべき人たちが一杯いるのに、マスコミは反省ばかりを口にして、そういう人たちの功績を知らしめようとしないのです。

 終戦記念日を顧みるなら、むしろこの人たちに毎年感謝し、大々的に顕彰すべきだと思う人たちについて述べておきます。
 それは、停戦後の8月18日に、占守(しゅむしゅ)島に攻め込んだソ連軍を食い止めて、北海道が奪われることを防いでくれた軍人たちのことです。まず名前を挙げねばならないのは当時北部軍司令官であった樋口季一郎陸軍中将でしょう。この人が、停戦後も、侵略とみなされる攻撃は断固として退けるという決断を下しました。それに応えて、武装を解いて故郷への帰り支度をはじめていた将兵たちが奮戦し、相手側に大損害を与えました。諸説ありますが、日本側の戦死者は、戦車連隊長池田末男大佐をはじめ約800名、ソ連側は3000名と言われています。
 その奮戦のおかげもあって、スターリンは北海道侵攻を断念したのです。樋口中将は満州に逃げてきたユダヤ人の救済の功労者でもありましたが、杉原千畝ほどには知られていません。池田大佐は、一時は作家の司馬遼太郎が尊敬する上官でもありました。こうした事実は、既に何冊かの本にはなっているのですが、日本人にはまだ殆ど浸透していません。私が知ることになったのも、やはり80歳を過ぎてからでした。日本のマスコミは一体何をしていたのか、と言いたくなりますが、これもGHQの洗脳工作によって、すっかり日本の軍人を憎みさげすむように仕向けられているからでしょう。しかし、ここ数年の間に、各地に樋口さんの銅像や顕彰碑が建ち、記念館まで設けられるようになったらしいのがせめてもの救いです。
 また、同じ奈良県出身の高市早苗さんが、こんなことを言っているそうです。
 「私たちが生きている『今』…それは誰かが命がけで守ろうとした『未来』だった」
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国債にまつわるウソ、国債敵視が諸悪の根源
 最後に、私たちを苦しめるもう一つの深刻なウソについてであります。
 それは、日本で一番頭がいい人たちの集団であると思われている財務省のお役人たちが、誤った信念にとりつかれてしまって、30年以上日本の経済を低迷させてしまっていることです。もちろん低迷の原因はアメリカの不当な圧力のせいでもあるのですが、財務省がしっかりしてくれてさえいれば、これほどひどいことにはなっていないはずです。
 
 一番の問題は、国債というものを、日銀が買い上げて予算化して民間に供給した分さえ、国の借金だと言い張っていることです。これが本来なら大ウソなのです。そのためか、国債をあまり活用しようとせず、税金だけに頼ろうとして、狂ったように税金を上げまくって国民を苦しめています。
 デフレがかくも長く続くということは、民間への貨幣の供給量が少なすぎるということです。最近の物価の高騰は、単に輸入品の価格が高騰しただけで、デフレであるという実態は少しも変わっていません。こんな時こそ国債を活用して財政を拡大し、民間への貨幣供給量を増やして消費を活性化すべきなのです。発行した国債のうち、日銀買い上げ分は、どれほど累積しても、物価が安定しているかぎり、何の問題もないのです。本来なら返す必要などないからです。
 それなのに賢いはずの財務省のお役人が、国債活用を渋るには、やはりそこにもGHQの陰が見え隠れするのであります。彼等の先輩たちには、どうやら先の大戦についての「痛切な反省」があったらしいです。とりわけ、国債をどんどん発行して戦艦大和のようなものを作ってしまったことへの反省があったらしいのです。そのため、国債さえ上手に活用すれば戦艦大和建造に匹敵するような大事業も可能になるんだ、と言った前向きの発想にはならずに、くれぐれも国債の乱用を慎み、「健全財政』を貫くようにというような申し送りが徹底されるようになってしまったらしいです。つまり、国債に頼るのは邪道だと堅く思い込むようになったのであります。

 おまけにGHQの意向も働いてか、「国債60年償還ルール」という、日本だけにしかない有害無益なルールを作ってしまいました。これが「本来なら」という但し書きを入れねばならぬ理由です。これは言わば日本に再び戦艦大和を作らせないための予防措置、言い換えるなら、日本弱体化政策でありました。これある限り、確かに日銀買い上げ分の国債もすべて国の借金になってしまうのです。そして、せっかく搾り取った税金がちょっとでもその無意味な「返済」に当てられるなら、その分だけ市中に再供給されなくなるのです。つまりは血税をわざわざドブに棄てたことになるのであります。
 つまり、いま日本政府が真っ先にしなければならないことは、このルールの撤廃なのですが、安倍さんでさえ出来なかったことを、いま総裁選に名乗りを上げている9人のうち誰がやってくれるのか、極めて心許ないのです。可能性があるとすれば、高市さんぐらいですが、まだまだ力が弱すぎます。それでもあきらめずに、こういう知識が1人でも多くの国民と共有されるよう努力しながら、今は祈って待つしかないのであります。
 安倍さんは財務省について「国が滅びても、財政規律が保たれてさえいれば、満足なんです」と批判し、それに対して元大蔵事務次官の齋藤次郎氏が「財政規律が崩壊すれば、国は本当に崩壊してしまいます。」などと反論しています。私がそれに全く説得力を感じないのは、財務省の真の使命は、単に国家財政の帳尻合わせをすることにあるのではなく、国民にとって必要不可欠な財やサービスの供給能力を維持し高めながら、需要と供給のバランスが保たれるよう、常に大局的な見地から目配りをすることにあると考えるからであります。もちろん、それは政治家の役目でもありますが、財務省は財務省の立場から、越権行為にならぬ形でそれを補佐すべきだと思うのです。

 いつもながら、これのどこが信心の話かと思われる向きもありましょうが、これらの大きなウソ、誤りが正されない限り、誰が政権を担おうと自分も全国民も救われない、そういう私自身の信仰と密接不可分の話として聴いて頂きました。
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談話室より
 M.O2さん(男 教会長の弟 83歳) R6.10.月

 中々の大作、長文を避けるため、本筋だけに応答して呟きます。
 高市早苗さんの「首相になったら靖国神社参拝」に対して、「中韓よりも米国民主党の猛反発が恐ろしい」との発言がありました。A級戦犯を神とするのは怪しからんと言うことらしい。そもそも「東京裁判が不当なものであった」と言うのは、米国の正当性の根幹を否定するものと考るらしい。現状では、中露に対し、米国を手放すわけには行かない。一方、この壁を越えない限り、何時までも卑屈でいなければならない。米国世論への働き掛けから始め、時に激論を恐れず、感情的なしこりを残さないように気を付け乍ら説得するしか無かろう。
 東京大空襲や原爆投下は、被害の深刻さを知らずにやったと言い逃れられても、1945年8月1日、日本向けの毒ガス発送開始は、本土決戦に使用するためではあるが、第一次大戦でその残虐性が公知であり、明らかな人類への冒涜である。未遂とは言え許せない暴挙である。

 占守島の戦いは昭和30年代には知っていたが、15年前「ソ連軍上陸す」でより詳しく知った。その後NHKでもやっていた。ソ連軍の損害は3千~2万と情報源で随分幅が有るが、甚大だったことは確実らしく、その後の千島列島南進を遅らせ、南千島侵攻に至っては「抵抗あれば退却せよ」との指令が出ていた程である。国後・択捉は、骨がある人物の決断が有れば占領を免れた可能性が大きい。しかし終戦の詔勅後日数が経てば武装解除も進み、抵抗には無理があったであろう。ソ連の主張は、9月2日の正式調印迄は戦闘継続が当然、2日で侵攻を停止したから北海道には上陸しなかった。ソ連は国際法を守る国である。樺太では、調印後も抵抗した日本軍兵士達を、国際法違反として埠頭に並べて銃殺したと言われている。フルシチョフは吼えた!「南千島を欲しければ武力で取りに来い」ロシアはそういう国なのだ。逆に庶民は日露戦争に勝った日本を「軍事大国」として一目置いていた。第一次大戦では日露協同戦線を熱望したのである。

 国債は、日銀引き受けである限り、問題は無いと考えられるが、他国に買い取られたりすると、政治利用されて面倒なことになる。労働人口が減少するのに経済成長は無理がある。生活が安定している限り、無理なインフレは不必要と考える。
 去年、黒田元日銀総裁の講演会に、幸太と一緒に参加したが、終了後群衆を掻き分け、タクシー乗車寸前の本人を掴まえて質問した。「バブル崩壊とその後の経済停滞をどう考えるか!」に対し、「半導体等、米国の要求にもっと抵抗すべきだったと後悔している」。クルマも半導体も、米国はごり押ししたが、結局日米共に凋落し、周辺国は漁夫の利を得た。
 米国の主張を抑えることは米国の為にもなることを、どう説得するか、弁士を育てる必要があるのか?それにしても米国抜きでTPPをまとめた茂木さん、大したものだ。

 教会長より

 確かに標準的アメリカ人は、定まった歴史観に異議を唱えると「歴史修正主義」だと言って猛反発するらしい。新しい事実が判明するたびに歴史は修正されねばならないのだが、英語による説得力を備えた人材が多数育つのを待つしかないか。我々に今出来るのは、せいぜい同胞の中に同じ考えの人を増やしていくぐらいのことである。
 原爆も毒ガスも残虐さは変わりないが、原爆はまだまだ数多く落とす気でいたそうだ。その原爆の開発と投下には、チャーチルも深く関与していたらしい。難攻不落のシンガポール要塞をあっさり落とされ、自慢の戦艦を簡単に沈められた恨みは余程深かったようだ。
 終戦後に北海道占領を防いだ軍の話は、昔からうっすらとは知っていたが、具体的なことは何も知らず、感謝することもなかった。

 国債が他国に買われる心配もさることながら、日本が保有させられている巨額のアメリカ国債について、「売りたい誘惑」についてちょっと口にしただけで、橋本総理大臣は失脚させられてしまったとか。
 聴衆をかき分け、黒田前総裁に問いただすとは見上げた根性である。
 日本を没落させた1986年の日米半導体協定、1994年から始まった年次改革要望、更にはバブルの崩壊までアメリカが仕掛けたことがわかってきている。しかし、それ以上に危険な隣国の侵略を防ぐには、そんなアメリカをも味方につけておくしかないわけだが、上手につきあえるようになるには、国民の胆力と結束度をもっともっと引き揚げる必要がありそうだ。
 今の国民生活は安定しているのではなく、必要なあらゆる予算がどんどん削られていって、じり貧状態にある。
 目指すべきは経済成長ではなく、あくまで必要不可欠な材やサービスの供給能力の維持向上である。一番欠けているのが災害対策らしい。「コンクリートから人へ」というスローガンで、すっかり土木業界を萎縮させてしまった。


 S.Sさん(男 60代 海外在住)R.6.10月

 二人の青年詐欺師の話は読んでいる途中で気づきました。今工事現場やコンビニでクタクタに働いても20万円。そこから税金、社会保障費を引かれると手取りは13万円位。
 それに比べると詐欺師の方が儲かるので、詐欺が横行するのだと思います。
 湯川安太郎信話集の中に、バチモン、例として上の部分がない蚊帳、を販売してめぐりを積む話があります。どの時代も詐欺師はいると思いますし、治らないと思います。

 金光新聞に取り上げられたのは凄いですね。
 冗談抜きで、奈良県大和高田市の全家庭に配る価値はあると思います。
 「いつでもどこでも一人で無料で形に捕らわれない、神様に向かう信心」現代社会では共感する人も多いと思います。
 ただ、一人では神様のことの深堀が難しいかもしれません。金光様の時代でも笠岡、西六、才崎、由宇、芸備等直接ご裁伝を受けられた方々の情報交換があったと推測されます。やはり一定のコミュニケーションは必要かと。

 一方、最初のころ、或いは人によってはグループや教会に所属した方が継続するケースも多いと思います。昔の講のスタイルを見ても。
 金光様も「柱はたくさん建ててある」とおっしゃっているので。

 子孫繫盛家繫盛いいですね。
 漫画を描かれるお孫さん、娘さん夫婦が同居、それに伴うリフォーム工事。具体的におかげが目に見える形で現れてきていると思います。

 教会長より
 基本は4要素で表せる信心だとしても、そういう信心を養うための指導者や施設や組織や連帯の必要性が出てくることは言うまでもありません。最初の話でも金光新聞の話でも、そのことにはもちろん言及してあります。
 金光新聞では、例の「絶対他力、絶対信、絶対感謝」なども取り上げてくださっていました。
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