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4 我が信心を語る |
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皆様には布教六十年記念大祭おめでとうございます。この度大和の国よりはるばるお引き寄せをこうむり、ただいま過分なご紹介をいただきました角埜(かどの)と申すものでございます。
こちらの教会長先生との知遇を得てから、まだいたって日は浅いのでありますが、そもそもの発端は、私の書かして頂いたものが、たまたまある先生を通じてこちらの教会長先生の手に渡り、先生のお考えに非常に近いということで、お便りをいただいたことにはじまります。
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言葉の力の偉大さと無力さの双方を思い知る |
私自身はこれまで、言葉というものの持つ大いなる力と、言葉の無力さの双方を、存分に思い知らされてまいりました。どちらかというと、言葉の無力さを思い知らされることの方が断然多かったのでありますが、それでもなお、言葉の力を信じて、心の中で練って練りぬいて言葉を搾り出すということをしてまいりました。
そんなことをしても大方は無駄骨かもしれないけれど、それでもごく稀に、その苦心が報いられたと感じさせてもらえることがあるのです。
ずいぶん以前から私は、他教会の大祭などで話をさせていただいたことを文章化して、自分の教会の信者さんや、親類縁者、そして少数の友人知人に配布するということをしてきました。
毎回楽しみにして読んでくださる方々があるにはありますが、大方は無反応と申しますか、どう受けとめてもらっているやらあまりよくわかりませんし、読んでもらえているかどうかさえわかりません。
いちいち「どうですか」と感想を聞くのも気がひけますし、相手の方に、何か言わねばならぬかと心理的負担をかけるのも嫌なんです。
喜んで読んでくださる方にしても、その都度明快な感想がわいてくるわけのものでもないので、結果的にはほとんど何の反響もなかったということもたびたびあります。それでも続けるのは、それが自分の役目であり、自分の資質にいちばん合ったやりかただとも思うからなんです。 |
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助かる事がわからぬまま我が身を練習帳にし、助けられゆく途上にある自分を表現 |
「わが身、わが一家を練習帳にして、神のおかげを受けて人を助けよ」という教えがあります。
この教えが、実は私が教会の御用をさしていただく上で、いちばんぴったりくるといいますか、無理がないといいますか、身の丈に合った御用のあり方のように思えて、大きな拠り所にさせてもらっているのであります。
いきなり人の助かりを祈れだの、願いを取り次いで人を助けよなどと言われても、雲をつかむような話で、それをやれと言われればやるしかないのではありますが、その人が一体どうなってくれれば本当に助けたことになるのか、あとからあとから疑問が湧いてきて、途方にくれてしまうのです。
むかし、高橋正雄先生が「助かるとはどういうことかはっきりしない」と言われたとかで、それに対して、当時サンフランシスコ教会長であった福田美亮先生が、高橋先生ともあろうお方が何ということを言われるのか、「わからぬわからぬ」というのがいかにも深い教学であるかのように受け取られているが、そんなのは金光教の信心ではない、などという意味の批判文を書かれて話題になったことがありました。
そしてその後ほどなくして福田先生は亡くなられて、それが死を予期した上で鳴らされた警鐘であったと受け取られた面がありました。まだ六十歳そこそこだったと思います。
福田先生もまた、後に、同じ旧制高校から東京帝大に進んだ学友によって「神様になった快傑」という伝記が書かれたほどの人物でしたが、どちらがよい悪いというより、高橋先生とは人間のタイプがまるで違うのだから、何も無理に考えを統一しようとする必要はなかったのに、と私なら思うのです。
私は当時「金光教青年」という雑誌に載ったその批判文を読みまして、かえって正雄先生に関心を持つようになりました。
普通の人間が「わからぬわからぬ」と言っても鼻もひっかけてもらえないでしょうが、伝説的な大秀才にして偉大なる実践家でもあられた方がそれを言われたとなると、なんだかソクラテスの「無知の知」に通じるような、魅力を感じてしまったわけです。
で、その「助かるとはどういうことかはっきりしない」という言葉が、どういうときにどういう文脈で語られたものかは知りませぬが、私自身について言いますなら、いまだにそのとおりには違いないと思えるのであります。せめて自分自身のことなら多少はわかるのではないかと思っても、それがなかなかそうはいかないのです。
もちろんある程度までは、はっきりと言えることもあります。しかし、このことにつきましては、どう言ってみましても、それで言い尽くせたとは思えません。
何が助かることで、何が助からないことなのかも、そんなに簡単にきめられることではないのです。
そしてまた、実感としましては、自分は信心によって大いに助けられていて有難いとは思いますけれども、まだまだ助かっていないと思える部分もいっぱいありまして、実際、それらがいまだに私を苦しめ続けているのであります。
結局のところ、わからぬながらに信心して自分自身の助かりを求める中で、助かるとはこういうことではないか、ああいうことではないかと表現してみる、或いはこういうことを有難いと思う、こういうふうに助けられてきていると思うなどと、できるだけ人に通じるように生き生きと表現してみせるしかないわけです。
それが「わが身、わが一家を練習帳にして」、それもつきつめれば「わが身ひとり」ということになりましょうか、その「わが身を練習帳にして、神のおかげを受けて人を助ける」ことにつながるのではないかという思いで、そういう文書を配布するということを続けているわけであります。 |
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乙犬拓夫師と出会い、北海道に招かれる |
その反響たるや、これまでのところではまことに微々たるものでしたが、ただ、わずかではありますけれども、根強い支持者がいてくださることが、大きな心の支えとなり、慰めにもなっておりました。
そういうところに、昨年秋に書かせていただいた「うどんが好きかラーメンが好きか」と題する一文が乙犬先生のお目にとまることとなり、思いもかけぬところからお声をかけていただくことになったわけです。
その後、手紙やら、お互いの書いたものやらを遣り取りをさせてもらい、また一度だけ、たまたま新幹線の岡山駅で、仲介をしてくだされた桃山教会の井上嘉広先生とご一緒のところに出会わして頂くことができ、井上先生から紹介していただきまして、その後あれよあれよという間に、こういうところに呼んでいただくことになってしまったわけでございます。
今回のような御用は、私にとりましてはまことに身に余るご指命というべきではありますが、同時に、果たしてそのような任に耐え得るものかどうか、という気後れをも最初は感じました。
或いは遠方からお呼びいただくとなりますと、どうしても、かけていただく費用に見合うだけの話をしなければというような雑念が生じまして、つい肩に力が入り過ぎそうになるのでありますが、乙犬先生の方から、いつもの調子で淡々と思うところを語ってくれさえすればよいと言って頂きまして、少しは気が楽にならしてもらったのであります。
こうした御用にお引き回しいただくということは、まぎれもなく大きなおかげであると受けとめさせていただき、ひるむことなく、喜び勇んで努めさせていただきたいと存じます。
普通よりやや長めにということでもありますので、この時間帯に今から長めの話というのは、少しキツイかとは思いますが、できるだけお体を楽にしてお聞き取りいただきたいと存じます。
たいへん前置きが長くなりましたが、すでにその前置きの中でも触れさせていただきましたように、今日のところは、「我が信心を語る」ということで、常日頃、「わが身を練習帳にして、神のおかげを受け」させて頂こうと、私なりに苦心していることの一端をお聞き取りいただこうと思います。 |
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「苦しい時の神頼み」だけは今も昔も変わらない |
私を神信心に駆り立てるいちばんのもとは、何と言いましても自分の「無知無力」ということにあります。
自分の力の及ばぬことばかり、どうしていいかわからぬことばかりのこの人生において、なんとか補いをつけてほしいと願って信心するわけです。
要するに苦しい時の神頼みであります。それだけは昔も今も変わることがありません。
ようもようもこれだけ有難いことにならせてもらったものだと喜ばせていただく一方で、いつまでたっても心配事を山程抱え込んで、ひたすら愚直にすがり任せるしかない信心なのであります。 |
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日々の生活の中で、神様の生きたお働きを実感したい |
そんな私が、常々願い続けておりますことの中に「信奉者一同、日々の生活の中で、神様の生きたお働きを感得させてください」というのがあります。それは信心して受けられる神様のおかげというものを、いつも生き生きと実感していたいがためなのですが、それがなかなか簡単にはいかないわけです。
どれほど祈っても「神の声」が聞けた試しがありませんし、たちまち願いが叶えられるというわけのものでもありません。
(たまにそういう方がおられるらしいですが、少なくとも私はそういう選ばれた人間ではありません)
私の好きな教えの中に、こういう教えがあります。
『これまでは、神へ参りて、おかげをくだされいと言うてもどるぎり(だけ)、おかげはあるやらないやら、沙汰なし。それでも、一心と拝めばわが心に生きたる神様がござるがゆえに、めいめいに拝んでおかげを受けるのぞ。ここらをよく、氏子、合点をして信心をせよ。死んだ神へ信心してはおえぬぞ…。』
市村光五郎の伝え
これまでに自身が祈ったことはすべて、教祖様もおっしゃる通り「片便で願い捨て」「沙汰なし」でありました。しかし、「それでも、一心と拝めばわが心に生きたる神様がござるがゆえに」だからでしょうか、神の声までは聞けなくとも、心に、それまで思いつかなかったようなことを、思いつかしてもらえるということはよくあるのです。
それに限らず、私は心に浮かび来る思いは、たとえ雑念といわれる類のものであっても、全ておろそかにはすまいと思うております。雑念が自分の心を豊かにしてくれるのだとさえ思います。
また、それらの中から役に立つ思いつきも生まれてくるのです。
しかし、それだけではまだまだ「神のおかげを生き生きと実感する」というところまではいきません。
信心して受けられるおかげを実感するには、やっぱり多少とも奇跡的な色合いを帯びた出来事を授けられることが望ましいのです。
考えようによっては、起こり来ること全てが、神のおかげでないものはなく、森羅万象全てが、まさに奇跡そのものであるとは言えるのですが、そういうことは頭では理解できていても、なかなか実感が伴いません。
そこで、抜目なくあつかましく、こうも祈ることにしております。
「森羅万象奇跡のただ中にあって、更なる奇跡をお授けください」と。
そこまで奇跡に執着するといいますのも、この世には、自分の努力や知恵才覚だけではどうにもできないという、無力感を覚えさせられる困難や心配事が多すぎるからだろうと思います。
奇跡というほどの大げさなものではなくても、いわゆる「お繰り合わせ」であるとか、不思議な「偶然」によって大いに助けられたり、元気づけられたりするということは、これまで何度も経験してきております。
そういうときにいちばん、私自身は神様のお働きを生き生きと実感できたような気になれるのであります。 |
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こんな不思議な「偶然」もあった |
こちらに来さして頂くことが決まって以後のことなんですが、せんだってもこんなことがありました。大阪に住む高校生の孫に、ある事情で英語を教えに行くという成りゆきになったのです。
夕方から夜にかけて十日に一回くらいなら、あまり支障もないし、負担にもならないし、孫と接触が保てていいかもしれないとも思いました。小さい頃はしょっちゅう、あずかったり、遊びに来たり、主な祭事にも参拝したりして、「おじいちゃん。もう十五年がんばってくれたら、あと継いであげるからね」なんてことを言っていたのが、大きくなるにつれて、だんだん孫自身の部活動や稽古事や友達付き合いで忙しくなり、なかなか高田に来れなくなっていたからです。
ところが、教えに行ってやるとは言ったものの、いざとなるとなかなかエンジンがかりません。
記憶はサビついてしまって、単語の綴りさえろくに思い出せないし、目がうとくなって横文字が見づらいし、自信が持てないのです。もともと私の英語力なんて、ある程度文章の意味を読みとることはできても、話すことも聴き取ることもできないといういびつなものです。
これは私だけではなく、多くの日本人が似たりよったりの状態だろうと思います。
少し余談になりますが、英語の教育法については、このままでは駄目だ、もっと話せる英語教育に力を入れるべきだと言う人と、いやこのままでいい、読み取る力の方が大事だと言う人と、ずいぶん昔から論争が繰り返されてきました。
また、早期教育の必要を叫ぶ人がいるかと思えば、それはかえって有害だと反対する人もいます。
そのくせ、いつまでたっても日本人の英語力にあまり進歩がみられないのはどうしてかといいますと、要するに、ごく一部の人たちを除いて、大部分の日本人は英語を話さなくても生きていけるということなんです。日本語だけで何もかも十分にこと足りてしまうということなんです。
それは、どんな複雑な外国語も、そのほとんどを、先人が苦心して日本語に置き換えてくれたり、日本語化してくれたおかげなんです。古くは中国文明を取り入れた時も、近代になってヨーロッパ文明を取り入れたときもそうでした。そういう有難い国に我々は住んでいるということなんです。
英語の上手な非英語国民というのは、過去に米英の植民地であったり、自国語では学問が成り立たず、複雑な思想表現もできないような国の国民ばかりです。
アジアのほとんどの国が植民地化されてしまい、日本もほんとうは危なかったのに、かろうじて独立を保つことができましたのは、幕末や明治の日本人が強い危機感をもってがんばってくれたおかげです。
そういう点からすると、英語を話せないということをそれほど卑下することもないわけです。
かえって今は、アメリカに依存し過ぎているのに、国の独立が大きく損なわれていることに気づかなかったり、そこに平気であぐらをかきながら、まともな軍備や法整備をすることに反対するような人が多くなり過ぎたのが問題だと私は思っているのです。
話を戻しますが、孫の英語の勉強を見てやると言いつつ、ぐずぐずためらいながらも、一カ月ほどしてからやっとテキスト選びにとりかかりました。いきなりむつかしいものを読ませるより、とっつき易いものからはじめた方がよかろうと思って引っ張り出してきたのが、むかしから家にあった唯一の洋書でした。
それはロシヤの文豪トルストイの民話集というのを英語に翻訳して、トルストイがまだ生きていたちょうど百年前に、オクスフォード大学の出版局から出版されたというしろものです。
どうしてそんなものが家にあったのか、父に聞きそびれてわからずじまいなんですが、非常に宗教的な深みを持った内容なので、ひょっとしたら昔のお道の教師養成機関か或いは講習会か何かで、旧制中学卒以上の人向けのテキストとして使われたのかもしれないと推測したりしています。
文庫本くらいの大きさの本の中に、細かい字で二十三篇の物語がぎっしり詰め込んであるのですが、筋書きが割合単純でしかも面白いので、若い頃私自身が引きこもり状態の時代であったにもかかわらず、これだけは興味本位でほとんど読み通すことができたのでした。
しかし、人にきちんと教えようとすると、案外むずかしいものだということは、今になって思い知らされているのですが…。それでもその時は、とりあえずその中からいちばん印象の深かった話の一つを選んで拡大コピ-して、予習しておくようにと郵便で送ったのです。
私が選びましたのは「人は何で生きるか」という題名の話で、双子の赤ん坊をかかえた身寄りのない母親から魂を抜き取るのをためらった天使が、神様から地上に追放されて、三つの課題を学ばせられるという話です。その三つの課題というのは、「人の心の中には何があるのか」「人が知る力を与えられていないものは何か」「人は何によって生きるのか」ということなんです。
そういう話を孫に送りはしたものの、百年前の変色した本からコピーしたという、それだけでもう、我ながらカビ臭い話を持ち出すことになるなあ、という引け目のようなものを感じていました。 |
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古臭い物語が一夜にして書評欄で脚光を浴びる |
ところが、そのコピーが孫のところに届いたはずの、土曜日の翌日のことです。私の日曜日の楽しみの一つは、新聞の朝刊(「毎日」)の書評欄のすみずみまで目を通すことなんです。
毎日新聞の書評欄はなかなか充実しておりまして、三面にわたって書評が載せられているのですが、なんとその日はその第一面のトップに、この民話集のことがとりあげられたのです。トップに据えられるということは、人間や社会について考える上で、いま最も注目に値する本という扱いです。
「あすなろ書房」というところから、五冊のシーズに分けて出版されまして、どれにもむかし愛読したなつかしい題名が並んでいるのですが、その上その第一冊目が、私が選んだのと同じ「人は何で生きるか」になっていました。これが書かれたのは一八八一年のことなのに、その百二十年以上前に書かれた古めかしい話が、このことによって、一瞬にしてもっとも新しく脚光を浴びた物語に変身したわけです。
しかも私にとりましては、これ以上ないというくらい見事なタイミングです。それはまるでこの日の記事に合わせるために、私にぐずぐずためらわせていたかのような、やっぱり自分は何かにあやつられているなあ、誰かに見守られているなあ、と感じさせられるようなできごとでありました。
人によったら、特に信心しない人は、そんなことをいちいち奇跡だの、おかげだの、お繰り合わせだの、めぐりあわせだのと騒ぎ立てるのはおかしい、ただの偶然じゃないかと言うかもしれません。偶然なら偶然でもいいんです。私自身もそういうことはなるべく、「有難い偶然」とか「実に有難い偶然」と呼ぶことにしています。そしてこれまで私は、そういう偶然に何度も助けられたり、元気づけられたりしてきたのです。
今回きいていただいたような偶然は、それほど大きな「実益」を伴うものではなかったのですが、それでも私は、その出来事によってとても元気づけられたのです。時によっては、運命の分れ目になったような偶然や、あのことがなかったらもっともっと困り果てていただろうなあと思うような偶然もありました。
今回の偶然も、まったく実益がないわけではなく、後から話をさせて頂く事柄と、非常につながりをつけ易くなったという実益はあります。 |
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いつも感謝の心が土台にある |
このように言うてまいりますと、そんな不思議ばかりを追いかけているように聞こえるかもしれませんが、もちろん私はそればかりが信心だとは思っておりません。すでに受けているお恵みに気づき、受けているおかげを悟らせてもらえることが、信心することで得られる大きな救いであると考えております。
私は若い頃は不平不足のかたまりでした。自分に欠けているものばかりが気になり、すでに持っているものについては、あるのが当たり前であると思い、あまり感謝の気持ちを持っていませんでした。
また世の中や周囲の気に入らないことを気に入らないと言う、ここがいけないあそこが悪いと文句を言う、それのどこが悪い、とも思っておりました。それが当然であり、正義であるとさえ思っておりました。
(今も変わらぬ部分はありますが)
ところが、教祖様をはじめいろいろな方の教えに接するうちに、そういう不平不足ばかりで感謝の心の薄い自分の姿を、だんだんに醜いもの浅ましいもの愚かしいものと感じるようになりました。
気がついたら、むかしは馬鹿にしていた 「有難屋さん」に、自分もけっこう変身してしまっていたのです。
これは理屈ではなく、感性の問題、感覚の問題なんですね。
そして今では「真にありがたしと思う心、すぐにみかげのはじめなり」と教えられるように、そういう「ありがたしと思う心」がそのまま更なる幸せを生む、と堅く信じて疑わないのであります。 |
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「苦の世界」にも、多くの楽しみが用意されてある |
私にとりましてもう一つ大事なことは、死生の安心を得るということでありました。
何のかんの申しましても、この世では死後のことは結局は未知の領域なので、どのような死生観を持とうとめいめいの自由でありますが、できることなら、明るい元気な心で生きられるような死生観を持ちたいと思うのが、自然な人情というものでしょう。
ところが私が選びとった死生観は、一見少し暗い感じのもので、その死生観からいたしますと、この世は基本的には苦の世界であり、修業のため、償いのためにしつらえられた場なんです。
しかも一時的な滞在場所に過ぎません。ここでは全ての人が期間限定の滞在客なんです。
よく理想社会の実現をこの世での目標に掲げる人がいますが、そういうことを目指すのはあくまで修行のための手段であって、それ自体に私はあまり意味があるとは思えません。
理想社会という固定した社会も存在し得ないと思います。メンバーがたえず入れ代わっていくのですから、それにつれて世の中も変化していかざるを得ないのです。
我々にできるのは、せいぜい後から来る客が少しでも気持ち良く過ごせるように心を配ることくらいです。
そして、霊様の世界からみると、実はこちらの方がむしろイメージ的には暗い死後の世界であり、涙ながらに送り出さねばならぬほど、つらいつらい苦の世界らしいのです。
しかし、つらいばかりでは耐え難いし、修行にならないので、同時に多くの楽しみも用意されています。
そこを悟って、喜ぶべきところはどこまでも喜ばしてもらうことで、生きる力が湧いてくるのであります。
暗い死生観がかえってプラスに働くようになるのです。 |
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当たり前のことが有難くてならない |
したがいまして、信心さしてもらうようになってから、私は普通の人があたりまえだと思っていることが、有難くてならぬようになりました。
人生、食べるということ一つとってみても、食べることの楽しみはまことに多様で奥深いものがありまして、テレビやラジオではしょっちゅう、どこの何がおいしいかにがおいしいとか、何をどうすればおいしいかなどと、グルメ番組や料理番組を盛んにやっております。
ところが、喜びと苦しみはたいてい背中合わせになっておりまして、食べられないときの苦しみもまた深刻です。食べるということは、ほぼ半日期限で待ったなしなんです。
たった半日食べ物を口に運ぶことができないだけで、飢えに苦しまなければなりません。現に今、空腹に悩まされている方がおられるかもしれません(所々で忍び笑い)。
しかし、それはあくまで食べるアテのある空腹です。食べるアテのない空腹とは大違いです。
私自身も、戦中から戦後にかけて、食べられない苦しみを少しだけ経験させてもらいましたので、今ではもう、食べられるということだけで、有難くてならないのです。
私なんかは、昼食時は、たびたびインスタントラーメンに生卵と刻み葱を添えたものだけで済ませることがありますが、それでもそれがおいしくて、大満足なんです。幸せいっぱいの気分になれるのです。
やはり健康でふだん栄養が足りているからこそ、そう思えるのでしょうね。
遠方に住む八十八になる或る老婦人が、縁あって若い頃から、電話を通して何から何まで神様にすがりつつ、おかげを受けてこられました。
今は、自身については体調管理ということがもっとも切実な問題でして、入浴することさえもが大仕事なんです。電話で一生懸命、風呂に入る元気がいただけるよう、また、ことなきよう、体調をくずさぬようということをお願いされます。そして無事に入れたときには、わざわざお礼の電話をしてこられます。
その都度、多少わずらわしく思う気持ちがないでもないのですが、あたりまえの事をおろそかに思ってはなぬ、ということを思い起こさせられるのです。それと同時に、何事においても神様を杖にさしてもらうという、その気持ちそのものが、何よりその方の頭の働きを活性化してくれているのだなあと感じるのです。
ですから電話を受けるときには、どんな場合でも、ゆめゆめわずらわしいという気持ちを持たぬようにと、自分を戒めているのであります。 |
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「人はいかに生きるべきか」も、やはり重要な問題 |
話を少し戻しまして、先程の民話に出てきた三つの課題の答えはどうであったかといいますと、「人の心の中には何があるのか」「人は何によって生きるのか」ということの答えは「愛」でした。
「人が知る力を与えられていないものは何か」の答えとしましては、人には自身にとって真に必要なものは何かということを知る力が与えられていないというのです。
要するに、人間は我が身について配慮するのではなく、お互い、愛によって生かし合うように創られてあるのだ、という結論の寓話なんです。これはほんの一例で、どの話もみなそういう深い宗教性、しかもキリスト教をも超えた、普遍的な宗教性を感じさせられます。
ですから、新聞の書評でとりあげられた本の翻訳者も、大分むかしの人ですでに故人ですが、その民話集に傾倒するあまり、東京帝大を中退して農耕生活に入り、絶対的非暴力主義者となって、兵役まで拒否するに至ったとのことです。
私などは、筋書きの面白さにつられてつい読まされてはしまったものの、そこまでのめり込むということにはなりませんでした。今でもやはり、話としてはなかなか感動的だけれども、人生そんなに単純にいくものではない、という思いの方が先に立ってしまいます。
ここに至りまして、信心上のもう一つの大きな問題が浮かび上がってまいります。
それは、人はいかに生きるべきかという問題であります。
私自身はこれまで、いろんな意味で「真実」というものを大切にしながら信心を続けてきたつもりです。
そしてこれからもそうしたいと考えております。 |
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つねに自分の本当の心と向き合う。自分に正直に生きる |
私がこのお道の信心に深く関心を持つようになって、いちばん救われる思いがしましたのは、信心をするからといって、必ずしも自分を偽らなくてもいいのだということでした。自分のあるがままの姿というものを、大事にすることからはじめればよいのだ、ということがわかったことでした。
それまでは信心というと、なんだか堅苦しいことやわずらわしいことや馬鹿馬鹿しいことばかりを押しつけられるような印象を持っていたのですが、ほんとうに大切なのは、自分自身が何を心底から望んでいるかということなんだということがわかってきたんです。
そしてそれまでは、そのようなことを一度も真剣に考えたことがなかったことに気づかされたのです。
それ以後私は、自分自身をみつめるということについては、かなり熱心にやってきたつもりです。
そしてそういう自分にできるだけ正直に生きるため、それなりの苦労もしてきました。
幸いなことに、私が信心をはじめた頃の教団中枢部には、高橋正雄先生がまだご存命で、人間についての真実を大切にするという気風がみなぎっておりました(今もそういう伝統は生きていると信じておりますが)。その気風について大分県大鶴教会の江田道孝先生が次のように表現しておられます。
『既成観念にとらわれず、真実を真実としてどこまでも自由に問い、人間の助かる道を求め、見いだしていこうとする柔軟な心』
と言っておられるのですが、まことにそのとおりであったなあと思うのです。
そして、そういう気風のもとをたどれば、当然と言えば当然のことながら、やはり教祖様にいきつくというのが有難いところです。私自身が二十年程前に話したことの中で、教祖様の教えに魅きつけられるいちばん大きな要素の一つとして、「なんとも言えない真実味」があるとして、それを「とらわれがない、無理がない、不自然なところがない、独りよがりなところがない、押しつけがましさがない、ハッタリがない、宣伝臭がない、商売気がない、支配欲がない」というふうに表現しておりました。
いま読み直してみて、「ハッタリがない」というだけでは少し物足りないので、「ウソ・ハッタリがない」と言い換えた方がよいという気がします。ここでは否定型ばかりを使っているのでこういう表現になるのですが、要するに謙虚で無欲で真面目で正直ということです。
私はとりわけこの正直さというところに心を魅かれるのです。
教祖様ご自身も「信心は正直がもと」と言われていますが、これはもともと日本の伝統的な道徳観を受け継いだもので、石田梅岩という人にはじまり、江戸時代の庶民の間に浸透した石門心学の基本になるものも、正直ということでありました。そして「信心は本心の玉を磨くものぞや」の「本心」という言葉も、石門心学からきた言葉でして、梅岩が説いた正直は「自己の本心に対して正直であれ」という意味であったそうです。
また、内藤湖南という偉い学者の有名な説としまして、日本人は室町時代の応仁の乱以後、はじめてシナ文化の影響を脱して、正直を尊び、ありのままなる姿を尊ぶという固有の文化をもつようになった、というのがあります。そして、「源氏物語」や「伊勢物語」を、シナの道徳でもなく、インドの道徳でもない、日本国民のいつわらざる人情、正直な性質を書いたものとして尊崇するようになったというのです。
ちなみにルネッサンス以後の西欧の近代文化も、キリスト教という縛りから解き放たれて、人間のありのままの姿を尊重するという方向で発達してきたと思うのですが、わが国が他のアジア諸国に比べて、もっとも早く抵抗なしに西欧文明を受け入れることができたのも、そういう下地があってのことだと推察されるのであります。
そして今も、日本人のそういう傾向は根強く受け継がれきておりまして、わが国のテレビドラマなどにしばしば、「自分に正直に」どうこうしたいというセリフがでてくるのもその表われであると思います。
しかし、正直にもいろいろなレベルがあります。そういう「正直」と梅岩や教祖の説いた正直には、質的に大きな隔たりがあるかもしれませんが、それらを頂点とする裾野の広い表現であると考えるなれば、「自分に正直」という表現でひとくくりにしてもいいと思っております。
そして私自身が信心をするようになってからでも、日本のテレビドラマをあまり違和感なく観ておれるのは、そこに、自分に正直に生きるのが幸せのもとである、というような価値観が大前提として横たわっているからなのではないかと考えているのであります。
よくテレビドラマのことを、ろくに観もしないで、クソミソにえらそうにけなす人がいますが、私はそうは思いません。たとえ五、六十点のできばえの、ありきたりのドラマであっても、息抜きとしてはけっこう楽しめるのです。
あとは信心してどこまでそういう価値観にもとづく生き方を貫徹できるか、それで自他ともにどう立ち行くことができるか、という問題になってくるわけで、そのことに我々日夜腐心しておるわけであります。「殺したいほど憎い」といった正直な気持ちの持ち主もまた助かり立ち行かねばならないのですから…。 |
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本教を例外として、組織・集団は不利な事実をたいてい隠蔽する |
このように正直ということは昔からわが国では美徳とされていますが、組織・集団のことになるとなかなかそうはいかないようで、その集団に不利なことや不祥事はまず隠すというのが常です。
そして隠しきれなくなって、ようやく重い腰を上げて謝罪会見を開くということになっています。
ところが集団としての真面目さ正直さ率直さという点でも、わが教団は突出したところがあるようで、昔から今に至るまで、それを裏づける事例を私も幾つか見聞きしております。
この点は誇りにしていいと私は思ってはいるのですが、時には、果たしてそれでいいのかと不安になることもあるのです。それはただの馬鹿正直ではないのか、という不安も頭をよぎるのです。
例えば敗戦後、占領軍から各教団に、戦争中の戦争協力のあり方について報告を求められた時、飛行機を何台献納したとか、中国大陸でどういう教化活動をしたとか、本当のことをありのままに報告したのは、わが金光教だけであることがわかりました。
それは各教団がどういう協力をしたのか、あらかじめ調べがついていたために明らかになったことなんですが、幸いこの件については、本教がかえって高い評価を受ける結果になったのでよかったものの、場合によっては、教団が取り潰しになる危険性も大いにあったのでした。
実際、当時中枢部におられた先生方は、その覚悟もなされたようでして、それでもその時はそれがお国のためと信じてしたことなのだからと、すべてをありのままに報告することにされたようです。
まあ、いざとなると、倫理道徳の一番の担い手であるはずの宗教団体でさえこの有様なんですから、他の組織や集団が、自らの組織・集団を守るために不利な事実を隠蔽しようとするのは、当然過ぎるほど当然と言えます。そのくせ、いったんそれが発覚すると、世間やマスコミは、何故隠すのかと、ここぞとばかり責め立てます。自分たちもまた必ず同じ振舞をするのだ、ということは念頭にないようなのが、滑稽千万です。
そのように、組織集団というものは、自らを守るためには必ず、不利な事実は隠そうとするばかりではなく、ありもしないウソをつくことさえあります。
戦時中の戦果についての「大本営発表」というのがその典型です。戦況が不利になってくるにつれ、ウソは拡大する一方で、当時でもそれを信じる人は少なくなってしまいました。 |
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国柄によっては、宣伝のためならどんなウソでもでっち上げる |
ところが、現在でも多くの人々に信じ込まれている組織的なウソも少なくありません。
国柄によっては、宣伝のためなら手段を選ばず、どんなウソでも平気ででっち上げる人たちがいるのです。
かの「南京大虐殺」という、世界中に流布する大宣伝もその一つであります。
こうした問題を憂慮する点では、こちらの教会長先生とも考えを同じくする点が多々あると思いますので、ついでのことにちょっと触れておきたいと思います。
この「南京事件」宣伝が事実とあまりにもかけはなれていることは、すでに日本国内の多くの出版物によってつぶさに検証されてはいるのですが、いったんその宣伝を事実として世界中の人々が信じ込んでしまうと、容易なことではその誤解を打ち消すことができません。
その上、先に述べたような語学の壁が、残念ながらこういうところでは裏目に出ておりまして、有効な反論をなかなか世界に発信することができないでいるのです。
さらに困ったことには、国内においてさえ、それらの宣伝をすっかり事実として受け入れようとする勢力があって、むしろまだそういう人たちの影響力の方が強かったりするのです。
そういう宣伝のウソが立証された実例を一つだけ挙げますと、ご存じの方もおられましょうが、一、二年前、戦時中から現在にかけて中国側が用いた宣伝文書の中で、虐殺の証拠として使われた百数十枚の写真の一枚一枚が、ことごとく偽物であることを検証した本が出ました(「南京事件『証拠写真』を検証する」草思社)。それらは合成写真であったり、他の場面から借りてきたものであったり、中には、戦時中の「朝日画報」の写真に、事実と正反対の説明をつけて使ったものまでありました。
また当時、世界に向けて客観的な報道をしたとされていた、イギリス人やドイツ人が、実は国民党の秘密工作員であったことをも、その本は明らかにしています。 |
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そういうウソを立証する本を新聞の書評欄はとりあげない |
ちなみに私は、こういうわが国にとって有益極まる労作は、きっとさっき触れた書評欄でも取り上げられることだろうと楽しみにしておりましたのに、いつまで待ってもいっこうにとり上げられる気配がありません。
そのうちにわかってきましたのは、毎日新聞は他ならぬその南京事件に関わる “虚偽” の報道で、朝日新聞と共に裁判で訴えられる立場にあったのだということでした。
これはいわゆる「南京大虐殺」の中でも、特定の個人の冤罪に関わる訴訟で、当時の東京日日新聞(今の毎日新聞)の浅海という記者が、景気づけのために南京進撃中の二人の少尉による「百人斬り競争」という、およそあり得ないような記事を、半ばでっち上げて報道したのが戦後に問題となり、名前を使われた二人の少尉は、BC級戦犯として処刑されてしまったのです。
その報道をした浅海という記者が(もう故人ですが)二人の無実を証言することを回避したということで、後世微妙な立場に置かれることになります。有り体に言えば、卑怯者という印象を拭えません(おまけに戦後は日中友好の旗振りまでするのです)。
その後、今から三十年程前に、鈴木明という方が「南京大虐殺のまぼろし」という本を書いて、「百人斬り競争」の話が荒唐無稽なものであるという主張を展開してみせ、それが私の記憶では、虐殺説に疑問を呈した最初の本であったと思うのですが、その後研究はどんどん進んで、今では虐殺宣伝のからくりは国内ではかなり詳細に解明されてきております。
鈴木さん自身も近年、亡くなる前に、さらに充実した新版を書き残されたようです。
そうしたことをもとに、近年、処刑された少尉たちの遺族が、 “ウソ” の記事を載せた毎日新聞と、高山正之氏の言葉によれば「反日・中国の好みに合わせ嘘を承知でどぎつい脚色をした朝日と本多勝一」を、名誉を傷つけられたとして訴えたわけです。
ところが、最近下された一審、二審の判決は、共に原告側の敗訴という結果がでたのです。
けれどもどういうわけか、毎日新聞は自社が勝訴したにもかかわらず、二回ともそのことをあまり大きくは報道しませんでした。そこに社の編集部の本音があらわれているような気がします。
先輩記者たちのしでかしたことに、ほんとはあまり関わりたくないと思っているのかもしれません。
伝聞によりますと、朝日の方は相当はしゃいでいたように聞いておりますが、自分の目で確かめたわけではありません。
最近インターネットに加入してから、この裁判についていろいろ調べてみましたところ、両方の立場からの多様な意見や情報があるものの、結局どこまで行っても水掛け論という印象でした。
そして、判決が覆らなかった一番の原因は、「百人斬り」の真偽はともかく、少尉たち自身が、そういうホラ話に乗っかってヒーローとなり、そのうちの一人が郷里の小学校で講演までしてしまったことにありそうだ、ということがわかりました。
つまりこの場合は、ことの真偽が問題なのではなく、そういう時代の波の中で、戦意高揚のためとはいえ、当人たちが自らヒーローを演じてしまったことが、致命傷になってしまったわけです。
あまり深追いする時間がありませんが、この問題は南京虐殺説の中のほんの一断片にしか過ぎません。
この件につきましては、それ以外に晴らさねばならぬ濡れ衣が山程あるのです。 |
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外国を相手に、無条件の反省はかえって有害 |
私共にとりまして、反省と改まりということは信仰的にとても大事なことです。
枝葉末節の事柄の是非善悪についての関心にのみ心を奪われて、宗教者としての大所高所からの反省と祈りを忘れてはならぬとは思うのですが、それにしましても、外国を相手に反省するときは、余程慎重でなければならないと思います。
盲目的な反省や無条件の反省はかえって有害です。一億総懺悔的な反省はもうやめた方がいいと思います。我々は敗戦直後からのそういう風潮をいまだに引きずっているように見えるのです。
また、まだ年端も行かぬ中学高校生を、修学旅行などで、外国にある日本の悪事なるものを展示した施設に連れていくのは、絶対にやめるべきです。
小林秀雄という人は、そんな総懺悔的風潮が一番強かったさ中に、「俺は馬鹿だから反省なんぞしないよ。賢い人は気の済むように思いっきり反省したらいい」とうそぶいたそうで、それがいまだに語り草になっています。最高の知性の持ち主と目された人がそう皮肉ったということで、当時はかなりの衝撃だったようです。
今我々に必要なのは、そんな無条件の反省ではなく、ここは悪かったけれどもこの点は悪くないぞとか、それはウソだとか、それを言うんなら、お前たちもこんなことをしたではないかとか、きちんとした自分たちの “言い分” を持つことではないかと思えてならないのであります。 |
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イデオロギーからも距離をおいて、あくまで自分の心を大切にしたい |
最後にもう一つ、これも「自分に正直」の延長線上にあることですが、特定の主義主張、いわゆるイデオロギーよりも、あくまで自分の心を信じたいと思っております。もちろん他人様の考えも大いに参考にはしますが、最終的には、いかに生きるべきかも、生きる目標も自分の心で選びます。
しかし、それはあくまで神様を杖にした上でということです。神様を頼っていれば、いつも自分にもっともふさわしい思いや願いを授けてもらえると信じているからです。私はよく「何はなくとも、人間に心さえ授けられてあれば、それで何千年でも何万年でも信心はしていける」という言い方をいたします。
以前私は信心の要諦として示されたものが「身の上のこと何なりとも(実意をもって)願え」ではあまりにも行き当たりばったりで漠然としすぎる。何か人として願うべきこととか、究極の願いというものが示されてしかるべきだと思っていました。ですが今となりましては、よくもまあそんないらざる枠をはめ込まずにいてくだされたものだと、感謝したい気持ちでいっぱいなんです。
そして誰か偉い方が、そんなに目先目先のことを何でも願うだけではいけませんよ、これこれこそが人として願うべき究極の願いですよと教え示してくだされたとしても、私としましては、有難うございます、そのことはいつも視野に入れさしてもろうときます、でも私は、今この時自分が真剣に願わずにおれぬことを願い続けるまでで、それらがその時その時の私に授けられた、のっぴきならぬ必然の願いなんですと答えるつもりです。先程の老婦人にとって、入浴についての願いが重大事であったようにです。
それからまた、これまで私共は大小様々な主義主張、いわゆるイデオロギーというものに、導かれ鼓舞される反面、かえって振り回されたり悩まされたりすることも多々ありました。
その最たるものが、前世紀においては社会主義、共産主義といわれるものでありましたが、信仰の世界においても、様々な教えや主義主張や戒律や信念によって、かえって縛りつけられたり悩まされたりすることが少なくありません。本教にも、そういうものが比較的少ないとはいえ、まったくないわけではないのです。
そういうイデオロギーとか信念とかいうものは、言わば固定観念でありまして、それゆえに、とりわけ時間が経つとともに、実際の社会の動きや個々人のいのちの動きというものに対応できる柔軟性を失ってしまい勝ちです。
だからこそ私はそうした全てのイデオロギーや信念からは、それらがどんなに立派なものに見えても、つねに一歩距離を置いて、あくまで自分自身のほんとうの心を大切にしながら、ものごとの判断をしていきたいと考えるわけです。 |
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例えば平和主義の主張に共鳴できたことがない |
一例だけを挙げてみますなら、例えば平和主義であるとか絶対平和主義というものは、一見とても良心的で誠実で立派そうな主義主張です。ですから私は、戦後できるだけそうした考えの人々の主張や戦争反対の主張に耳を傾けてきたつもりです。
しかし残念ながら、どういうわけか一度として、そうした主張に共鳴したり納得したり、感銘を受けたりしたことがないのです。
私の目からしますと、それらのあるものは「無責任平和主義」に見え、あるものは「身勝手平和主義」に見え、あるものは「お気楽平和主義」に見え、あるものは「甘ったれ平和主義」に見え、あるものは「ズルズル惰性平和主義」に見え、そうでなければ、人に押しつけることのできない「命がけ平和主義」であったりするのです。
一つ一つについて説明している時間がありませんから、「ズルズル惰性平和主義」についてだけ少し説明を加えておきます。
これはもう理屈ぬきに、今のままがいちばん気が楽だという気分です。アメリカに守ってもらう代償としてどれほど無理難題を吹きかけられようと、独立できていないと言われようと、直接自分の身に何かがふりかかって来るわけではないから、平気だ、とっくの昔に精神的に牙を抜かれてしまって、60年間の間にそれが当たり前になってしまって、いまさら変われと言われてもどうしようもないではないか、この気楽な状態がいつまで続けられるかはわからないけれど、もう行けるところまでズルズル行くしかないではないか、といった感じでしょうか。
こういうふうに想像がつくというのも、自分自身の中にも巣くっている或る種の気分をありのままに言ってみただけだからです。
私自身は、しかるべき軍備を持ち、しかるべく法整備もした上で、できるだけ武力は用いないで済むように苦心するのが、健全な平和主義だと考えていますが、今の憲法を変えられるかどうかについてはかなり悲観的であります。たとえまちがった平和主義であっても、ここまで国民の間に既成事実として定着してしまっては、今更覆すのは容易なことではないなあと思うのです。安倍さん程度の力では、護憲派勢力の人々に寄ってたかって潰されてしまうのではないかと、案じられてなりません。
しかしそれでも私は、私が考える「正常な状態」に戻すことができるよう、あきらめずに願い続け、その上で更に、世界の平和を願い続けるつもりであります。 |
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おかげを受けてホームページを開設した |
長時間にわたって御静聴頂きましたが、最後の最後にもう一つお知らせと感謝の気持ちを申し上げておきます。最近、私方の教会のホームページを開設させていただくようになり、はじめの方で申しました「うどんが好きかラーメンが好きか」という話もそこで読めるようになっております。
パソコンをお持ちの方で興味のおありの方は、一度覗いてみて頂けたらと存じます。
このホームページ開設につきましても、思えば、いろいろなおあてがいや、お繰り合わせや、お差し向けや、お引き回しを頂いております。もともと私は長いことワープロばかりを使っておりまして、パソコンなどまだまだ使う気はなかったのでありますが、たまたま千葉県に住む実の弟が、新品のパソコンが一台いらなくなったからというので、わざわざ遠方から運んできてデンと据え付けてくれたのです。
しばらくは手をつけずにおりましたが、それを日々目にするうちにだんだんと、ホームページというものを持ちたいという思いがつのってまいりました。
私の意識というのはどちらかというと、いつも教内よりも一般社会の方を向いております。自分の考えを社会に直接問うための窓口がほしくなってきたのです。しかし自分の考えがどこまで通用するものなのか、一向に自信が持てず、ぐずぐずためらう気持ちがありました。
そんな折しも、こちらの乙犬先生が精神面でいろいろと元気づけてくださり、ホームページ開設に踏み切るについて、ポンと背中を押してくださったような気がしております。
それがどれだけの成果を生むものなのか、まだまだ未知数ではありますが、やっとその第一歩を踏み出させて頂けたことをたいへん有難く思わして頂いております。
そのホームページの中に、今は二つの話だけを掲載しておりますが、このほど佐藤愛子さんの小説に題材をとった「『血脈』を生んだ霊現象」という話(こちらでも何かの折に読み上げて頂いたと聞いておりますが)をつけ加えたいと思いまして、ご本部の指導に従って原作者の佐藤さんの了解を求めましたところ、数日前、「私の『血脈』がお役に立てるのなら、どうぞお使いください」との返信をいただきました。
それに続いてさらに「『血脈』の要約を拝読し、失礼ながら感心してしまいました。これほどきちんと要約されたものを今までに見たことがありません。有難うございます」と書いてくださっていました。
赤線を引いた引用部分だけではなく、全体に目を通してくださった上、そのような言葉までかけて頂き、これまでの苦心が大きく報いられた気がしました。
私の毎日は、相変わらずほとんど報いられぬ苦労の連続のようなものでありますが、ときたまおあてがい頂くこうした出来事から元気をもらって、どんな困難にぶつかろうとも、神様にすがり任せて、心配せず、恐れず、落胆せず、あせらず、そしてけっしてあきらめまいと自分に言い聞かせ、いつも嬉しく有難く元気な心で過ごさせていただきたいと努めておりますことを付け加えて、私の話を終らせて頂きます。
有難うございました。 |
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談話室より |
教会長より H.19.1.25
話をさせていただいた牧場教会、乙犬拓夫先生ご自身より、後にいろいろと感想を書き送っていただきましたが、その中でとりわけ有難かったのは「誰か権威あるものの言葉を口移しにして語るということが一語としてなく」「本心の底より発露された教話であった」とのお言葉でした。
しかし、文書化したものを読んでくださった方々の中には、後半の部分について、違和感を表明するお手紙をくださった方もあります。それをまず紹介し、後に感想を述べます。
S.Yさん(女81歳)
…戦中の歴史の捉え方、反省の重要点、今国家が向かおうとしている流れの判断において、私は先生と違った考えを持っていると思います。このままではいけないと思う心は先生と同一かと思います。私なりに自分の身の廻りから出来ることは勇気を持って実行しなければと思っていますし、世界真の平和達成は遠い遠い夢かも判りませんが、あきらめてはいけないと思っています。
先生と私は対角にあるかも分りませんが、根本は一つだと思います。何が正しくて何が間違いかということは分らない事だと思います。起きていることそのことがほんとうのことなのだと思っています。
ほんとうだと自分が思ったことに正直に従いたいのです。そして私にできることは日常生活の中に神を仰ぎ、よろこびと、感謝とをもって、おはからいのまにまに生かせて頂くことだと、この年になって新しく気付かせて頂いています。
この御手紙を書いてみて、新しく気付いたことがあります。先生の論説に異和感を感じていましたが、対角にあるように思えた先生と私は根本のところで同じ願いに生きているように思えて来たことです。どうぞ今後もうんと勉強して先生の真実を立証して下さい。
高橋正雄先生の「今自分がこのことが真実だと悟ったが、これを公証しなければ本当のものにはならない」という言葉を読んだことがあります。一人でもそれによって助かる人が生れ、手をつなぐ人が増えて、真実は動き出すのでしょうね。
私はむつかしい事は分りませんが、ただ今は、朝夕に尊い命を頂いたことを感謝し、知らずの御無礼を詫び、過ちに気付かせて頂き、そして改まらせて下さいと祈りを捧げています。この祈りを持てるようになってから、生かされている有難さに感動するのです。金光様のお蔭です。先師、先輩のお蔭です。
御手紙を書かせて下さった角埜先生、有難うございました。
教会長より
このお手紙の中に、とても大切な考え方が少なくとも二つあると思います。
一つは、何が正しくて何が間違いかは分らないことである、だからほんとうだと自分が思ったことに正直に従いたいとおっしゃるところです。この、自分の考えに自信を持ち過ぎない、それでいて自分の気持ちを偽らない、というスタンスが、対立する考えのどちらの側にとっても、とても大事だと思うのです。
私は「言い負かし」によって人の考えを変えさせることは不可能であることを、そして人を心底から納得させるということがいかに困難なことであるかをいつも痛感させられています。
いま一つ大切だと思いますのは、考え方は違っていても根本の願いは同じだという認識です。
確かに私は、いわゆる平和論者と言われる人々に負けぬくらい平和を願っています。平和というような抽象的なことよりも、日々の平穏無事を切に願っています。平穏無事を願うがゆえに、今の憲法のもとではかえって安心して暮らせないと考えているだけなのです。
教団の中では、そうしたことをめぐる議論があちこちで自発的に起こりはじめているようです。よいことだと思います。いま述べた2点を踏まえた上で、私もこれからそうした議論に真剣に加わってみたいと思っています。
………………………………………………………
M.Kさん(女) H.19.5.1
北海道へ出向されてのお話、何度となく読ませていただき、先生のあらゆる面でのご熱心なお考えを深くいただきました。北海道の方々もお喜びだったことと存じます。 |
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