大和高田市 宗教法人 金光教高田教会|祈り、救いを求め、自分に正直に生きる。 ホームへ教会のご案内 教会長からのメッセージ
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金光教高田教会、おあてがいのままに
1 おあてがいのままに
大和高田市 宗教法人 金光教高田教会|祈り、救いを求め、自分に正直に生きる。
もくじ
▲ ニートにも大いに同情の余地がある
▲ 自分にもニートに近い時期があった
▲ この世にうらやむべき境遇の人などいない、銘銘の課題を背負って生きるのみ
▲ よいことも悪いこともすべて「おあてがい」
▲ 信心して、おあてがいのままに生きさえすれば、何も心配することはないのだが
▲ 信心して、要所々々で手を貸してもらえるだけでも元気が出る
▲ 人生観が明るいか暗いかで運勢まで左右される
▲ 神仏が信じられぬ結果、ニヒリズムに陥る
▲ さまざまな宗教書を読んで、救われたいという気持ちが芽生えた
▲ 受験を通して「奇跡的な」体験
▲ 祈ることと考えることが好きになった
▲ その偶然は実に価値ある有難い偶然であった
平成一八年五月五日 奈良県 五条教会にて
ニートにも大いに同情の余地がある
 ニートと呼ばれる若者達の存在が、社会問題になっています。
 ニートというのは「通学をしておらず、独身で働いていない三十五歳未満のうち、仕事を探していない人たち」と定義されているらしいですが、要するに働く気もなければ、何かを学んで身につけよう、手に職をつけようともしていない人たちです。
 二〇〇二年時点ですでに八十五万人と言われています。
 今はもっと増えているかもしれません(実際はそんなにいないという説もありますが)。
 お結界に持ち込まれる問題の中にも、それに近い人を抱える人の話を聞くようになりました。
 そういうニートに対して、昼食時に聴くラジオのパーソナリティーなどは、 「嘆かわしい」とか「甘ったれるな」とか盛んに罵声を浴びせかけています。
 しかし、そういう若者の数がそこまで増えているというのなら、そこに何らかの社会的要因があるのだと考えざるを得ません。
 ニートのことを研究しているある学者に言わせれば、多くのニートと言われる人々の実態は、無器用で真面目過ぎる人々なのだそうです。
 その真面目さが仇となって、社会に出て働くことに尻込みしてしまうらしいのです。
 思いまするに、あまりにひ弱に育てられたがために、どろどろとした、厳しく世知辛い世間を前にして、適応する術がわからず、立ちすくんでしまうのでしょう。
 彼らは、今でも世界の多くの国々に見られるような、物乞いやかっぱらいをするしか生きるすべのないような子供時代を送らなくてもよかったのです。
 食べるには困らない程度に育った分、どうしてもひ弱になってしまうのです。
 いわゆるハングリー精神というものが欠けてしまうのです。
 今言ったラジオのパーソナリティーのように、それを批判する人々は、それだけの専門的能力と、たくましさとチャンスに恵まれて、今の働き場所を得た人たちです。
 そういう能力に恵まれた人たちには簡単にできることでも、できない人たちにはできなくて、立ちすくむのです。それを一方的に非難するのは酷だと思います。
 それは実質的には、恵まれている人が恵まれていない人を非難するという構図になっているのだと言えます。ニートと言われる人たちはその人たちで、一人一人がやむにやまれぬ事情をかかえているに違いないのです。
 そう言ってしまえば、テレビでの田嶋陽子さんみたいに、犯罪者に対してでもそういう弁護の仕方をしなければならぬことになりますが、私はどんな事情があるにしても、犯した罪に対しては、死刑も含めてあくまで罰は受けねばならぬと思っていますから、それはまた別問題です。
 ですが、少なくともニートは犯罪者ではありません。まだまだ大いに同情の余地があると言いたいのです。
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自分にもニートに近い時期があった
 そういうことが、ニートとまではいかぬまでも、若い頃の数年間、それに近い状態にあった私には、幾分わかる気がするのです。
 私の場合も、人から見ればなんたるわがまま、なんたるわからずやかと映ったかもしれませんが、そこにはやはり、人知れぬ悩みや、人には軽々しく言いたくない決意なども秘めてのひきこもり生活でした。
 そしてそこには常に、普通の生活からはみだしていることからくる心細さ、恐怖感、重苦しさが身にまとわりついていました。
 普通の生活を送ることのできている人々が無性にうらやましく思えました。
 ごく普通に働き、普通の生活を送れるということが、どんなに幸せなことかとも思いました。
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この世にうらやむべき境遇の人などいない、銘銘の課題を背負って生きるのみ
 今ならば、普通の生活を送ることにもそれなりの苦労がつきまとい、決して楽なことではないし、この世にうらやむべき境遇の人なんて、実はいないのだと思えるようにはなりましたけれど、そう思えるようになるまでには、かなりの年数を要したものです。
 教祖も「人間はみな、生まれる時に約束をしてきているのである」「証文を書いてきているようなものである」と言われますように、たとえ申し分なく幸せに見える人でも、どんなに才能に恵まれていようと、格好よかろうと、富や地位に恵まれていようと、それら全てを持ち合わせておろうと、この世に生まれたからには、何らかの課題を背負わされて生まれてきているのです。
 いいことばかりであるはずがないのです。「生まれた時に、悔やみを言いに行ってもよいくらいのもの」なのです。
 また、そういう人たちに比べて、自分の能力や境遇がどれほど劣るように見えましょうと、うらやむことも悲観することもありません。
 自分は自分にあてがわれた課題、すなわち運命を引き受けていきさえすればそれでよいのです。
 また、どっちみち引き受けるしかないのです。わかりきったことですが、選択の余地などないのです。
 自分の境遇が気に入らないからといって、人のせいや社会のせいにしても、人も社会も、どうしてくれることも、どうしてやることもできないことの方が多いのです。
 ニートになってしまったのには社会的要因があると言ったところで、だれもすぐにはどうしてやることもできません。
 ニートになってしまった人は、自分がニートであるという課題を背負って生きるしかないのです。
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よいことも悪いこともすべて「おあてがい」
 そういう、誰にもどうすることもできないその時々の境遇、自分の意志や計らいや知恵才覚や努力では、どう防ぐことも変えることもできなかった出来事や境遇を、私は「おあてがい」と呼ぶことにしております。
 もちろん、これこそがお恵みと思えるような、自分にとって望ましい出来事や境遇も「おあてがい」です。
 ものごとは単に社会的要因からとらえるだけでは足りません。
 そんなとらえかたをしても、目先の役には立たないのです。
 必要なのは、今苦しんでいる自分が救われていく考え方です。
 よいにつけ悪いにつけ、すべてをひとまず「おあてがい」として受けとめるところから、実は新たな視野がひらけるのです。
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信心して、おあてがいのままに生きさえすれば、何も心配することはないのだが
 「おあてがい」という言葉に、私はいつも不思議な安らぎを見いだします。
 というのも、これは、出来事や境遇の背後に、我々が神と呼ぶ存在の眼差し、計らいを感じさせてくれる言葉だからです。
 先程の教えの続きは「どういう災難があるとか、こういう不幸があるとか、いうことは決まっているのである。神はよくご承知なのである」となっています。
 何事も神がご承知とあれば、よいにつけ悪いにつけ、むしろ状況がつらければつらいほど、「これが今の自分へのおあてがいなのだ」というふうに考えることができます。
 そして「おあてがいならやむを得ないなあ。まあ元気を出して受けていこう」という気持ちに不思議となれるのです。
 「おあてがい。おあてがい」とつぶやくだけでも、つらさが和らぎます。
 このように神にすがった上で、何事も「おあてがいのままに」お任せし、感謝して生きていくというのが、信心する者に与えられる安心であると言えます。
 結局人はおあてがいのままに生きるしかなく、信心して、おあてがいのままに生きてさえいれば、何も心配することはいらないのでありますが、私どもはついついそのことを忘れて、心配したり、恐れたり、落胆したり、あせったりを繰り返すのです。
 似たような言葉に「お差し向け」というのもあります。起り来る出来事が、ある計らいのもとに自分に差し向けられたと感じる受けとめ方です。教祖もこの言葉をよく使っておられます。
 またあるとき「お引き回し」という言葉が好きだと言った先生もおられましたが、なるほどと共感を覚えました。
 これは猿回しの猿をイメージしたような表現ではありますが、「お引き回しいただく」となりますと、目に見えぬ綱であやつられて神様に使っていただくというイメージが得られ、安心感がわいてくるのだと思います。
 「おくり合わせ」というのもいい言葉ですね。有難い言葉だと思います。
 先程の教えの更に続きは「信心を強くすれば、大厄は小厄にしてくださり、小厄はお取り払いくださる。
 それが、おくり合わせをいただくということである」となっています。津川治雄という方の伝えです。
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信心して、要所々々で手を貸してもらえるだけでも元気が出る
 私自身は、あまりに困難な状況が続くとき、つい「どうか元気の出る出来事をお差し向けください」と願うことがよくあります。
 信心したからとて、けっして苦労がなくなるわけではありません。それも、欲が深ければ深いほど苦労や挫折も大きいのです。私など欲張りなものですから、今にいたるまで相変わらず失意の連続です。
 私が信心する一番の動機は、別に立派な生き方をしたいからでも、高級な、いわゆる根本的な安心立命とやらを得たいからでもありません。
 最初の頃から今にいたるまで、相も変わらず苦しい時の神頼みを続けているだけであります。
 それでも教えに日常的に触れていれば、結果的にある程度ましな生き方ができたり、ある程度の安心が得られたりはするのです。
 そのように毎日々々思うようにならぬことばかり、無力さを思い知らされることばかりでありますが、苦しさは変わらなくとも、要所々々でヒョイヒョイと手を貸してもらえるだけでも、ずいぶんと助かります。元気が出るものです。
 私の場合、そんな最初のヒョイは、今言いましたひきこもりの時代に受けたおかげであります。
 どうすればニートから抜け出せるかという一定の処方箋を知っているわけではありませんが、私自身はそれをきっかけにひきこもり状態から抜け出す端緒をつかめたのであります。
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人生観が明るいか暗いかで運勢まで左右される
 その時の話はあまり自慢になる話ではなく、むしろ不名誉な事柄と抱き合わせになりますので、人前ではずいぶん長い間しておりません。
 それを久しぶりに聴いていただこうと思うのですが、話すと長くなりますので、できるだけ手短に要領よく申し上げたいと思います。
 私の場合は、要するに、自分が育てられ生活の場としていた本教の教会及び教団と、一般社会と、そのどちらにも適応できなくて、行き場を失っていたと言うことができます。
 しかも、将来の進路の選択と、信仰を受け入れるか否かということが、私の場合、直接現実的に関わりを持っていたわけで、ちょうど受験期にそういう深刻な問題を突きつけられたかたちになりました。
 更に言うなら、人生そのものが巨大な謎として、理不尽として、重荷としてのしかかっていました。
 言わば、人生について誰もが一度は抱くであろうと思われるような観念的な悩みと、自分自身及び自身の境遇にまつわる現実的な悩みとが、一度に大挙して押し寄せてきたといった感じでした。
 一人の人間が健全な人生を歩むには、それにふさわしい健全なというか、少なくとも肯定的な明るい人生観が必要です。
 その人の人生観世界観が明るいか暗いかによって、運勢までもが左右されるのです。
 運命というのは一人の人間がたどる人生のある種の枠組み、粗筋みたいなもので、変えるのはなかなかむつかしいかもしれません。
 しかし、運勢、すなわち運の勢いは変えることが可能なのです。
 肯定的な人生観を持てば、大の難は小の難に、良い運命は更によいことになっていくのです。
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神仏が信じられぬ結果、ニヒリズムに陥る
 ところが私の場合は、不幸なことにそれまで自分の中に培ってきたのは、否定的で、悲観的で、懐疑的で、虚無的で、刹那的な、マイナス思考の、暗い暗いものの見方ばかりでした。信じるに足るものが何もない。
 理想も目標もみつからない状態が長い間続いていました。
 何故そういう人間になってしまったのか、これも話せば長くなりそうなので、大方は端折りますが、結局のところ根本原因は、神仏が信じられなかったからということに尽きると思います。

 私が育ちましたのは、ちょうど戦後の混乱期でありまして、言わば「神も仏もあるものか」的な世相の中で、神様を信じていない先生方による戦後民主主義教育というのを受けたのです。
 その上なまじ教会育ちであるということが、さらに神仏不信に拍車をかけました。
 と言いますのも、私の周囲で流通していた信心といいますのは、あまりにも素朴過ぎまして、子供心にも、到底社会からの批判に耐え得るものには映らず、ものすごく肩身の狭い思いをさせられたわけです。
 その結果陥ったのが強度のニヒリズムでした。
 ニヒリズムというのは虚無主義と訳され、いろんな意味に使われますが、私が意味したところは「人生にたいした意味はない。道徳も正義も人道もみな本気で信じるには値しない。ただの約束事でしかない。人の目の届かないところでは何をしたってかまうもんか。目先の快楽だけが全てだ。そして、死んだらそれで全てがおしまいだ」という程度のことです。

 そんな話をさせてもらおうという折しも、そういう心情をストレートに三十一文字に表現した歌が、角川書店から出ている「短歌」という月刊誌の四月号に載りました。
 北海道牧場教会の乙犬拓夫先生によるもので、

 『神と死後もし無かりせば此れの世に懼(おそ)るものなし悪徳なべて』という自作の歌に添えて、一ページを費やして、その歌にまつわる思い、その歌の生まれたいきさつなどを書いておられます。
 そして、現代の多くの日本人の心に巣くうのがニヒリズムであると指摘しておられるのです。
 世の中には、絶えず、大小無数の犯罪が起きてきますが、それらも根本原因をたどれば、たいていこのニヒリズムに行きつくと言えると思います。
 信仰を持たない人々の心は、大なり小なりこのニヒリズムに支配されているのですが、私のはかなり重症でしたので、そんな精神状態のままでは、家業を継ぐことはおろか、まともな社会生活さえ送れそうにありません。
 結局、ひきこもり状態、落ちこぼれ状態のまま、かれこれ六年は過ごしてしまいました。特にキツかったのが前半の三年間でした。
 表向きは受験浪人なのですが、今更勉強なんかとても手につかず、予備校はさぼりっぱなしでした。
 かといって他に行くところがないので、おおかた大阪の中之島図書館に引きこもっていました。
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さまざまな宗教書を読んで、救われたいという気持ちが芽生えた
 ところが、他にすることもないので手当り次第に何やかや読んでいるうちに、皮肉なことに、人生に対する視野も少しは拡がってきたのです。
 ニヒリズム一辺倒というわけにはいかなくなりました。宗教関係の書物もいろいろ読むようになり、開架図書の棚に高橋正雄先生の著書を見つけた時などは、やはり嬉しい気がしました。
 その頃たくわえた知識というものは、ずっと後になってからこそ、利子がついて戻ってきたという感じがありますけれども、しかし当座の状況を打開するには何の足しにもなりません。
 そのまま同じ生活を続けるわけにもいかないので、ようやく信仰によって助かるものなら助けられたいという思いが芽生えてきました。
 それも、単に心の助かりを得たいというのではなく、目先の現実生活の行き詰まりから救われたいというものでした。

 そんな時に頼りになるのはやっぱり奇跡的な「おかげ話」でした。金光教祖や教祖を頼った人々の身に起きた奇跡的な出来事、あるいは湯川安太郎信話に出てくる例話、或いは他宗ではありますが、昔有名であった救世軍の山室軍平という人の身に起きた出来事とか…。
 これについても詳しくは述べていられませんが、当時、家に講談社から出た「訓話説教演説集」という本があり、その中の各教団宗派の偉い人たちの説教の中で、いちばん強い印象を受けたのが、若い頃窮地に立った山室師に救いの手が差し伸べられた体験談だったのです。
 そういう話の数々が、ひょっとしたらそういう奇跡を起こす神様というものがあるのかも知れないなあという気にならせてくれたのです。
 奇跡というものが果たして神の存在の証明になるのかどうか、軽々しくは言えませんが、「溺れるものは藁をもつかむ」の例え通り、助けてさえくれるなら、私には何でもよかったのです。
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受験を通して「奇跡的な」体験
 三年経ったとき、やはりどこかを受験するしかないということになりました。前の年はどこも受けていませんでした。
 その時の地力で受かる可能性のある国公立といえば、大阪の外国語大学ぐらいのものでした。
 そこならぎりぎりで受かるかもしれないと思い、最低点で受かっても合格は合格だと思い、実際そう信じて願ってみることにしたのです。
 それは、先に述べたような様々な実例話に魅かれ、更には教祖の教えそのもの持つ力に促され、或いは「一を信じたら二を、二を信じたら三を」といった、信念ということに関する湯川先生の力強い教説の数々に後押しされて、そういう気持ちにならされたと言えるのですが、その後の展開につきましては、まだ記憶の薄れていない四十年程前に書いた文章をそのまま引用してみたいと思います。

 「…そして祈ったからには信じよう、せめて試験の時ぐらい全力を出そうと思い、わからないところが多いにもかかわらず、最低点で通るんだから、一点でも多くと思って、答案を最後まで投げ出さずに書き、発表までの間もそう思い込むことにして、心配を打ち消す努力をしました。そしてドイツ語科に首尾よく合格しました。
 ほっとしたものの、今さらという感じで、さほど嬉しい気持ちはなかったように思います。
 それでも入学後、自分が受かったのはやはりビリではなかっただろうか、という気がしきりにしておりましたが、あえて確かめに行くほどの気にはなれませんでした。
 新入生歓迎会の席で、自分の挨拶の時、『僕はきっとビリで入学してきたのだと思います』と言おうとして結局思いとどまったことをはっきりと覚えております。

 ところが一カ月あまり経ったある時、同じクラスの幾人かの人達と廊下で出会い、あいさつ代りに『どちらへ』と尋ねると、これから入試の合計点を聞きに行くところだというので、自分もみんなについて行く気になったのです。
 一人一人呼ばれて私の番になったとき、担任の助教授がニヤリと笑って、『実はあなたが一番最後でね…』と言いだしたのです。
 ある程度予期していたこととはいえ、もうびっくりしてしまいました。
 助教授の話では、定員二十五名より二、三名多く、協議の上ちょうど私のところで切ったのだそうで、後には一点違いでずっと続いていたとのことでした。
 ということは、もし一点でも少なかったらどうなっていたか、後の人と並ぶことになって一緒に落とされていたかも知れません。
 あとから考えるとゾッとしますが、これが一、二点多かったとしても、或いは仮にトップで通っていたとしても、有難みはうすかっただろうと思います。別に特別なことをしなくとも、もともと通るだけの力はあったのだと、きっと思ったにちがいないからです。
 またあのとき合計点を調べに行く人たちと出会うことがなかったなら(そうなる可能性はほんの数秒の間のことでした)、そのことを知らずじまいになっていたかもしれません。

 それ以後その出来事は、自分の生き方の上に大きな影響を及ぼすことになりました。
 どうして信じて祈ればそうなるのか、信じるということにはどういう意味があるのかよくわからないままに、こういうことが起こり得るなら、そのことを人に知らせるだけでも、教会の仕事を継ぐ価値はあるなあと密かに思わせられたのであります。…」

 ざっとこういう次第で引きこもり生活の前半は終えることができ、これを境目にして、だんだんと人生観が明るく肯定的になってゆき、したがって運勢も好転していったと思うのですが、何もかもが順調にいったわけではありません。
 その後も長い間、つねに綱渡りをしているような恐怖感や緊張感がありました。
 よそ見をしたら落ちてしまう、余計なことを考えずただ信じて前に進むしかない、といった悲壮感がただよっていました。
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祈ることと考えることが好きになった
 そういう「おかげ」を受ければ受けたで、考えたいことやしたいこと、そして願わずにおれないことがいっぱい出てきまして、今度は大学の授業が邪魔になってしまい、またも中之島へ逆戻りです。
 しかし、それ以前と違うところは、祈ることと、ものを考えることが、やたらと好きになったことでした。
 自分自身の心と向き合うことも好きになりました。

 そうなるともう、自分にとって切実な関心をそそる事柄以外のことに心を向けるのが、苦痛で仕方がなくなるのです。
 今更「デルデスデムデン」なんて、どうしても本気でやる気が起きないのです。
 ようやく二回生になれはしたものの、三年目には休学しまして、文字通り物置に引きこもって、祈っては考え、考えては祈るということに、できるだけ集中しようとしました。
 一年間にできることなどほんに知れたものでしたけれど、そのまま学校もやめてしまいました。その時の生活での基本パターンは、今にいたるまで続いているように思います。
 せっかく国民の血税で支えられる学校で学ぶ権利と機会を得たのに、それを粗末にした点はまこと相済まぬことに思いますが、そのおかげで金光教の学生会にも顔を出して、学生生活をある程度楽しむことができ、結婚相手までそこで見つけることができ、実り多い三年間であったと深く感謝しております。

 それからもう四十五年経つわけですが、そのわりには何の布教実績も上がっておらぬなあ、と情けなく思う一面と、あの頃に比べたら、ずいぶんと有難いことにならせてもらったなあと思う一面と、やはり両面があります。
 世に「ビギナーズラック(初心者の幸運)」ということを言いますが、その後私自身の身の上に頂いた「目に見えるおかげ」としましては、いまだにあの時以上に鮮やかなものは頂いておりません。
 そのかわり、あの時ほど切羽詰った崖っ縁に立たされることもなくなりました。
 また、あれで神様は私を教会につなぎ止めてくださったのだとも思い、あのようなエサにつられてますます苦労を背負い込むことになったのだなあとも思っております。

 最後に、最近の話も聞いていただきます。これも最初の体験ほどではありませんが、小さく切羽詰った話です。
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その偶然は実に価値ある有難い偶然であった
 それは歯の治療に関する話であります。

 喜んでいいのか悪いのか、私は年齢よりも若く見えるとよく言われますけれども、身体各部の機能は、歯も目も他の部分も正直なもので、軒並みに確実に衰えていっております。
 とりわけ奥歯は、日頃ない知恵を絞ろうとして根をつめますと、てきめんに浮き上がったようになってぐらつき、一本二本と欠けていくのです。
 今では、右上の奥歯は、一番奥の根の一部を残して四本とも全部なくなってしまいました。問題はその修復方法です。

 普通奥歯が一本抜けると、二種類の修復方法があるらしいのです。
 一つは、抜けた歯の両隣に金具をかけて義歯をはめ込む、いわゆるブリッジ(部分入れ歯)と言われる方法。これは着けたりはずしたりするようになっています。
 もう一つは、これも両隣に被せものを掛け渡して固定させてしまう方法です。
 最初どちらにするかと問われて、どちらがいいんですかと問い返すと、一長一短でどちらとも言えないと言うのです。
 そんなことを言われたら、こちらも判断のしようがありません。
 結果として、どちらを先に試みたかは思い出せないのですが、右奥歯は部分入れ歯にし、左奥歯の時には被せものにしてもらいました。
 両方に共通しているのは、両隣のまだ傷んでいない歯まで、ある程度削らねばならぬということです。
 仕方がないこととはいえ、歯医者さんは何のためらいも見せずに良い歯を削ってしまうのです。そのたびに何とも釈然としない気持ちが残りました。

 それから何年たったのかも思い出せませんが、私の場合、被せものの方がずっと長持ちしているようです。
 部分入れ歯の方はというと、数年して、金具を掛けていた片方の歯が自然にポロリと抜け落ち、さらに隣の歯へと延長されました。
 しかも、程なく金具を掛けた両端の歯が、傷んで継ぎ足さねばならぬようになり、根元から抜け落ちるのは時間の問題、というところまで来てしまったのです。
 次にどちらかが抜けたらどうなるか。手前の方が抜けたら、今度は外から見える犬歯に金具がかかることになって、見苦しいことこの上ありません。
一番奥の歯が抜けたらどうなるのか、試みに尋ねてみましたら、今度は口蓋にそって金具を伸ばし、反対側の奥歯に掛けるようにするのだ、と言って見本を見せてくれました。
 それを見て私はゾッとしました。それまででさえ、着けたりはずしたり洗ったりするのがわずらわしく、気持ちが悪いのに、そんな嵩高いものを着けなければならないとなったら、とても耐えられそうにないのです。
 しかも、その反対側の奥歯さえもそんなに丈夫ではないのですから…。

 何か別の方法はないのか、となったときに思い浮かんだのが、新聞の本の広告欄に載る「インプラント」という方法でした。
 どうやら骨に直に心棒を埋めて、義歯を植えこむらしいのですが、この方法はまだ賛否両論があるらしいということも、広告の文面からは読み取れます。
 しかもまだ一般には普及していないらしいのです。らしいらしいということばかりで、何一つ確かな知識がなかったのですが、それまで長年通っていた歯医者さんに尋ねるのも、何かはばかられるような気がしました。

 ところが去年の秋、ついに一番手前の奥歯の継ぎ目がはずれてしまいました。もともと継いである土台の部分が浅いから、長くはもちませんよと言われていたので、このまま歯医者に行けば、次の段階に進まねばならぬ可能性がきわめて高いので、どうしても行く気がしません。
 かといって、他にどんな方法があるのか、どこへ行けばいいのか、皆目見当がつかないのです。
 まさに崖っ縁に立たされたような気持ちがしましたが、はずれた継ぎ目を押し込んでみたらそのままつながっていたので、部分入れ歯もそのままはずさずにくっつけたままで、歯医者へ行くのを一日延ばしにしていました。
 そんなことが長続きするはずがないのですが、かといって具体的な行動は何一つ起こせず、ただ祈るしかありません。

 そのまま一週間あまり経った頃、本部参拝をするため、近鉄の高田駅でベンチに座って電車を待ちながら本を読んでいました。
 それもいろいろな事情が重なってその日に参ることになったのですが、ちょうどその時、以前教会の会堂の建築を担当してくれた工務店の前社長さん(今は息子に社長を譲っている)が私を見つけて、わざわざ寄ってきて声をかけてくれたのです。
 そのまま一緒に電車に乗り込み、話をするうちに、なんと上六の歯医者に通うところだとわかりました。
 試しにインプラントのことに話題を振ってみますと、そこではインプラントも手がけていて、社長さんは三十年前にそれを植えてもらって、今でも調子よく使えているとのことでした。
 「高田市内ではまだどこもやっていませんよ」とも言いました(他の人の話では一軒ぐらいはあるらしいのですが、もちろんその時点ではそんなことは知りません)。
 その歯科医院はまた、安易に歯を抜かない主義の医院であるとのこと。
 しかも、終点のデパ-トの中にあり、改札を通ってエレベ-タ-に乗って、降りたすぐのところにあるので、通うのにそれほど時間もかからないし、バス代も地下鉄代もいらないのです。
 まさに私がその時一番必要としていた情報が一気に手に入ったわけです。

 早速予約を取れた日に出かけてみますと、一時間半もかけて、他の悪いところも全部入念に調べてくれ、歯石まで取ってくれ、しかもそれほど費用がかかりませんでした。
 しかし、奥歯の修復にはやはりインプラントが最適で、植えるとすれば三本は入れねばならぬだろうということでした。
 インプラントの一つの大きな欠点は、普通の入れ歯に比べて格段に費用が高くつくことです。
 しかし、あんな部分入れ歯をはめねばならぬうっとうしさ、不便さを考えると、背に腹はかえられません。
 貯金をはたいてでも、してもらう価値はあると思いました。同時に反対論を書いた本も取り寄せて読んだ上で、なおかつ植えてもらうことにしました。
 今も、仮歯を入れてもらって修復が進行中ですが、私の場合はうまくいっているようです。

 そこで考えてみますに、もしも、あの日に本部参りをしなかったならば、そしてあの時間に近鉄に乗らなかったならば、もしも、前社長さんが、私を見つけて声をかけてくれなかったならば、今頃私はどうしているだろうか、今となってはちょっと想像がつかないのです。もっともっと苦労しなければならなかったことだけは確かです(インターネットとやらを使いこなせる人なら、簡単に調べがつくのかもしれませんが…)。(注1)
 奇跡とか「おかげ」とかを認めない人は、そんなこともただの偶然の積み重なりだと思うかも知れません。
 偶然なら偶然でもよいのですが、この偶然は、私にとっては実に価値ある有難い偶然でありました。

 そういう大小さまざまな、私にとりましては「お差し向け」や「お繰り合わせ」と言うしかない出来事に助けられ元気づけられて、今日までかつがつ信心を続け、道の御用を続けさせてもらってきたのであります。
 もちろん神頼みを続けていて得られるおかげというものは、そういう目に見える形のものよりも、目に見えない、自身もそれと気づかないうちに受けているおかげの方がずっと多かろうと思います。
 これからも、お互いどんな困難がありましょうとも、神様を杖にし、神様を信じて、おあてがいのままに、できるかぎりいつも嬉しく有難く元気な心で生きさせていただきたいと思うわけでございます。

注1 : この時点ではまだインターネットに加入していなかった。
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談話室より
おおとり さん (男 教会長 82歳) H19.01.11

ホームページを開設されたことを知り、開いて見てご立派なのに驚きました。
意欲に敬服。ご苦労に感謝致します。早速教話を拝読しました。
ニートの話しでした。ご自分の体験談を交えた内容で説得力がありました。
当方にもニートではありませんが、正社員になりたい青年がいます。
今この問題が政治の舞台でも取り上げられていますが、企業家の姿勢が代わらぬ限り、難しいことですね。アメリカナイズされた経営姿勢は冷たい。日本古来の終身雇用制が見直される時もそう遠くないようにも思います。将にあいよかけよで、双方のよいところを取り入れた制度が望まれますが…。
ニート問題についても考えさせられました。矢張り信仰に基づく確固たる自己形成でしょうか。格差社会と悪平等社会、これも先生の仰る「お当てがい」「お差し向け」的な観念でよいのではとすら思います。

当教会長より H19.01.19
「おあてがい」という言葉をヤフーで検索してみましたら、たった16件…。
しかも当教会の見出しが1、2位を独占していました。それほど特殊な表現なのでしょうか。
今月はそこからのアクセスも10件を超えました(2通の年賀状でそのことに触れた影響かな?)。

おおとりさんからいただいたもう1通のメールを「その他」の欄で紹介させていただいております。


教会長よりH.27.12.19
本日、試みに同じヤフーにて「おあてがい」を検索してみましたら、約60万件あり、行けども行けども当サイトには行き当たりませんでした。「おあてがいのままに」と全文字を打ち込んでみたら、やっと最初に出てきました。
おおとりさんも既に故人となられました。
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